骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2013-01-06 15:53


兵士と同じ釜の飯を食いながら撮影された状況の中でアート作品として成立している

デンマークの若者がアフガンという戦場の環境でどう生きたかを描く『アルマジロ』佐野伸寿監督によるレビュー
兵士と同じ釜の飯を食いながら撮影された状況の中でアート作品として成立している
映画『アルマジロ』より

アフガニスタンの最前線アルマジロ基地に、国際平和活動(PSO)という名の下に派兵されたデンマークの若い兵士たちを追ったドキュメンタリー映画『アルマジロ』が1月19日(土)よりロードショーとなる。公開にあたり、映画監督で、自衛隊員としてイラク復興人道支援活動の経験のある佐野伸寿さんによるレビューを掲載する。なお佐野監督は、1月15日(火)に開催されるトーク付き先行上映イベントに森達也監督とともに登壇が決定している。イベントは現在、参加者を募集中。

エンベッド方式により、デンマークの兵士の視点で描ききる
──佐野伸寿(映画監督)

この映画は反戦映画でも「アフガニスタンと米国が中心となるコアリッション(*)との戦い」の正邪をテーマにした映画でもない。デンマークという豊かで平和な国の若者がアフガニスタンという戦場の環境でどう生きたのかというがテーマで、デンマークという先進国文化に対する文明批評ですらある映画といっても間違いないだろう。

映画の撮影は、決して自由に撮影できたのではなく、エンベッド方式という、軍事ミッションの広報作戦のメディア対応要領にのっとって撮影されている。エンベッド方式とは、米軍がソマリアで海兵隊が上陸する際、既にメディアが待ちかまえていてその後の作戦に支障をきたしたり、湾岸戦争の取材合戦のような状況にならないため、報道機関等のメディアと軍が協定を結び、一定の規律や軍の作戦を妨害しないならば、第一線の部隊と行動を共にし、食住の提供、安全確保を軍が行うというもので、文字通り、部隊の兵士と同じ様に兵士のベッドで起居し取材活動を行うというものだ。

メディアにとっては最前線の映像を撮影しリポートできる機会を得つつ、安全確保で便宜を得られるという利点がある。逆に軍側には、ベトナム戦争の様に最前線の映像を垂れ流され厭戦気運が盛り上がってしまうのではという危険性があるが、実際は別の方向へ行った。ベトナムはメディアが自分たちの力で前線まで行ったが、エンベッドの場合、兵士と行動をともにし、文字通り同じ釜の飯を食いながら危険を一緒にかいくぐって行くと、日にちを重ねるごとに、メディアが兵士たちへのシンパシーが強くなり、メディアの視点がいつの間にか兵士の側に移って行き、最終的には兵士の主張に重なった戦争への見方で報道されることさえある。本来は作戦に批判的なメディアでさえもあたかも従軍記者の様に協力的な記事が多くなるという結果になった。

現在のメディアの状況は極めて商業的になり激しい映像であればあるほど視聴率が稼げるため、記者や撮影クルーの安全を図りながら激しい映像が撮れるこのシステムは、メディアにとって美味しい。だからこそメディアから情報を受ける我々にも実は判断力が試される。彼らが流す激しい戦場の映像を見て、戦争の全てだと思ってはいけない。そこはあくまでも戦争の断片だと思わなければいけないのだ。

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映画『アルマジロ』より

この『アルマジロ』でも終盤の戦闘場面では、客観的に見ると国際法に違反していそうな状況を兵士の視点で描ききり、ある意味で無難に……無難と言う意味は協力してくれた部隊や兵隊たちの立場を悪くさせずに描いている。だからといってこの映画が魅力のない映画だと行っているのではない。この映画はこの戦いの正邪を論じているのではなく、あくまでも先進国のデンマークという国、そしてその先進国として文明や豊かさを享受している若者が、アフガニスタンの戦場に行き、そこでどう生きたかを描いている。

かつて太平洋戦争の頃、日本の名匠・小津安二郎監督が『ビルマ作戦 遥かなり父母の国』という作品を撮ろうとした。これは軍部の依頼によるものだが、現存する脚本を見る限り、これは1つの部隊の中のファミリードラマであり、小津作品の永遠のテーマから外れるもではない。部隊単位が家族であり、色々な背景を背負った庶民が集まるその世界は、あたかも長屋のような温かさを持つ、その家族そして長屋の人達が戦場という極限状況でどう行動したかにフォーカスしたファミリードラマとして小津は映画を作りたいと考えたのだろう。この感覚が共感できるのは軍隊を経験した人だけなのかも知れない。小津は兵士として、そして下士官として中国戦線で活躍した経験を持っている。そこが黒澤明との違いかも知れない。

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映画『アルマジロ』より

戦友という言葉があるが、兵士たちは家族のようなつながりを持つ。現代という非人間的社会の中でエリートになりきれない人々が疎外感を味あわざるを得ない。その人達が、戦場では、部隊と言う家族の出現によって個性を取り戻す。ここに出て来る兵士たちの多くが、戦場しか自分を温かく迎え、生きる実感を持つことができない状況なのかも知れない。

この映画でも小隊長が負傷して意識を取り戻して最初に思ったことは本物の家族ではなく、仮の家族となった自分の部隊に戻って、兵士たちと言葉を交わすことであり、最悪の戦場生活であるはずなのに、多くの兵士は、派遣期間が終わった後も、再び戦場の部隊に戻りたいと思う。これは戦争を知らない日本の監督たちが撮影した戦争映画に良くありがちな、戦争の意義を感じて戦場に戻るのではない。それをこの映画は生き生きと描いている。エンベッド方式の中で撮影された作品だが、余計なことは全て削ぎ落し、兵士たちの視点を貫いたからこそ得られた作品なのだろう。そう言った潔さが、逆に現在の文明のあり方、デンマークの状況、そしてこのアフガニスタンにおける兵士たちの感情と生き様をこの上なくリアルに、説得力をもって描けたのではないだろうか。だからこそ、力のある骨太な作品だといえる。

そう言った意味では、この映画はエンベッド方式と言う状況の中で、アート作品として成立しているし、名作であることは間違いない。しかし、私自身にはどうしても欲求不満に終わる部分がない訳ではない。この映画はデンマークの兵士の視点で描かれているのであり、彼らの銃口の先にあるアフガン人やタリバンの兵士の感情や思いは全く描かれていない。中央アジアで映画を撮影してきた私には、西欧人の兵士たちよりも、アフガンの人々の方にシンパシーを感じてしまうからかも知れない。

*コアリッション…ゆるやかなまとまり
(『アルマジロ』劇場パンフレットより転載)



佐野伸寿 プロフィール

1965年東京生まれ。6歳頃子役として数多くの映画・テレビに出演。子役としての代表作は『ダメ親父』(74年/松竹)、『刑事くん』(75年 /東映テレビ)、『ザ・カゲスター』(76年/東映テレビ)等。1994年に在カザフスタン大使館に文化担当官として勤務。その間にカザフスタンの若 手映画人と知り合い、劇映画の制作を始める。また、大使館帰任後、1997年より自衛隊で勤務。2004年新潟県中越地震災害派遣、2006年イラク復興 人道支援活動、2007年新潟県中越沖地震災害派遣に参加。プロデュース作として、『ラスト・ホリデイ』(96年)『アクスアット』(98年)、監督作として『ウイグルから来た少年』(09年)などがある。2011年発表の『春、一番最初に降る雨』は、第7回ユーラシア国際映画祭で最高賞となるグランプリを獲得した。現在、自衛隊体育学校広報室勤務。




映画『アルマジロ』
2013年1月19日(土)より渋谷アップリンク新宿K's cinema銀座シネパトス
ほか全国順次公開

監督・脚本:ヤヌス・メッツ
撮影:ラース・スクリー
編集:ペア・キルケゴール
プロデューサー:ロニー・フリチョフ、サラ・ストックマン
製作:フリチョフ・フィルム
デンマーク/2010年/デンマーク語、英語/カラー/35mm/105分

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/armadillo/
公式twitter:https://twitter.com/armadillo_jp
公式FACEBOOK:http://www.facebook.com/armadillo.jp

「何故カメラはこの撮影を許されたのか?!」
『アルマジロ』公開直前トークイベント参加者募集
2013年1月15日(火)19:15開場/19:30より上映開始(21:15よりトークショー)

《上映作品》『アルマジロ』
トークゲスト:森達也(映画監督)+佐野伸寿(映画監督)
司会:浅井隆(UPLINK)
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
ご応募は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2013/6255

優れた戦争映画はすべて反戦映画になる。この作品も例外ではない。ただしはみだしている。問題作のレベルではない。虚構か現実か。そもそもその区分けに意味などない。映像であるかぎりは(カメラを意識した)フィクションだ。でもこの作品は、その定義すら無効化する。軍や兵士たちはなぜこの撮影を許したのか。あらゆる意味で問題作だ。
── 森達也(映画監督)

▼映画『アルマジロ』予告編



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