骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2012-08-10 14:00


「ファンタジーがないと分かって、虚しさを知って成長する子どもを描きたかった」

『聴こえてる、ふりをしただけ』今泉かおり監督が語る「育休中に映画を作る方法」
「ファンタジーがないと分かって、虚しさを知って成長する子どもを描きたかった」
『聴こえてる、ふりをしただけ』の今泉かおり監督

11歳の少女が、母親の死に直面し、悩み、立ち止まり、新しい日常を獲得していくまでを瑞々しく綴った映画『聴こえてる、ふりをしただけ』が8月11日(土)より渋谷アップリンクで公開となる。現役の看護師であり、二児の母親である今泉かおり監督は、今作を長女の育児休暇中に完成させた。今回は劇場公開を記念して、今泉監督に映画を志すことになったきっかけ、そして「育休中に映画を作る方法」を聞いた。

専門学校では、脚本の授業がいちばん勉強になった

──映画を作りたいと思ったのは、いつ頃ですか。

大学は地元の大分の看護学校で、最初は映画館に行くこともほとんどなかったんです。でも仲が良かった子が映画好きで、一緒に観にいくうちに、初めて大分のシネマ5に行って、『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』を観たんです。『フォレスト・ガンプ』をバカにしているシーンが出てきて、私も周りの人が言うほどあの映画を良いと思っていなかったので、これは面白いと、ミニシアター系の映画とシネマ5にいっぺんにはまりました。シネマ5では、あとは『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』や『アメリカン・サイコ』などいろいろ観ましたね。

──そこでお客さんとして映画を発見したのですね。どのようなきっかけで東京に来ることになったのですか。

大分から就職先の大阪に来て、ENBUゼミナールに入るために東京に引っ越してきました。家族にも怒られたし、職場の人も半分すごいと言ってくれたけれど、半分は「大丈夫なの?」みたいな感じで。看護師は3年勤めていたので、ほんとうに少しだけですけれど、引っ越して、生活するお金はありました。

東京では、ENBUに通いながら週に3回看護師のバイトをやっていました。人手不足の業界ですし、普通にバイトをしているよりも時給はよかったです。

ENBUゼミナールには1年間通っていました。脚本入門が半年あって、その他カメラの触り方から、録音、照明、演出までを何回かの授業でひと通り学びました。課題作品をいくつか作って、残りの半年が卒業生活の期間になります。台本を書いて、専任講師の古厩智之さんとやりとりをして、撮影という感じでした。その卒業制作で『ゆめの楽園、嘘のくに』(2008年)を作りました。

webdice_yumenokuni
『ゆめの楽園、嘘のくに』より

──ENBUゼミナールでもっとも勉強になったことは何ですか。

脚本入門の授業がいちばんよかったなと思いました。教材の脚本家の方が書いた本に、まず「誰がなにをする話なのか」といったテーマを決めて、そこから箱書きにしていくにしても、途中でそのテーマからぜったい離れないようにして、一回ごとに振り返って、ひとつひとつのエピソードがそのテーマを語るために、ほんとうに必要なのかどうかを考えていくのが脚本の書き方、というのがあって。

何分の作品にするというのを決めたら、シナリオが何枚になるから何ページ目で第一の事件が起きて、そこから第二幕の葛藤がはじまって、何ページでこういうことが起きて、という法則があるんです。

「そんな型にはまったのなんか作りたくない」くらいの勢いで学校に入ったんですけれど、自分が面白いと思う映画を見返してみると、インディーズの規模でも、面白いと思うものは、意外とそのルールに従った映画が多くて。観ていて引き込まれるし、作っていても面白い、ということを知ったんです。

子どもを連れてロケハンに出かけた

──最初の長編『ゆめの楽園、嘘のくに』から、今回の『聴こえてる、ふりをしただけ』に至るまではどのような過程があったのですか。

『ゆめの楽園、嘘のくに』が、卒業制作のなかのグランプリをもらったんです。その特典で、次の年のサマースクールの講座が受けられるので、熊切和嘉監督の講座を受講したときに、課題で作品を作ることになりました。そのときに『聴こえてる、ふりをしただけ』と同じテーマの短編『この、世界』を制作したんですが、演出がうまくいかなかったという悔いが残りました。でも、せっかく面白いテーマだから、長編を作ってみたいと、そのときはフルタイムで看護師をやっていたのですが、ゆっくり、半年くらいかけてシナリオを書き直しました。

webdice_CSC0023
『聴こえてる、ふりをしただけ』より

最初は自主映画でつくろうとしたんですけれど、『ゆめの楽園』のときのロケ場所の友達の家や小学校が使えなくなってしまったんです。そこで、助成金も出るし、協力してもらえるから、ということで、伊参(いさま)スタジオ映画祭の脚本の審査に、締切ギリギリまで書き直しをして応募しようというときに、妊娠していたことが分かりました。もし受かったら、9ヶ月とか大きなお腹のときに撮影になる。でも生まれてからやるより、妊娠中のほうがまだいいかもしれないと思って、結局応募したんです。

そうしたら、二次審査まで残ったんですけれど、最終審査で落ちてしまって。結局、子どもも生まれるし、仕事も続けないといけないから、これで終わりにしよう、と思ったんです。

それで育休に入ったんですが、育休は子どもが生まれてから一年もらえるんです。給料の50%もらえて、旦那さん(今泉力哉)もそのときはENBUの正社員をやっていました。ちょっとして、子どもがある程度の大きさになると、余裕が出てきて、育児しかやることがないから、暇なんです。それで、大阪にいたときに手伝ったことがあったCO2で企画の審査の募集の締切が近いということが分かって、もしかしたらできるかもしれないと思って、シナリオには自信があったので、もう一度出すことに決めました。

応募したとき、子どもは6ヶ月でした。10月に8ヶ月になったときに当選の連絡があって、旦那さんにスタッフを紹介してもらって、準備をはじめました。

シナリオを改稿しながらロケハンに行くときは、子どもを連れていっても大丈夫だったんです。でも、いろいろ連れ回すので、子どもが体調を崩してしまう。そうすると行く予定のロケハンに行けなくなるということが増えてきたので、旦那の実家がある福島のお母さんに応援を要請して東京に来てもらって、見てもらったりもしたんです。

webdice_20101105-_MG_3391
『聴こえてる、ふりをしただけ』撮影現場での今泉かおり監督

子どもの体調がよくなって、また私が見るようにしましたが、リハーサルや読み合わせが進んでくるなかで、子どもが途中で泣くとそこで作業が止まってしまう。それでも、撮影に入って、主演のはなちゃん(野中はな)は中学生で、土日しか撮影ができなかったので、撮影のときだけ託児所に預けて、あとの平日は見れるから大丈夫だと思っていたんです。

12月の4日くらいが初日で、そこからクリスマス前までは土日に、冬休みになったら、年末年始以外はほぼ撮影しました。最初の一週間くらいは赤ちゃんを見ながらだったんですけれど、撮影以外の平日もぜんぶ準備しないと間に合わなくなってきて。連れ回すとまた具合が悪くなったりしたので、 子どものための休暇でしたが、途中で中止はできなかったので、福島の旦那の実家に預けることにしました。

最後にきちんと脚本のテーマに戻ってくるようにした

──『聴こえてる、ふりをしただけ』では、子ども時代の自分の記憶を映像にしたかったのですか。

そうですね。私も小さいときにお父さんが病気になったりしたのですが、周りはみんな優しかったし、〈状況だけが自分の敵〉というような状況だった。『聴こえてる、ふりをしただけ』では、周りの人も、気を遣っているつもりなんだけれども、逆にそれが自分を惑わせてしまうみたいなところをリアルに表現したかった。

──ENBUで学んだことを振り返ると、今作でぜったい離れないようにしたテーマというのは?

ファンタジーというものがないと分かって、虚しさを知って、それで成長する子どもを描きたかった。いろんなところに行ってもきちんとテーマに戻ってくるように、それありきで制作を進めました。

webdice_kikoeteru_2
『聴こえてる、ふりをしただけ』より

──初号を観たとき、どうでしたか。

技術的な面で、特に、夜のシーンの照明にすごい感動したんです。撮影の岩永洋さんはカメラにもこだわりがあるし、自分の意見も出してきて、バトルしながら撮ることで、すごいいい絵になっていて。その反面、私がやりたかった意図とぜんぜん違うシーンになってしまったというところもあって。自分の力の足りなさもあるし、スタッフを説得しきれなくて、時間との戦いに負けて、結局こういうふうになってしまったと、泣きながら編集したりもしました。

──いちばん悔しかったシーンはどこですか。

最後の、主人公のサチが埃に気づくシーンです。お母さんがいなくなったときの時の流れをはじめてそこで実感する場面で、カーテンを開けて窓外を見るときに足元の埃に気づいて、振り返って部屋を見ると、埃が角に溜まっていたり蜘蛛の巣が張っているのに気づく、いうのを考えていたのですが、「埃はカメラに映らないから、部屋が散らかってるというふうにしましょう」と言われて。でもそのときは今みたいに「時の流れ」なんてうまく言えなくて。それに、撮影の2日目か3日目で、初日の撮影で5シーン撮りこぼして、家を借りている期限も1ヶ月だったから、余裕はもうないと思って、岩永さんの案で行きましょう、と部屋を散らかして撮ったんです。でも、そのカットは気に入らなかったので、編集の段階で使いませんでした。

──完成後、映画祭などで上映されて、お客さんの反応はどうでしたか。

今こういうふうに話せますけれど、実は『聴こえてる、ふりをしただけ』も、できたときはぜんぜんだめだと思っていたんです。『ゆめの楽園』の終わり方を自分ですごく気に入っていたのですが、『聴こえてる、ふりをしただけ』は希望的なことを書きすぎたかなと。ラストがめまぐるしく展開していくのは、富岡さん(CO2事務局長の富岡邦彦氏)にはこれでいいと言われたんですけれど、実際の自分とは違ったんです。でも、観てくれたお客さんには、最後を褒めてくれた人もいたし、面白かったと言ってもらえましたし、自分が意図したこともけっこう伝わっていたので、よかったなと思って。

▼第62回ベルリン国際映画祭「ジェネレーションKプラス」部門授賞式での今泉かおり監督の受賞コメント


──ベルリン映画祭の受賞の言葉で、子どもたちに「私は、26歳で映画の専門学校に行き映画を作る事を夢見ました。映画監督としては遅い方かもしれませんがこうやってベルリン映画祭で上映される事ができとてもうれしく思います。ですので、ここにいる子供の皆さんも、やりたいことをあきらめずにやればきっとできると思うという事を忘れないで、夢を持ち続けて欲しいと思います」と言っていたのが心に残りました。

シネマ5にひとりで映画を観に行っていた私からすると、こんなに結果が出て認めてもらえるとほんとうに思っていなかった。この映画は、私の感情的な部分まで入っているので、確かに、自分のなかから生まれたもの。自分の子どもというよりは、自分の分身に近いです。普通に成長していたら、今より幸せだったかもしれないけれど、この作品はできなかったから、そうした過程が無駄じゃないのかなと思えるとしたら、やっぱり特別なものですね。

(インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)



今泉かおり プロフィール

1981年、大分県生まれ。現在、看護師として働きながら子育てをしつつ、映画の企画を考案中。大阪で看護師として働いていたが、監督を志し、 2007年に上京、ENBUゼミナールで映画製作を学ぶ。卒業制作の短編『ゆめの楽園、嘘のくに』が2008年度の京都国際学生映画祭準グランプリとなる。第7回シネアスト・オーガニゼーション・大阪(CO2)の助成対象作品に選ばれ、長女の育児休暇を利用して制作された『聴こえてる、ふりをしただけ』は、2012年ベルリン国際映画祭「ジェネレーションKプラス」部門で、準グランプリにあたる"子ども審査員特別賞"を受賞。




【関連記事】
今泉かおり監督『聴こえてる、ふりをしただけ』ベルリン映画祭で受賞(2012-02-19)
http://www.webdice.jp/dice/detail/3424/
今泉かおり監督『聴こえてる、ふりをしただけ』─観た大人を一度子供に戻し、その後大人にさせる映画(2011-09-30)
http://www.webdice.jp/dice/detail/3209/




映画『聴こえてる、ふりをしただけ』
2012年8月11日(土)より渋谷アップリンク他にて夏休みロードショー

監督・脚本・編集:今泉かおり
撮影:岩永洋
録音:根本飛鳥、宋晋瑞
照明応援:倉本光佑、長田青海
音楽:前村晴奈
出演:野中はな、郷田芽瑠、杉木隆幸、越中亜希、矢島康美、唐戸優香里
配給・宣伝:アップリンク
2012年/日本/99分/16:9/カラー
公式HP:http://www.uplink.co.jp/kikoeteru/




▼『聴こえてる、ふりをしただけ』予告編



レビュー(0)


コメント(0)