土屋豊監督(左)と想田和弘監督(右)
実在の少女による母親毒殺未遂事件をモチーフに現実と非現実が融合するハイブリッドな世界を作り上げた土屋豊監督の『タリウム少女の毒殺日記』、そして台本やナレーション、BGMを排した方法論「観察映画」により2011年4月の川崎市議会選挙に立候補した山内和彦氏の奔走を追った想田和弘監督の『選挙2』がそれぞれ7月6日(土)より公開される。今回は、雑誌「創」2013年7月号の特集『映画会の徹底研究』に掲載された両監督による対談を掲載。お互いの作品についてはもちろん、インディペンデント映画製作における問題点と可能性が浮き彫りになる対話となっている。
「タリウム少女」の本質的な問いかけ
──まず、想田監督から見た土屋監督の新作『タリウム少女の毒殺日記』についての感想をお願いします。2005年にタリウムを用いて母親を毒殺しようとした少女が逮捕された事件をもとにイメージした作品ですが、全体はフィクションで、その中にドキュメントふうの科学者のコメントなどが入っているという独特の映画ですね。
想田:すごく面白かったです。こんなに本当のことやっちゃっていいの?と思いました。主人公の「タリウム少女」は異常な世界にいるということになっていますが、実は彼女だけじゃなくて、我々はみんなそういう世界に住んでいるのに、そうでないかのように私たち自身が振る舞っている。
「人間と動物と何が違うの?」って、もっともな疑問だと思うんです。違いなんて本当はない。人類が人類だけで「人間には人権がある」というふうに取り決めをして、「人間以外の動物には生存権を認めない」と決めちゃっただけで、両者に本質的な違いがあるはずないんですよ。だけど、違いはないと認めちゃうとこの社会が成り立たないから、見て見ないふりをしているだけ。タリウム少女の問いは本質的だし、それを映画で上手く見せているなぁと思ったのは、本物の科学者に話をさせるドキュメンタリーな部分があるところです。この社会でちゃんと地位を持っていて、認知されている人たちが言っていることと、少女の言っていることは変わらないことに気づかされる。
たまたま少女は高校生で、しかも親を毒殺する実験台にしてしまったから、猟奇的な殺人未遂事件として名を馳せてしまったけれど、同じ構造の「実験」は合法的にシステマティックに社会の中で行われていることがよくわかります。非常に上手いコントラストですね。
映画『タリウム少女の毒殺日記』より
土屋:人間と動物が本質的には変わらないということを基本にしながら、この映画では、生物とか人間というものを、プログラムとして見る、数値として見るというふうに、シフトした目線で見てみたらどうなるだろうと考えました。要は、プログラム的観点から見れば、人間と大腸菌ですら大して変わらないんですよね。ゲノム的な意味では大した違いはない。人間の個性なんてものも、「どれだけ個性ってあんの?」っていうところまで客観的に、引いて見ることができるわけです。
人間と動物にはほんのわずかな違いしかないと捉えた場合、どういうふうに人間が見えてくるかというのが表したかったことの一つです。もう一つは、バイオテクノロジーを研究している学者も映画に出てくるんですけど、その研究の先端を見ていくと、人間の臓器を豚の中で作ったらどうなるのかということを前提にした実験を実際にやっている。ここ数年で実現しちゃうんじゃないかと思いますが、そうなった時、豚肉は美味しく食べるけど、豚の中で作った臓器は嫌だということの違いは何だろうか、というところも表現したかった。
2005年に実際に事件を起こした少女がどう考えていたかはわかりませんが、少女が今の現実を見たらどんなふうに捉えるかを表現したかったんです。バイオテクノロジーの観点からもう少しずらして、監視社会やマーケティング社会的な観点から見ると、人間はもう完全にバイオ的プログラムというよりも、消費者としてプログラム化されているじゃないですか。サイトのクリック先とクリック回数によってお勧め広告が開くし、監視カメラは自分がどの経路を通ってきたかを記録してるし、動線をどう引けば物を買ってくれるかというのもプログラムによって算出されている。そういう世界にあなたはいますよ。それってどうなの?ってことをやりたかった。
「観察映画」ですまない『選挙2』
──一方、想田監督の映画『選挙2』は2007年に公開され、世界中で話題になった『選挙』の続編ですね。前作は想田さんの同級生だった「山さん」こと山内和彦さんが自民党の落下傘候補として川崎市議会選挙に出馬してドブ板選挙を闘う様子を追ったドキュメントでしたが、今回はその山さんが2011年4月の川崎市議会選挙に無所属候補として出馬したのを追った。ちょうど震災・原発事故の直後だっただけに、山さんは、その問題を提起して闘った。土屋監督は、この『選挙2』をどう見ましたか。
土屋:もう、想田さんが提唱してきた「観察映画」なんてことを言っていられなくなっているところが面白かったですね。観察している想田さんの主体そのものがばればれになっている。カメラを回しながら対象とコミュニケーションを取っていかなければいけないし、はては撮影をめぐって自民党の候補者と「訴える訴えない」という騒ぎにまで至っていく。「参加」しなきゃならなくなった想田さんの視線がすごく面白いなと思いました。
要は想田さんの視線の映画なんですね。例えば映画のポスターにもなっている、山さんが防護服を着て選挙演説している場面が象徴的ですが、演説中の山さんだけ撮るのがありがちな視点とすれば、想田さんはちょっと待てよ、と引いて見て、横で遊んでいる子供の方をメインで撮っている。想田さんが何を観察したいかという興味をすごく純粋に表していると思いました。編集の仕方にしても、何を引っ張ってくるかというところに想田さんの観点が表れている。今回は一層そんな感じがしました。
映画『選挙2』より (C) 2013 Laboratory X,Inc.
──確かに『選挙2』は、作品の中に想田監督自身が登場する度合が高いですね。
想田:そうならざるを得なかったんです。まず山さんも前の『選挙』という映画ありきで僕と関係を結んでくるし、奥さんに至っては何か撮ってると、「そのアングルから撮らないで」「私がラーメン食べてる時はこっちから撮って」とか(笑)言ってくる。すごく警戒しているんですよ。街を歩いていて、他の候補者が僕に「また山内くんの選挙?」と話しかけてきたこともありました。僕は会ったことのない人なんですけど、続編を撮っていることを誰からか聞いて知ってるんです。少なくとも川崎の候補者の世界、政治の世界の人たちはみんな『選挙』を見ていて、それが前提になっているんですよね。
だから、誰も僕のことを放っておいてくれない。僕は参加したいと思っていないのに、その場に引きずり出されちゃう。観察者としての観覧席みたいなものはなかったんだ、と思い知らされました。2作目の『精神』( 08年)以来、僕は自分の観察映画を「参与観察」であると位置づけていて、自分も含めたこの世界の観察というスタンスで観察していこうと思ってやっているので、構わないんですが。
土屋:参与し始めたら、結局は相手とのコミュニケーションですよね。観察する側と撮られる側というより、その相互でどうコミュニケーションを取りながらやるかというふうに映画自体がなっていく。
撮る側と撮られる側とのせめぎあい
──『選挙2』で山さんが「脱原発」を掲げていました。原発の問題は、想田さんの中にテーマとしてあるんでしょうか。
想田:僕は80年代から原発に異を唱えてきましたから、原発の問題にはもちろん関心は高かったです。でも、これはいつもそうですが、そういうテーマの映画にしようと思ったわけではなくて、今回はたまたま山さんが脱原発を叫んでいたので、自然にそういうものにカメラが向いた。あと、ちょうど告示が原発事故直後の4月1日で、原発は最もみんなが気にしていることだったので、自然に映り込んできた感じです。
僕は東日本大震災が起きた当時はニューヨークにいたので、撮影の時が震災以降、初めての帰国だったんですよ。川崎でこの映画を撮っている時は「なんで被災地行かないの?」っていろんな人に言われて反発を感じていた。なんで俺が行かなきゃいけないんだ、なんで行くことがスタンダードなんだよって。僕は天邪鬼なので。
ただ、反発はしつつも一方で、東北であれだけ大変なことが起きているのに、なんで俺はそっちに行かず、川崎で何もやらない山さんを撮っているんだろうという変な焦りはありました。すごく変なところにいて、変なものを撮っているという。だから撮ってた時には、原発事故直後の日本なんて、そんなものはあまり映ってないと思っていたんです。だけど、後から映像を見ると、「なんだ川崎も被災地だった。関東、日本という国全体が被災地だったんだ」って感じました。
映画『選挙2』より (C) 2013 Laboratory X,Inc.
──取材拒否した自民党議員と激しくやりとりする場面をそのまま撮影して映画の中で使っていましたね。
想田:僕を放っておいてくれない最たるものが、自民党の2人の議員でした。前の『選挙』に出ている方々ですが、あまり前作のことを快く思ってなかったんですね。それは山さんから聞いていたんですけど、あんなに怒られるとは思ってもみませんでした。
土屋:普通、思わないですよね。「社会人として常識をわきまえなさい」とか言われながら、それをも撮影していましたが、あれがいちばん面白かった(笑)。
想田:そもそも選挙運動は税金も使われる公の活動だし、公の場所で、公人たる現職議員が選挙運動をやっていて、それを撮らせないという発想は考えられなかったんですよ。
特に自民党の議員でしょう。あんな大きな原発事故が起きたら、自民党が原発を推進してきたわけだから、少しは恥じ入るとか、負い目を感じたりするのかなと勝手に想像していた。まさか食ってかかられるとは思わず、正直びっくりしました。だからカメラを回しながら、ここで回すのを止めたら負けだ、という感じがあった。本能的なものだと思いますね。
土屋:偉そうな高圧的な態度で言われたら、撮っている人間は絶対に止めない。あんなふうに「撮るな」って言われたら、こっちはすごく燃えるでしょう。
想田:たしかに(笑)。でも、「撮るな」と言われている映像をそのまま作品に残すことには、相当のためらいもありましたし、不安もありました。撮影後、自民党の弁護士から「映像を使うな」という文書が送られてきましたから、訴えられる可能性もあります。だから自分を守るためにも「モザイクをかけた方がいいんじゃないか」と一瞬思ったりもしたんですが、『精神』で精神科の患者さんにモザイクなしで出てもらったのに、現職の議員にモザイクをかけるのもねえ(笑)。
映画『選挙2』より (C) 2013 Laboratory X,Inc.
ドキュメンタリー撮影の際どい綱渡り
想田:僕は、『精神』の時にかなり際どい綱渡りをしました。誤って子供を死なせてしまったお母さんがいて、撮影中にその話をしてくれた。彼女もその時はよかったんですが、公開が近づくと、映画を見た人が自分をどう思うのか、もしかしたらすごい非難されるかもしれない、村八分にされるかもしれない、と恐怖を感じられたんです。それはもっともな恐怖ですよね。
それで「公開をやめてほしい」「やるなら公開日に自殺する」とまで言われた。自分の映画のせいで彼女が死んでしまったら、と究極の選択を迫られた。彼女に会いに行って話をしたり、診療所がすごく協力的でカウンセリングをしてくれたり、別の患者さんたちが「この映画は世に出したいから協力する」と言って話をしてくれたり、それで彼女も不安が収まり、公開することができたんです。
結果として、公開しても彼女が恐れていたことは何も起きませんでした。それで彼女は自信をつけることができたんです。でも、今考えると相当危ないことでもあるわけです。そういうこともあって、自民党に脅されたくらいで自主規制するわけにいかなかったんですね。
土屋:取材された側は、やっぱり撮られたことで変わりますからね。その後も人生は続くわけだから、直後はOKだったけど5年後に気分が変わったり、10年後に映画を見たことで傷ついたり、一生付き合わなきゃいけない。そのお母さんも今は大丈夫だけど、明日どうなるかわからないし、10年後もわからない。それに対してどう責任を取るのかと言われても、その方法はわからないけど、責任を取る努力を続けるしかないですよね。
想田:それはドキュメンタリーに限らず、実は日常の生活でも同じです。僕たちは日々言葉を交わすけど、その言葉が原因で誰かが死ぬかもしれない。そんな危険を犯しながら僕たちは普段、生活をしているし、それが生きること、あるいは他人と関わるということなんだと思います。ただドキュメンタリーというフォーマットでやると、映像として残るから、ある意味で非常に決定的な、後で修正のきかない関わり方をしてしまうという激烈さはありますね。
土屋:ドキュメンタリーは目の前で取材される側がどんどん無防備に、裸になっていって、そういうところが生々しくて面白いわけだけど、それは表裏一体で、撮られた側は良かったと思う人もいれば、後で死にたくなるぐらいの場合もある。なおかつ、それを観客に商品としてお金を取って見せるわけじゃないですか。簡単に言えば、監督は人の人生を犠牲にして金儲けする極悪人みたいに言われる。森達也さんなんかはそのことを潔く認めているのかもしれないけど、僕は極悪人になりきれない。その方法もわからないのに何とか責任は取り続けたいと言うこと自体が卑怯だという自覚はあるんです。
想田:そのスタンスには共感します。作り手は極悪人にもなりうるし、そうじゃない関わり方もありうると思うんです。カメラを向けるこの世界が白黒つけられないグレーな世界であるのと同じように、撮る側の存在も極悪とは決めつけられない、グレーな存在だという気がします。そのバランスを常に取りつづけるのはしんどいですが、しんどさを引き受けていくしかないんだろうなぁと思います。
いずれにせよ、被写体は常に無防備で、撮影者はそこに付け入っているという感覚を忘れてはならないでしょうね。というのも、被写体と本当の意味で撮影のコンセンサスを得るのは難しくて、それこそ撮られている側は作品で自分がどう描かれるかなんて全くわからない。そんな状況で撮影だけはどんどん進行していく。撮影者と被写体は本質的に非対称なんです。それがドキュメンタリーの面白いところでもあり、やばいところでもある。
映画『タリウム少女の毒殺日記』より
インディペンデント映画でどう資金を回収するか
──次に、インディペンデント映画をめぐる問題について議論したいと思います。土屋さんは、この映画を製作する際、どうやって資金集めをしたのですか。
土屋:製作費は全て自腹ですが、今回は、配給宣伝費を「クラウドファンディング」という新しい資金調達の方法で集めました。2010年に『NEW HELLO』という企画を立てて、東京国際映画祭の企画マーケットに出したんですが、なかなか製作資金は集まらなかった。そういう厳しい状況の中で、インディペンデント作家が製作や配給宣伝の資金を集めやすい仕組みができないかなあと思って、「独立映画鍋」というNPOを2012年に立ち上げたんです。
それでクラウドファンディングという、ウェブサイトインターネットを通じて一般の人から小額の寄付を募る方法をやってみようと、日本でそれを既に実践していた「motion gallery」というクラウドファンディングのプラットホームと提携して活動を始めました。そして、最初の企画を「独立映画鍋」のメンバーから出そうということになって、僕が『タリウム少女』の配給宣伝費の資金募集を開始したんです。
想田:クラウドファンディングはアメリカが発祥です。「キックスターター」というサイトがあって、そこにプロジェクトを掲載し、寄付を呼びかける。寄付金額によって、映画なら「サイン付DVDをプレゼントします」とか、「前売り券をあげます」みたいに特典があったりして、賛同する人はどんどん寄付をする。もともとは、オバマ大統領が選挙資金を集めるために使ったやり方らしいです。
土屋:200万を目標金額にしておいて、結局240万ぐらい集まりました。前作の『PEEP“TV”SHOW』の時もカンパ募集で30万ぐらい集めましたが、それじゃ知り合いにしか広がらない。クラウドファンディングだと、一つのサイトにいろんな企画が上がっていて、全然知らない人が企画を見て「これ面白そう」「ちょっと応援したい」と寄付してくれる。そういうサイトを運営している会社やグループは日本にも5~6社あって、できあがった映画の配給宣伝費の募集もあるし、これから作る映画の製作費募集もある。いろんな企画があがっています。
想田:サイトにプロジェクトをアップする時に予告編をつけたり、概要を書いたりして、いろんな角度からアピールをするんです。で、サポートしたいという人があまり見返りを求めずに、お金を出してくれる。クラウドファンディングがこれからインディペンデント映画を支えて行く可能性はあると思います。プロジェクトのことを知りうる人のベースが広がるわけだから、可能性は増しますよね。
土屋:僕の場合、前作の『PEEP』は200万ぐらいで作りましたが、その時の借金とかが諸々重なって、この8年間新作ができなかった。
想田:僕は『選挙』は第一作目だったので自分の貯金で作って、完成した作品を売って資金回収して、それをまた次の作品に投下するというサイクルでやってきています。
『Peace』の時は、制作してほしいと韓国の映画祭から依頼された。『精神』のときは、釜山国際映画祭の「アジアン・シネマ・ファンド」から応募しないかと誘われて、結局100万ぐらい資金提供を受けました。
土屋:なんで僕にはそういう話が一回も来ないんだ(笑)。
貯金や助成金で何とか作ったはいいけど回収できず、という悪循環に陥るパターンは多いから、想田さんが毎回、回収できてるのはすごいですよ。
想田:そのために相当コストを下げるというのがポイントなんです。続けていくには少なくともトントンにしないといけない。僕はプロデューサーも兼ねてるので、その辺はけっこう気を付けてます。
映画『タリウム少女の毒殺日記』より
土屋:僕も大金をかけて映画を作ってるわけじゃないんです。『新しい神様』なんて、僕の人件費はさておき、必要経費で言えば10万とか20万。だけど、配給宣伝に200万ぐらい使ってしまって、なかなか返ってこなかったし、最終的におそらくプラスは50万ぐらい。最初、1000万は儲かるんじゃないかと勝手に喜んでいたけど、全然違った。
想田:たとえば『選挙』について言うと、お金がかかったのは最初に買ったカメラや編集の機材費と、ホテル代、交通費ぐらいですね。編集も、音のミックスまで自分でやるし、英語字幕もネイティブ・チェックはしてもらいますが、基本的に自分でつけます。カットできるコストは全部カットするんです。カメラマンと一緒にやるとなると、コストは倍になって、だからこそ撮影期間も制限せざるをえなくなる。自分一人だったらいくら時間をかけてもいいわけですからね。
土屋:その間の生活を維持するコストは、前作で回収しているんですか。
想田:そうです。映画だけで回していくために、僕は1~2年に1本の割合で新作を発表することを目指しています。
ただし、どの映画も同じくらいの収益があるわけではなくて、作品によってまちまちですね。『選挙』は、BBCとかNHKとかアルテとか、33カ国のテレビ局が合同でやった民主主義シリーズというプロジェクトで、ワールドセールスをする会社に一括してテレビ放映権を売ったんです。その放映権が1000万ぐらいあって、その他にアメリカで売った放映権が400万ぐらい。だから、テレビだけで計1400万になりました。
まあ、普通の商業映画の世界ではこの程度の収益ではとてもやっていけませんけど、観察映画はもともとコストをかけてませんからね(笑)。その他、劇場公開や非劇場から入ってくる収入もあったので、インディー映画作家としての製作サイクルを確立していく資本金みたいなものはできた。すべての作品がうまくはいかないけど、赤字を出したことはないし、借金もない。『精神』なんかは劇場での観客動員が3万人あって、それだけで経済的に成り立つ数字になりました。
カミさんも製作補佐をしてくれてますけど、なかなか大変です。でも、作っている時は売ることは一切考えてないですよ。映画ができてから、どういう文脈に落とし込んでいくか、どういうアピールの仕方をするか考えるのが自分の方針です。作品そのものは絶対に妥協せずに作るけど、それを売るためにはあらゆることをやるわけですね。
(「創」2013年7月号より転載)
想田和弘 プロフィール
1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ卒。93年からニューヨーク在住。NHKなどのドキュメンタリー番組を40本以上手がけた後、台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。その第1弾『選挙』(2007年)は世界200カ国近くでTV放映され、米国でピーボディ賞を受賞。ベルリン国際映画祭へ正式招待されたほか、ベオグラード国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した。第2弾『精神』(2008年)は釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞、マイアミ国際映画祭で審査員特別賞、香港国際映画祭で優秀ドキュメンタリー賞、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で宗教を超えた審査員賞を獲得するなど、受賞多数。2010年9月には、『Peace』(観察映画番外編)を発表。韓国・非武装地帯ドキュメンタリー映画祭のオープニング作品に選ばれ、東京フィルメックスでは観客賞を受賞。香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を、ニヨン国際映画祭では、ブイエン&シャゴール賞を受賞した。2012年、劇作家・平田オリザ氏と青年団を映した最新作『演劇1』『演劇2』を劇場公開。著書に『精神病とモザイク』(中央法規出版)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs. 映画ードキュメンタリーは「虚構」を映せるか』(岩波書店)。共著に『原発、いのち、日本人』(集英社新書)等。
土屋豊 プロフィール
1966年生まれ。1990年頃からビデオアート作品の制作を開始する。同時期に、インディペンデント・メディアを使って社会変革を試みるメディア・アクティビズムに関わり始める。ビデオアクト・主宰/独立映画鍋・共同代表。
監督作品として『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?』(1997年)[山形国際ドキュメンタリー映画祭、台湾国際ドキュメンタリーフェスティバル等、正式出品]、『新しい神様』(1999年)[山形国際ドキュメンタリー映画祭にて国際批評家連盟賞特別賞受賞、ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭、ウィーン国際映画祭、台北金馬映画祭、全州国際映画祭等、正式出品]、『PEEP "TV" SHOW』(2003年)[ロッテルダム国際映画祭にて国際批評家連盟賞受賞、モントリオール国際ニューシネマ映画祭にて最優秀長編映画賞受賞、ハワイ国際映画祭にてNETPAC特別賞受賞、ミュンヘン映画祭、香港国際映画祭、ウィーン国際映画祭、オスロ国際映画祭、シカゴアンダーグラウンド映画祭、ブリスベン国際映画祭、バンコク国際映画祭、ローマ映画祭、全州国際映画祭等、正式出品多数] 、プロデュース作品として『遭難フリーター』(監督:岩淵弘樹/2007年)[山形国際ドキュメンタリー映画祭、香港国際映画祭等、正式出品]がある。
映画『選挙2』
7月6日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか緊急ロードショー!
舞台は、2011年4月の川崎市議会選挙。震災で実施が危ぶまれた、あの統一地方選挙だ。映画『選挙』(07年)では自民党の落下傘候補だった「山さん」こと山内和彦が、完全無所属で出馬した。スローガンは「脱原発」。自粛ムードと原発「安全」報道の中、候補者たちは原発問題を積極的に取り上げようとしない。小さな息子のいる山さんはその状況に怒りを感じ、急遽、立候補を決意したのだ。かつて小泉自民党の組織力と徹底的なドブ板戦で初当選した山さん。しかし、今度は違う。組織なし、カネなし、看板なし。準備もなし。選挙カーや事務所を使わず、タスキや握手も封印する豹変ぶりだ。ないないづくしの山さんに、果たして勝ち目は?
監督・製作・撮影・編集:想田和弘
製作補佐:柏木規与子
出演:山内和彦 他
配給・宣伝:東風
(2013年/日本・アメリカ/149分)
公式サイト:http://senkyo2.com/
前作『選挙』を6月29日(土)より同館にて特別上映
映画『タリウム少女の毒殺日記』
7月6日(土)より、渋谷アップリンクにて“観察”開始!
科学に異常な関心を示す≪タリウム少女≫は、蟻やハムスター、金魚など、様々な生物を観察・解剖し、その様子を動画日記としてYouTubeにアップすることが好きな高校生。彼女は動物だけでなく、アンチエイジングに明け暮れる母親までも実験対象とし、その母親に毒薬タリウムを少しずつ投与していく…。さらに彼女は、高校で壮絶なイジメにあう自分自身をも、一つの観察対象として冷徹なまなざしで観察していた。
「観察するぞ、観察するぞ…」
≪タリウム少女≫は、自らを取り囲む世界を飛び越えるために、新しい実験を始める。
監督・脚本・編集:土屋 豊(『新しい神様』、『PEEP "TV" SHOW』)
出演:倉持由香、渡辺真起子、古舘寛治、Takahashi
撮影:飯塚 諒
制作:太田信吾、岩淵弘樹
チーフ助監督: 江田剛士
エンディング曲・挿入歌:AA=
日本/2012年/カラー/HD/82分
配給:アップリンク/宣伝:Prima Stella/デザイン:TWELVE NINE
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/thallium
公式FACEBOOK:http://www.facebook.com/GFPBUNNY
公式twitter:https://twitter.com/GFPBUNNY
「創」2013年7月号
特集【映画界の徹底研究】
◆東宝/東映/松竹/ギャガ/アスミック・エース/ワーナー
二極分化が進む映画会社の現状と戦略 道田陽一
◆フジテレビ/日本テレビ/TBS/テレビ朝日/他
最大の製作会社テレビ局の映画事業 木村啓司
◆銀座/新宿/渋谷などの映画館をルポ
映画館の実情は今どうなっているのか 木村啓司
気鋭の監督が語る映画論
『リアル』自分の冒険的な部分を前面に
黒沢 清
『さよなら渓谷』答の出ないものを描きたい 大森立嗣
◆【対談】『タリウム少女の毒殺日記』『選挙2』
インディペンデント映画をどう撮るか 土屋 豊×想田和弘
【安倍政権のメディア戦略】
◆【座談会】安倍政権のメディア戦略とは
価格:680円
版型:208×146ミリ
発行:創出版
「創」公式HP
http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/
★購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。
イベント情報
webDICE presents 『タリウム少女の毒殺日記』公開記念トーク
「10年代の幸福論」
カルチャーサイトwebDICEと映画 『タリウム少女の毒殺日記』(7月6日公開)とのコラボレーション企画。注目の論客たちと土屋豊監督が「10年代の幸福論」について語る先行上映イベントを2夜にわたり開催。
企業や組織に属さない自由や、自らが属するコミュニティの中に価値を求めていく在り方など、「幸せ」の在り方が多様化し、変化を遂げている現代。土屋豊監督は新作『タリウム少女の毒殺日記』で、管理社会の窮屈さを自らのケータイのカメラで軽々と飛び越えていく女子高生の視点から、「システムと人間」「プログラムと生命」について新たな考察を加える。本作を題材に、注目の論客たちが2010年代における「幸福」とは何かを語る。
【PART1】2013年6月29日(土)
19:00開演『タリウム少女の毒殺日記』上映スタート/20:30トークスタート/22:00イベント終了予定
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
料金:予約・当日1,800円
出演:朝井麻由美(ライター・編集者)、土屋豊(『タリウム少女の毒殺日記』監督)
ご予約はこちら http://www.uplink.co.jp/event/2013/13282
【PART2】2013年7月4日(木)
19:00開演『タリウム少女の毒殺日記』上映スタート/20:30トークスタート/22:00イベント終了予定
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー
料金:予約・当日1,800円
出演:大澤真幸(社会学者)、土屋豊( 『タリウム少女の毒殺日記』監督)
ご予約はこちら http://www.uplink.co.jp/event/2013/13287
▼『選挙2』予告編
▼『タリウム少女の毒殺日記』予告編