骰子の眼

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福島県 その他

2011-08-08 18:58


DOMMUNE FUKUSHIMA!森支局長が語る「変えることを目的にしないで、終わる事のない話し合う場を作ります」

8月15日に福島から、日本各地、世界各地へ呼びかける世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!開催。
DOMMUNE FUKUSHIMA!森支局長が語る「変えることを目的にしないで、終わる事のない話し合う場を作ります」
DOMMUNE FUKUSHIMA!第3回目のライブ・パフォーマンス。左より長見順/マダムギター、岡地曙裕、遠藤ミチロウ各氏[写真:梅原渉 (contrapost)]

5月に発足した音楽家の遠藤ミチロウ、大友良英、詩人の和合亮一を中心に福島の現状と未来を考えていくプロジェクトFUKUSHIMA!。そのコンセプトに賛同した宇川直宏が全面的にバックアップを行いスタートしたユーストリーム番組DOMMUNE FUKUSHIMA!。8月15日に開催される野外イベントへ向けて配信を続けてきたこの番組スタートのきっかけ、そして福島での番組制作の困難について、支局長である森氏に郡山にあるDOMMMUNE FUKUSHIMA!の配信スタジオで話を聞くことができた。取材当日に配信された6月19日の第3回目は、『A.3.11.B 第二夜「move ≠ trip」~「引っ越していく人引っ越してきた人」と題し、福島から東京に出てきた遠藤ミチロウ、東京から福島に居を移し音楽活動を続ける長見順/マダムギターと岡地曙裕、そして東京でのライブハウス運営の後福島に戻りなまず亭を運営する、じょにの各氏を迎え、地元から引っ越すことにまつわるトークとライブ・パフォーマンスが行われた。

DOMMUNE FUKUSHIMA!は福島県を孤立させないためのメディア

──最初に、DOMMUNE FUKUSHIMAの成り立ちについて教えてください。

震災から約一ヶ月後に大友良英さんが会いにきてくださって、「フェスをやろう。」とお誘いいただいたんですけど、その時は生意気にも「フェスじゃない。」と僕が言いまして(笑)。
その時すでに大友さんが心配していたのは、福島県はいづれ孤立してしまうのではないかということでした。チェルノブイリもそうですけれど、最初はニュースに載るし、マスコミもくる。ところが、福島県枠のニュースが日に日に全媒体から縮小されていって、最後は実は原発が大変なことになっていても、あまり情報が流れなくなることで、視聴者の興味や関心がどんどん薄れていってしまうと。そうすると福島県の声が外に出ていかなくなるし、外からの声も入ってこなくなり、風通しが悪くなって、福島県が孤立したエリアになってしまう。それを回避するべく、情報発信を続けるために独自のメディアを持たなきゃいけないんじゃないか、と。そのときに、大友さんはDOMMUNEでJAMJAM TVって副島(輝人)先生と一緒に番組やっていらっしゃったので、ユーストリームはどうかということで、すぐに宇川さんに電話していただきました。

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なまず亭のじょに、岡地曙裕、長見順/マダムギター、遠藤ミチロウ、司会の小川直人各氏[左から右][写真:梅原渉 (contrapost)]

当初はDOMMUNEの中に福島県という番組を作ってもらって、福島県の情報をDOMMUNEの場所と時間を借りて東京から発信するというのを提案したんです。そうしたら宇川さんは「それじゃダメでしょう。福島内部から情報を発信しないと、現在のマスメディアと被災地の距離感とあまり変わらないし、本来、大友さんや森さんの伝えたい情報の意味や信念が、捩じ曲げられる恐れがある。場の力というのは大きいから、世界ではじめてのUSTREAM配信局支部、つまりDOMMUNE福島支局を作ろう」という話になりまして、5月8日に急遽1回目をやることになりました。人と物がまったくないところから3週間弱くらいで、多くのみなさんにご協力いただいて、1回目のDOMMUNEを配信しました。

──このスタジオはどうやって見つけたんですか?

ここのオーナーが去年からKOCOラジというコミュニティFM放送を始めていたのと、これはほんと奇跡的なんですけれど、4月の8日に、仙台の知り合いの方からお電話をいただいて、「渋さ知らズオーケストラが仙台の公園で野外フリーコンサートを行うのですが、その翌日に少人数の編成で野外コンサートを郡山でもやれないか」という相談を受けたんです。既に当時、郡山市の放射線量は高かったですし、そんな中、野外イベントを行うことは、その行為自体が加害者になってしまうではと思い、もっと安全で、福島県の人みんなが観られる方法はないかということで、ラジオ番組の公開生放送がいいんじゃないかと、ここの社長に相談したんです。そうしたらその場に外部スタッフでユーストができる人がたまたまいらっしゃって、せっかくなのでユーストで、オンエアエリア以外の方にも見てもらおうよ、という話の流れとなりました。僕自身はユーストは何度も見てましたが、配信をする側は初めてでした。実際配信してみたらこれはとんでもないメディアだと改めて気がつきました。そのような体験からDOMMUNEをやるとなったらここしか場所がないだろうと。なのでスタジオと配信機材とスタッフは全部用意できましたと大友さんにメールしたら、大友さんがレイ・ハラカミ、七尾旅人、U-zhaanの3人を呼んで、プロジェクトFUKUSHIMA!代表のお一人である和合亮一さんが加わって、1回目の配信が行われました。ミチロウさんはその日本当にタイミングが悪くて、東京でライブがあったので出られなかったんです。

宇川さんは「福島内部からの発信で、で協賛金もスポンサードも募って、規模は小さいかもしれないけれど本来の意味での経済活動の復興としてDOMMUNE FUKUSHIMA!は独立採算でやらなくてはいけない。出演者にも交通費やギャラをちゃんと払って、スタッフにも何かしらの対価を払って、機材を揃えて、スタジオレンタル代を払って、お客さんからもスポンサーからもお金をもらって成り立たせることを目標とするのなら、僕が1年半かけて作ったDOMMUNEのノウハウをすべて森さんたちにぜんぶ渡します」と言ってくれたんです。その時に、これを揃えればDOMMUNEができるからという機材リストをもらって、そこから僕はずっと人と物と場所を探して、何とか1回目に間に合わせました。宇川さんも初日に、麺のゆで方とかスープの出汁の取り方を教えに行ってやるってことで、本家のラーメン屋のおやじの暖簾分けのようにスタジオに来てくださいました。

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遠藤ミチロウ氏(中央)[写真:梅原渉 (contrapost)]

──スタート地点では宇川さんと大友さんの力を得て、ノウハウはDOMMUNEから受け継ぐけれど、制作自体は支局長の森さんが全部仕切ってということなんですね。お金的にどれくらいかかるんですか?

番組制作は僕が仕切りつつ、福島主導で行っています。経営は本家DOMMUNEとDOMMUNE FUKUSHIMA!で結束して成り立たせています。VJの機材と、CDJとターンテーブルとかミキサー、大きめのパソコン2台とか、計算すれば100万円は超えます。DOMMUNEは渋谷にスタジオを借りて、常設でサウンドシステムを組んで、配信していますけれど、僕らはオール仮設なので、7時の本番に向けて2時から入って仕込まなきゃいけないんですよね。そうするとオペレーターだけじゃなく仕込みのスタッフの人件費が毎回かかりますよね。あとは地元のVJやCM制作会社の人とか、プロ、アマチュア問わず集めました。助かったことは、宇川さんはクラブカルチャーに造詣が深く、VJでもいらっしゃるので、配信機材がいわゆる放送機材じゃなくて、市販されているVJ機材なんですよ。廉価でプロユースのものではないというもので用意できる。実は郡山にもやっぱりVJはいて、彼らが3、4人集まって自分の機材を持ち寄ると、揃っちゃったんです。企業にも社長さんに物と人をお借りしにいったんですけれど、快くみなさん集まってくださった。しかも現段階ではボランティアなので、仕事優先じゃないですか。そうすると本業の仕事が入ったときにアウトなので、同じ職種・担当を2.5人くらい集めて組織を作っておいたんです。なので、突発的に何があっても予定通り今のところは放送できる。

あと東京のDOMMUNEはDJが多いですが、こっちは大友さんたちがはじめられたということもあるので、バンド系やライブも多い。DJの時よりもライブのほうがPAは複雑になってきますから、プロのPAスタッフにも参加いただき、音の良さを守ったりしています。そうして2回やった後に、1回目の再放送をやって、その再放送も福島県から実は放送していたんですよ。東京に宇川さんがいて、電話でしゃべりながら、録ったアーカイブをこちらから流したんです。7月の4回目以降の予定は決まっていない、それくらい自転車操業なんですけれど、ただ8月15日がひとつのピークなので。DOMMUNE FUKUSHIMA!は福島県を孤立させないメディアとして成り立たせるとともに、プロジェクトFUKUSHIMA!のオフィシャルの広報媒体なので、イベントを成功させるために最優先で、プロジェクトFUKUSHIMA!の情報はお伝えする。そして、参加者とか事務局や主催側の情報を伝達したり、考え方を伝えるということで始まってますね。

実はもっと娯楽的なもの、エンターテインメント性の高い企画を最初は目論んでいたんですけれど、状況がご存知の通り、ぜんぜん好転しない。郡山なんか特に生活圏内の放射線が高いですから、1回目の放送を観た方で「家流されて、段ボールの上で寝ている人がいるのに、あなたたちはミュージシャンを呼んでなにをお祭りみたいな大騒ぎをしているんですか」とかなり辛辣なクレームをいただいたりもしました。「仕事が無くなって、明日から仕事どうしようか、と悩んでいるときに、そんなコンサートとかやって何が楽しいんですか」みたいな。そういう意見は想定内だったんですけど、やっぱり作っていく中で、あまり刺激をしてしまって反発されたら、せっかく協力して出てくれているミュージシャンやDJのネガティブ・キャンペーンになってしまうので、そこは宇川さんと大友さんと話して、様子をみながら、中身はマジメなプログラムを配信してます。ただDOMMUNE FUKUSHIMA!独自の魔球を投げて欲しい、と宇川さんがおっしゃっていて、いま約30人のスタッフプラス大友さんらがぜんぶ参加しているメーリングリストを作って、そこに僕らがどんどんどんどん企画をぶつけたり、それに対していろんな人がそこに書き込んで、一個の番組を作っていっています。男子校の放送部と言われています(笑)。

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長見順/マダムギター氏[写真:梅原渉 (contrapost)]
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岡地曙裕氏[写真:梅原渉 (contrapost)]
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遠藤ミチロウ氏[写真:梅原渉 (contrapost)]

──基本的にボランティアだけで成り立っているんですか?

そうですね。ただ、ミュージシャンなどの出演者にはそれができないので、経費、交通費と宿泊費は、まず50人限定の入場料で賄ってますが正直赤字です。

──ビューワーはどれくらいでしたか?

1回目が最大同時視聴者数で、約8,200人です。番組の最初から最後まで延べで10万人弱が見てたんじゃないか、と聞いています。この間の再放送ですら、最大同時視聴者数で3,000人、延べ2万人以上が見てくれました。ただ、それは1回目のハラカミさんや七尾さんらのお陰でもあって、2回目は一気に落ちました。飯舘村という計画的避難区域になった村の村長さんが公務の合間を縫って生出演いただいて、最大1,500人だったかな。そのときはDJにWADAさんが出てもらいました。
2回目をやるときに、1回目の数字は気にしないで、お祭り騒ぎからググっとリアルな情報をお伝えして、生の声を伝えるほうにちょっとシフトしようと企画をたてていたので、計算通り数も減ってしまいましたが、このまま安定路線でいければいいんじゃないかって。

──想定内の反応とおっしゃいましたけど、今まだライブとかやってる状態じゃないだろうという意見に対しては、どう想定内で回答を考えていたんですか?

ひとつあるのは、福島県ってものすごく広いんです。面積が広くて、エリアでいうと3つに分かれていまして、太平洋側が浜通り、郡山市や福島市があるのが中通り、そして白虎隊がいた会津若松市がある会津地方があります。この3地方で、方言、食べ物、気候、文化がものすごい多種多様で、産業も違うし、住んでる人たちの気性も違う。そしてとても仲が悪いんです(笑)といいますか歴史も違うし、お互いプライドを持って競い合っている。郡山は僕が育った街ですけれど、まったく歴史がなく、ここ100年くらいで一気に経済都市として大きくなった。敷居が低くて出入りが激しいので、お金を持っていたり事業をやりたいという人がたくさん来ます。けれど、会津若松は城下町で、言ってみれある種、閉鎖的で、なかなかコミュニティに入り込めない。またいわきの方は炭鉱があったり、海がありますから気性が荒い漁師さんたちがいたり。

今回も、南相馬市や浪江町とか福島県の東の上のあたりは津波の被害で、家が流されて、気仙沼や石巻のように津波の被害を受けてたくさんの人が亡くなってます。そこから南下していった海沿いに大熊町があって、ここには原発があって、放射線汚染エリアなんです。そして今僕らがいる中通りは、オンタイムではそうでもなかったんですけれど、その後風向きと、雨のせいで、飛んでいた放射性物質が落ちてきて福島市と郡山市や飯舘村が放射線量が高くなってます。。一方で、会津地方は地震津波の災害がほとんどなく、放射線量も低く、あるのは風評被害。同じ福島というだけで、会津若松の隣にある、ラーメンで有名な喜多方や、白虎隊とか鶴ヶ城とか飯森山とかがある会津若松市も観光地なのに人がまったく来ない。

こうした問題に対して一度に全部返せる番組なんかないんです。どちらかを立てればどちらかを立てないことになってしまうし、それだけ多種多様な被害を受けていて、その違いに差もつけられない。僕は被災には重いも軽いもないのかなと思っていて、それは福島だけじゃなくて、三重県の人も関東の人もそうです。お祭り騒ぎをやって、そういうことをやってる場合じゃないと怒らるでしょうけれど、何かやって経済活動の一助に繋げていく、日常に一日でも戻すためのことをしないと、みんなで避難所でじっとしていてもしょうがない。そこくらいまでは考えていましたね。ただ実際、同じ県民から理解をいただけなかったのは想定していたとはいえ精神的にはショックでした。でもそれ以外の大多数からは「よくやった」「面白かったし応援してますよ」と県内外からメッセージをいただきました。

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5月8日の第1回放送より、七尾旅人氏[写真:梅原渉 (contrapost)]
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5月8日の第1回放送より、U-zhaan氏[写真:梅原渉 (contrapost)]
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5月8日の第1回放送より、レイ・ハラカミ氏[写真:梅原渉 (contrapost)]
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5月8日の第1回放送より、和合亮一氏(左から4番目)が加わったライブ[写真:梅原渉 (contrapost)]

──いまのお話を聞いていると、DOMMUNE FUKUSHIMA!は中通り的気質なわけですよね。

発起人の遠藤ミチロウ、大友良英、和合亮一の3人は福島市の出身で、同じ高校の先輩後輩です。そういうのを知ってる人は「あれは福島市の人たちがやるんでしょ」っていうことを僕に言ってくる。でも僕は郡山市に住んでいるので「全県でやるんですよ」というと「福島市と郡山市で、つまり中通りだけでやるんでしょ」「いわきや会津は関係ないんでしょ」という方もいました。実際、DOMMUNE FUKUSHIMA!のスタッフは、福島県内のいろんなところにおります。そのくらいエリアごとに被災の内容と度合いが違うから確執があって、それがまた、さらに溝を深めていく結果となっているのが、残念なことにあります。

3回目のテーマは引越しなんですけれど、このテーマに行き着いたのは、強制避難、計画的避難を入れると約7万人の人口が実際動いています。20キロ圏内、10キロ圏内、計画的避難区域になるところは一ヶ月以内に逃げなさいとやっていますけれど、7万人がほぼ2、3ヶ月のうちに引っ越すって、歴史上日本でなかった出来事です。それは進学とか転勤という個人的な理由じゃなくて、まったく引っ越す気のない人が、避難の名のもとになかば強制的に引越しをさせられたりする状況。そして例えば僕の友達でも避難区域でもないのに、避難した人もいるんですね。東京でも海外に避難された方もたくさんいらっしゃると思うんですけれど、それは自主避難じゃないですか。そうすると、もしかしたら合わせて10万人以上の人が、県内だけの移動、県内外、国内外の移動を含み、福島県から移転をしていると思うんです。それで5月の連休明けくらいから聞こえてきた話が、避難先での避難をしてきた人と地元の人とのトラブル、そしてもう一個大きな問題としてあるのは、特に子どもを持った親御さんの世代で、金銭的な理由で引っ越したくても引っ越せない人たちがたくさんいるということ。その人たちが発言をしているおかげで、いろんなことが動いています。

例えば福島市の隣の伊達市市内の小学生に8,000個の線量計が配られるといったアクションにもつながっていったり。30代の第一子第二子を育てているくらいのお父さんお母さんたちがデモをやって、それがマスに訴えたり、いろんな理由で避難ができない人の声がいちばん高らかですね。これが60代、70代になってしまうと、ぜんぜんびくともしませんし。それは事象的にも40代以上の男性は放射線の影響をあまり受けないと言われてますから。そして、どうせ逃げるなら仙台や新潟や栃木など、近いところに逃げたいんですよね。すきあらば地元に帰ってきたいから。だから佐賀や京都や大阪などが避難民を受け入れを申し入れてくださってるんですけど、なかなか集まらないというのはそういうところもあるのかなと思います。

また、一概に主義思想とかイデオロギーでは区別できないのかもしれないですし、今やイデオロギーなんていっている場合じゃなくて、目の前に原子力発電所の事故という事象があってそれに戦っていかなきゃいけないという部分では、別にデモをやって何かが動くのであれば、それはいいんじゃないかと思うんですけれど、でも、DOMMUNE FUKUSHIMA!をやる分には、デモを斡旋したり紹介したりする企画は今のところまったくないです。

──それはどうしてですか?

原発は簡単には止まらないと思っているんです。そして、我々は反対賛成の論にはまったく陥らないというのを掲げているので、原発を推進するとか、反対するという質問に対しては、どちらでもない。別に東電からDOMMUNE FUKUSHIMA!にお金が出ているわけじゃないですよ(笑)。
「二元論に陥りません」とホームページの宣言(※)にも書いてあるんですけれど、ぜったい答えがでないんです。たぶんこの先、僕はとっくに死んで、何十年何百年経っても答えはでないかもしれない。賛成でも反対でもなく、その先を考える場としてDOMMUNEがないとつらいなって。

──宇川さんは反対じゃないんですか?

宇川さんは完全に反対派ですね。ただ番組上では「二元論に陥らない」ということなんですよ。

(※)DOMMUNE FUKUSHIMA番組コンセプトより
1 福島県と外を結ぶことにより、福島県を孤立させず、未来を共に考える場とします。
2 福島県民の多岐にわたる生の声を国内外に正確に伝えます。
3 有識者の意見を基に放射能汚染に関する対策の術を学習します。
4 特定の企業、政党、自治体、団体、個人の糾弾を行いません。
5 原子力発電所の推進・反対の二元論に陥りません。

これは僕個人の考えなんですけれど、僕43歳で、原発の事故が起こって、しかも浜通りじゃなくて、中通りに住んでますから、原発のことなんか無意識に育ってきたんですね。原発のことを意識したのは、チェルノブイリのとき、ブルーハーツ、清志郎を聴いてきた世代です。そこで育ってきたなかで、実はこんなところに住んでいたにもかかわらず、恥ずかしながら「清志郎かっこいいなぁ」「タイマーズいいなぁ 」というだけで育ってきて、実際事故が起こったんです。

震災後一ヶ月くらい仕事もないのでその間ずっと考えていたんですけれど、だいたい僕が3歳くらいのときに1号機ができあがっていますよね。その20年前、いまの知事の4代前、木村守江さんという知事のときに、福島県が原発を誘致した。やっと1個目が完成したのが40年前で、それがこのあいだ事故が起こった1号機です。そうすると、ほぼ僕人生と一緒にリンクしているんです。40年前に誘致して、みんなが僕の父や母や祖父母そして親戚も県民が投票した。私利私欲もあったかもしれないけれど、でも福島県によかれと思って原発を誘致したんです。安全だと言って誘致したのが、いざ安全じゃなくなった時に「だまされた」と思うのは勝手、でも原発の存在は当時選んだ政治家がやった政策であり、それに対して県民がOKを出した。それを今否定するのは、僕らの祖先を否定することにもなるんじゃないかと思ったんです。しかも日本で最初の誘致原発ですから、来てくださいとお願いして作ってもらった。税金等も免除されて、ものすごい優遇を受けて福島県民は潤った。人によればじいちゃん、父ちゃん、自分と3世代に渡って東電関連の仕事をしていたりする人もいます。

気がつきだすと、僕らは原発の恩恵を無意識にもらっているんです。しかしもらっているから反対って言えないでしょ、という理屈ではないんです。もちろん危ないものですから賛成もできない。そうしたことは大友さんに最初にお話しました。「反対!」と手を挙げた瞬間から、石原慎太郎が出てきて、倒したと思ったら今度はオバマと、次から次へと原発推進派が出てくる。今の日本が経済的な部分と思想的な部分で彼らと戦っていけるのかと思った時に、やっぱりアメリカが強いんじゃないか、って。そうなるとずるいかもしれないけれど、土が汚れて困っている人も、家が流されて困っている人も、自分の家に帰れない人もいるんだから、まずそれを整理するのを俺も手伝うよ、という考えなんです。だから、簡単に賛成とか反対とか口が裂けても言えないですね。「反対!」と言って無くなるなら、いくらでも言いますよ。でも無くなったことは有史以来無いということです。

影響を与えるというのはおこがましいと思ってます

──それがDOMMUNE FUKUSHIMA!のスタンスなんですね。被災に遭っている方をはじめ大変な状況にある中で、福島の人はもっと娯楽を享受してもいいんだよ、という気持ちはありますか?

それはもちろんあります。お祭りもイベントもそうですけれど、娯楽を望む声は高いんです。小さい子でも放射線量が低いところで公園とか走らせたり遊ばせたりしたいというお子さん連れのお客さんが多く、震災約一ヶ月後に僕が企画した花見のときも、2,000人以上お客さんが来られたんです。

──ここは放射線量は大丈夫だと発表したんですか?

県が発表してますから、それ以上は自己判断です。しかも入場料無料にしましたし。実際には不可能なんですけれど、3月11日より前の生活を思い出すというか、そっちにシフトを戻しておかないと、避難民生活に慣れてしまうから。

──森さんはお子さんがいらっしゃるんですか?

ペットのウサギを飼ってたんですけれど、ペットと妻は避難しましたね。で、僕の勤め先とか取引先の人たちも、逆単身赴任というか、みんなここに残って、小さな子どもと奥さんは実家や親戚の家に避難している方が目立ちます。

──統計に出ない自主避難ですね。いま生活と政治ということで、今まで政治なんか関係なかった人たちがデモやったり、あるいは国会まで行ったりという動きが出てきてますよね。ところがDOMMUNE FUKUSHIMA!は、福島の郡山という放射線が多いという現実のど真ん中にいるのに、政治と距離を置くというスタンスですよね。

それはプロジェクト FUKUSHIMA!のコンセプトなんですけれど、特定の政党や政治団体マスコミとは特別付き合うことはないと、ミチロウさんがおっしゃってます。

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5月29日の第2回放送より、大友良英氏[写真:梅原渉 (contrapost)]
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5月29日の第2回放送より、DJ WADA(Co-Fusion)氏[写真:梅原渉 (contrapost)]
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5月29日の第2回放送より、Satoshi a.k.a jackhouse氏[写真:梅原渉 (contrapost)]

──何かの党派に属する必要はないけれど、いま現実を変えるには政治や法律を変えるという意識はDOMMUNE FUKUSHIMA!にはないんですか?

そんな力はまったく持たない媒体です。無力でお金もないし、コネもない。

──でもメディアとして、観ているのは東京の人が大半でしょうけど、1,000人や8,000人というパワーはあるじゃないですか。福島からの発言ということで、東京に影響を与えているんじゃないですか?

影響を与えるというのはおこがましいと思ってます。別に僕はそもそもそんなに謙虚な人間じゃないんですけれど(笑)。大友さんもミチロウさんも、プロジェクトFUKUSHIMA!を「僕らは金も力も武器も持っていない音楽家であり芸術家だから、無力だよ。ただ無力だからといってなにもしないのは卑怯だ。だからなにかアクションを起こそう」という話をして始めていますから。影響を受けてくだされば、そんなありがたいことはないですし、それでもし何かが変わればすごい嬉しいことで、ありがたいことかもしれませんけれど、最初からそこを目標にしたらぜったい燃料が切れます。だって何かおいしいことがないと続かないじゃないですか。地元の人々はみんな生活もあるし、ずっと脳内麻薬を分泌させ続けるのは難しいです。

──放射性物質の半減期は数十年続きますよね。DOMMUNE FUKUSHIMA!もいま一瞬福島発ということで話題になっているけれど、1年後はどうなっているのか解らないですよね。でも森さんは続けると。

宇川さんと大友さんがずっと続けようと言ってくださっているので、それは続けさせてもらいます。でも金銭的な理由とか、ここから逃げなきゃいけない物理的な理由とか、原発の状況がもっと悪くなったりしたら、できなくなるかもしれないです。例えばいま僕が務めている会社が潰れたらそれどころじゃなく、家庭を守らなくちゃならない。

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KOCOラジ内 DOMMUNE FUKUSHIMA!スタジオにて、森氏[左から3番目]と制作スタッフ。

──あなたの一票の力とあなたの一声が世間を変えます、ということが普通ですよね。そうじゃないと個人個人の力で変わるわけないだろうと思うし。でも森さんはまったく逆で、シニカルですよね。

中原昌也くんのファンですから(笑)。でもほんとに悔しかったら変えてみろっていうくらい否定的です。変えられないんですもん。そういうところから立たないと、たぶん僕らは長持ちしない。変えることを目的にしちゃまずいと思うんです。だから「終わらない話合いをはじめます」ということは、話しあうだけでいいんじゃないの、っていうことなんです。話しあう場すらなくなると、本当に無じゃないですか。でも、やれ反対だ、やれ賛成だという人がふたりいればそこで討論が始まりますよね、その場を設けておけば、とりあえずロウソクの火は続くかなって。それくらいしか僕らにはできない。その討論の場、DOMMUNEという場を僕らはここで生活しながら設けるから、喋りたい人は来て喋ってください、という感じです。というとかっこよすぎるかな(笑)。

──中原昌也さんはミュージシャンで小説家だけど、森さんはちゃんと会社員で生計を立てていて、ある意味両極ですよね、でも考えているシニカルさは同じ。

本当は明るい未来を望みたいですけど、そこを言った瞬間から嘘になってしまうというか。「本当にそう考えてる?」って言われたら、「いや今かっこつけていいこと言っちゃいました」という感じです(笑)。

──最後に、8月15日の世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!へ向けてのメッセージをお願いします。

プロジェクトFUKUSHIMA!事務局一同、フェスの成功へ向けがんばっております。みなさまどうぞお楽しみに。

(インタビュー:浅井隆、駒井憲嗣 構成:駒井憲嗣) ※本文中の視聴者数などの数字は6月の取材当時の内容です。



8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!

【福島市での開催概要】
2011年8月15日(月)9:00~21:00
会場:福島市 四季の里(福島県福島市荒井字上鷺西1-1)、あづま球場(福島県福島市佐原字神事場1番地 あづま総合運動公園内)
入場料:無料
主催:プロジェクトFUKUSHIMA!実行委員会

出演:遠藤ミチロウ「ザ・スターリン246」
(遠藤ミチロウ+山本久土+KenKen+クハラカズユキ)
和合亮一「詩の礫」
(朗読 : 和合亮一/音楽 : 大友良英、坂本龍一)
オーケストラFUKUSHIMA!
福島群読団2011
プロジェクトMadamguitar! with 会津マスクワイア
(長見順+ロケット・マツ+かわいしのぶ+岡地曙裕+会津マスクワイア)
七尾旅人+原田郁子 スペシャルバンド
静寂
(灰野敬二+ナスノミツル+一楽儀光)
遠藤賢司
竹原ピストル
De+LAX
(宙也+高橋まこと+鈴木正美+Lee)
その他、福島ゆかりの音楽家や、趣旨に賛同する国内外の様々なアーティスト
8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!公式HP




DOMMUNE 緊急スペシャル!プロジェクトFUKUSHIMA!ー伝えたいことがあるFUKUSHIMAから世界へー

2011年8月8日(月)
第1部 - 19:00~21:00 TALK LIVE

「緊急スペシャル!プロジェクトFUKUSHIMA!
ー伝えたいことがあるFUKUSHIMAから世界へー」
出演:遠藤ミチロウ、大友良英 小川直人 他
第2部 - 21:00~24:00 BROADJ Pionner
「プロジェクトFUKUSHIMA! presents BROADJ♯378~Dedicated to REI HARAKAMI」
DJ:Crystal(TRAKSBOYS)、Satoshi Endo LIVE:SUZUKISKI
http://www.dommune.com/reserve/2011/0808/
http://www.dommune.com/


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