骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2011-06-29 19:30


「誰かに抗議するためではなく、ポスト3.11時代のいまについて各自が瞑想してみるための映画」辻信一さんが語る『セヴァンの地球のなおし方』

「もう頑張らなくていい。頑張らなくても安心して平和に暮らしていける未来をつくるしかない」環境運動を続ける氏による新たな提言。
「誰かに抗議するためではなく、ポスト3.11時代のいまについて各自が瞑想してみるための映画」辻信一さんが語る『セヴァンの地球のなおし方』
映画『セヴァンの地球のなおし方』より前作『未来の食卓』の舞台となったフランス南部のバルジャック村近くにある原発で市民たちが原発の不安について語るシーン。

環境文化NGOナマケモノ倶楽部の辻信一さんは、世界各国での活動を続けながら、我々の豊かさをもう一度をもう一度問い直すとともに日本ならではの環境への取り組みを常に提案してきた。現在公開中の映画で辻さんが字幕監修を手がけた『セヴァンの地球のなおし方』を辻さんは「いまこの作品を観る意味は大きい」と力説する。今作を通して、新しい時代を前にいま私たちがあらためて考えなければならないこととはなにか聞いた。

僕たちはいちど深い時間のなかに一回身を浸してみるということが大事だ

──字幕監修を手がけられた辻さんはこの『セヴァンの地球のなおし方』をどのようにご覧になりましたか?

僕にとってはほんとうに感慨深い映画です。つまり、あの12歳の僕が出会った頃の幼い子供のセヴァンと、お母さんにいまなろうとしている大きなお腹のセヴァン、そして映画の最後に登場するお母さんになったセヴァンのメッセージが交錯して、こだまのように共鳴する。20年という年月を隔てたメッセージが、融合する。子供の世代の声をかつて代表していた彼女がいま、お母さんとして自分の子供に向き合い、その子が生きる遠い未来へと想いを馳せる、そういう時が経ったんだという感慨をもつと同時に、彼女が、そしてぼくが生きてきたこの20年という時間とはなんだったのか、ということも考えさせられます。単にそれは、セヴァンとその子供なんじゃなくて、セヴァンの子どもとそのまた子供、そのまた子供と、いうふうにずっと先の未来にまで繋がっている。遠い未来にもいつもお母さんがいて、子どもがいて、その子どもにも子どもがいるという未来がある。でもどうだろう、僕たちはそういう長い時間のスパンで、物事を見たり、考えたりすることがほとんどなくなってるんじゃないか。3・11以後の現在、こういう危機的な状況のなかでも、僕たちは日々目の前にあることに一喜一憂し、いろんな情報に右往左往ながら、さまざまな不安に駆りたてられているばかりで、とても表面的な浅い時間を生きている。

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辻信一さん

そういえば、アップリンクが配給しているもうひとつの映画、『100,000年後の安全』も素晴らしい。僕の言葉で言うと「ディープタイム」へとぼくたちを誘う映画なんです。僕たちの日常は「シャロウタイム」、つまり時間の非常に浅いレベルで忙しくうごめいているわけです。でも、少し考えてみればわかるように、僕たちが作り出してしまった原発とか核兵器というものは、これから少なくとも10万年の未来にわたって、生命を脅かし続けるというとんでもない代物です。10万年という時間の流れのなかには、もちろん僕たちの子どもたち、そのまた子どもたちがみんな入っている。人間ばかりじゃない、今生きているいろんな生きもの子孫たちもみんな。そのすべてのいのちを脅かすものを、ごっそりと置いたまま、ぼくたちは死んでゆく。
こういうときだからこそ、僕たちはいちど深い時間のなかに一回身を浸してみるということが大事だと思うんです。その意味で、『セヴァンの地球のなおし方』もまた、単なるプロテストのための、誰かに抗議するための映画じゃなくて、ポスト3.11時代のいまについて各自が瞑想してみるための映画じゃないでしょうか。もう一度母であり、父である自分が、子どもたちに、そのまた子どもたちに、これからの未来の世代のすべてに対して負っている責任について思いを馳せる。そしてその自分の責任について、自分に何をできるか、もう一回静かに考えてみる。そういうものとして、この映画をみんなに観てもらいたいなと思います。たぶん母親となったセヴァンもそういうことを願っていると思いますよ。

この社会のシステムのあり方、そして僕たち自身の世界観、価値観すべてが問われている

──セヴァンは作品のなかで、「自己中心的に自分たちを、どう救うかを考えていきたい」と語っています。それは新しい命を授かったセヴァンの子どもたちの未来のための責任を強く感じます。

「自己中心的に」というのはたぶん、世界ともう切り離せない世界と一体の自分ということです。だって僕たちは世界なしに生きていけないんだし、彼女が「自分」というときには、赤ちゃんと一体なんです。その赤ちゃんの赤ちゃん、そのまた赤ちゃんと一体なんです。母であるということは、そういうことだと思います。その意味でセヴァンにとって、自分を守るとは、地球を守ること。「母なる地球」とよく言いますが、ある意味、僕らは母そのものなんです。

──そうした長い時間軸で生き方を考えるきっかけとなる作品のように感じます。

映画の最後のほうに、原発のことが出てきます。まるでポスト3.11のために作ってくれたような、そんな感じさえしますよね。3.11後のいまこの映画を観る意味は大きい。いま、「あの3.11さえなければすべて良かったんだ」といった発言を、非常に重い責任を負っているはずの当事者たちがしている。原子力安全委員会の委員長とか東電とか、原発を誘致した地元の自治体の首長とかにそういう言い方がまかり通っている。それは、原発に関して「事故さえなければいいんでしょ」という言い方にも通じる。ここに僕たちの時代の「シャロウ」ぶりがよく出ているんです。ぼくたちの社会というのは、たまたま原発という過ちを抱え込んでしまっただけの、それがなかったら健全な社会なんでしょうか。そうではないはずです。逆に言えば、原発に象徴されるような根の深い病理を抱え込んだ社会なのではないでしょうか。

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『セヴァンの地球のなおし方』より

この映画が扱っている中心の問題は農薬です。でもそれだけじゃない。遺伝子組換の問題もあり、原発の問題も出てくる。この数十年、世界中で癌が急増してきた。その原因として、食品添加物もあるだろうし、農薬だってある。化学物質による環境の汚染もあるし、放射能だという説もある。そういうとんでもない複合的な環境汚染と自然破壊の時代なんです。それを原発の事故さえなければいいんでしょ、だなんて。原発とそれが生み出す放射性廃棄物というのは、そういう僕たちが既に犯してしまった多くの罪の一部でしかないんです。それは今回たまたま事故というかたちで表れたけれど、破綻の兆候はすでに世界中にいっぱいあるんです。そして、そんな僕たちのやり方のせいで、未来の世界はどんどん貧しい場所にされている。そして、僕たちは、「ほら、こんなに豊かになった」と威張っている。そういうめちゃくちゃな時代に僕らは生きているということです。福島の原発事故は例外でも、孤立した問題でもない。僕たちの、世界との関係の仕方、この社会のシステムのあり方、そして僕たち自身の世界観、価値観すべてが問われているんです。そのことを、この映画はあらためて問いかけています。
同じ監督の前作品『未来の食卓』の原題は、「子どもたちは告発するだろう」というものだったんですよ。でも告発調じゃなくて、ほんとうに未来に希望がもてるような映画だった。今度の映画もそうです。12歳の時のセヴァンのメッセージを真剣に受け止めて、次の世代により良い世界を届けるために、すてきなことをしている人たちが、世界にはいっぱいいる、ということを伝えてくれる映画なんです。
実際、新しい時代の新しい物語は世界中あちこちにすごい勢いでを芽を出している。これは僕がこの10年あまり、日本だけじゃなくいろんなところを訪ねて感じてきたことです。新しい時代は始まっているんです。
でも、だからこそ、僕たちが今までやってきてしまったこと、そしてその結果いま起きているこの事態の深刻さにいちど絶望することです。絶望が深ければ深いほど、しかし希望もまた深いと僕は思います。そういう絶望から希望へと大きく転じていく、展開していく、そのためにこの映画は役に立つ。そういういいバネをもった映画です。

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『セヴァンの地球のなおし方』より

先住民との繋がりを抜きにしてセヴァンの人生はありえなかった

──辻さんがセヴァン・スズキと初めて会ったのはいつですか?

ちょうど92年だったと思います。僕はカナダやアメリカで長く暮らしていて、人生の転機になったのが、彼女のお父さんのデヴィッド・スズキとの出会いでした。学問的な分野はぜんぜん違うんですけれど、科学者でありながら、実験室に閉じこもらず、現代の世界を変革するためにダイナミックに活動しているデヴィッドという人に心酔しまして、以来彼は僕にとって良き友人であり、先生です。彼との出会いを通じて、僕自身も自分を環境運動家と呼ぶようになったんです。
その頃、セヴァンはまだ僕よりもずっと下の子供だったわけだけど、それ以来着実に優れた環境運動家へと成長してきた。僕もそれを横目で見ながら、彼女からの刺激を受けながら、自分なりに環境運動家に育ってきたのだと思っている。そういう意味では、彼女は仲間であり、同志なんです。

──デヴィッドのスピリットはセヴァンに受け継がれていると感じますか?

うん、でも、デヴィッドだけではないと思う。デヴィッド・スズキのいちばん良き同志であるセヴァンのお母さんのタラ・カリスさんの影響も大きいですね。僕がちょうど彼らに出会ったのはデヴィッド・スズキ・ファウンデーションが、ほんの小さなスペースを間借りして始めた頃だったんです。それがどんどん大きくなって、10年でカナダの代表的な環境団体のひとつとなるなんて、本人たちも思ってなかったでしょうね。
おじいちゃんおばあちゃんの影響も大きいようです。よくデヴィッドは自分のお父さんが亡くなる時の話をしますが、「自分が死んだらこの愛するカナダの大自然に還る。魚の中に、風の中に、木の葉に、自分がいると思ってくれ」と、みんなに言い残したそうです。デヴィッドは、そこに日系人ならではの自然観、現代日本人に忘れられかけている伝統社会の世界観を見たという。それがセヴァンにも引き継がれているのだと思います。

それから大きかったのが、両親のもとでアウトドア的な経験をたくさんしてきたことかな。キャンプしたり釣りしたり、本当に自然のなかで存分に遊んで育ったということ。さらにもうひとつ重要だと思うのは、先住民族とのつき合いですね。カナダの西海岸には、今でも伝統的な世界観や価値観を今に伝えている先住民族がいます。その彼らとの深い繋がりを、セヴァンの両親はずっと大事にしてきた。というのは彼らの考えるエコロジーというのは、単に西洋由来のいわゆる科学的なエコロジーだけでなく、先住民族の伝統的な知恵をルーツとするものだったんです。ちょうどサミットがあった1992年だったと思いが、デヴィッドは『長老たちの知恵』(The Wisdom of the Elders)という本を出版していて、それに僕も大きな影響を受けたんです。その本は、現代科学の最先端が行きついたような知恵が、実は伝統社会のなかに何百年、何千年と続いてきた知と高度なところで融合しているということを示す本なんです。デヴィッドやタラにはそういう確信があったので、彼らの環境運動は先住民族と非常に近いところで展開されていた。セヴァンはそんな両親のもとで、いわば先住民のコミュニティの一員として、まるで家族のようにして、育ったんです。

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『セヴァンの地球のなおし方』より

ぼくが編集したセヴァンの本『わたしと地球の約束』(大月書店)のなかに出てくる話ですけれど、彼女が環境問題に目覚めるきっかけは、9歳のとき家族とブラジル・アマゾン奥地に住むカヤポという先住民族を訪問したことです。しばらくジャングルの中にある先住民のコミュニティに滞在し、そこの子供たちと一緒に遊んだりして過ごす。そのときに彼女は、こうした何百、何千年と持続してきた先住民の暮らしが、迫りくる森林破壊によって、今まさに失われようとしているということを知った。その経験を経ていたからこそ、あの同じブラジルのリオで行われた地球サミットに子どもの声を届けようという考えも浮かんだと思うし、世界中を感動させたあのスピーチも出てきたと思うんです。
その後も現在に至るまで、先住民との繋がりを抜きにして彼女のこれまでの人生はありえなかったわけです。大学院での研究というのも、先住民族の伝統社会のなかにあった科学的知についての研究だったんです。狩猟採集民と言われてきたカナダの西海岸の先住民族が、海辺の生態系についての深い知識に基づいて、海藻を管理しながら、とり過ぎを戒め、持続的に収穫を得てきたということについての研究をしていたんです。そしてそれが彼女の修士論文になった。そしてもうひとつ、幼なじみだったハイダの青年と再会して結婚して、子どもをもうけ、文字通りハイダ民族の一員となった。こうした流れを振り返ってみると、僕には単なる偶然の重なりとは思えない。そこには彼女の半生を貫くストーリーがあるように思えるんです。

──セヴァンがさまざまな環境を考える活動の根底に、小さい頃からの先住民族との関係があるということですね。

環境運動の中には、人間にとって都合のいい部分が危うくなったという危機意識から、人間にとっての権益を守ろうとするようなものも含まれている。また、「地球を救え」とか「環境を救え」とかという言い方があるけど、考えてみればおかしいわけで、人間がいなくても地球は大丈夫なんです。それをセヴァンはよく言うんです。一方、僕たち人間というのはこの地球や生態系がなかったら、ゼロなんです。存在すらしていない。全面的に地球のおかげで生きている存在です。僕たち現代人とちがって、先住民族はこの事実から離れない。そして生態系のなかでどのように生きていくかという知恵を育み、世代から世代へと伝えてきた。僕たちは、そういう知に、繋がりなおさなきゃいけない。それが環境運動であり、エコロジーということの基本です。でも、そういう知から切り離されたところでつくられてきた傲慢な人間中心の世界観が行き着いた果てが、環境破壊であり、汚染であり、そして今回の3.11以降の原発事故に象徴されるような事態ですよね。つまり、自らの手で自分たちの生存基盤を壊そうとしている。

「ダウンシフターになろう」が合言葉

──各地を回って活動されているなかで新しい機運を受けて、辻さんとナマケモノ倶楽部はこれからどんなビジョンをもたれているのでしょうか。

「世界のなおし方」というタイトルですが、僕たちはなおせるのかな、って正直なところ思います。いま「エネルギーシフト」をはじめとして、シフト=転換という言葉がよく使われていますよね。それは僕は悪いことではないと思う。でも一方で、なにか簡単に手直しが効くとか、あっちからこっちへとただシフトすればいいんだって、安易に思わないほうがいいんじゃないか、とも思う。思うに、これから我々がやらなければいけない転換とは、シフトはシフトでも、「ダウンシフト」だと思ったほうがいい。下向きなんです。今までの物語はぜんぶ上に向かっていたでしょ。右肩上がりで、もっと、もっと豊かにと、社会も人生も、全部足し算でやってきた。でも今度のシフトは、下に向かう。そういうのをダウンシフトといいます。これからの合言葉は「ダウンシフターになろう」です。
ダウンシフト、つまり降りてゆくなんて、ネガティブだなって思われるかもしれない。でもネガティブでいいんですよ。覚悟してそのくらいの心の転換を図らないと。まずスピードをダウンすればスローダウン。それから、何かにつけ巨大化しすぎたサイズを小さくしていくのがダウンサイジング。経済も政治ももっとローカルにしていく。そして技術も人間の身の丈にあった方向にスケールダウン。それから、あまりにも複雑になった社会や人生のあり方をシンプルにしていく。それは、ナマケモノ倶楽部の合言葉でもあるスロー、スモール、シンプルという、Sで始まる三つの言葉に代表される方向です。
今までの経済も科学技術も、なんでもかんでも右肩上がりの発想で、無限成長とか、永遠の進歩とかを無邪気に信じてきた。この流れの行きついたのが、いま世界を脅かしている危機の数々です。だからこの流れを大転換していかなければならない。それがダウンシフトです。でもその方向に本当の意味の幸せはある、とぼくは信じています。本当の意味の豊かさ、平和、安心、美しさ、心地良さ、それは下のほうにあると考える。だからそこへ向かって降りてゆくんです。そうすれば、それにふさわしいエネルギーも、それにふさわしい技術も、それにふさわしい経済も、手に入るんです。

──必要最小限のものを意識すること、そこに新しい価値観や可能性が生まれるんですね。

後ろ向きとか下向きとか、ダウンシフトとかいうのは元気がでないじゃないかと言われる。じゃあ、「がんばろう、日本」で元気が出ますか?変に頑張ってきたからこんな日本になってしまったわけでしょ。もう頑張らなくていいんです。頑張らなくても安心して平和に仲良くつつましく暮らしていける未来をつくるしかないと思うんですよ。
幼い子どもを持っているお母さんたちは、3.11以後、痛感していると思います。ああ、いちばん大切なのはきれいな空気と水なんだって。そして放射能にも農薬にも汚染されていない食べもの。それだけがあれば、もう他にあれがほしい、これがほしいなんていわないって、思っているんじゃないかな。そう、それ以上の贅沢はないんです。太陽の恵みを日々受けて生きている。これ以上の贅沢はないんです。それさえあれば生きていけると信じられれば、もう大丈夫。あとは弱い自分たちが、みんなで補い合って、助けあって、仲良くやっていければ、それでいいんだって。いまそのことに気づければ、もう大丈夫なんですよ。ね、絶望のすぐ裏側は希望なんです。

(インタビュー・文:駒井憲嗣)

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辻信一 プロフィール

文化人類学者、ナマケモノ倶楽部世話人。明治学院大学教授。 「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表。 数々のNGOやNPOに参加しながら、「スロー」や「GNH」というコンセプトを軸に環境=文化運動を進める一方、社会的起業であるスロービジネスにもとりくむ。『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)など著書多数。最新刊は『自然農という生き方~いのちの道を、たんたんと」』(大月書店)。
訳書にセヴァン・スズキ『あなたが世界を変える日』(学陽書房)、デヴィッド・スズキ『いのちの中にある地球─最終講義:持続可能な未来のために』(NHK出版)など。

http://www.sloth.gr.jp/tsuji/
http://www.sloth.gr.jp/




『セヴァンの地球のなおし方』
東京都写真美術館ホール渋谷アップリンクにて上映中、ほか全国順次公開

イベント付き上映を開催
2011年7月2日(土)東京都写真美術館
13:25の回上映終了後、15:30~
アースデイ東京主催 『地球について対話しよう~Earth Dialog(アース・ダイアログ)』
※こちらのイベントは、ご来場頂いたお客様自身がシンポジウムの参加者となります。
2011年7月3日(日)渋谷アップリンク・ファクトリー
16:00の回上映終了後、18:10~
トークゲスト:マエキタミヤコさん(サステナ代表)
2011年7月9日(土)渋谷アップリンク・ファクトリー
16:00の回上映終了後、18:10~
トークゲスト:枝廣淳子さん(環境ジャーナリスト)
2011年7月10日(日)東京都写真美術館
13:25の回上映終了後、15:30~
トークゲスト:金丸弘美さん(食総合ジャーナリスト)

監督:ジャン=ポール・ジョー(『未来の食卓』)
プロデューサー:ベアトリス・カミュラ・ジョー
出演:セヴァン・スズキ、ハイダグワイの人びと、古野隆雄、福井県池田町の人びと、バルジャック村の人びと、ポワトゥーシャラントの人びと、コルシカ島の人びと、オンディーヌ・エリオット、ニコラ・ウロ、ピエール・ラビ、他
2010年/フランス/115分/HD/16:9/カラー/ドルビー/英語、フランス語、日本語
公式HP
アップリンク・アースライフ・シリーズ公式twitter

▼『セヴァンの地球のなおし方』予告編





デヴィッド・スズキ
『わたしと地球の約束―セヴァンのわくわくエコライフ』

著:セヴァン カリス・スズキ
訳:辻 信一
協力:小形 恵, ゆっくり堂
ISBN:978-4272405039
本体:1,470円
版型:206ミリ×188ミリ
ページ:39ページ
発行:大月書店

デヴィッド・スズキ
『セヴァン・スズキの私にできること-森のつくりかた守りかた』

著・編集:ナマケモノ倶楽部
編集:ゆっくり堂
監修:辻 信一
ISBN:978-4990166342
本体:300円
版型:A5版
ページ:32ページ
発行:ゆっくり堂


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