映画『わたしはマララ』より ©2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作『不都合な真実』のデイヴィス・グッゲンハイム監督が、2014年に17歳でノーベル平和賞を受賞したパキスタン人の少女マララ・ユスフザイを描くドキュメンタリー映画『わたしはマララ』が12月11日(金)より公開。webDICEではグッゲンハイム監督のインタビューを掲載する。
インタビューでも明かされているように、今作は当初はフィクションとして企画されていたものの、マララと父ジアウディンの存在感とふたりをめぐるストーリーに焦点を当てるべくドキュメンタリーとして制作されることになった。女性が教育を受けられる権利を訴えていたマララが、2012年にタリバンから頭部に銃撃を受けて瀕死の重傷を負うことになった理由を中心に、マララという名前の由来や生い立ち、教師である父ジアウディンと字の読めない母トール・ペカイ、そして兄弟との関係をカメラを追っていく。グッゲンハイム監督はアニメーションや再現映像を用い、彼女の書籍やニュースでは知ることのできない、「マララが本当に伝えたかったこと」に迫っている。
ドラマからドキュメンタリーへ
──あなたはどのような経緯でこのプロジェクトに参加しましたか?最初はドラマ化の予定だったそうですね。
プロデューサーであるローリー・マクドナルドとウォルター・パークスは、本の権利を欲しがった多くの人の中から選ばれた。彼らはマララと家族に会いに行き、家をあとにしてすぐに、「あの人たちは並外れた人だ。役者として演じられる人なんかいるだろうか」と口々に言った。それで、2人とも「これはドキュメンタリーにすべきだ」と思った。2人はロサンゼルスの自宅に戻ってから、私に電話をくれた。彼らとは以前に友人を通して会ったことがあったし、2人は、私が作った映画で教育を扱った『スーパーマンを待ちながら』を観ていたんだと思う。それで彼らは「監督することを検討してほしい」と言ってきた。
映画『わたしはマララ』のデイヴィス・グッゲンハイム監督(右)とマララ(左)
──最初はどう受け止めましたか?
おもしろかった。私はほとんどの人が読んでいた「タイム」紙の記事を読んでいたし、「ニューヨーク・タイムズ」紙の短編ドキュメンタリー(2009年制作の『Class Dismissed: Malala’s Story』)を観ていた。でも電話をもらったあとで、もっと真剣に読み直した。彼らのストーリーはずっと興味深く、人々が思う以上に並外れていることに気づいた。マララの人生にはまだ探求されていない重要なテーマがあったからだ。
──彼らから連絡があったのはいつでしたか?
2013年の5月だった。彼女が国連で演説をする何週間も前の話だ。実際、私が彼女と初めて会った時、彼女はまだ演説の原稿に取り組んでいた。彼女はそれを見せてくれた。私は、彼女が小さなオフィスでそれに取り組んでいるところを見ていた。
映画『わたしはマララ』より、マララ(右)と父のジアウディン(左) ©Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
日本の女の子が父親と観にいける映画を目指す
──これほど大きな題材に対して、どういうアプローチをしようとしましたか?
私が一番魅力的だと思ったのは、父と娘のストーリーの部分だ。“これは普遍的なストーリーにしなければならない”とすぐに思った。ロサンゼルスの少女と彼女のお父さんが行くような映画、あるいは日本の女の子がお父さんと観に行くような映画、または、ロンドンの少女が両親と一緒に行くような映画を作ったとしたら、どうだろうと考えた。影響力のあるお父さんと、意見を述べる勇気を持った少女というアイディアは万人に理解されるものだ。そういう作り方をすれば、このストーリーはあらゆる人の心に訴えかけ、単なる地域の話に終わらず、本当に世界的な変化を引き起こすことができると思った。
──マララが襲撃されたことで、彼女の物語が終わったかもしれないという思いはありましたか?
終わりだったかもしれないし、始まりだったかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、彼女は今やシンボルになっている。マララはスクールバスで撃たれた少女で、それは彼女のストーリーの終わりとなったかもしれないが、多くの意味であれは始まりだった。映画で、彼女が「私は新しい命を与えられました。この命は神聖な命です」と言うシーンはとてもすてきだ。
マララとジアウディンにとって、このストーリーは始まりにすぎないと思う。彼らの活動は彼女のためだけではなく、学校のない6,600万人の少女、一家が苦しんできたことと多くの意味で同じように苦しんでいる少女たちのためのものだ。彼らは一生、この活動を続けていく気だから、私はそこに感銘する。
映画『わたしはマララ』より ©Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
──そのミッションであなたの映画が果たす役割は?
『不都合な真実』は、アメリカでも、そして世界の他の国々でも何百万人もの人々が観た。そして多くの人々が気候の変化に取り組むようになった。当然ながら、それだけのことではなかった。あれは単なる映画だったし、小さな一本の作品だったが、私にはこういうストーリーを伝えることが、最もワクワクする部分だった。映画が世界に対して何ができるかを見ることができたからだ。映画というのは大勢の人々の注意をひくことができると分かったし、本作にも同じチャンスがあると思っている。
自分の娘たちのためにもこの映画を作った
──本作は『不都合な真実』と同じように学校で上映されると思いますか?
『不都合な真実』はいくつかの国で、鑑賞することが必須となっている。数ヵ国では、「この映画を見ない限り卒業できない」ことになっている。これはすばらしいことだ。本作は、南の発展途上国の政治に興味のある人にとっては間違いなく関連性があるが、ヨーロッパで立派な学校へ通いながらも、意見を述べることに自信のない少女にとっても大きな意味があると思う。
そしてこれは間違いなく、私の娘たちにとって意味があるものだ。私には娘が2人いる。14歳と9歳で、2人には立派で安全な学校があるが、彼女たちも世界中の多くの少女と同じ多くのことで悩んでいる。彼女たちは平等だと感じているのか?意見を述べることに自信をもっているか?私にはこの映画を作ることはとても意味があった。なぜなら、私は娘たちのためにもこの映画を作っていたからだ。イングランドの少女たち、それに、安全な学校に通う世界中の他の少女たちもこの映画が自分たちに大きな意味があることを分かってくれるだろう。それに、父親たちも、自分の娘にマララのように強く、平等で、勇敢だと感じてもらうためにもっと何かできるかもしれないと考えるだろう。
映画『わたしはマララ』より ©Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
とても親密な感じにすることが重要だった
──一家と初めて会った時のことを教えてください。
私はバーミンガムにある彼らの家のドアをノックした。あそこまでタクシーで行ったのを覚えている。大勢の撮影隊を連れて行かないほうがいいと思った。サウンドの担当を1人だけ連れて行き、こう言った。「ごく簡単に始めるよ。あなたと私がここで座っているところから始めよう。カメラは使わずにインタビューをやる。音を録音するだけだ。そうすれば、お互いにまず知り合えて、何が面白いと思うか探求できるからね」と。そうやってマララと2時間ぐらい話して、ジアウディンとも2時間ぐらいインタビューを行った。
徐々に、大勢のクルーを使った撮影にしていき、彼らは私のことが分かるようになり、私も彼らのことが理解できるようになった。私は彼らに信頼してもらえたと思っているが、時間はかかった。彼らはとても並外れた一家だ。今の社会では誰でも自撮りをし、誰もかもがお互いの写真を撮りあっているから、みんな自分の見た目を意識している。そういう写真はインスタグラムやフェイスブックにアップされるからだ。彼らはそういう社会から遮断されてはいなかったし、人目を気にしてもいなかった。それは映画にはっきりと現れている。彼らは私にとてもオープンに接し、映画のクルーに対してもオープンだった。そして彼らのストーリーを語ることに熱心だった。今の時代、そういう姿勢はとても珍しいと思う。
──撮影を開始した時には、撮影クルーはどれぐらいの規模でしたか?
とても少人数だ。最初は私と彼らだけで、映像なしの音だけを録音するインタビューから始めたが、この音だけのインタビューが映画の核になった。映画のアニメーションを見ると、彼らの声が聞こえる。映画を観て、ほとんど内省的に近いようなとても親密な感じにすることが重要だと思った。そのあとでは、少人数のクルーで撮影した。4、5人のクルーだ。
映画『わたしはマララ』より ©Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
彼らのストーリーを世界に見てもらえるように
──彼らはストーリーを語ることにどうしてそれほどオープンだったと思いますか?
彼らはパキスタンにいた時に自分たちの話を語っていた。緊急性があったからだ。彼らの街は包囲され、タリバンは学校へ行く人々を脅かし、ついには学校を閉鎖し、爆破した。彼らは世界に自分たちの話を伝えなければならないと感じた。そうすれば、人々に何が起きているかを知らせることができるからだ。マララとジアウディンにとって、自分たちのストーリーを語ることは対応策だった。
一方で、アメリカやイングランドでは、話をすることはむなしい行為、もしくは説得の行為なのかもしれない。彼らには、それは不可避の行為だった。私が参加した時、彼らのストーリーを伝えることは、その行為の継続になったと思う。彼らのストーリーが世界に見てもらえるような映画になるとしたら、それは彼らの使命を継続することになる。
──マララには驚かされましたか?
驚かされてばかりだ。私はアメリカ合衆国の大統領、アメリカの副大統領についての映画を作った(『不都合な真実』はアル・ゴア元アメリカ合衆国副大統領が主演)。バラク・オバマにアル・ゴア、ロックスターについての映画。不思議なことに、有名な人やよく知っていると思う人たちは、良く知れば知るほど、失望が大きくなる。なぜなら、彼らは普通の人だと分かるからだ。しかし、マララとジアウディンと一緒にいると、会うたびに毎回、もっと感動を覚える。彼らはとても聡明な人たちだ。好奇心が強く、世慣れていて、宗教心が深く、それにとんでもなく面白い。彼らに会った後で家にいる家族のところへ戻ると、私は気分が高揚している。彼らと一緒にいたことで肌がチリチリする。彼らはそれぐらい並外れているからだ。
──マララと家族はイギリスに移住しましたが、パキスタンに帰れると思いますか?
私にする質問ではないね。映画では、私はマララに、「あなたは自分の苦しみについて話したくないんだね」と言う。彼女は質問をはぐらかすので、私は、「質問を避けているね」と言う。すると、彼女はこう答える。「もちろん、そうです」。彼らは苦しんでいると思われたくない。なぜなら、パキスタンにはもっと苦しんでいる人たちがまだいるからだ。でも、彼らは流浪の身であることは間違いない。彼らにとってパキスタンの自分たちの家ほど帰りたい場所はない。ジアウディンはそこで立派な学校を作った。彼はそこへ戻って自分がやりたいこと、教えることをやれないでいる。彼らは帰れると分かった瞬間に、飛んで帰ると思うよ。
映画『わたしはマララ』より ©Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
父ジアウディンと娘マララは二つの身体を持った一つの魂
──マララは明らかにとても早熟な子供でしたが、彼女が父親のために発言していると感じたことはありませんでしたか?
彼女は間違いなくとても聡明だったし、生まれた時からとても知力が発達していた。映画の中で、かなりさっと見せているところだが、ジアウディンが家で「打ち合わせを始める」と言うと、多くの子供たちと違って、幼い彼女は部屋に入っていき、床に座って話を聞き始める。ほとんどの子供が外へ行って遊びたいと思うだろうが、彼女はスポンジのように知識を吸収した。
これは私の解釈にすぎない。もちろん、私はその場にはいなかったが、彼の話では彼女は床に座って話を聞いていたという。だから、彼女がとても聡明なことは確かだが、父の生活や彼が選択したものから学んでいるところもある。彼はこの点を「二つの身体を持った一つの魂だ」と説明している。明らかに、とても早い時期から2人の間には愛着があり、強く結びついていたから、何か特別なものだったが、映画でそこを分かってもらえるといいと思っている。ここは映像では見せているが、言葉では説明されていない点だ。でも、マララに会った人はだれでも、彼女は自分というものを持っている人だと強く感じるはずだ。
──マララは今後、単なる若い女性でいられるでしょうか?
マララはとても幼い時に容易ではない人生に投げ込まれた。でも、彼らはとても緊密に結びついた家族だ。トール・ペカイとジアウディンは、マララと弟のアタル、クシャルとすばらしい家庭を築いている。それは映画を観れば分かることだ。彼らはお互いに対して愛情を抱き、とても強い絆で結ばれている。笑い声があがり、楽しいことも多いし、一家がこういう状況の中で力を合わせていることは明らかで、それが私に希望を与えてくれるんだ。
(オフィシャル・インタビューより)
デイヴィス・グッゲンハイム(Davis Guggenheim) プロフィール
1963年、アメリカ、ミズーリ州生まれ。アメリカの元副大統領アル・ゴアの環境問題に関する講演活動を追いかけた『不都合な真実』(06)で高い評価を受け、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞する。その他に手掛けたドキュメンタリー作品は、『ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター』(08)、『スーパーマンを待ちながら』(10・未) 、TV映画「Teach」(13)など。選挙キャンペーンのためのバラク・オバマ大統領関連の作品『A Mother’s Promise: Barack Obama Bio Film』(08)、短編『The Road We’ve Traveled』(12)、『Obama 2012 Convention Film』(12)も監督した。TVシリーズでも活躍、「NYPD BLUE ~ニューヨーク市警第15分署」(95~96)、「ERⅢ 緊急救命室」(96)、「24 TWENTY FOUR」(02)、「ザ・シールド ~ルール無用の警察バッジ~」(03)、「デッドウッド ~銃とSEXとワイルドタウン」(04)、「ザ・ユニット 米軍極秘部隊」(06)などの数エピソードを監督する。また、デンゼル・ワシントンがオスカーに輝いた『トレーニング デイ』(01)では製作総指揮を務める。
映画『わたしはマララ』
12月11日(金)より、TOHOシネマズ みゆき座ほか全国ロードショー
その昔、イギリスに侵攻されたアフガニスタンを救うため、少女が「奴隷として百年生きるより、獅子として1日を生きたい」と叫んで兵士に希望を与え、自ら前線に立ち銃弾に倒れた。少女の名前はマラライ。その名を父から付けられたマララ・ユスフザイは、2012年タリバンに頭部を撃たれ、昏睡状態に陥った。パキスタンで「女子に教育を」と訴える活動を続けていた15歳の少女マララは奇跡的に一命をとりとめる。2013年、イギリス。パソコンで大好きなブラッド・ピットやテニス・プレイヤーのフェデラーの画像を見てはにかみ、2人の弟たちと他愛のないことですぐケンカになるマララは、どこにでもいるふつうの女の子。しかし、左眼のあたりには今も傷跡が残っている。過酷なリハビリに耐えて笑顔を取り戻したマララは、16歳の誕生日に国連で行ったスピーチで、変わらぬ決意を語る。そして、「君の人生は父親が選択したのでは?」という多くの人々が抱いた疑問に対して、今マララの口から真実が明かされる。
監督・製作:デイヴィス・グッゲンハイム
製作:ウォルター・パークス、ローリー・マクドナルド
出演:マララ・ユスフザイとその家族
日本語字幕:栗原とみ子
配給:20世紀フォックス映画
原題:He Named Me Malala
2015年/アメリカ/英語/カラー/ヴィスタサイズ/88分
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/malala/
公式Facebook:https://www.facebook.com/malalaJP