骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2011-06-08 23:35


ブッチャーズ田渕やモーサム百々も出演、『シンクロニシティ』田中情監督インタビュー「浮遊している、独特な東京のあり方を伝えたい」

長編2作目にして、豪華出演陣とのコラボレーションを果たした、インディーズ映画界に収まりきらない度胸を持つ新星。
ブッチャーズ田渕やモーサム百々も出演、『シンクロニシティ』田中情監督インタビュー「浮遊している、独特な東京のあり方を伝えたい」
映画『シンクロニシティ』より、小林且弥(右)と百々和宏(左)

進境著しい男優・小林且弥、そして2009年に解散した二千花のボーカリスト・宮本一粋を主演に据え、東京に生きる若者たちの平坦な日常と人間関係を描く『シンクロニシティ』が6月11日(土)より渋谷アップリンクXにて公開される。
bloodthirsty butchersの田渕ひさ子やMO'SOME TONEBENDERの百々和宏、グループ魂の宮澤タクといった、高い人気を誇るロック・ミュージシャンや、プロレスラーの高木三四郎、りりィなど個性的なラインナップが脇を固め、脚本アドバイザーとして狗飼恭子が参加し、現代の虚無感を捉えた今作。前作『キリトル』をほぼ映画制作の経験のないまま完成させてしまったという田中情監督の豪胆さは、今作にも受け継がれている。いわゆる日本のインディーズ映画シーンの枠組みには収まらない器量と表現力を持つ田中監督に、自身のルーツと撮影にまつわるエピソードを聞いた。

どうにかして社会とコミットしたい

──『シンクロニシティ』は主人公のふたりを中心に、コミュニケーションが苦手で、何か人と繋がりを持ちたいけどなかなかできない人たちが出てきますが、田中監督はそうした希薄さこそ表現したかったんじゃないかと感じました。今作の構想はいつぐらいからスタートしたんですか?

前作の『キリトル』をアップリンクXで2009年の7月から8月まで上映させていただいたんですけれど、その後10月くらいから脚本を書き始めて、12月には形になっていたので、そこから準備を初めました。翌年の4月末に撮影をしたので、けっこうタイトでしたね。
今回は撮りたい題材があるのではなく、いくつかプロット的なものなかからすくいあげてホンにしていくやり方でした。1作目という助走があったので、それに乗っかって特に何も考えないほうがいいかなと思って、間を開けずに作りました。まぁ、とりあえず実績がほしかったというのもあります(笑)。

絵を描く人間を主人公にしたいという設定だけはあったんです。日本では画家というのは、敷居が高くてそんなに現実感がないじゃないですか。そこから広げていって、少し刹那的な話になったんですけれど、『キリトル』しかり、『シンクロニシティ』しかり、やはり自分のルーツみたいなものは確かに映画に投影されていると思うんです。もともと映画監督になりたいという気持ちはぜんぜんなかったので、流れでこういうことになったのは自分でも不思議です。みなさん映画学校とか、学生の頃から8ミリを回したり、助監督になったり、公募でたくさん賞を獲ったりするんですけれど、自分はそういうのぜんぜんなくて。

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田中情監督

──正統的な映画監督への道とは別のところで、動きつづけていたんですか。

福岡出身なんですけれど、海に面した工場地帯で、3万人くらいの小さな町だったんです。工業高校に行っていたので、卒業して地元で就職して、そこで骨をうずめるみたいなのが当たり前なんですよね。表現とか芸術とはほんとうに無縁の土地だった。僕もそのなかの一人で、工業高校を卒業して就職、という話になったんですけれど、ちょっと外に出て、千葉の製造工場に就職したんです。地元を出てみると、いろんな広い世界があるんだなと思った。そこで2年くらい働いて、地元に帰るのもいやだったので、自分探しじゃないんですけれど、会社を辞めて寮を出て、風呂なしのアパートからスタートして、ひとりで自活してみようと。どうなるか解らないけど今度はぜんぶひとりでやってみようとしていたんです。

そこでいろいろ試したり挑戦したりしたんですけれど、ぜんぶ挫折してしまって。もちろん仕送りとか親に頼るということはなかったから、食っていかなければいけないので、ベンチャー企業系のレンタルビデオ店でバイトをやっていたんです。友達もいないので、やることがなくてそこのビデオを借りまくって観ていました。そこで、撮るのも面白いのかなと思って、でも映画監督というのは現実的じゃないけど、なにか映画に携われたらいいなと。当時ちょうどコンピューターグラフィックスが出てきた頃、『ジュラシック・パーク』とかに使われはじめて、日本でもポツポツとそういう映像制作やクリエイター養成所ができてきたので、僕も便乗して技術を身につけようと思った。でも甘くはなくて、パソコンをちょっと覚える程度で終わったんです、残ったのはローンだけ(笑)。

悔しかったので、バイトを2個掛け持ちして、お金を稼ぎながら、パソコンを買ったんです。それで勉強して、自分の作品を作りました。そこで公募で賞を獲ったりして、仕事が入ってきたり、プロジェクト単位で仕事をもらったりするようになりました。アニメやゲームの仕事があって、テレビ局で働くことになって。バラエティのオープニングとか、フリーでもやっていたので、アーティストのPVとか、ライブのオープニング映像を作ったりしました。

──未経験だったのに、そこまで進めるものなんですね。

でもそこで行き詰まってしまって、4、5年前なんですけれど一回倒れたんです。それで貯金を食いつぶしてしまって、もうお金がなかったので映像製作会社に就職したんですけれど、そこも上司とケンカしてすぐに辞めてしまって。なんかほんとうに落ちてしまって、ヤケになっていたときに、前作の『キリトル』に出演した青柳尊哉という男の子と知り合ったんです。

役者で生計たてていくって難しいので、彼もバーでバイトをしていて、よくそこに行っていたんですけれど、いつも酔っ払ってました。あるとき冗談っぽく「本当に映像をやってるなら、俺を撮ってみれば?」と挑発されたので、そろそろちゃんとしないといけないなと思って、脚本を書いて彼のところに持っていったんです。

そこからガーっと勢いで『キリトル』を撮って。自主映画といっても多くの人に観てもらいたい、でもお金もないので、周りに負担をかけるじゃないですか。なので、無理に撮らなくもいいと思っていました。

実は、27、8のときに遊び半分でDVで短編を撮ってみたことがあったんですよ。女の子と男の子が喫茶店で話す、みたいな。それがたまたま中野武蔵野館で『犬猫』という井口(奈己監督)さんの本編の前座で運良く流してもらえるという話になったんです。でも自分的には出来がひどくて、大きいスクリーンでお金をとってこれを見せるのは恥ずかしいなと思うしかなかった。そこからはもう、撮るんだったら真剣にやって、撮らないんだったらもう撮らないでいいやと思ったんです。

そういうことがあったので、『キリトル』のときは、これを撮るなら公開か自腹でDVDを出して販売までしようと。それで融資を募ったりしてるなかで、アップリンクが上映してくれることになって。今年のハンブルク日本映画祭でも招待されたので、結果としては、うまくいったかなと思ったんです。まぐれと思われるのもしゃくにさわったので、2作目はさらにひとりでぜんぶコントロールして、いちからぜんぶやってみようと思った。『シンクロニシティ』は、自分のオブセッションが『キリトル』より強く出ていると思います。

──今作で監督としてより打ち出したかったところは?

もうちょっと物語性や作家性だったり、ちゃんと才能があるのかどうか(笑)。参加していただいた人には申し訳ないんですけれど、『キリトル』はテストみたいな感じです。でも蓋を開けてみたらけっこう評判が良かったので、もう一回しっかりやろうと思って、借金をして、『シンクロニシティ』の制作を始めたんです。

映画監督になりたいという学生って、日大とか行ったり、大阪芸大に行ったりするんですよね、それすらも知らなかったんです。ほんとうに20代中盤くらいまで、そういうセオリーがまったく解らなくて。でも、もし学校で教えられていたら、先輩後輩の関係とか、「これはできないな」とか「これをやると怖いな」というのがあったと思うんです。僕はそれを知らない分、ぜんぜん気にせずガンガン行けるので、今はよかったと思えます。

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映画『シンクロニシティ』より、田渕ひさ子(右)と松田百香(左)

──田中情としての語り口はそうした課程のなかで生まれていった?

まさに作りながら学んでいきました。まず『キリトル』で、映画製作がどういう流れで行われるのか、劇場はどういう風に繋がってるのか、宣伝・配給の仕方が、一本作って公開することで、だいたい見えてきた。2作目も、クリエイション的にどのくらいの人数で、どうやればうまくいくか、とか、予算で何が必要で何が切れるのか、とか、どこがポイントになるのか、一個ずつ作りながらスタイルを作っていきました。

そのなかで、映画をずっとやってる方たちがスタッフに入ると、どうしてもそのやり方を強制してきてしまうんです。でも、僕は僕なりのスタイルをぜったい築きあげたいので、譲らずに、ぶれないスタンスでやっていきたかった。大きい現場でやってる人の方が、かえってめんどくさい。そういう方も入る予定だったんですけれど、クビにしたりして。ビンセント・ギャロじゃないですけれど、まずはセルフ・コントロールでぜんぶ自分が手の届く範囲で、予算内のギリギリのところまでクオリティを高めようと思って。なので、スタイリストもいらなかったし、カメラマンもビッグタイトルやってる方を替えたりして。演出部もいないので、前回に続いてやっていただいた方を呼んで、あとは、ぜんぶ僕が補うことになりました。疲れるんですけれど、それでできなければ実力がないということで。結果的にできたから良かった(笑)。

──大変だけれどすべてをコントロールできる方がやりやすいと。

少人数のほうがピリピリして、フットワークが軽くなっていいんです。責任が分散されない。多いと誰かがやってくれるだろうという気持ちになるので、たとえADでも「君がいないと回らないからしっかり頼む」と意識を持ってほしい。6日で撮りだったんですけれど、ダラダラやるより良かった。といっても半年くらい準備をかけてリハーサルもやったので、あとはガッとやるみたいな状態でした。

──岡崎という男の子と緑子という女の子という設定は、当初からあったんですか?

前の『キリトル』も、何考えてるかよく解らない、ちょっと中身の薄い、だけど憎めない主人公の男の子に女の子が翻弄されるという内容でした。今回も画家を目指しているといいつつもマザコンでお母さんから仕送りをもらったり、女と寝たり、お金を盗んだり、もらったり、社会通念的にみるとダメな男の子なんですけれど、もっとより深く、ひとりひとりの人間にスポットを当ててみました。群像劇のようにいろんな人が出てくるんですけれど、ちょっと変わった人たちばかりで、ラストに向かっていくんです。

大きく言うと人の価値というものはどういうところで決まるのか、というところがずっと頭のなかにあって。だいたい映画を撮る人はそうだと思うんですけれど、僕も、社会的に逸脱している人間ですが、初めからミュージシャンになるために、映画監督になるために、俳優になるために上京してきたぜ、みたいなかっこいいものじゃない。

あとは、世間からはみ出している僕として、どうにかして社会とコミットしたいという欲求があってそこも投影されているんです、岡崎はダメなやつだけれど、緑子が暴行を受けてしまって、「どうしたの」「こけた」「あっそう」というやりとりだけで終わったらそこまでの人なんですけれど、彼は終わらなかった。あれも一種の自己主張というか、あそこで岡崎の自分でも気付かなかった人間性が出てくることで、観る人に「これをどう思うのか」という問いを投げかけたかったんです。

逆に、一定の社会的地位を得ながらも、予備校の絵の先生は浮気をしたり、不動産屋の社長は緑子をお金で買ったり、無慈悲な暴力をしたりする。どれだけ科学が発達したり、知識を得ても、宗教的な部分や思想的な部分以外で「なぜあなたはあなたなんですか」という問いには誰も答えがだせない。それほど曖昧なものなんじゃないでしょうか。だから、「常に曖昧な映画を作りたい」というのが僕の答えなんです。

──岡崎は最初は完全なダメな男だなぁと感じますが、最後まで観ると、そうでもないんじゃないかと思わせます。

人ってなにかしら、いい人か悪い人かというのを決めたがるんですけれど、グレーな部分がほとんどだと思ってるんです。「この映画は観客に委ねているね」と言われますが、娯楽として感情移入して、そこで何かを得て、観終わってすっきり完結して帰るという映画もいいんですけれど、無理に答えがなくてもいいんじゃないかと。各々が考えてもらって「あれはなんだったのかな」という映画の形があっていいと思うんです。

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映画『シンクロニシティ』より、主人公の緑子を演じた宮本一粋

現場がめちゃくちゃな計算式でも、答えが出て公開できればいいんじゃないか

──田中監督の作品には長回しが多いですが、多用するようになったきっかけがあるのですか?

簡単に言えば、『キリトル』で長回しをしたのは、カットの仕方が解らなかったから(笑)。演技が切れないので、観ている側も感情が切れない。だからエチュードに近いかたちでやりました。人物設定だけを渡して、あとはこういうシチュエーションで、とディスカッションして進めていったんです。

さらに『シンクロニシティ』では、手持ちにして、ダイナミックに、長回しの時間経過をあまり感じさせないような作りにしたかったんです。構図も、1枚の絵で見るとかっこいいですけれど、ずっと観てると疲れるなという構図は止めました。カメラマンさんが俯瞰にしたりあおったりするところを「ぜったい平坦に撮ってください」とお願いしたんです。あとは人物の動きに合わせてカメラを動かしていく。だからシーンにすると30シーンないんです。主人公を演じた小林くんも「1時間いってんのかな」って言ってました。長回しでテイクも3テイクくらいなので、短く感じるんです。でもオープニングのほうは、人を惹き込むようなシーンで始まることでドラマを繋げていこうと思った。だから見せるということをより意識しました。

──こういうテーマだと自分語りで終わってしまうような物語も多いと思うのですが、『シンクロニシティ』は少なくともエンターテインメントにしたいという意思を感じました。

とっつきにくそうなんですけれど、実はかなりエンターテインメントを意識していましたね。キャストもそうですし。

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映画『シンクロニシティ』より、宮本一粋(右)と小林且弥(左)

──ミュージシャンを要所要所に配していますが、これは純粋な役者には出せない魅力があるから?

もともと音楽が好きで、才能あるミュージシャンは演技がうまい、というのが持論なんです。やっぱり映画も音楽もテンポだから、ミュージシャンは発声や呼吸法は体得している。音域も、舞台度胸もあるし、体で感覚的なところを表現できる。なので、演技に必要なものをはじめから備えている。ヘタに役者を使うよりは、ぜんぜんいい味を出していただけるという自信があったんです。りりィさん以外は演技が初めてでしたが、僕がぜったいなんとかしますので、出てくださいとお願いして、出ていただきました。今回も自分で宣伝・配給するつもりだったので、前作の反省点を活かして、一筋縄ではいかないキャストを考えました。

松江(哲明)監督にはお会いしたことがないのですが、「インディーズ映画のファンというのは一定の人数がぐるぐる回っているだけだ」と言っていたのを、何かの記事で拝見して、僕もそう思っていたんです。ビッグタイトルとかテレビ資本じゃない映画で、一般の人を巻き込むにはどうしたらいいかな、と。面白くても人が入らないと意味がないので、だったら、固定ファンがついている異業種のミュージシャンやレスラーに演じてもらうことで、話題性もあるし演技もできるので、パブリシティも食いつきやすく、ひとりでやる宣伝の手間も大幅に省けるのではないかと。そういうあざとい計算もありました。

映画好きな人は、普通にちらしがあれば面白そうだったら必ず観に来るんですよね。じゃあ他の人をどう入れるのか。自分で撮る前に、自主映画を何回か観に行ったときに思ったんですけれど、楽しんで、良かったねと終わる、そこで完結しちゃうんですよ。結局、大学生の仲間が集まってカフェやりたいと身内で盛り上がって、おしゃれなレストランカフェを作るけど、お客さんは置いてけぼりみたいな、そういうものと似ていて。だから僕みたいな違う人が入ることによって、閉塞感や「これおかしいんじゃないの」っていうのが見えてくる。えらそうですけれど、そういう考えを持っている人がいてもいいんじゃないかと。もちろん僕も映画が好きなので。

──MO'SOME TONEBENDERの百々さんがこんな演技をするのか、と驚きました。

『キリトル』をすごい気に入っていただいて、まぁ出てもいいかな、という感じだったと思うんです。ぜったい百々さんの良さを出す自信はありますとハッタリをかまして、出ていただいたんですけれど、普通の役者さんには出せない強度がありました。他にもbloodthirsty butchersの田渕ひさ子さんや宮澤タクさんなど、よくこれだけの人をまとめられたなって。へたすると破綻しますからね。

──キャストのそれぞれが、若い人の存在の希薄さをすごくうまく表現していると思いました。こういうヤツいるなっていう身近さと、こんな恋愛関係もあるんだなと感じさせて終わるのが良かったです。

『キリトル』に続いて東京を舞台にしたかったんです。東京って、地方の人の集まりが多い、ほんとうに不思議な町だと思っていて。もし仕事がなくなったら、東京では簡単に引越しとかしてどこでも行って働けばいいじゃんってニュアンスになるんですけれど、地方ではそこに育って地に足をつけているので、そうは簡単にいかない。どこかに移動して暮らして、仕事を得るというのが考えられない。僕の地元もそうなんです。だから東京は、ある意味、浮遊している感じがする。『シンクロニシティ』の独特な東京のあり方を、地方の地元密着型の方が見たらぜんぜん違う感想にあるかもかもしれないですね。

──あらためめて『シンクロニシティ』の公開を前に、どんな気持ちですか。

経験の乏しい僕が映画を撮れたのは、テクノロジーの進化があったからだと思うんです。デジタルだから撮れた。まず映画の学校行くにはお金どうすんの、っていうところから始まるって、そこで仲間を集めて機材で撮ることはできるけれど、僕は役者の知り合いもいない。だから、まず機材があって、DVで撮れるというのがいちばんでかかった。そこにちょうど撮るタイミングも振ってきた。同じことをやってもずっとやってきた人には勝てないから、だったら自分のスタイルで、どんなに現場がめちゃくちゃな計算式でも、答えが出て公開できればいいんじゃないかと。それがちゃんと映画として面白くて、公開できて、人が入って、何かを感じるんであれば、後は計算式は自分のなかで見つければいいだけなので、そこは既存のやり方にむりに当てはめようとは思わない。自分のいちばんやりやすいやり方で表現したいんです。

この映画の制作の課程そのものが、いろんな人と求めて求められてというやりとりがあって、映画のなかでもお互いがお互いを必要としている、そういう部分をぜんぶひっくるめての〈シンクロニシティ〉だったんです。

(インタビュー・文:駒井憲嗣)



田中情 プロフィール

田中情 福岡県出身。地元の工業高校を卒業後、就職のため18歳の時に単身上京。東洋美術大学学校夜間絵画科卒。20代中頃より独学で映像制作を開始。2009年に映画制作の知識や経験の無いまま、自ら企画、製作、監督、脚本、配給、宣伝を担当した初長編映画『キリトル』が渋谷UPLINK Xで劇場公開。2011年6月に長編第2弾となる『シンクロニシティ』が公開。武器は動物的直感と後ろを顧みない突進力のみ。




『シンクロニシティ』
2011年6月11日(土)より渋谷アップリンクXにてロードショー

【初日舞台挨拶決定】
15:00 小林且弥×宮本一粋×田中情監督
17:00 富澤タク×松田百香×田中情監督
19:00 星野あかり×潟山セイキ×百々和宏(予定)×田中情監督

料金:当日一般1,300円/シニア1,000円/UPLINK会員1,000円

監督・企画・プロデュース・脚本:田中情
撮影:田邉顕司
脚本アドバイザー:狗飼恭子
キャスト:小林且弥、宮本一粋(ex.二千花)、橋本一郎、星野あかり、松田百香、田渕ひさ子(toddle、bloodthirsty butchers)、百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)、宮澤タクa.k.a遅刻(グループ魂、TOKYO MOOD PUNKS、Number the.)、高木三四郎(DDTプロレスリング)、りりィ
2011年/80分
公式HP

▼『シンクロニシティ』予告編

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