骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2014-11-07 15:00


ソーシャル化で映画の作り方や見方は変わるのか?七里圭監督の実験的試行

連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」第2期+『映画としての音楽』記録映像初上映
ソーシャル化で映画の作り方や見方は変わるのか?七里圭監督の実験的試行
『映画としての音楽』より

映画監督・七里圭によって主宰される連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」。今年2月の第1回開催以来、『B級ノワール論』などの著書がある映画批評家・吉田広明氏(第1回、第2回)や、『イメージの進行形』が記憶に新しい渡邊大輔氏(第2回)をゲストに招いて、映画について複数の角度から対話を重ねてきた。5月におこなわれた第3回では、音楽を中心とする批評活動とともに自身でも詩作を行う小沼純一氏と、七里監督作品の音楽を担当した池田拓実氏が登壇し、音と映画の関係をめぐって白熱した議論が展開された。

そして本講座の第2期がいよいよスタートする。今期ゲストとして迎えるのは、『ゴダール的方法』の平倉圭氏(第5回)と、国内外でアニメーション作品のキュレーターとして活動している土居伸彰氏(第6回)だ。第1期から引き続き、吉田氏も登壇する。第2期の初回となる11月15日は、第2期のゲストが勢ぞろいだけではなく、今年4月に行われた実験的ライブ上映『映画としての音楽』の記録映像の上映もおこなわれる予定。本作は音響への関心を絶えず持ち続けてきた七里監督が、きわめて斬新な方法を使って「音」へのアプローチを試みた作品だ。4月に行われたライブ以来、初の記録映像の公開となる。それぞれ大変強力な個性を持った4人から『映画としての音楽』についていったいどんな話が紡がれるのか、期待が膨らむ。

第5回・第6回にも今まで以上に刺激的な対話が予想される「映画以内、映画以後、映画辺境」。そもそもこの企画、七里監督が10年ほど前から抱いていたある「違和感」に端を発するという……。

今回webDICEでは七里監督と、第2期から企画から関わっている吉田広明氏が本講座の「これまで」と「これから」について語るインタビューを掲載する。

七里圭監督と吉田広明氏が語る、
連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」とは

──はじめに、連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」を始められた経緯について伺ってもよろしいでしょうか。

七里:個人的な話ですが、数年前に、脚本家としても活動していた親しい知人が突然亡くなる、ということを経験して、それ以来本当にうかうかしていると死んでしまうな、と思い始めたんです。作家としていままでやってきて、このあたりでひとつ、考え直す作業が必要な時期に来ているのではないかなと。一方で、10年前くらいからでしょうか、映画を巡る状況がなんだ知らないうちに変わってしまったような、漠然とした違和感を持っていたんです。

幸か不幸か、自分が映画製作を始めた頃はぎりぎりカチンコを使って撮影していた時代だったんですが、それはつまり、その後デジタル映画の最初期に立ち会った世代ということでもありました。実は、デジタルがでてきたときには、これでもういいのでは……(笑)と思ったくらいで。格段に効率がよくなるし、手間も省けるしということで、本当に一番最初の時期から興味を持ってデジタル機材を使っていました。もちろん使っているなかで、ある種の違和感が無かったわけではないんですが、便利さの方が先に立っていたと思います。今回、その時代まで思考を戻して、この何年かで感じていた違和感がなんだったのかということを、もう一度考えたいと思ったんです。

世紀末頃から、映画の「デジタル化」が叫ばれていたわけですが、気になっていたのは、作り方が変化する一方で、むしろ観る側の態度や感覚の方に大きな変化が起こっているのではないか、ということでした。映画というのが映像で何かを表現したり、現したりするものだとすれば、その「現す」ということ自体がなにか変容し始めているのではないかという……それが、僕が漠然と感じていた違和感の糸口になるのではないかと思っていました。

──作り手としても観る側としても、ともになにか漠然とした変化を感じていたということですね。吉田さんも、そういった感覚はお持ちでしたか。

吉田:僕は1回目に呼ばれて、その後第2回にも登壇したわけですが、僕自身は、デジタル世代をまさに生きている世代というわけではないと思っています。しかし、例えばDVDでの鑑賞をしていたり、また若い人の作品がなんだかダラダラとしているという違和感を持っていたり、そういう漠然とした感覚を共有はしていました。1回目は講座を続けていくにあたって、きっかけ作りというか、一緒に方向性を考えるというような感じもあり、そこから第2期に関しては全面的に関わることになっていったわけです。

七里、吉田
渋谷アップリンク「映画以内、映画以後、映画辺境」より、七里圭監督(左)と吉田広明氏(右)

──お二人にお聞きします。第1期では吉田さんの他、渡邊大輔さん、小沼純一さんと、それぞれ別の角度から映画について思考されているお二人が登壇されました。いま振り返ってみて、どのような感触をお持ちですか。

七里:自身で上映活動もやってきましたから、トークショーは何度も経験があったんですが、あれほど映画についてだけを長時間話すことはいままでになかったんです。そういう意味ではなにもかも初めての試みでした。第1回はだから、かなり話に脱線があったりとか、あまり全体としては上手くまとまらなかったかもしれません。ただ、各回とも書き起こしたテキストをみたときは、自分でも驚くほど刺激的だったんですよね。不慣れさみたいなものが、ライブ的な雰囲気を生んで、そこを楽しんでもらえたお客さんもいたようで、胸をなで下ろしたというところでしょうか。

吉田:僕も1人で講義をしたことはありましたが、対談という形式は実はあまり経験したことがなかった。しかもああいう大きな視点の話題だったので。第1回では、非常にいろいろな話題を用意していったので、どうにも話をし過ぎてしまったような……。

七里:いえ、そんなことなかったですよ。たとえば、吉田さんならノワール映画やB級映画についてと、専門分野をお持ちなので、そういった議論も展開して頂いてとても刺激的でした。僕の場合も、「映画」全般について話すのは本当に初めてのような体験だったのですが、その辺が逆にエキサイティングだったりはしましたね。

吉田:例えば、もっと別の方が相手だったら、そうですね……例えば大御所の年配の監督だったりしたら、遠慮してありふれた落としどころに落ち着いていたかもしれませんが、相手が七里さんだったので、ともかく今思っていることを言えるだけ率直に言えた。それが良かったなと思います。

七里、小沼、池田
渋谷アップリンク「映画以内、映画以後、映画辺境」より、七里監督(左)、小沼純一氏(中央)、池田拓実氏(右)

──第2回目は『イメージの進行形』の渡邉大輔さんを交えて、御三方での対談でした。ソーシャルメディアの時代をキーワードに、初音ミクと初期映画の比較上映などもあって、新鮮な対談だったと思います。

七里:未だに僕は、「ソーシャル化」という事態に違和感を持っているんですが、渡邊さんが仰っていた「もう後戻りはできない」っていう言葉は深く首肯すべきものだったと思います。仮に20世紀というのが「映画の時代」だったとすれば、21世紀は確実にそうはならない、それは本当にそうだなと。ではなんの時代になるのかということで、ソーシャルメディアと呼ばれるものについて考えなくてはいけないと思い、第2回があったわけですが。本当にある種の時代的な変化の最中にいることは、おそらく疑いようがないなと。

七里、渡邉、吉田
渋谷アップリンク「映画以内、映画以後、映画辺境」より、七里監督(左)、渡邉大輔氏(中央)、吉田広明氏(右)

吉田:一方で、ソーシャルメディアっていうのが結局なんなのか、という問題もあります。そこには、画面上で、音声、映像、テキストが複合的に存在しているという特性があるわけですが、個人的にはそれは、映画や小説というようなものとはかなり異なる性質のもので、単純に比較するべきことであるとも言えないのではないかとも思っています。

また一方で、19世紀が小説の時代だったとして、20世紀に優れた小説が生まれなかったわけではない。ですから今後も、状況が変わるにせよ、映画自体がなくなるわけではないはずですよね。私たちが考えるべき問題がなくなるわけではないだろうと。

七里:この講座の各回の内容は、僕の監督するときのスタイルと同様で、毎回やっていく中で決めていったんですが、実はこの講座を進める過程で決まっていったのが『映画としての音楽』のライブだったんです。ですから、ライブの内容に第2回の渡邊さんの話も非常に関わっているし、第3回ではそのライブ上映を小沼さんに検証して頂く、という意味合いも強くありました。

──第2期では、『映画としての音楽』の映像上映とともに、平倉氏と土居氏との間でさらに議論が拡張されると思います。どのような展望をお持ちですか?

七里:ひとつ見えてきたこととして、リアリティというものに関わる問題があります。黒沢清さんは、「『アバター』でどんなにリアルに物や人が落ちてくるのを見ても決して“あっ”とは思わないけれど、どんな陳腐な映画の中でも、人が落ちれば“あっ”と思う」という意味のことを仰っていました。僕はそこのところのリアリティをある程度信頼していると思うんですが、もしかしたらそれは我々の世代までの感覚なのかもしれない。そのあたりが、平倉さんとの対談や、土居さんとのアニメーションの話で深く掘りたいところだなと思っています。

映画の作り方や見方というのが、「表面的」には変わっていないけれど、本質的に、深いところで変わっているのではないか、そういう気がしているんです。スタイルや、制作過程の変化は実はそれほど変わっていないと言えるかもしれない、でもひょっとすると根本的な違いが生まれているのではないかと。そういった深い部分に関わる問題を、今後もこの講座で展開できれば面白いと思っています。

(取材協力:映画批評誌「MIRAGE」 写真:豊嶋希沙)



七里圭(映画監督) プロフィール

1967年生まれ。「のんきな姉さん」(2004)「ホッテントットエプロン-スケッチ」(2006)「眠り姫」(2007)「マリッジリング」(2007)、以上劇場公開長編映画。建築家・鈴木了二との短編「DUBHOUSE」(2012)が、2013年の25FPS国際映画祭でグランプリ。アクースモニウムなどの上映パフォーマンスにも取り組んでいる。

吉田広明(映画批評) プロフィール

1964年生まれ。著書に『B級ノワール論』、『亡命者たちのハリウッド』(共に作品社)。雑誌「キネマ旬報」、WEBサイト「映画の國」、劇場パンフレット等のメディアに時折寄稿。さらなる書下ろし書籍を執筆中だがいつ終わるか分からない。




連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」2nd
2014年11月15日(土)、11月27日(木)、12月14日(日)
渋谷アップリンク・ファクトリー、ROOM

表_PDF用

■第4回「映画は〈まがいもの〉である、ゆえに想像力を生むのだ/か?」
~映画を思考することと作ることのあいだで~

日時:11月15日(土)18:30開場/19:00開演
料金:2,000円

吉田広明(映画批評)、七里圭(映画監督)
ゲスト:平倉圭(芸術理論)、土居伸彰(アニメーション研究・評論)

連続講座1stシーズンの終局に上演されたライブ「映画としての音楽」の映画版を初公開。その作品の検証を通して、デジタル化やソーシャル化、はたまた映画とサウンドトラックの関係の変遷など切り口をスライドさせながら進めてきた前3回の講座内容を振り返ります。さらに、ゲストを交えて2ndシーズンの討議も展望します。
※上映に引き続いて講座を行います。

上映作品:『映画としての音楽』(2014年/56分/HD)
監督:七里圭
テキスト:日夏耿之介訳「院曲撒羅米」(オスカー・ワイルド作「サロメ」)
音楽:池田拓実、さとうじゅんこ、徳久ウィリアム、山崎阿弥、sei、山形育弘、古賀彰吾、今藤哲平、長宗我部陽子、飴屋法水 他

■第5回「サイボーグになった私たちのまなざしはイメージをどう捉えるか?」
~映画分析においてデジタル技術がもつ意味~

日時:11月27日(木)19:30開場/20:00開演
料金:1,200円

平倉圭 × 吉田広明 × 七里圭

ヒトの感覚と事物の関係を組み換え、記述されるべき細部を新たに発明するデジタル技術。ソーシャルメディアとは、サイボーグ化された私たちの身体の現実なのかもしれません。圧倒的な高解像度のゴダール分析で話題を呼んだ気鋭の研究者を迎え、『ソシアリスム』の解析からゴダールの外へ、私たちの現実を深く揺るがすような映画表現を求め、「具体例」を通して考えます。
※ゴダール他、「具体例」としての作品分析を実演します。

■第6回「現実はアニメーションであり、ヒトはアニメーションになりつつある?」
~世界認識のモデルとなるアニメーション表現の今~

日時:12月14日(日)18:00開場/18:30開演
料金:1,200円

土居伸彰 × 吉田広明 × 七里圭

私たちがリアルと考えている世界は実はひとつのフィクションに過ぎず、夢と現実、過去や未来といった秩序は、仮の常識に過ぎないのかもしれません。にわかには掴みがたい大きな流れが現実を席巻しつつあるなか、アニメーションは、実写では捉えきれず、描線によっても届かない何かを呼び込む霊媒(メディウム)として機能することで、その流れにアプローチしはじめています。アニメーションの最前線から、映画の現在を見直す試みです。
※参考作品のダイジェスト上映あり。

※第1期の対談をまとめたテキストが、当日会場で販売されます。

ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2014/32353

連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」2nd 公式HP
http://keishichiri.com/jp/events/lecture_eiga_2nd/


『映画としての音楽』
2014年11月15日(土)~11月21日(金)
渋谷アップリンクX

基本 CMYK

初日11月15日(土)のみ講座「映画以内、映画以後、映画辺境(第4回)」付き
料金:一律2,000円【11月16日(日)~11月21日(金)料金:一律1,500円】
※特別興行の為パスポート会員使用不可、サービスデー適応外
『映画としての音楽』(56分)、『To the light 2.1』(14分)
http://www.uplink.co.jp/movie/2014/32198

『映画としての音楽』公式HP
http://keishichiri.com/jp/events/eigatositeno-ongaku/


映画『眠り姫』
2014年11月8日(土)~11月15日(土)
渋谷アップリンクX

眠り姫

一般1,300円/学生・シニア1,100円/UPLINK会員1,000円
※特別興行の為パスポート会員使用不可、サービスデー適応外

監督・脚本・撮影:七里 圭
声:つぐみ、西島秀俊、山本浩司
原作:山本直樹
音楽:侘美秀俊
2007年/80分

http://www.uplink.co.jp/movie/2014/23881




▼『映画としての音楽』予告編

▼映画『眠り姫』予告編

キーワード:

七里圭 / 吉田広明 / 平倉圭 / 土居伸彰


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