骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2013-07-25 10:59


とがった主張をいれようと意識しているけど、間違えると炎上するから、バランスを意識してしまう

朝井麻由美さんと『タリウム少女の毒殺日記』土屋豊監督が語る「10年代の幸福論」
とがった主張をいれようと意識しているけど、間違えると炎上するから、バランスを意識してしまう
『タリウム少女の毒殺日記』トークイベントに登壇した朝井麻由美さん(左)と土屋豊監督(右)

現在渋谷アップリンクでロードショー上映中、8月3日(土)よりシネマート心斎橋で公開となる『タリウム少女の毒殺日記』。公開を記念して、「10年代の幸福論」をテーマにトーク付きの上映イベントが渋谷アップリンク・ファクトリーで開催。ライターの朝井麻由美さんと今作の土屋豊監督が登壇した。『女子校ルール』(中経出版)の取材などで若い世代の心理を捉える朝井さんと、最先端の科学技術への取材をもとに今作で次の時代の幸せのありかたを描こうとした土屋監督との対話を採録する。

「観察する」「観察される」機会が多すぎる(朝井)

朝井麻由美(以下、朝井):『タリウム少女の毒殺日記』を観て思ったのが、この映画のなかでタリウム少女は怪物として扱われているけれど、私には全然怪物とは思わなくて、むしろ共感する部分が大きかったです。チラシに書かれていた大学生のレビューで「眼差しに宿る虚無感に共感しました」とありましたが、私も同じ気持ちを持ちました。
また特に、今の若い人と作中の少女の共通点は、スマホですべてを見るということ。客観的に映画を見ていると、何でもスマホで動画を撮る少女は異様に見えますが、これ、今の時代誰でもやっていることですよね。私も、友人とお祭りに行った時にブログ用の写真を撮るために「こうして」ってポーズを頼んだら、友達から「すべてをブログに書く前提で行動してるよね」って言われたり、常にTwitterで何をつぶやくかをつい考えていたりします。

土屋豊監督(以下、土屋):それは普段接している同じ世代の人たちも同じ感覚だと思いますか?朝井さんがライターだからそのように感じたのでしょうか?

朝井:もちろん職業柄そういうことが私は特に多いですけれど、TwitterやSNSやブログってみんな日常的にやっていることですから、ライターだからというわけではないと思います。

あらかじめプログラムされた色で日々デジタルカメラに収められていく、あらかじめプログラムされたDNAを持つ生物たち、私たち。全てを改変・複製・削除可能な"モノ"として観察する彼女の、眼差しに宿る虚無感に共感しました。
─會川えりか(早稲田大学文学部生)

タリウム少女は決して私たちと遠い存在ではない。ましてや怪物などではない。少なからず私たち世代の若者の中に、影をひそめている。
この映画において、タリウム少女自身が怖い訳ではない。タリウム少女のあの熱のこもらない目を通して、タリウム少女と同じ視点で世界を観察してしまいそうになる自分に気付いてしまったとき、思わず身震いせずにはいられないのだ。
─三浦みなみ(早稲田大学文化構想学部生)

土屋:女子大生のコメントにもあるように、犯罪者としてのタリウム少女と自分も同じ目線でモノを見ているということに気づいて、怖いと思うお客さんが多いんです。スマホで見る感覚にも近いのかもしれないけど、コメントを寄せてくれた彼女はずっと生き辛さを感じていて、高校くらいのとき、生き延びるためにはどうすれば良いか考えた結果、自分をネタにしちゃえば良いんだと。苦しい私は今、第1章にいて、第2章になるとこういう変化があるはず、と突き放して考えればなんとか生きられると言っていたんですよ。とにかくネタ化する。それは今の朝井さんの、何かをすればブログに書く事ができるという風に世界を見ていく感覚に繋がっているみたいですね。

朝井:そうですね。他者だけでなく、自分すらも客観視するんですよね。『女子校ルール』のとき現役女子高生の取材をしたんですけど、驚くくらい顔の使い分けしているんですよ。当たり前のようにTwitterのアカウントを2~3個持っていて、このアカウントは鍵かけておく友達用、趣味は趣味で別のアカウントをとっていて、オープンにしているアカウントはフォロー数とフォロワー数が何百といる。そんなに当たり前のようにペルソナを使い分けているんだというのが印象的でした。 タリウム少女の言葉を借りれば、「観察する」「観される」機会が多すぎる。私も、これはリツイートされるかなと思ってツイートしたりしていて。考え無しにすべてを曝け出すと、いろんなところから突っ込まれるんじゃないかとか、まず考えてしまう。女子の世界で言うと、ちょっとおしゃれなカフェにいっただけでスイーツ(笑)っぽいって突っ込まれるなど、そういう水面下のディスり合いってけっこうあって。常に自己プロデュースしなくちゃいけない感覚。先ほどおっしゃっていた女子大生の生きづらさというのも、そういうところにあるのかなって思います。

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『タリウム少女の毒殺日記』より

土屋:でも、常に自己プロデュースすることができる視点を持たなくてはならないってこと自体が、僕からすると苦しいんじゃないかなって。

朝井:はい、苦しいですね(笑)。

土屋:そうした実情があるなかで、矛盾というか、なぜそんなに何個もペルソナを使い分けなくてはいけないんですか?

朝井:やっぱり今はSNSとかいっぱいあって、突っ込みが入ったり、内面を見られるんじゃないか、という機会が昔より圧倒的に多いですよね。コミュニケーションが対面だけじゃないから、タリウム少女のように傍観者ぶる。「私は分かってますよ」というエクスキューズをして、他人から突っ込まれても、実は分かっていたと言えるようにしておくというか。タリウム少女の「常に傍観者・観察者でいる」という姿勢、この描写を通して、痛いところつかれたと思いました。

土屋:年齢は違いますが、現在の同じ環境に生きている僕のなかにもそういう面はあるので、その複数の自分という点は作品づくりの中で意識しました。昔なら自分探しをして、それをこじらせたときには手首切りたいとか考えるんでしょうけれど、今はキャラクターが多重化している。デフォルトで自分は分散している。それは当たり前のことだから、それをポジティブに考えて進行させてみたらどうかって、この作品では考えたんです。

朝井:タリウム少女が最後、いままでの実験をやめて、違う方向の実験をはじめたのはそういうことですか?

土屋:そうですね。もっと自分を突き放して考えて、お母さんに毒を盛るのを止めて、自分を実験台にして、自分の体をメディアとして使い、光るという表現をすることで、自分を固定化せず改変可能と考えることで、バラけている自分がデフォルトであることを当たり前のこととして、プラスに考えることができるっていうイメージだった。

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『タリウム少女の毒殺日記』より

私はシステムの一部である、と考えることで楽になれる(土屋)

朝井:タリウム少女って既存のものから逃げたがっている、という印象があったんですけど、多重化するキャラクターでさえも既存のものになっていってしまう、ということなんでしょうか?

土屋:キャラクターも固定化するとシステムになってしまうじゃないですか。そうしたループをどう超えていくか、というイメージですね。

土屋:映画の中のタリウム少女はいじめられている苦しさから逃げるためというよりも、そのほうが楽だから傍観者になっています。実際のタリウム少女は、たとえばいじめなどに対して、いじめられている自分を傍観する視点で「狼はトナカイの群れを強くする」とブログで表現していました。狼はトナカイを食べてくれるから、トナカイは逃げ方を身につけたり、強さを身につけている。狼がいないとトナカイは弱くなる。だから、そういう意味で、いじめっこは必要で、私はそこにあるシステムの一部であると考える。そうすればそこで何も考えずにいることができ、楽でいられる、とタリウム少女は考えたんじゃないかと思ったんです。

朝井:辛いことあったから、「これは自分の役割なんだ」と思うパターンもあれば、何か事が起こっても平然としていられるように最初から俯瞰しているパターンもありますよね。

土屋:朝井さんは全体としてはタリウム少女に共感できたほう、ですよね?

朝井:そうですね。「観察者」であろうとする意識のほかには、感情論を交えないところも。映画では、無感情のタリウム少女、感情的な母親、と対になっていましたよね。私は感情論がすごく苦手なので、「食べる魚と見る魚は違うでしょ! 神様がそう決めたの」という言い方をする母親に対するタリウム少女の疑問はもっともだと思いましたし、そこを頭ごなしヒステリックに、「口答えするな」という母親の押さえつけも嫌でした。あ、もちろん、食べる魚と見る魚が違うことは分かっていますが、「なぜ違うのか?」という疑問を持つことは否定されちゃいけなよな、と。

土屋:あのお母さんの言う「違う」というのは、単に感情論です。そこで論理的に説明できないことに対して、タリウム少女は「もっと論理でいえるはず」と反発するんですけれど、その感覚についてどう思います?

朝井:普通の人が成長の過程で持ち続けてきた常識が欠けているから、タリウム少女はあのような「実験」をできる、というのを前提にしても、そういう気持ちになることはすごく理解できます。ただ、映画の中には、少女の実験という、“世の中的には些細なこと”から、クローン技術などの“世の中を巻き込んだ壮大なこと”まで描かれていますよね。どちらも、「倫理的にどうなのか?」という問題を孕んだことですが、クローンのような話が大きなことになってくると、じゃあそういう「実験」って全面的に正しいことかと言われると、そう簡単に答えが出せないジレンマがあります。

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『タリウム少女の毒殺日記』より

土屋:僕もiPS細胞などの話を聞くなかで、彼らの行なっている最先端の医療や科学技術について、このままいってどうなる?っていう意識も確かにあります。でも、これはやっちゃいけないんだ、ということを一度忘れて、じゃあ、なんでいけないって思うのか、尊厳的にだめとか生理的にだめ、というのは違うだろうと。実際なぜだめなのか、根本をきちんと考えたいという願望があったんですね。その気持ちをタリウム少女に代弁してもらったんです。その疑問を、より観客の皆さんに受け止めてもらうために、お母さんたちは登場するんです。

朝井:なんでいけないのか?という疑問の答えは、いま監督の中にありますか?

土屋:広くいえば、311の原発の事故があって、科学技術は暴走するもので、やっぱり自然がいちばん、エコだよねっていう風潮を感じるけれど、人間が科学技術で進化してきた歴史を僕はある種肯定的に捉えています。それを感情論でストップするのは違うと思っていて。実際に、病気のためにそうした科学技術の進歩を待っている人もいますよね。映画にもあるように、移植をするために豚の中で人間の臓器を作る技術を待っている患者もいる。

朝井:お話を聞いていて、漫画の『HUNTER×HUNTER』(集英社)を思い出しました。キメラアントという大きな蟻が人間を食べるようになり、主人公たちはキメラアントと戦う、という話が出てくるんですけど、結局キメラアントは繁栄・生存のために人間を食べているわけで、やっていることは人間と同じなんです。

土屋:人間もプログラムでできているなら、そのプログラムを改変してもいいという考え方もあるんじゃないか。そこに希望を見いだし、光るのが夢、という方法論も有りなんじゃないかと思っています。

成功しても叩かれるかも、だから複数アカウントを持つ(朝井)

土屋:少し話が戻りますが、今回トークのテーマがが「10年代の幸福論」ということで、SNSでいくつも顔を持っている若い子は、幸せなんでしょうか?

朝井:望んでやっているのか、仕方なくやっているのかによっても違うと思いますけど、いずれにせよ、そのほうが生きやすいから、と自分で自分を納得させないと、辛いですよね。

土屋:朝井さんが幸せだと感じるのはどんなときですか?

朝井:広いですね(笑)。……難しいですが、いっぱい寝ていられたらそれで幸せっていうレベルです。私、生命エネルギーが低いほうなので、なんかこう、起業とか、なんちゃら交流会みたいな、「自分たち成功してますし、これからもグイグイ上昇しますからー!」というオーラ全開な人が多い集まりに出ると、本当に疲れちゃうんです。

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映画『タリウム少女の毒殺日記』より

土屋:そのあたりが、今っぽいですよね。そんな頑張っても……みたいなエクスキューズがあるのってなんでなんでしょうか?

朝井:成功したら叩かれるんじゃないか、いや、成功“しすぎたら”叩かれるんじゃないか、と思うところは正直あります。 そういえば以前、3年くらい前ですが、「読者モデルになりたい子が増えている」という雑誌の特集の取材をしたんですよ。読モのトップって、女の子たちの間のスターで、そしてそこそこで結婚して引退(またはファッションブランドの立ち上げ等)、という流れなんです。一般人だけど、そこそこの成功を体験。素人だけど有名といった、生活をおびやかされない範囲での成功が欲しい、という風潮なんじゃないかって思います。どうせ頑張っても無駄、というとろこまでは悲観していないけれど、今ってネットで検索すれば、得意なことを持っている人は世の中にたくさんいることが分かる。自分の特技はコレだ、と思っても、それを上回る人がごまんといることが可視化されてしまう。だから、そこまで妄信できないんですよね、自分の力を。 でも、逆に言えば、だれもが「なんちゃって」をできやすい環境でもあるんですけど。ニコニコ動画などの表現の場があることで、なんちゃってアイドル。なんちゃってアーティストなどせまいコミュニティだけど、そのなかでアイドル的にあつかわれる土壌はある。

土屋:全部が全部じゃないけれど、インディペンデント映画の世界もそうで、映画ごっこがしたい、完成度の高いごっこができたら、それでいいっていう人もいて。たとえば、アップリンクで3週間自分の作品を上映して、3週間友達とかが大勢きてくれて満席になったらもう幸せみたいな。けれど、アップリンクで3週埋まってもたいしたことないですよ。そこで充足せずに、カンヌで賞を取った是枝さんは確かにすごいけど、俺のほうがもっと凄いとか、そういうふうに世界の映画祭まで考えて邁進するのが映画監督を目指すなら当たり前なんじゃないかって思うんですよ。

朝井:これを『タリウム少女~』に引き寄せて考えると、タリウム少女の感情のなさは、AKB48のセンターを彷彿とさせますよね。前田敦子さんにしても、新世代として推されている島崎遥香さんにしても、どっちも感情のない人形みたいで。前田さんにインタビューしたことがある人の話では、「前田敦子は空気人形みたいな印象だった」と。なんで自分がセンターなのか分からない、なんで自分がアイドルをやってるのか分からない、と淡々と語っていたそうです。低体温の子の方が、若い世代の共感を呼ぶんでしょうか。あと、つい最近、「CanCam」8月号の表紙に読者モデルの子が抜擢されていました。プロのモデルではなく読者モデルがカバーガールになるのは27年ぶりの快挙だと話題になっていたのですが、「福岡の普通の女子大生」というのを強調していたんです。あくまでも自分は普通の人だよ、と自分を下げておかなきゃいけないのかな、と印象的でした。

土屋:でも、そういう方法論もそのうち終わるのではないですかね。それこそ、そんな環境では、すごいユニークな人が出にくくなってしまいますよね。

朝井:そうですね……。何かを発信するときは、とがった主張を入れたほうがいいですが、出し方を間違えると炎上するから、バランス、さじ加減を意識するっていうのはありますよね。

土屋:あえて炎上させてっていうパターンもあるけど、うまくいかないときもありますし、いまは、一億総マーケティング社会という感じですね。

朝井:炎上をあえてさせている人は、割り切っているとは思います。マーケティングするってのは自己保身ですよね。傷ついてもいいっていうなら、やりたいようにやればいい。けれど、そういう人は少ない。

土屋:それってすごく退屈。そんな世の中つまらないですよ。多様性も何もなくて、同じようなものが出回る。傷ついてもいいから何かしたいって人が出てきて欲しいですね。

朝井:ジャンルは多様化したけれど、目標設定が低い、ということかなと思います。

土屋:みんな、心配しながら生きている気がして。例えば今、遺伝子診断はわりと安くできるようになっていて、「あなたは60代で腎臓がんになる可能性が何パーセント」とか診断できる。中国では、子供がどのくらい頭よくなるか、遺伝子診断できるといわれていて、そういう技術が普及したりしたら、どうなるんだろう?

朝井:「何でもかんでも知る」って幸せなことのか?って思います。もし、遺伝子診断がネットで検索できるようになる時代になったら、絶望しませんか? あなた30代でがんになる確率70%ですよ、なんていうのが検索で分かるようになった日には……。

土屋:でも、いずれでもそうなりますよ。

朝井:それは……知りたくない。見なきゃ良かった情報が見えてしまう時代になると、ますます自己保身になっていきますよ。
自分ががんになる確率が検索できたら、知りたくなくても、ついしちゃいますよね、きっと。こう、夜中にネットサーフィンをしていときなんかについ魔が差して。そして、それを他の人も検索できるシステムになるなら、もうすぐこの人は死ぬから雇わない、とか出てくる。ほかにも、結婚する予定の人を検索して40歳で大病を患いそうだから結婚しないとか、なりうる。それって正しいことなんでしょうか?

土屋:でも結婚するときに、将来性を考えてその人の勤務先を調べたりってしますよね。それと同じでは?

朝井:でも、会社調べるのとがんではちょっと違うと思います、あっ、でもこれ、「食べる魚と見る魚の違い」の話と同じか。

自分の足でたっていない怖さ、改造することについては、私は保守的です(朝井)

朝井:バーチャルリアリティと五感を絡めた最新の研究をSPA!で特集したんです。取材した中に、映像を観ながら旅行を体感できる研究があって。それが商品化したら、家でミラノの五感を体感できる。研究者は無邪気に「いい研究でしょう」と言うんですけれど、それが実現したら、楽しい、と同時に、リアルが侵される怖さを一般の人は持つんじゃないかなと。バーチャルとリアルが融合したら、自分の足で立っていない、自分がどこかにいってしまう怖さがある。

土屋:逆に僕は、もっとそういう技術は進んでほしいですね。経験を再現できるっていうことを経験したことがないから、ミラノを体験できるなら、ぼくは体験したい。それが僕にとっては退屈ではないということなんです。自分の足で立っていないとそれは現実的じゃないって思う理由はないはずなので。生理的に怖いのは分かります。それによって誰かをだましたりするように悪用されるのはいやだけど、自分でコントロールできるならやってみたいですね。固定観念をゼロにして、それのどこが悪いのか考えたいです。

朝井:もちろん、自分をコントロールできるなら私もやってみたいですが、それができなくなりそうっていう怖さがありません? コントロールで言えば、映画のラストでタリウム少女は自分を改造し始めます。これは、「自分で自分をコントロールする」という世界から一歩進んだ、言わば「コントロール外」へ行こうとしているんですよね。私は前半のタリウム少女には共感しましたけれど、後半は共感しませんでした。自分を改造することについては、私は保守的です。

土屋:自分は観察者であり、自分自身すら観察対象にする。そして次は、自分を実験対象にして自分自身をアクションさせる。『タリウム少女の毒殺日記』では、その変化を描きたかった。ラストでは、GPSを追い越せるはずないとわかっているけど、あえて越えられるかもしれないとチャレンジしてみる、そんな馬鹿みたいな希望を最後に入れたかったんです。

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映画『タリウム少女の毒殺日記」より

──(会場からの質問)この作品は世代論で語れると思います。世代別でどういう感想の違いがあるか知りたいです。

土屋:若い人は、タリウム少女への共感が多いです。若い20代の男性は「タリウム少女は人類の亜種である」そして「僕は亜種としての彼女とつきあいたい」と言ってました。逆に「ラストの彼女は亜種ではなくなるので、付き合いたくない」と。40代だと、いまの世の中のことを切って貼ってモザイク状にしただけで、それ以上のことはない、というインテリ風の感想もありました。あと、僕がお世話になった監督さんは、小学生の男の子に馬乗りになって唾を吐きかけるシーンでは、小学生の役の親御さんはちゃんと承諾したのかって心配していましたね(笑)。

朝井:あのシーンは、何か目覚めちゃわないのかと下世話にも思いました(笑)。で、承諾は……?(笑)

土屋:承諾いただいてます(笑)。

──(会場からの質問)自分はいない、ですとかアイデンティティがないという意識になってしまうのは、ネット上で検索するとなんでも出てきてしまうということが理由だと思うのですが、これは日本的な状況なのでしょうか、英語圏ですとまた違う状況であったりすのるのでしょうか?

朝井:先ほど土屋監督が発言していたように、今は一億総マーケティングの時代。でもこれって、かなり日本的ですよね。SNSの投稿内容を気にしたり、フォロワー数を気にしたり、というのは海外ではあまり見られない傾向、と聞いたことがあります。

土屋:まさに今日の議題ですよね。

──(会場からの質問)最近、自分のなかで価値観を変えられた、という出来事はありますか?

朝井:価値観……そうですね、一つは、『女子校ルール』の取材をしたときに、女子校のイメージが全然違うものだったって分かったことですね。世の中のイメージ=いじめありそうってなっていますよね。でも実際そこまでじゃなくて、いじめはあることはあるけれど、基本、本当に仲がいい。
それからもう一つは、今回の『タリウム少女の毒殺日記』を観たとき。これは、自分を客観的に見ることができ、スマホに振り回された生活が端から見たらこんなおかしいことだったんだって思いました。

──(会場からの質問)ニュースなどで報道されている国民の幸福度というのは、その人の人間関係や地域といったものをトータルで測る指標ですが、その一方で幸福ってすごく主観的なものだと思うんです。幸福って数値化して観察できるものなのか、と思うのですが?

土屋:幸せになるための条件の指標というのは出せるんじゃないでしょうか。結局実際的になにが幸せかっていえば、お金と健康ですかね。お金なくても幸せってのは絶対嘘ですね。

朝井:私も月収2万の時代もありました。そういうときって、お金のことしか考えられなかったです。

── (司会)では最後に、今日の対談を通してあらためて発見したことがあれば、お願いします。

土屋:締め付け、というよりも自主規制がどんどん激しくなっていて、この作品を外務省の人が映画を観ずに海外に紹介したいと思ったときに、映画を観た後「母親殺しの映画はちょっと、日本の代表としては……」と言われた。保険をかけている人生は嫌だな、それで安心するのを幸せとは思えない。そのせいでいろんなことがつまらなくなっていると思います。そういう世の中は嫌ですね。

朝井:私はこの映画を観て自分自身の矛盾を発見することができました。本来、土屋監督の言うところの、保険をかけていてつまらないような“役所的規制”は嫌いなのに、自分で自分に規制をかけていたんですね。

(2013年6月29日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて 構成:駒井憲嗣)



朝井麻由美 プロフィール

1986年東京生まれ、東京育ち。東京都立西高等学校、国際基督教大学教養学部教育学科卒業。SPA!、DIME、サイゾーなどで執筆。体当たり取材を得意とし、トレンドからサブカルチャー/女子カルチャー、グルメや雑貨まで幅広いジャンルを手がける。近著[構成担当]に『女子校ルール』(中経出版)。
https://twitter.com/moyomoyomoyo




【宮台真司さん登壇トークイベント開催!】
2013年7月27日(土)18:40の回、上映後トーク
トークゲスト:宮台真司さん(社会学者)、土屋豊監督
会場:渋谷アップリンク
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/reservation?date=624458

映画『タリウム少女の毒殺日記』
渋谷アップリンクにて上映中
8月3日(土)よりシネマート心斎橋にて公開

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/thallium
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▼『タリウム少女の毒殺日記』予告編



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