骰子の眼

cinema

東京都 新宿区

2012-08-02 19:30


「自分のオリジナリティにこだわることは痛いし血もでるけれど面白い」

ヤン・ヨンヒ監督とヤン・イクチュンが語る『かぞくのくに』に込めた思い
「自分のオリジナリティにこだわることは痛いし血もでるけれど面白い」
『かぞくのくに』より (C)2011『かぞくのくに』製作委員会

ヤン・ヨンヒ監督が『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』に続き手がける『かぞくのくに』が8月4日より公開される。ヨンヒ監督が自身の実体験をもとに脚本を執筆した初のフィクションで、1950年代から行われている北朝鮮への帰国事業を背景に、国家の分断に翻弄される家族のドラマを細やかな演出により描いている。今作に北の監視員役で出演する『息もできない』のヤン・イクチュンとヨンヒ監督に、撮影時の困難や日本と韓国の撮影現場の違い、そして監督として、俳優としての姿勢を聞いた。

奥にしまっている話を表に出すことによって、タブーをなくしたい(ヤン・ヨンヒ)

── 『かぞくのくに』はベルリン映画祭で上映されて、フォーラム部門C.I.C.A.E.(国際アートシアター連盟)賞を受賞しました。東西に分断されていた国ですが、ベルリンの人たちのこの映画に対する意見はどんなものでしたか。

ヤン・ヨンヒ:女性のカップルで、ひとりが立ち直れないくらい泣いたそうなんです。ぜひ監督に自分の感想を伝えてほしいと相手の人に頼んで、その人が話しに来てくれました。彼女は東から来て、恋人は台湾からベルリンに移住した人でした。東ドイツにいたときもレズビアンであることを隠さなければならず、言論の自由もない上に、恋愛も自由にできない。とにかく自由になりたいと、家族はもちろん恋人を置いて、「二度と家族に会えない」「親の死に目に会えない」という誓約書にすべてサインをして、西に渡ってきた。

東に残された恋人は、この作品のソンホの恋人のように、「自分も西に行くから先に行ってて」と言いながらも行く勇気がなくて、家族にも反対され、自殺してしまうんです。話をしにきてくれた台湾人の恋人にもそれほど詳しく話してくれてなかったんですが、この映画を観て、そういったことを思い出したんでしょうね。ご本人は辛かったかもしれないけれど、台湾人の彼女は、やっぱりヨンヒの映画が彼女の心のしまっていた辛い思い出の蓋を開けて、それを自分たちがシェアできたので、とてもありがたいきっかけをくれた作品だと言ってくれました。

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『かぞくのくに』のヤン・ヨンヒ監督(右)とヤン・イクチュン(左)

── もう一本映画ができそうなエピソードですね。

ヤン・ヨンヒ:私の作品は、前2作のドキュメンタリーについても、触媒のような役目があると思うんです。見ることによって人の気持ちが動くのですから、どんなアート作品でもそうだと言えるかもしれませんが、特に、一般的に語られていない話や、カメラの前で話さない話、そうした奥にしまっている話を表に出すことによって、タブーをなくしたい。特に在日社会のなかは、自分たちを理解してほしいという思いは強いのに、ぜんぜんオープンじゃない。正義感でやってるのではないんですけれど、私もずっと「こういうことは人前で言うな」と、国の、家族のいい話だけしなさい、と教わってきました。

でも私が他者を理解するきっかけは、全てその人の「痛い」話なんです。映画でも小説でも演劇とか、自慢話を聞いても理解は深まりません。ベルリンのカップルのように、2時間弱の作品で、人生がひっくり返るほど泣いて、ふたりの関係が別のものになったという、そういう感想はいっぱいもらいました。先に自分の話をすると、相手が話してくれる。

── 自由と家族や恋人を天秤にかけて、自由をとるというのは、監督は理解できますか。

ヤン・ヨンヒ:私がやっていることと共通点があると思います。ドキュメンタリーでは、家族を守ろうと遠慮していたところがありました。30代の頃はテレビやラジオに出ても、北朝鮮の話とか家族の話も選んでいて、フラストレーションが残った。でも、いまはよりダイレクトにしゃべっています。この作品は、うちの家族のなかでもすごい波紋を広げて、また蓋を開けると思います。波風立てたい性分なんです(笑)。

それで「あの女は触るとめんどくさいからほっとけ」というくらいの問題児になろうと思った。今もこうやってインタビューを受けて、ひとつ記事が出るたびに家族に迷惑がかかるんじゃないかと怖いですけれど、じゃあ北朝鮮政府に「もうひとつ作品を作ったらお兄ちゃんを収容所入れるよ」と言われたとして、止めるか、といったら、止めたくないんです。それぐらいの覚悟がないとできない。正しいか間違っているかは分からない。儒教的だったり、家族を大事に思う考え方としては間違ってるかもしれないけれど、それが自分だと思うからです。作品を作ることに対して、確固たるものになった。観客と会うことによって、さらにそう思うようになりました。

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『かぞくのくに』より (C)2011『かぞくのくに』製作委員会

映画というのは「これはやるべきだ」と、自分のなかから外に引き出さないといけない(ヤン・イクチュン)

── ヤン・イクチュン監督は、彼女のそれだけの思いをこめた脚本を最初に読んだとき、どう思われましたか。

ヤン・イクチュン:実は、とりたててこれといった感想がなかったんです。というのは、最初のシナリオの翻訳では、微妙なニュアンスまで分からないところがあったからなんです。一般的な韓国映画のシナリオは説明が多く、ものすごく分厚いんですが、いただいた翻訳版のシナリオはとてもシンプルなものだったということもありますし、韓国の人たちは北朝鮮のことや在日の皆さんのことを知らない部分がたくさんある。

当時は、監督・主演した『息もできない』が終わったばかりで心身ともにぐったりしていました。自分の胸の内をさらけ出すように、もどかしさや息苦しさを外に出して、あまりにも出しすぎてしまって、それも辛かった時期でした。そんなときに河村さん(本作のプロデューサー/スターサンズ代表取締役)とヨンヒ監督とお話をして、監督がご本人の話をいま語ろうとしている。そのことに共感して、参加するという選択をしました。いや、苗字が同じだからやることにしたのかもしれないです(笑)。

── 河村社長が『息もできない』を日本で配給した義理はありましたか。

ヤン・イクチュン:それはあまりないですけれど、自分が作った作品を配給してくださったスターサンズさんとの関係や影響はどこかにあったと思います。ヨンヒ監督にお会いしたのも大きかったです。ご本人も辛いなかにいるのに、相手の辛い姿をきちんと見てくださる監督さんです。

ヤン・ヨンヒ:一昨年の春夏くらいにはじめて鬱みたいになってしまって。2本のドキュメンタリーを終えて、父が死んだり、兄が北朝鮮で死んだりして、どっと疲れが出て、ほんとうに何もしたくないし、人に会いたくなかったんです。それで、去年の頭くらいにイクチュンに会って、私と似た燃え尽き症候群に見えたんです。疲れているし、人に会うのも嫌だし、でも人に気を遣いまくっているのもすぐ分かる。「がんばれ」と言っちゃだめな人だな、でも「映画に出てください」と言いたい、すごく矛盾しているわけです。そこで、ふたりでストレスとか、人に会うことがどれだけ疲れるか、という話をしていました。

ヤン・イクチュン:映画というのは、自分のほうから、「これはやるべきだ」と、自分のなかから外に引き出さないといけない。「やれ」と外から言われると、それがストレスになってしまう。でも、そんなふうにして監督と心を通わせて、触れ合うことができたというのも出演を決めた理由です。

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『かぞくのくに』より (C)2011『かぞくのくに』製作委員会

── 韓国の台本がすごく分厚いというのは、日本の映画の台本とは違い、心理描写がたくさん書いてあるからなのですか。

ヤン・イクチュン:その部分よりも、まず韓国の映画はシーンが多いんです。ほとんどが100シーン以上になるんですけれど、今回の『かぞくのくに』は確か60シーンくらい。読んだときに、ドラマチックという印象よりも、目に見えない、痛みを伴ったカラーがあった気がします。さらに、シナリオに共感して、読む側が心を動かされるには、一回二回読んだだけでは理解できない。その点は難しかったです。

ヤン・ヨンヒ:とにかく、私しか説明できない話である、ということだけにすがっている感じでした。シナリオについてはすごく意見が分かれたんです。私は初めての劇映画なので、「シンプルに書け」というアドバイスにしたがって書いたのに「これは40分の映画にもならない」という意見もありました。どうすればいいんだ、と思っていたときに「そんな意見は無視すればいい」と佐藤プロデューサーが言ってくれたのは心強かったです。シナリオは、一行を10分にも20分にもできるわけで。

ヤン・イクチュン:映画の枠にはまってしまって、シナリオはこういうふうに書かなければいけない、みたいに思っている人もいると思うんですけれど、私は佐藤さんが言ったことは正しいと思います。何を語ろうとしているかが大切なのであって、シナリオの分量は問題ではないのです。

今回演じたヤン同志が、砂糖をたくさんコーヒーに入れるシーンがありました。やはり映画的な表現があるので、ほんとうにこれでいいのか、スプーンにすくった砂糖をもういちど戻したほうがいいのか、とも思ったりしました。もともと私はそれほど監督さんと話さないタイプの俳優なんですが、そういった表現に関しては100%監督の考えに付いて行こうという気持ちでした。

ヤン・ヨンヒ:皆さんが用意していただいたものをまず見たい、と、役者さんの演技は細かく演出しませんでした。でも書いてるときから、コーヒーのシーンだけは、ぜったいというイメージがあったので、私から「こうやってください」とお願いした、珍しい場面なんです。

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『かぞくのくに』より (C)2011『かぞくのくに』製作委員会

── イクチュンさんはどう演じたらいいか、質問したのですか。

ヤン・イクチュン:あのシーンに関してはヨンヒ監督のお話を受け入れました。普段私は、準備してきたものを見せてください、と言われたら、逃げ腰になってしまって、なかなか見せられないタイプなんです。そして、他の監督と撮るときには、ディティールに関して「こういう表情をしてくれ」とか言われるのがあまり好きではありません。それは、自分の表現は、監督が代わりにできないと思っているからなんです。

ですが、ヨンヒ監督とリハーサルをしている時に、監督は特別な注文をしないけれど、望んでいるものは分かりますので、受け入れて、こちらが表現する、という流れになっていきました。元になる部分を話しをして、両者で作りあげていくことでハッピーになれるんです。お互いが自分のことだけしかやらないとトラブルが始まってしまいます。

それから、韓国では、撮影期間も長いですから、5日とか撮影したら必ず1日撮休があって、よくお酒を飲んだりするんです。そこで監督や共演者と話をするんですけど、今回は期間が短かったので、お互い一杯やりたいと思っても、なかなかできなかったんです。途中でもっとお話ができれば、さらにいいものを引き出すことができたと思います。私もヨンヒ監督もお酒が大好きなので、その必要性は感じますね(笑)。

ヤン・ヨンヒ:イクチュンと話していると、役者としてのキャリアが長いので、それだけ現場を踏んで、いろんなタイプの現場や監督を見て、いろんな演出の仕方や役者との接し方を見ているなと思いました。「役者は監督に見ていてほしい生き物だから、見てるふりでもいい、自分を見てくれていると錯覚させればいいんです」と私の耳元で言ってくれました。私よりうんと年下ですが、リエじゃないですけど、イクチュンオッパ(お兄ちゃん)って途中で呼んでましたから(笑)。また韓国語で言ってくれるから、周りになにを言っているか分からない。そうしたアドバイスには救われました。

監督は常に俳優が感情移入するのを守ってあげるべき(ヤン・イクチュン)

── 撮影期間がタイトなこと以外に、韓国の撮影のやり方と日本のスタッフの仕事の仕方で違いはありましたか。

ヤン・イクチュン:ここ何年かは、いろんなキャスティングのお話をいただくんですけれど、全てお断りしているので、最近のシステムは分からないんですが、俳優さんに関しては違いがあるような気がします。韓国の俳優さんたちは事務所にすごく守られていて、現場にマネージャーを必ず連れてくるんです。作品のクレジットにマネージャーの名前も入っているくらいなんですよ。だから独立精神がないというか、休むときも停めてある車に戻って休んだりするんです。でも今回の現場は、新さんもサクラさんも現場で椅子に斜めになって休んでいる。38度の暑さのなか、年配の俳優さんもみなさん不満もいわず一生懸命やっていらっしゃって、すごいなと思いました。そういう現場では、頼れる人は唯一、監督です。今回の映画のようなサイズには、俳優さんたちが自発的に動くことになり、しかも小さな作品とはいえ家族の話ですので、みんなで現場で話をしながら作っていくのは良かったと思いますね。

ただ、俳優さんというのは肉体労働というより、「感情を使う仕事」ということで、ケアされて当然だとも思うんです。守ってあげないと、本番のときに、他のところに気を遣ってしまって、作ってきた感情が壊れてしまうと、演技に支障をきたしてしまいます。本番となればカメラの中の世界に、つまり第三の現実の中に入っていかなければいけない。だからスタッフの方たちもそのために準備をしていますし、監督さんの「アクション」という一言で演技が始まったら、俳優さんたちが感情を作ってカメラの中に入れるように持っていく。外の世界を認知してしまうと、カメラの中の現実のなかに入っていけなくなってしまうのです。

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『かぞくのくに』より (C)2011『かぞくのくに』製作委員会

── 『息もできない』のときはマネージャーがいっぱいいたのですか。

ヤン・イクチュン:女子高生役のキム・コッピさんは、キャスティングした後に、マネージャーをつけない状態になっていましたので、そういうことはありませんでした。弟役のイ・ファンはマネージャーがいたんですけれど、現場にはひとりで来ていました。他の俳優さんも各自来ていました。『息もできない』に関してはスタッフも俳優も全員友達のように仕事をしていました。

私自身が演技を長くやってきた経験から──これぐらいで長くと言ったら笑われてしまいますが──、現場で、俳優さんが何をすべきか分からないでさまよっている時間を避けたいんです。俳優は常に、今は休んでいるんだ、けれどまたすぐに撮影に入らなければいけない、と現場を認知していることが大事です。自分が演出するときも、次に何をするかを分かっていてほしいと思いますし、さまよう時間を作らないために、ときにはスタッフを怒ってみたりもします。ですから、スタッフに対しては、俳優に対して「今は準備なんだ」と常に言ってあげるように教えています。

監督は〈目〉がたくさんあるのがいいと思います。どこかに自分と俳優さんのラインが繋がっていて、別のところで照明のスタッフと話しているときも、常にこっちで俳優さんを見ていて、辛い気持ちになっているのが分かったら、そちらに行って「少し休んでください」と声をかけてあげたり、ひとりで感情を作って次の演技に臨むようなときは、それが壊れないように感情移入を守ってあげるべきだと思います。

そう思うのは、自分も以前そういうことでストレスを感じていたからなんです。映画という大きなシステムのなかで、自分はちっぽけな存在で、マネージャーもいないなかでカバンひとつ持って現場に行っていました。ストレスを受けてしまうと、それが演技に出てしまいますから。

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『かぞくのくに』より (C)2011『かぞくのくに』製作委員会

状況を説明するための字幕のない作品を早く作りたい(ヤン・ヨンヒ)

──完成した作品を観たときに、あらためて、最初に脚本を読んだときの感情の違いはありましたか。

ヤン・イクチュン:シナリオというのはテキストかもしれません。登場人物と空間が出会うことで物語が作られていくものだと思いますので、撮影に入ったときはシナリオのことは頭から消えていました。

そして、試写や映画祭ではなく、街なかを歩いていて「こんな映画をやっているんだ、じゃあ観ようか」と思って観てくれる、ほんとうに普通のお客さんと一緒に観ることによって、純粋な映画に対する感想を持てると思います。

ヤン・ヨンヒ:早くその日が来て欲しいと思い願いながら、私は自分でこの映画のチケットを買いました(笑)。

── ヨンヒ監督は、ドキュメンタリーを撮り、フィクションを撮り、ここで自分のことを語りきったというより、さらに蓋をいくつか開けていこうという意欲があるということでしょうか。

ヤン・ヨンヒ:ありますね。自分の記憶や体験だけはなく、在日のコミュニティや、ピョンヤンやソウル、アメリカで在米のコリアンといるときの話とか、常にいろんな人たちと接して思うことを、どうブレンドして話にするのか。いまいくつか作りたいと思っている話があります。

── それは自分のルーツの問題から離れたフィクションではなく、在日の問題の蓋を開け続けていくということですか。

ヤン・ヨンヒ:ぜんぜん違う話でもいいんですけれど、まだしたい話があるのも事実です。自分がいちばん詳しいのは在日の話だし、北と関係のある話だし、女の話だったりする。自分が強みと思える話をしない手はないと思います。

アメリカで暮らしているときに痛感したのは、自分のオリジナリティにこだわればこだわるほど、外の人は興味を持ってくれる。でもこだわるってすごく疲れるんです。自分の中を掘ることなので、痛いし、血もでる。自分が切っているのでしょうがないですけれど、それで家族も血が出るとしたらたまったものじゃないとは思うのですが。外国人は周りに同化しようとしますよね、オリジナリティを隠して、私もあなたたちと変わらないのよ、という振りをしようとする。

でも、あなたたちと一緒よ、と言っていると、どんどんその人はつまらなくなっていくような気がして。私はオリジナリティにこだわっている人が面白いと思うし、外国人とか在日とか、マイノリティと呼ばれる人だけがオリジナリティを持っているわけではないので。だからみんな、それを見せ合えばいい。

特に、いつもネタを探しているテレビの制作関係者から、「ネタが多くていいですね」って言われるんです。そうすると私は「私は歩くネタです」って言い返してやります。でも私は、家族がピョンヤンにいるという話は持っていますけれど、親は仲が良かったし、DVの経験もないし、イクチュンが持っている苦労はしていない。だからみんな違うだけの話で、ある人がいっぱい背負っていて、ある人はそうじゃない、ということはない。在日だけ苦労しているという言い方をする在日が私は大嫌いなんです。

他の人の背負っている荷物を見ると、自分の荷物がもっとよく見えるもの。映画館に行く、映画を観るってそういうことだと思うんです。だから、楽しみながら、掘っていきたい、ヘンな趣味ですけど(笑)。社会のために、というのはいやなんですけれど、結果的にそれが何かをオープンにしていくことに繋がっていけば嬉しい。私たちの後輩はもっと掘ってくれることを願います。

先日『オレンジと太陽』を観たんですが、こんな話があったのか、と思う。例えばユダヤ人の収容所の映画をはじめるときに、字幕の説明はいらない。同じテーマの作品がたくさんあって、みんな知っているからなんです。私の作品はいつも状況を説明する字幕からはじめるんですが、早く字幕のない作品を作りたい。でも、在日の問題を分かってもらうためには、もっと字幕がなくてはいけない。そしてもっと分かってもらうには作品を増やすしかない。それはどこかでずっと宿題になっていて、そういう星に生まれてきているのかもしれないですね。以前は自分が背負っているものを重く感じていましたが、今は年齢を重ねて、楽しんでやるくらいに思っています。

── イクチュンのオリジナリティは『息もできない』の中にあるのですか。

ヤン・イクチュン:ヨンヒ監督のお話を聞いて、ほんとうに共感できました。もちろん、もどかしさは感じているかもしれませんが、本人のことを話せるというのは、それだけいろんなことに打ち克ってきたところがあるからだと思います。私も以前は、さまざまなことに身構えてしまっていたところもありますが、今は、国家に対しても誰に対しても、いろんなことが言えるようになってきたような気がします。人は自分がいちばん大切で、国家や社会が人に何かを要求してはいけないと思うんです。それと同じで、両親があれをしろ、と要求してもそれを聞かない、というのが自分がもっとも幸せに、いい人生を生きていけることではないでしょうか。

(インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)



ヤン・ヨンヒ プロフィール

1964年11月11日大阪市生まれ。在日コリアン2世。95年からドキュメンタリーを主体とした映像作家として数々の作品を発表、NHKなどのテレビ番組として放映された。また、テレビ朝日「ニュースステーション」他で、ニュース取材、出演するなどテレビの報道番組でも活躍。タイ、バングラディシュ、中国などアジアを中心とした様々な国で映像取材。97年に渡米、約6年間ニューヨークに滞在し、様々なエスニックコミュニティを映像取材する。03年に帰国し、日本での活動を再開する。05年に発の長編ドキュメンタリー『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』を発表、ベルリン国際映画祭フォーラム部門に公式出品され、NETPAC賞を獲得するなど、多くの国際映画祭で上映されて受賞する。続いて第2作『愛しきソナ』を09年に発表、再びベルリン国際映画祭フォーラム部門に公式出品される。著作に「ディア・ピョンヤン~家族から離れたらアカンのや」「北朝鮮で兄は死んだ」がある。

ヤン・イクチュン プロフィール

1975年生まれ。21歳で兵役につき、除隊後アクターズ21アカデミーを経て俳優として活動開始。チョ・ミノ監督作『強敵』(06年)、ソン・ヘソン監督作『私たちの幸せな時間』(06年)などの多くのヒット作に参加。08年に監督・主演した初の長編映画『息もできない』を発表。同作はロッテルダム国際映画祭タイガー・アワードを始め世界各国で40以上の映画賞を受賞。日本でも東京フィルメックスで最優秀作品賞と観客賞をW受賞ほか多数受賞し高く評価され、インディペンデント映画としては異例の動員7万人を超える大ヒットを記録した。




『かぞくのくに』
8月4日(土)よりテアトル新宿、109シネマズ川崎ほか全国順次公開

25年が経過して、兄ソンホ(井浦新)があの国から帰ってきた。妹リエ(安藤サクラ)が心待ちにしていた兄の帰国。ソンホは70年代に帰国事業で北朝鮮に移住した。病気治療のために3か月間だけ許された帰国だった。25年ぶりの家族団欒は微妙な空気に包まれる。一方、かつて同じ場所で学び青春を謳歌した、ソンホ16歳時の仲間たちも彼を待っていた。同じ空気を共有しなかった25年間は家族に、友達に、何をもたらしたのか…。

監督・脚本:ヤン・ヨンヒ
出演:安藤サクラ、井浦新、ヤン・イクチュン、京野ことみ、諏訪太朗、宮崎美子、津嘉山正種
配給:スターサンズ
2012年/日本/カラー/100分/16:9/HD

公式サイト:http://kazokunokuni.com/

▼『かぞくのくに』予告編



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