骰子の眼

cinema

山形県 山形市

2011-10-25 15:25


「少数民族の文化は、見える形での変化はあっても、心の中は簡単にはなくならない」山形国際ドキュメンタリー映画祭コンペ出品作『雨果の休暇』

最後の狩猟民族、エヴェンキ族の少年をめぐるドキュメンタリーについてグー・タオ監督に聞く。
「少数民族の文化は、見える形での変化はあっても、心の中は簡単にはなくならない」山形国際ドキュメンタリー映画祭コンペ出品作『雨果の休暇』
『雨果の休暇』より

今年も世界各国からドキュメンタリー作品が集まった山形国際ドキュメンタリー映画祭。紛争や戦争、植民地問題、グローバル化、移民と民族問題など、作品のテーマはさまざまだ。言葉も文化も宗教も違う国々の人々が抱えている背景や問題は、それぞれ異なるが、それでも同じ「映画」という共通のツールを持つ。同時に、それぞれにとっての「映画」の意味や重みは、また異なるのだということを肌で感じた映画祭だった。特に、映画を自由に撮影したり上映することが禁じられている国で制作された作品では、困難な現状の中でも、生きる力や笑いを見せながら問題を浮き彫りにする作品が多く見られた。アジア部門の入選作品『雨果(ユィ・グォ)の休暇』もそのひとつ。今年の同映画祭で、観客席を、笑いと涙と驚きで、もっとも沸かせた作品だったのではないだろうか。本作で、アジア千波万波部門の大賞である小川紳介賞を受賞した顧桃(グー・タオ)監督に話を聞いた。

【あらすじ】
「最後の狩猟民族」と呼ばれる中国の少数民族エヴェンキ族。本作では、エヴェンキ族と森の生活を離れ、寄宿舎学校に通う少年雨果(ユィ・グォ)が3年ぶりに帰省した数日間を追っている。
ユィ・グォが寄宿舎学校に通うことになるきっかけは、母である柳霞(リュウ・シア)が夫を亡くした悲しみからアルコール中毒になり、親としての責任能力を問われたことが理由のひとつだった。新しい生活や文化に適応しながらも母を気遣うユィ・グォと、一人息子との再会を子どものように喜び、愛情を爆発させるリュウ・シア。
監督自身が、内モンゴル自治区の森オルグヤで彼らエヴェンキ族と生活を共にしながら、3年間に渡って撮影した長編『オルグヤ、オルグヤ…』の続編にあたるこの作品。その密着した記録映像は、まるでスクリーンが介在しないかのように、一族が生活する森の中へと、観る者をいざなう。

少数民族を理解しようと思っても、難しい現実がある

 

──なぜこのエヴェンキ族のドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですか?

もともと私の父が、エヴェンキ族の文化や生活の調査をしていました。父は、映画に出てくる家族と寝食を共にし、森での仕事を手伝いながら調査を続け、写真を撮っていました。でも父が足を怪我したことで、代わりに私がカメラマンとして撮影に入ることになったんです。私自身、中国の少数民族である満州民族なので、彼らの文化や人柄に非常に興味を持ちました。そして、2005年から3年間、彼らと一緒に生活しました。放牧をしたり、木を切ったり、一緒に生活しながら撮影を行いました。
初めはカメラ撮影だけでしたが、彼らと時間を過ごすほどに「これは写真だけの記録に止まらせておくべきではない」と強く思ったのです。
しかし、中国でインディペンデント映画を作っている監督は皆同じですが、私も映画制作を学んだことはありませんでした。ましてやドキュメンタリー映画をどうやって撮るのかも、わかりませんでした。そんな手探りの状態で撮り始めましたが、彼らが私を家族として迎えてくれて、強い信頼関係が生まれたからこそ、撮れた作品だと思っています。

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『雨果の休暇』の顧桃(グー・タオ)監督

──なぜ“写真では足りない、映像で撮らなくてはならない”と思ったのでしょうか?

中国政府の移住計画により、エヴェンキ族の多くは狩猟を規制され、政府が用意した新居住区へと移り住まざるをえなくなりました。しかし、生活環境が大きく変わって、生きる目的を失い、絶望や不安を紛らわせるために、お酒で気持ちを紛らわせる人も少なくなった。
そんな時、彼らのもとにテレビの取材が来たのですが、テレビ局の人は、エヴェンキ族に、カメラの前で「新移住区に住むことができて嬉しい」と言わせていた。でもその後ろでエヴェンキ族の人たちは泣いていました。森から連れてきたトナカイは死んでしまって、新しい環境で、これから何をすればいいのか、どうやって生きていけばいいのかと。こうした現状を伝えるには、写真ではどうしても足りない、ドキュメンタリー映画を撮らなければならないと強く感じました。

──新しい環境になじめず、苦労しているエヴェンキ族は多いのでしょうか?

政府から家を与えられて、新移住区に移り住んでも、生きる目的や意味を見失ってしまう人が多い。狩猟は生きる糧であり、文化です。そして映画の中でも、リュウ・シアが「私の母は太陽、父は月、息子は星」と言う通り、先祖代々森の中で生活してきた彼らにとって、自然はまるで家族の一因のようなものです。
編集段階ではカットしてしまったのですが、酋長のマリアが、「日本人がやってきた。日本人は我々に銃を与えた。ソ連軍がやってきた。ソ連軍も銃を与えてくれた。でも中国政府は私たちから銃を取り上げた」と話すシーンがありました。実際に、政府はエヴェンキ族から銃を取り上げて、狩猟を規制しました。でも決められたルールで狩猟をすることは、彼らにとって意味がないのです。彼ら一族の狩猟には、彼らのルールとやり方がある。それを失った悲しみは図り知れません。森と共に生きていた彼らは、生きる居場所と人生の目的をいっぺんに失ったのです。
しかし、こうした現状は、中国ではあまり理解されていないと思います。映画の冒頭で、電車の中でエヴァンキ族と乗り合わせた漢民族の女性が、彼らを「うらやましい」と言うシーンがありますが、中国では一般的に“少数民族はとても恵まれている”と思っている人が多いようです。政府から家を与えてもらったり、一人っ子政策の対象からは除外されていたり、私たちと比べてはるかに優遇されているのではないかと。しかし、少数民族は全体の1%ほど。実際に、理解しようと思っても難しい現実があります。彼らの文化や彼らの事情を知らないし、知るきっかけも少ないですから。

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『雨果の休暇』より

──中国政府の“優遇措置”は、エヴェンキ族が本当に必要としている支援とは、かけ離れてしまっているのでしょうか。

簡単には答えられない難しい現状があります。しかし、エヴェンキ族の中にも、政府の政策を受け入れて新しい環境に慣れようと頑張っている人も多くいます。でも、それは想像以上に大変なことなのです。例えば、リュウ・シアは、ユィ・グォが寄宿舎学校に入れさせられた後、3年間息子に会っていません。本当は学校が休暇中なら、いつでも家族と会うことができるのです。でも、ずっと会いたいと願っていたのに、会えなかった。それは、森を下りて、どうやって学校に行き、どんな手続きをすれば息子に会えるのかすら、彼女にはわからなかったから。まず、一人で公共のハスや電車に乗り継いで、どこかへ行くということにも慣れていません。
また作品の中で、リュウ・シアが「オルグヤ学校ができました」という歌詞の歌を歌っていますが、実際は、その計画は途中でなくなりました。そこには私立校が建ったのですが、学費が高額なため、彼らには支払えるものではありませんでした。ユィ・グォは、彼の母がアルコール中毒と判断されたため、母親と森から引き離され、学校に通うことができた。それは悲しい出来事ではありますが、しかし学校に通うことができたことは、とても幸運なことでもあると言えます。しかし、学校の義務教育では、もちろんエヴァンキ族の言葉や文化は教えませんから、一概には論じられない、難しい問題や状況があります。

記録しなければ、歴史上いなかったことになってしまう

この映画は、もともと撮るつもりで撮影した訳ではありませんでした。リュウ・シアは夫を亡くした上、一人息子と切り離されて、寂しさと喪失感から酒におぼれ、暴れては人に殴られていたので、なんとか彼女を元気づけ、励ましたかった。そうした状況から希望を持つにはどうしたらよいのだろうと思った時に、一人息子と再会できたらどうだろうと思ったのです。私は、学校とかけ合って、彼の休暇中に帰省する手続きを取りました。その時は、これを映画にしようとは考えてもみなかったので、カメラを持たずに、ユィ・グォを迎えに行きました。車が森に近づくと、ユィ・グォは興奮して、様子が変わってきた。みるみる元気になって、床に寝そべったり、森の生活でよくしていた仕草を見せ始めました。その様子を見ながら、「これは撮影しなければならない」と思い、途中でカメラを借りに行ってから、森に連れて帰りました。

──老女マリアが曹長と呼ばれて、一族を統治していますが、どのように曹長になったのですか。

マリアは森に住んでいる時間が長いので、どういう場所に住み家を作るべきなのか、どこに水源があるのかという知恵が豊富で、一族にとっては、まさに生き字引なのです。また、亡くなった彼女の夫は、非常に優れた狩人でした。そして彼女自身、政府から新移住区に移るよう強制された時に、頑として承諾の署名をせず、森に住み続けた。そうしたこともあって、曹長としての尊敬と信頼を得たのだと思います。

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『雨果の休暇』より

──「最後の狩猟民族」と呼ばれることを、彼らはどう認識しているのでしょうか。

エヴェンキ族も、自分たちが最後の狩猟民族であるということを認識していますし、覚悟をしています。しかし、文化というのは長い時間をかけて作られたものです。生活様式など、見える形での変化は出てくるのでしょうが、心の中の文化までは、簡単にはなくならないと思います。ただし、木の皮を剥いで着るものを作ったりという彼ら独自の文化は、遅かれ早かれ、博物館でしか、見られないものになるでしょう。ですから、私の作品は、未来の子どもたちに向けて作ったのです。かつて、こういう文化、こういう人がいたということを次の世代に伝えるために。

──グー・タオ監督の今後の予定は?

今後は中国北東部の少数民族と一緒に生活しながら、彼らのドキュメンタリー作品を撮っていきたいと思っています。中国では、映画を制作したり、一般上映する際には、政府の承認が必要です。でも、それに従っていたら、自分の撮りたい作品は、何も作れないし上映できません。一般公開されることがなくても撮り続けなければならない。今、映像で記録しておかなければ、(少数民族がいなくなった時に)彼らは歴史上いなかったことになってしまう。そういう気持ちに突き動かされるのです。

(取材・文:鈴木沓子)



顧桃(グー・タオ) プロフィール

1970年、内モンゴル生まれ。内モンゴル芸術学院で油絵を、その後、北京美術学院で写真を学ぶ。2005年からドキュメンタリー映画の制作を始め、エヴェンキ族と暮らしながら3年かけて撮影した『オルグヤ、オルグヤ…』を2008年に完成。その後も、何本かのドキュメンタリー映画を制作している。




『雨果(ユィグォ)の休暇』

監督:顧桃(グー・タオ)
中国/2011/中国語/カラー/ビデオ/49分




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