骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2013-01-13 14:43


ドキュメンタリーの限界を超えた奇跡的な「撮れ高」を持つ、必見の映画

兵士のヘルメットに搭載されたカメラで銃撃の最前線を撮った映画『アルマジロ』想田和弘監督によるレビュー
ドキュメンタリーの限界を超えた奇跡的な「撮れ高」を持つ、必見の映画
映画『アルマジロ』より

NATOが統率する国際治安支援部隊(ISAF)の一つ、アフガニスタンのアルマジロ基地に駐留するデンマーク軍の若い兵士たちの軍務に密着したドキュメンタリー『アルマジロ』が1月19日(土)より渋谷アップリンク新宿K's cinema銀座シネパトスで公開される。公開にあたり、今作を「日本人、いや、人類の誰もが観るべき必見の映画」だとする想田和弘監督によるレビューを掲載する。

前線の兵士たちの体験を頭ではなく身体で体感することができる
── 想田和弘(映画作家)

映画『アルマジロ』を観ながら、正直、何度も問わざるを得なかった。

「これ、ホントにドキュメンタリー? 最近流行りの、ドキュメンタリーを装ったフィクション映画じゃなくて?」

というのも、本作はドキュメンタリーの限界を完全に超えているのである。

なんといっても凄いのは、被写体へのアクセスだ。

ドキュメンタリー作家は、どんなに撮りたい題材があったとしても、被写体となる人や組織から撮影許可を得られなければ映画を作れない。盗撮でもしない限り。当たり前だ。そして、軍隊とは国家権力の中枢に位置する強固で閉鎖的、かつ政治的にセンシティブな組織だ。内部を自由に撮影する許可を得て、しかもそれを広く世界に公開するなどということは、それだけで「偉業」の部類に入る仕事なのである。

無論、軍隊にカメラを向けた優れたドキュメンタリー映画は今までにもある。米軍に入った若者の訓練の様子を描いた『基礎訓練』(フレデリック・ワイズマン監督、1971年)や、核ミサイルを扱う空軍将校の訓練を描いた『ミサイル』(同監督、1987年)などは、その代表的なものだ。これらの作品も、観る者は「どうやって軍から撮影許可を取ったのだろう?」と驚嘆せざるを得ないだろう。

だが、『アルマジロ』は「被写体へのアクセス」という点で、その一歩も二歩も先を行っている。軍隊の訓練ではなく、正真正銘の戦闘シーンまで如実に映し出しているのだ。

しかも、遠くから望遠で腰の引けたカメラワークで撮られたわけではない。『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1998年)よろしく、まさに戦闘のど真ん中で撮られている。

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映画『アルマジロ』より

資料によれば、複数の兵士たちのヘルメットに小型カメラを装着していたようだが、優れた撮影者が操作するカメラでなければ撮れないようなショットもふんだんに入っている。つまり、カメラマンや監督も、戦闘の中でカメラを回していたのである。絵作りも、極限状態で撮られたということが信じがたいほど上質だ。こんなドキュメンタリー映像を、僕は今までに観たことがない。

加えて驚くべきは、兵士たちが無線で互いに連絡を取り合っている音声も、極めてクリアに録音されていることだ。つまり、戦闘中の無線さえ録音する許可を軍から得ていたことになる。そんなことが、例えば日本の自衛隊で許されるだろうか?情報公開性が比較的高いと言われる米軍ではどうだろうか?まず、無理だろう。

映し出された戦闘が、賛否両論を呼ぶ類いのものなら尚更だ。

『アルマジロ』では、負傷して抵抗できない敵兵をその場で殺害したことを示唆し、戦争犯罪が疑われる戦闘シーンも映し出される。実際、本国デンマークでの映画の公開後、戦闘シーンは社会問題化し、兵士たちに対する調査が入ったらしい。その結果、兵士たちは「お咎めなし」とされたが、彼らの行為が論議を呼ぶものであったことは疑いない。映画の中のミーティング・シーンでも、「戦闘の様子を電話で親に話した者がいる」などと部隊長が兵士たちを咎めるのだが、僕などは「親への情報漏れを心配する前に、なぜカメラマンを止めたり、映画の公開を阻止しない?」と突っ込みたくなってしまう。

ヤヌス・メッツ監督は、軍や兵士たちをどのように説得し、映画を撮って公開し得たのか。おそらく、デンマーク軍や政治家にアフガンへの派兵を止めたいと考える勢力があり、彼らがメッツ監督らに協力したのではないかと推察できるが、いずれにせよ、とにかく奇跡的な「撮れ高」だと言えるだろう。

そのお陰で、本作を観る者は、前線の兵士たちの体験を頭ではなく身体で体感することができる。遠い国での出来事を眺める傍観者としてではなく、前線で戦う人間の視点で、国際社会から「正しい戦争」と称されるアフガニスタン戦争をとらえ直す機会を与えられるのだ。

例えば本作では、問題の戦闘を終えた兵士が高揚しながら「1発で(タリバン兵を)4人仕留めた」と戦果を自慢し、仲間もそれを称揚する場面が映し出されている。そこだけ抜き出して観れば、「人を殺したことを嬉しそうに語り合うとは何ごとか」と唾棄する人も多いだろう。

だが、兵士たちの世界をさんざん疑似体験した上でそのシーンを観れば、彼らがそんな気持ちになる事情もよく分かる。単純に断罪する気には、到底なれない。むしろ、彼らを殺し合いの場へ送り出しながら、本国の安全な場所から「残虐行為」に非難の目を向ける人々の身勝手さに対して、怒りさえ感じてしまうのである。

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映画『アルマジロ』より

その上で思い知らされるのは、人を殺すことこそが任務である「兵士」という存在の本質的な虚しさ。そして、誰が何のために、誰と殺し合っているのかすらよく分からない、現代の戦争の不条理さである。たとえそれが、国際社会のお墨付きを得た、政治的に正しいはずの「国際平和活動(PSO)」であっても、だ。そして、帰還した後も「戦争中毒」が治らず、再び戦場に行くことを志願する兵士たちを眺めながら、「ああ、確かに戦争とはそういうものかもしれない」と、妙に納得させられるのだ。

最近の日本では、竹島や尖閣諸島の問題を煽り立て、対外強硬論や改憲を求める声が強まっているが、気がかりなのは、彼らに「戦争」に対するリアリティが欠如し、概念だけで戦争を論じているように見えることだ。まあ、先の大戦から67年が経過し、僕も含めて戦争を体験していない世代が社会の大半を占めるようになったのだから、ある意味で仕方のないことかもしれない。しかし、彼らは本作を観て戦場を疑似体験した後でも、同じように軽々しく「戦争できる日本」を目指すことができるだろうか?

映画『アルマジロ』は、日本人、いや、人類の誰もが観るべき必見の映画である。

x x x

最後に、ちょっとだけ苦言。

凄い映画なだけに、ふたつだけ残念なことがあった。

まず、本作に付けられた、ときにおどろおどろしい音楽は、全くの蛇足だと思う。これだけ「撮れ高」が高いのだから、映像と現実音だけで構成するだけで、作家の描きたい世界は十分に描けたのではないか。

それと、タリバン兵士の遺体につけられたモザイク処理。テレビ局が制作に関わっているだけに、たぶん放送コードに抵触するのを恐れてつけられたのだろうが、戦争の現実を観客に突き付けるという本作の趣旨とは、相容れないように思う。

(映画『アルマジロ』劇場パンフレットより転載)



想田和弘 プロフィール

1970年生まれ。映画作家。ニューヨーク在住。台本を作らず、ナレーションや音楽を使用しないドキュメンタリー制作スタイル「観察映画」の実践を続ける。『選挙』(07年)で劇場公開デビューし、米ピーボディ賞を受賞。『精神』(08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。平田オリザと青年団にカメラを向けた最新作『演劇1』『演劇2』(2012年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞し、現在、日本各地で劇場公開中。著書に『精神病とモザイク』(中央法規出版)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs. 映画 ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』(岩波書店)。 




映画『アルマジロ』
2013年1月19日(土)より渋谷アップリンク新宿K's cinema銀座シネパトス
ほか全国順次公開

監督・脚本:ヤヌス・メッツ
撮影:ラース・スクリー
編集:ペア・キルケゴール
プロデューサー:ロニー・フリチョフ、サラ・ストックマン
製作:フリチョフ・フィルム
デンマーク/2010年/デンマーク語、英語/カラー/35mm/105分

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/armadillo/
公式twitter:https://twitter.com/armadillo_jp
公式FACEBOOK:http://www.facebook.com/armadillo.jp

トーク付き上映決定!
1月22日(火)19:30 ゲスト:伊勢崎 賢治さん(東京外国語大学大学院教授)
1月30日(水)19:30 ゲスト:池田香代子さん(翻訳家)
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2013/6641

▼映画『アルマジロ』予告編



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