骰子の眼

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2015-08-29 12:10


忘れっぽいこの国で、記憶を共有し、未来の社会を成すために

『首相官邸の前で』公開記念 小熊英二氏×高橋源一郎氏トーク
忘れっぽいこの国で、記憶を共有し、未来の社会を成すために
2015年8月5日に渋谷アップリンクで開催された映画『首相官邸の前で』先行プレミア上映アフタートークに登場した、監督の小熊英二氏(右)と作家の高橋源一郎氏(左)

福島第一原発事故後の東京で、政府の原発政策に抗議するために起こった巨大デモを記録したドキュメンタリー映画『首相官邸の前で』が、9月19日(土)から渋谷アップリンクほかにて全国順次公開される。

本作は、『単一民族神話の起源』『<民主>と<愛国>』『1968』などの著作で数々の賞を受けた、歴史社会学者の小熊英二氏による初映像監督作品である。

公開に先立ち、去る8月5日(水)に先行上映が開催され、アフタートークに小熊氏と作家の高橋源一郎氏が登場した。そのトークの模様を以下に掲載する。




「社会運動であろうがなかろうが、自発的に本気でやっているものが好きです」(小熊)



高橋源一郎(以下、高橋):今日は僕がインタビュアーになって、小熊さんに話を聞いていきたいと思います。小熊さんは非常に優れた学者ですが、映画制作については素人ですよね? だから、僕はこの映画を観る前、かなり不安でした(笑)。知り合いでもあるし、もしつまらなかったらどうしよう、と。つまらないと正直に伝えて友情が決裂しても困るし、試写会に行く前に悩んだんです。でも、観始めて10分ぐらいでホッとしました(笑)。とても良い映画だと思いましたし、本当に感銘を受けました。まず、この作品をいつの時点でなぜ作ろうと思われたのですか?

小熊英二(以下、小熊):2011~2012年当時から、これは絶対に記録しておかなければならないと思っていました。多分、数十年に一回しか起きない出来事だろうと感じたからです。10万単位の人々が国会前に押しかけたのは、日本の歴史だと1960年代以降なかったことです。1968年の全共闘運動はもっと小さい規模でしたし、同時代とその後の世界の歴史の中でも、これほど大規模かつ首相との対面にまで及んだ運動は他にありません。あれほどの原発事故が起きたのですから、あのくらいの運動がおきるのはある意味で当然というか、社会として健全な反応です。もっとも、原発事故は、何十年に一度どころか、もう二度と起きてほしくないですが。
 けれども、参加している当事者たちには、どうもその意識がないらしいし、さらにはマスメディアもこの運動についてまともに取りあげる様子がない。そこで私はまず、2013年に本[『原発を止める人々』文藝春秋刊]を編纂したのですが、それだけではどうもあの運動の規模や表情、存在感が伝わらないようだとわかった。そう思っていたとき、2014年初めにメキシコの大学で講義をした際に、メキシコの学生にインターネット上にあったデモの動画を見せたところ、映像だと伝わりやすいと気づきました。それで、2014年4月に帰国した時点から映画を作り始めました。

高橋:小熊さんはこの原発デモの観察者であるだけではなく、参加者でもあります。なぜこの原発デモに参加されていたのですか?

小熊:社会運動であろうがなかろうが、やむにやまれず自発的に、心底本気でやっているものは好きですね。英語でいうとspontaneous (自発的、内発的、自然発生的)ということでしょうか。逆に、内側から湧き出ているのではなくて、「誰かにいわれて」とか「社会運動をやらねばいけないから」といった感じのものは、参加しようとは思わないです。音楽の演奏でも、ルーティンで演奏しているものや、アメリカあたりにあるモデルをなぞっているなという感じのものと、「これは内発的だ」というものは、やはり違うでしょう。福島事故後の脱原発デモに関しては、本気であることがはっきりとわかったので、これはと思って参加していました。



映画『首相官邸の前で』より
映画『首相官邸の前で』より


映像の選択基準について



高橋:驚いたのはインタビュー映像以外が、ほとんど動画サイトから取ってきたものだということです。全編を同じクルーが撮っていると思えるくらい自然に感じました。これは小熊さんの編集の妙もあると思います。僕も以前、映像制作をしたことがあります。といってもアダルトビデオなので比較にはなりませんが(笑)、あまり経験がなかったので、既知の作品の流れを参考にしました。最初から動画サイトの映像を使おうと考えていたとのことですが、映画を作ろうと思うことと、実際にシナリオを作ることは別ものだと思います。作る前に成算はあったのですか?

小熊:成算というよりも、ビジョンが見えていたというか、いいものができる確信がありました。本を書くときも、それが見えていたら必ずできる。もちろん、思い描いていたものと多少違うものができることはあります。ただ最初から、ある程度以上の動画があることはわかっていたし、冒頭シーンの構成もすぐ思い浮かんだので、これはできると思いました。あとは動画投稿者に連絡をして映像を提供してもらったのですが、断られたのは一件だけなので、ほぼ理想に近い形で制作できました。

高橋:リストアップした動画の総時間はどのくらいですか?

小熊:総計は数えていませんが、使おうと思って抜粋した動画をいったん組み立てたら約5時間になり、それを大幅に削り1時間にしました。それから8人のインタビューを撮って足してみたら約7時間になり、それをまた削って、という作業です。何年何月何日にこういうデモがあった、というようなことはほとんど参加して知っていましたから、動画の見当をつけるのに苦労はなかった。また私が参加していたのは、動画の投稿者の方々もけっこう知っていて、それで協力してくれたようです。

高橋:小熊さんがたくさんの資料にあたるのは、小熊さんの本の読者ならご存知だと思いますが、この映画もエンドロールのリストの数に唖然としますよね。インタビューには男女各4人が登場しますが、あの8人を選んだ基準はなんですか?

小熊:今でも活動を続けていて、毎週金曜日に官邸前に集まっている人が大部分です。たいてい知り合いなので、金曜の夜に官邸前で依頼しました。あとはできるだけバリエーションをつけて、首相からアナーキストまで、福島出身者からオランダ出身者まで、社長から店員まで、というように階層と出身地と政治的趣向を分け、男女半々にすることは意識していましたね。

高橋:最初に小熊さんが仰っていたように、記録としての要素がこの映画を作った第一の理由だと思うのですが、僕はそれ以上のものを感じました。シナリオに従って映像やインタビューを編集する際、記録をすること以外に気をつけた点はありますか?

小熊:やはり映像として力強いものを選ぶのが、一番の基準でした。一つ一つの場面が弱いと、すぐに緊張感がなくなって飽きてしまうし、総合的に作品として強くなりませんから。もちろん、部分的には説明のために差し込んだ映像もありますが、ほとんどは「これは映像として力強い」というものを優先しました。インタビューも、その人の素の部分が見えた、と感じた部分だけをつなぎ合わせていくことは意識しました。インタビューをしたときは、「震災の時はどうしていましたか」とか「そのあとどうしましたか」といった質問を時系列的に聞いていって、その時点の表情にもどってもらい、その表情を撮ることを心がけました。



映画『首相官邸の前で』より
映画『首相官邸の前で』より


「クールだけれどエモーションが伝わってくる映画です」(高橋)



高橋:前半部分は音楽もなく映像の選択の仕方も禁欲的だったのに、終盤に近づくにつれエモーショナルになっていき、最後には観ている側の感情を解放させるような作り方になっていると感じました。それは意図的なのか、もしくはそうせざるを得なかったのでしょうか?

小熊:ある程度以上、編集をしていくと、「映像がどの方向に行きたがっているのか」がわかってきます。私が一定のメッセージを決めて、すべての方向性を決めるような作り方では、作品に本当の力は出ません。映像の一つ一つの瞬間を、それが行きたがっている方向に、できるだけうまくつなぎ合わせていった、という感じでしょうか。

高橋:つまり映像が要請し、小熊さんは映像の召使いだったと?

小熊:その感覚に近いと思います。それに逆らうと、いいものはできません。少なくとも、私の場合はそうですね。

高橋:僕は小熊さんの著書に、クールヘッドかつウォームハートという印象を抱いています(笑)。そのエモーショナルな部分は直接には「あとがき」などにしか出てきませんが、この映画も非常にクールでフェアなドキュメントでありながら、終わりのあとがき的なところに、禁欲的にとどまらない小熊英二らしさを感じました。ところで、この映画をどう自己評価しますか? 僕もそうですが、自分が書いたものも、書き終えて離れてしまえば客観的に見ることができますよね。

小熊:第一に、私にはこれ以上できないところまでやりました。それは普段、本を書くときも同じです。客観的にいえば、出来も相当いいと思っています。それは自分が作ったからというより、集められた映像がとても力強いものばかりあること、そういう素材を活かすことを心がけたこと、そしてある時点からは作品が自動的に完成に向かって動いていったことからです。そういう流れの感覚が作っている最中にあれば、うまくいっている証拠です。そして、それを適切な時間と配列に、まとめることができたとも思っています。もちろん観る人の関心のあり方などによって、受け止め方や好みはあると思いますが、客観的に観てもある一定線以上は達していると思います。

高橋:制作者はコントロールできない部分も含めて全部見ているので、僕は作品の評価は、作った本人に聞くのが一番正確だと思っています。さて、制作者あるいは監督という立場から離れて、この映画が2015年の今、世に出る意味はどんなところにあると思われますか?

小熊:2015年という年にこだわりがあったわけではありませんが、とにかくこれほどのことがあったのに忘れ去られるのは許しがたい、人々の記憶に残る形で提示せねばならないと思っていました。
 ものごとはきちんと認識しないと、現実として受け止められませんし、受け止めないと次に進めない。原発事故が起こった当時、専門家も含めて、何が起きていたのかわかっていた人は、ほとんどいなかったと思います。あまりにも巨大なことが起きると、人は何が起きているのか認識できないものです。だから2012年に国会前や官邸前に人が溢れたときにも、「溢れた」という現象はわかっていても、「それが一体何なのか」が見えていた人はあまりいなかったのでしょう。それが、報道もあまりされず、社会的記憶として残りにくかった理由だと思います。
 私は歴史を研究し、国際的な様々な事例を知っていましたから、何が起きているのかはわかりました。だから、これは一つの社会において、数十年に一回くらいしか起きないことであり、絶対にある種の形で記録し、提示しなければいけないと思いました。そうしなければ、事実の断片は現実を構成せずに、忘れ去られていってしまうからです。そして現実が認識され、記憶として構成されなければ、人間は社会的に未来を作ることができないですから。



映画『首相官邸の前で』より
映画『首相官邸の前で』より


なぜ、記録をするのか?



高橋:仰るように大きな事件が起きたとき、人は何が起きたのかよくわからないものですよね。今、原発事故の話をされましたが、戦争もそうです。まさに戦争の中に放り込まれると、自分がどこで何をしているのかわからない。そういう意味では原発事故も一種の戦争なのかもしれない。そのようなときに、記録をするという行為があります。
 僕は大岡昇平の『野火』という小説が大変好きです。戦争小説の傑作とよく言われますが、非常に変わった小説です。一概には言えませんが、戦争小説というのはドキュメンタリーに近くなることがあります。僕も小説家なのでわかるのですが、『野火』は言葉や風景をどうしようかということを考えていません。そこにいた人間が見たものだけで全編を構成していて、それに関する判断は保留している。カメラのようになって戦場をさまよう小説です。
 塚本晋也監督の『野火』も原作に忠実です。記録をすることに取り付かれているような映画です。小熊さんの映画も、非常にクールに進んでいくのですが、とにかく記録しなければいけない、伝えなくてはいけない、というエモーションが伝わってきます。そもそも記録することの意味はなんでしょう? 映画監督として、学者として、記録という行為についてどうお考えですか?

小熊:実際に起こった現象を、縮約して伝える媒体というのは、文字にせよ映像せよ、所詮は不完全です。文字は文字の特性、映像は映像の特性がありますから、文字より映像に適した表現というのはあり、だから今回は映像を選んだわけですが、それにしたところで起きたことすべてを記録できるわけではない。また起きたことすべてを記録しても、縮約して提示しなければ伝わらないし、現実も構成しない。
 だから、表現をする場合には、どういう形で提示して、どのように受け止められるかを考えなければいけない。その場合、例えば「悲惨だ」とか「勇ましい」とか「すごい」とかいった言葉は、使わない方がいいと思っています。使うと、その言葉に寄りかかってしまい、それで表現できたような気分になって、たちまち曖昧になってしまう上に、受け手の想像力を限定してしまう。感傷的な音楽も、安易に使うと同じことになります。
 だから私は、著作では、できるだけ強い言葉を過去から拾ってきて繋ぎ合わせ、自分は「てにをは」以外の言葉はなるべく挟み込まないようにします。映画に関してもそれは同じで、同時代の強い映像と、インタビューから撮れた強い映像を、繋ぎ合わせる以上のことはしたくありませんでした。
 ですから、「記録しておかなければいけないと思った」という観点とは別に、表現者としての観点からは、できるだけ素材を配列する以上のことをやりたくなかった。それが結果として、「記録映画」という形になっているということです。

高橋:もう一つ、なぜ記録するのか、記録する側は何を期待しているのか、という問題について小熊さんにお訊きします。大岡昇平の『野火』は、地獄のような情景をさまよう兵士のカメラアイで描かれていますが、そこにどんな意味があるのかは書いていない。僕たちは何の意味もなく記録を残しません。誰かに見せるために記録します。では、誰に見せたいのか。『野火』では神と対峙します。つまり、記録を証拠として裁き主の前に提出するという意識があったのではないかと、僕は『野火』を解釈しています。記録をする行為には、「この問題はこの時代では解決できず、君たちの時代にも未解決のまま残るかもれしれないが、少なくとも証拠を残しておく」といった意味があるのではないかと思うのです。小熊さんはどう考えますか?

小熊:それに近い感覚は、あったかもしれません。この映画に関して言えば、人々がこれほど真摯にやっていた姿を、きちんと後世の人に証拠として残しておくべきだ、という感覚はありました。
 その一方で、これは私が宗教学者ではなく社会学者である所以かもしれませんが、提出する相手を神とは考えていない。あえていえば、提出する相手は社会でしょう。
 ただし、社会は神と違って、あらかじめ存在するものではない。社会というのは、ある種の記憶の共有をした人間によって作られるものです。逆にいうと、共有された記憶がないと、社会は形成されない。アリストテレスの昔から、歴史のない民は社会(ポリス)を成さない、歴史があるか否かが人間と動物の違いである、と言われています。
 つまり何かが記憶され、「こんな現実があったんだ」と認識すると、それが記憶を構成し、「こんな過去がある『私たち』は今何をしているのだろう、これからどうするのだろう」というふうに、現在や未来を構成する。それが「社会を構成する」ということです。
 だから私が考えたことは、この記録を社会に提示することだった。その社会は、日本社会であってもいいし、世界に散在している社会運動のサークルなんかでもいいのですが、そういう社会を対象に考えていました。またそこで共感を呼んだり、いろいろな議論を喚起することによって、映画が社会を構成するという効果もあるだろうと思います。
 それは日本社会でなくてもいいし、運動の社会でなくてもいい。たとえば、あるロシア人の学者がこの映画を観て、ロシアで反プーチン独裁の運動をやっている人たちも似たような状況にあるから、彼らが観たらとても元気づけられるだろうと言われました。そういうふうに観られるのは、私としては予想外でしたが、そういう観方をしてくれる人がロシアにいれば、この映画を観た日本の人と話ができる。あるいは、インターネットを使った新しい芸術表現を模索している人と、社会運動の人が、話ができるかもしれない。
 それはつまり、それまでなかった社会を構成する、共通の記憶を共有する、ということです。それがどういう政治的な効果をもたらすかは、私が制御できることではないし、予測もできませんが、そういうことは期待しています。



映画『首相官邸の前で』より
映画『首相官邸の前で』より


記録は共有されることによって記憶になる



高橋:僕は、記録が持つ意味はもう一つあるのではないかと考えます。ご存知のように、私たちのこの国の人々は忘れやすい。忘れやすいことの結果として、何が起こっても誰も責任をとらず、社会がそれを追認しているかのごとく見えます。つまり、記録とは、現実の問題を忘れないためにする意味もあるのでは?

小熊:率直に言うと、作っている最中はそのようなことは考えていませんでした。特定の政治的効果を期待するよりは、きちんと作ろうという意識の方が強かったです。
 しかし、記憶が共有され、人々が社会を成すと、呼び出す声が聞こえるわけです。つまり、「こういうことがあったのに、私たちは何をしているのか」という声が聞こえてくる。そうなると、それに対し応答(レスポンス)しなければならない、という動きがおきる。それが、その社会における責任(レスポンシビリティ)です。
 だから、すべて忘れていくことと、レスポンスしないことは同じことです。それは一言でいえば、歴史のない民ということであり、社会を成していないということです。アリストテレスにいわせれば、歴史のない民は動物と変わらない野蛮人で、公共の討議の空間であるポリスを持たない。
 ですが現実には、「日本社会」と呼べるほどのものがあったのかと言えば、私の見方では多分なかった。そしてこれは、日本に限ったことではありません。例えば、現在ではインターネットやSNSが普及して、皆が忘れっぽくなったといいます。要するに、記憶を共有する範囲が小さくなるので、個々の情報なり現象なりがあっても、それが長く共有されることがない。その結果、社会を構成する前に全部消えていってしまう。
 そういう状態には、人間は耐えられるものではない。なぜかといえば、それは自分が死のうがどうしようが、誰も自分の存在を覚えていないという状態です。そして共通の記憶がないから、何が正しいのかもわからないし、何をしたらいいのかもわからない。会社だの家族だのが「社会」として機能していた時代は、よけいな「正義」なんかいらないんだ、日常に帰ればいいんだ、とか言っていられましたが、いまはそうもいかない。
 そういう意味で、いまは日本にかぎらず、共通の記憶が残りにくい時代です。しかし一方で人間は、ただ生きている「労働する動物」の状態には、耐えられないものです。だからこそ、共有の記憶として残していかなくてはいけないという意識も、潜在的にはあるだろうと思いますね。

高橋:僕もその思いは深く共感するところです。僕たちの社会は、どんな事件も共有されないまま、悪い意味での過去になってしまいます。実は小熊さんは、この映画の制作と同時に、お父様へのインタビューをずっとされて『生きて帰ってきた男』[岩波新書刊]という著書を仕上げられました。この2つの仕事は小熊さんの中で、どのように繋がっていたのでしょうか?

小熊:あえて共通するだろう部分を挙げれば、拾われなかった、記録されなかった声を記録することでしょうか。
 この映画で描いた運動が、なぜマスメディアの網に引っ掛からなかったのかというと、共産党や社民党や新左翼がやっている運動ではなかったので、記者クラブをはじめとした既存のネットワークに情報が回ってこなかったのが一因です。おそらく記者たちは、デモの主催者と人脈がなく、誰に聞けばいいのかわからなかった。また直接取材に来た記者がいても、デスクや整理部が、「政党や労組がやっているのでなければニュースにならない」という態度をとったことも想像できます。
 これは60年安保も同じで、東大の全学連主流派の動きと、政党や労組の動きは記録さていますが、それ以外の一般の人々がどういう動きをしていたのか、いまとなってはほとんどわからない。また全共闘運動がなぜあれほど記録に残っているかというと、東大で起きたからですよ。東大だったからこそマスメディアも注目したし、その後に書き残す人も多かった。東大でおきなかったら、あれほど大事件とは記憶されなかったでしょう。
 つまり、社会の上層の人間や、農協や労働組合などの組織は、社会に認知されたエスタブリッシュメント(確立されたもの)だから、そこに関係した動きは残りやすい。そうでないものは、数が多くても認知されにくいし、残りにくい。マスメディアにとっては、この映画で描かれているような動きは、どこからともなく集まってきた人々をどう取り上げていいのかわからないで、「あれはいったいなんだ」と思っているうちに何となく通り過ぎてしまったという印象なのでしょう。



映画『首相官邸の前で』より
映画『首相官邸の前で』より


現在の安保法制デモについて



高橋:メディアが理解できるものを取り上げているうちに、名付けられないものは後回しにされ、結局、忘れ去られていくということですね。原発事故の後に特定秘密保護法案、そして今回の安保法制という流れで、国会前はSEALDsという学生を中心にしたデモが繰り広げられています。偶然、私は彼らの主要メンバーを知っているのですが、一番多いタイプは、高校生のときに2011〜2012年の反原発デモの周りで見ていた子ですね。原発デモは意外なところで社会に波及効果を生んでいたのですね。つまり、若い世代の政治やデモに対する不安感や恐怖感を消してしまったのです。反原発デモの次の世代が育ってきているように思うのですが、それについてはどう思いますか?

小熊:SEALDsの人たちの活動は、2年前くらいから見ていました。客観的にみれば、彼らの活動は、2011年以降の4年間の蓄積の結果です。まずSEALDsの人たち自身が、2011年以降の脱原発運動をみていて、ああいう行動を自然と思う感覚を中高生のころから育んでいた。またそれ以上に、何かあったら国会前の歩道に集まることが、2012年以降は当然と考えられるようになった。
 「官邸や国会の前の歩道に集まって叫ぶ」というのは、2012年以降の日本で、自然発生的にできた政治文化です。歩道に立ったまま叫ぶデモンストレーションは、私の知る限り他にはない政治文化ですよ。
 ヨーロッパ諸国では、大通りを行進するか、教会のある中央広場に集まります。日本にはそういう広場がない、だから社会運動が育たないんだと言われていました。しかし私が驚いたのは、2012年の日本の人々が、ほんらい広場になるはずのない場所を、強引に広場にしてしまったことです。
 映画でも描かれていますが、いちどは新宿駅前を広場にしようとし、それが警察の規制でだめになった。そのあと、官邸前という場所に集まり、広場にしてしまった。あそこは本当に殺風景な官庁街で、ほんらい広場になるような場所ではない。それを強引に広場に変えたのは、本当に人間の力だとしか言いようがない。人間の想像力というか創造力というか、とにかくすごいものだなと思いました。当人たちにそういう自覚がないまま、世界のどこにもない現象を実現しているところも、すごいなと思いましたが。
 またマスメディアも、いくらか変化しましたね。2012年夏に、官邸前の抗議を取り上げざるを得なくなったときは、「なぜ来たんですか?」とか「デモで社会を変えられると思いますか?」とかいう質問をしているメディアのレポーターをみかけました。あんな原発事故があったんだから怒って来るに決まってるじゃないか、変えられると思うか思わないかなんて関係ないだろう、逆にあれだけのことが起きて誰も来なかったらその理由を説明したらどうだ、と思いましたけれど。そんな質問をするのは、日本で大規模なデモが起こるわけがない、という固定観念に縛られていたからでしょう。しかし、最近はそういう質問はしなくなったようです。4年間の蓄積によって、マスメディアの中でもいろいろな化学変化が起きてくるんだなと、見ていて思います。



映画『首相官邸の前で』より
映画『首相官邸の前で』より


不当なことを見抜く直覚力を失わないために



高橋:マスメディアも学習効果か、今は一生懸命、取材しようとしていますね。今年も8月になって多くのメディアで、「戦後70年特集」が扱われています。もちろん「70年」がいろいろな意味での節目であり、一番大きいのは戦争経験者がほぼ姿を消すこと。先の戦争経験者の直の声が聞こえる最後の機会です。それと社会を作る運動が繋がろうとしているのは、とてもいいことだと思います。今の運動は憲法問題に集中していますが、小熊さんも仰ったとおり、立憲主義が政治テーマになるのは、世界的にめずらしいですね。今、浮上しているこの問題と、現在も継続している原発デモとの関係について、どのように考えていらっしゃいますか?

小熊:「関係」というのはいろいろありますが、まず主催者のレベルでいうと、脱原発の官邸前抗議をやっている首都圏反原発連合は、SEALDsの人たちに、機材を貸したりしていたようです。中心になっている人脈は重なっていないですが、周辺の手伝いの人たちはけっこう重なっていて、過去数年間の経験を活かして協力しています。参加者のレベルになると、さらに重なっているでしょう。
 安保法制に人が集まるか、脱原発のほうに人が集まるかといったことは、競合するという見方をする人もいるかもしれませんが、私はそう考えません。政治的効果というのは、有機的なもので、何がどう影響するかわからないからです。例えば、国立競技場の問題に抗議していた人たちは、安保法制よりもこっちに関心を向けてくれと思っていたかもしれません。ところが、安保法制の問題でたくさん抗議が起きたら、国立競技場の方が動いてしまった。政治と大衆運動の関係というのはそういう有機的なもので、ゲームのように一対一対応では動いていないものです。
 またもう一つは、いろいろテーマは移り替わっていますが、近年の運動に共通する底流は同じだということです。それは、政治不信と代議制民主主義の機能不全です。例えばSEALDsの人たちが主催する国会前抗議では、「民主主義ってなんだ」「勝手に決めるな」というスローガンが叫ばれていて、私の見たところ、そっちの方が「憲法を守れ」とか「安保法制反対」より多い。つまり人々は「安保法制反対」や「憲法を守れ」ということを通じて、「あの政治のやり方はないだろう」と表現しているのだと思います。ただこれは、今に始まったことではなく、60年安保の時もそうでした。「安保反対」より「岸を倒せ」の声のほうが、大きかったわけですからね。
 ただ、原発事故直後の運動に関しては、それを通じて政治不信を表現するという要素もあったけれど、ほとんど生物学的な反応としての恐怖や怒りという部分も大きかったと思います。だからこそ、私としては、これほど自然発生的な運動はないと感じました。

高橋:運動としては特殊だったわけですね。

小熊:私が見てきた中でいえばそうです。またこれなら、映画にした時に、外国人にとってもわかりやすいだろうなと思いました。率直に言って、外国の人に、日本で安保法制に反対する人がなぜ多いのかを説明するのは、手間のかかることです。日本の戦後70年の歴史を説明し、日本社会で共有されているコンテクストをわかってもらわなければならないからです。しかしこの映画の場合は、あんな事故があって、これほどの恐怖があって、というところから描けば、誰が観てもわかる内容ですからね。

高橋:小熊さんが仰ったように、今、抗議が起こっている理由は、恣意的に政治がされていて主権者の意思が無視されていることに尽きると思います。政治的・社会的な問題を忘れてしまう日本人でも、ここまでされると怒りますよね。60年安保の時もそうでした。戦後70年の8月でもありますが、今のこの状況を社会学者・小熊英二としてどう考えていますか?

小熊:日本社会の状況全般については、懸念しています。経済状態が良くないのとあいまって、社会全体、あるいは政党政治全体が衰弱してきている。安倍晋三という一人の人物がどうこう、という次元の問題ではない。そちらのほうは、学者としていろいろ調べ、『平成史』といった著作を書いています。
 しかし一方で、だからこそ、この映画は作らなければいけないと思いました。つまり、日本社会はほんの数年前に、これほど真摯な動きをしたことがあるという事実を、記録しておくべきだと思ったからです。それを記録しておけば、もっと状況が悪くなったときに、足場にできる記憶が残りますから。
 「主権者の意思」という言葉が出ましたけれど、私は「国民主権」とか「民主主義」とかを、形式として絶対のものだとは思っていない。それより重要なことは、ある種の直覚力です。「主権者」という言葉の原語は「sovereignty」ですから、「至高のもの」ものという意味です。「至高のもの」が汚されるのは許せない、という感覚が人間にはある。それは、「これは明らかに間違っている」と直覚する力でもあります。法案の説明がどうであろうと、「これは間違っている」と直覚する力は、私は信頼すべきだと思います。
 しかしそういう直覚力は、ほうっておくと衰えていく。それを鈍らせないためには、直覚力を発揮するようにすること、それから発揮されている場面をみて「これが直覚力というものか」と感得することです。この映画には、人間がほんとうに「これは不当だ」と思ったものに対し、声を上げる場面が映像として記録されている。だから、それを観ることで、「こういうものが『不当なものに抗議する』ということなんだ」と感得してもらう、ということも考えていました。それは、形式的に民主主義や社会運動がどうこう、ということとは別次元のことです。

高橋:それでは最後に、僕はこの映画が多くの人に観られることを期待していますし、この貴重な記録を記憶するようにしていきたいと思います。

小熊:最後に一言だけ。記録というのは、共有されることによって、はじめて記憶になるものです。ただ資料庫にポンと放り込んでおいても、記憶になりません。ですから、できるだけ多くの人に観てもらいたい、そして話し合ってもらいたいです。



27.19.11
映画『首相官邸の前で』より


観客からの質問

官邸前の原発デモは、そもそも福島の事故があって起きているわけですが、渦中である福島では、こういう頼もしい動きはほとんどありません。僕は東京出身ですが福島に3年ほど住んでいたので、デモが福島に波及していないことに、忸怩たる思いを感じています。お二人はこのことをどう思われますか?


高橋:僕は福島の状況に詳しいわけではありませんが、一つは福島が抱えている問題と、この官邸前デモが訴えた問題とは、位相が違ったんだと思います。 官邸前デモは、原発を日本社会が抱える問題として起こった政治運動で、福島の人たちが抱えているのは、また別の問題になるんだと思います。同じような問題でも、地方や年代によって統一したスローガンにはならないし、違った形態になったりしますよね。逆に、中央に指令組織がないからこういう形になったとも言えます。

小熊:私はこの映画で描いた動きは、射能が降ってきて怒った東京の人たちが、自発的に始めた運動だったと思っています。もちろん福島の人たちや、日本全体のことを考えていたにせよ、いわば東京地元住民の運動という側面があったと思う。
 この映画は、そういう運動を題材にしながら、東京住民にとどまらない、人間の普遍的な姿を描いたつもりです。しかしそうはいっても、彼らが地理的に東京に住んでいたことと、「東京」と呼ばれるところに政治の中枢があることは、区別して考えた方がいい。
 たとえば、これが群馬県で起きた運動だったとしたら、おっしゃるような質問は出ないと思うんです。たまたま地理的に東京に住んでいた人たちの運動を、他の地域の人の動向を評価する基準にする必要はない。また彼らは一般の人間ですから、政治の中枢が決定したことに責任を負う度合いが、他の地域の住民より高いわけではありません。
 それを踏まえていえば、福島の人たちは何をすべきかについては、私が言うべきことではないでしょう。それぞれの地域で、状況が違いますからね。東京の人たちと、同じやり方である必要はないと思います。
 歴史家として言うと、広島から運動が出てくるには、10年近くかかりました。その一因は、傷が深かったからです。では、福島でも時間がかかるのか、10年後には何かが起きているのかと言われれば、それはわかりません。これは福島の人々――といってももちろん福島の内部も多様ですが――が決めることです。

高橋:かつて政治運動をやってきた身から付け加えると、「正しさの正しくなさ」という問題があります。具体的な例を挙げれば、全共闘運動は教育システムの改革反対から大学の中ではじまった。やがて、こんなことだけでは解決しないから、文科省に文句を言おうとなった。次に、文科省に言っても意味がないから政府に抗議しようとなった。で、政府に抗議するより、選挙をやれ、あるいは地域住民と連帯しろとなった。すると、こんなことよりベトナム戦争はどうなんだ、ということになった。ベトナム戦争に反対すると、ミャンマーはどうなんだとなった(笑)。スローガンを書いていったら100個ぐらいになった。
 困ったことに、文句を言っている人は正しいんですよ。でも正しさを100個集めたら、身動きがとれなくなった。だから、極端なことを言うと、一人が1個、自分にもっとも関心のあることをやればいいんじゃないかと思うんです。1個だけやるのは理論的には間違っている。だけど、「間違っていることの正しさ」と「正しさの正しくなさ」を天秤にかけたときに、僕の経験上「間違っていることの正しさ」に賭けた方がいいと思います。ある種どこかで割り切って、フットワークを軽くした方が、運動を続けるためにはいいんです。




映画『首相官邸の前で』2015年9月19日(水)より、渋谷アップリンク、名古屋シネマスコーレ他にて全国順次公開

映画『首相官邸の前で』チラシ

2012年夏、東京。約20万の人びとが、首相官邸前を埋めた。NYの「ウォール街占拠」の翌年、香港の「雨傘革命」の2年前のことだった。
しかしこの運動は、その全貌が報道されることも、世界に知られることもなかった。
人びとが集まったのは、福島第一原発事故後の、原発政策に抗議するためだった。事故前はまったく別々の立場にいた8人が、危機と変転を経て、やがて首相官邸前という一つの場につどう。彼らに唯一共通していた言葉は、「脱原発」と「民主主義の危機」だった――。
はたして、民主主義の再建は可能なのか。現代日本に実在した、希望の瞬間の歴史を記録。

企画・製作・監督・英語字幕:小熊英二
撮影・編集:石崎俊一
音楽:ジンタらムータ
英語字幕校正:デーモン・ファリー
出演:菅直人 亀屋幸子 ヤシンタ・ヒン 吉田理佐 服部至道 ミサオ・レッドウルフ 木下茅 小田マサノリ ほか
配給・宣伝:アップリンク
2015年/日本/109分/日本語[英語字幕つき]
©2015 Eiji OGUMA

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/kanteimae
公式Facebook:http://bit.ly/kanteimaeFB
公式Twitter:https://twitter.com/kanteimaeJP


▼映画『首相官邸の前で』予告編

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