骰子の眼

cinema

東京都 世田谷区

2016-02-17 21:00


「最初は『ザ・コーヴ』も見てないで撮り始めた『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』」八木景子監督インタビュー
2016年2月3日、下北沢・アレイホールで行われたイベント「独立映画鍋」より、八木景子監督(右)と土屋豊監督(左)

例えば、最近ではアンジェリーナ・ジョリー監督の『不屈の男 アンブロークン』に関して映画が公開される前から、ようするに映画を観ていない人々により反日的だという声が上がったのと同様、八木景子監督の『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』は、映画が公開される前から、ようするに映画を観ていない人々からよくぞ言ってくれたという支持の声が上がった。

ジョリー監督はインタビューで「スタジオを必死に説得したわ、空中戦やレースやサメまで出てくる映画よ」と無邪気にエンタメ映画でしかないことをプロモートしていた。一方八木監督は、予告編で「日本バッシング映画『ザ・コーヴ』がアカデミー賞受賞!?日本の食文化は残虐なのか!?世界初・日本発アンサームービー、これが答えだ!」と反捕鯨映画と言われる『ザ・コーヴ』に喧嘩を売る方法をあからさまにとっている。

1月30日『ビハインド・ザ・コーヴ』の公開初日には映画の公式サイトと公開劇場のK's cinemaのサーバーがダウンした。アノニマスが声明を出し、複数のコンピュータからのアクセスを集中させるDDoS攻撃、いわゆるサイバー攻撃を仕掛けたという。このアノニマスによる攻撃は1月20日に観光目的で入国しようとしたリック・オバリ氏(元イルカ調教師で『ザ・コーヴ』の出演者)に対して東京入国管理局が許可せず、入管の施設に留め置かれていることで成田空港のサイトにサイバー攻撃を仕掛けたことに続くものであった。

海外からのアクセスを遮断することでサイトが復旧したという2月3日、渦中の映画『ビハインド・ザ・コーヴ』の八木監督が「独立映画鍋」というインディペンデントの映画人たちが主催するイベントに登壇して、「映画制作の企画から劇場公開まで」を土屋豊監督(『タリウム少女の毒殺日記』)が聞き手になって「映画製作経験の無いひとりのアラフィフ女性が無謀にも、反捕鯨運動を斬るドキュメンタリーを作った!」と題されたトークイベントを行った。webDICEではその書き起こしを掲載する。
(文:浅井隆)

実はこの映画の前にアップリンクの浅井さんの
ドキュメンタリーを撮ろうとしていたんです

土屋豊監督(以下、土屋):今日は「初めてのドキュメンタリー映画 企画から劇場公開までを全解剖!」ということで『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』の監督、八木景子さんにおいでいただきました。まずはじめに、どなたか既に作品を観たという方はいらっしゃいますか。(数名の観客が挙手)なるほど。最初に言っておくと、『ビハインド・ザ・コーヴ』はいろいろと話題になっていて……公開初日には、どんなことがあったか説明してもらえますか。

八木景子監督(以下、八木):公開初日前夜に反捕鯨家からの“洗礼”を受けまして、サイバーアタックによって公開劇場のK's cinemaさんと私の作品の公式サイトがダウンさせられる事態が起こりました。Twitter上では国際的ハッカー集団の「アノニマス」から、名指しの犯行声明文が発表されました。

▼「アノニマス」の公式Twitterの投稿

土屋:このようにアノニマスにまで注目され大きく話題になっているんですが、今日は八木景子監督が何故いきなり映画を作り、その作品が劇場公開にまで至り、なおかつこんなに話題を巻き起こしているのかを聞いてみたいと思っています。では、まずは企画段階のところから順を追って話しを聞いて行きたいと思いますが。八木監督に時系列の簡単な資料を用意してもらっていて、これだと最初の企画は2014年の夏となっているけど、その前にアップリンクのワークショップに通っていたんだよね。

八木:そうですね、アップリンクの代表、浅井さんという方がいまして、彼がレクチャーするムービー制作ワークショップというのに参加していました。それで映像の題材として私は浅井さんを撮りたかったので、以前彼と組んで仕事をされた黒沢清監督とかロバート・ハリスさんとか、当時よくアップリンクに来られていた彼らにインタビューをしたりもしていました。

土屋:浅井さんを主人公にして映画を作りかけてた、ということですか?それはいつ頃のこと?

八木:2013年ですかね。で、まぁなかなか難しい方で、まだ会社勤めの頃でしたけど「撮りたいなら日中に来い」と言われて休みを取って行くと「なんで来たの」とか言われて(笑)。「邪魔なんだけど」とかって(笑)。(編集部・浅井・注:「2週に1度くらい夜にカメラを持って事務所に来ても、仕事は主に昼間しているし、本気で撮影するなら昼間撮らないとないとダメだよ」とアドバイス)そんな風にいろんな壁はあったんですけど、そのお陰で「取材するっていうのは大変なんだなぁ」と学んで、それがあったから今回の映画にもある程度の覚悟というか、取材対象が話してくれないのは当たり前だと思って臨みました。でも意外に偉い人たちの話がポンポン撮れてしまった、という感じでしたけど。

土屋:今回はポンポン撮れたけど、大変さも実感してたんですね。浅井さんを追っかけることで訓練ができていたと。

八木:そうですね。取材をするなら事前に取材対象のことをどれだけ分かっているかが大事、ともかなり言われました。基本的なことですけど、有名な方ならプロフィールを調べて本を読んでおいたりとか。未だに彼のことは撮りきれていなくて、お蔵入りになっちゃっていますけど。

土屋:浅井さんとの一件で得た教訓は、「自ら動けば有名な人物でも以外とあっさり取材に応じてくれたりもするけど、逆に難しい場合もある」ってことなのかな。

ICJ(国際司法裁判所)の日本の捕鯨に関する判決に
憤りを感じて制作をやりだしちゃった

土屋:カメラ自体は、それまで全く触ったことなかったんですか?

八木:ホームビデオくらいでしか撮っていなかったですね。

土屋:浅井さんのドキュメンタリーが頓挫した後、どういう経緯で今回のテーマに?

八木:2014年のICJ(国際司法裁判所)の判決で日本の調査捕鯨が商業捕鯨の隠れ箕だ、というオーストラリアの訴えが認められて、でもその訴えは例えば100頭しか獲っちゃいけないものを200頭獲ったから、とかじゃなくて規定量より少なく獲っているのに「少ないじゃないか」と訴えられたんです。そんなことあるんだ、と疑問に思って、元IWC(国際捕鯨委員会)の代表の方にお会いしたので質問して。普通はそこで答えが分かって終わるんですけど、逆にどんどん疑問が増えてしまって……それを追っていたら映画ができた、という感じです。

土屋:でもそのICJの問題って、非常に大きな話じゃないですか。それに対してすぐに“映画にしたい”って思ったんですか?

八木:日本の捕鯨のことが歪んで伝わっているなと感じたので、正しく伝えたいなとは思いましたが。せいぜい短編映像レベルで、2時間近い劇場映画にとは考えていませんでした。これは私の性格なんですけど、曲がったことが嫌いというか、憤りというか。それで制作をやりだしちゃった、という感じです。海外の反応に対しても、日本政府の対応に対しても。

土屋:それ以前に『ザ・コーヴ』は観ていたんですか?

八木:その時は本編は観ていないです。トレーラーを観て嫌悪感を覚えたし、だいたい内容の想像もついたので。そこに群がるカメラマンやメディアにもミーハーだなという思いがあって、あまり良い感情は持っていなかった。

土屋:何かの問題に対して許せない感情がある、っていうのは一般の人たちにも普通にあるけれど、八木さんはそこから映画の制作に繋がって行ったわけで。実際にはまず一番最初にどこへ行って、何をしたんですか。

八木:ICJの記事を読んだ時に、関連記事で和歌山大学に勤めているサイモン・ワーン氏の文章を読んだんです。彼は「WHALE WARS(くじら戦争)」という、アメリカTV界のアカデミー賞と言われるエミー賞を獲った番組のカメラマンだったんですね。ただその内容は、南氷洋で調査捕鯨をする日本の調査船に反捕鯨団体のシーシェパードがアタックしたりする映像を、まるで彼らが正義の味方で、日本が悪事を働いているかのようにドラマ仕立てで流すものでした。彼はそのやり方について行けずに最初のシリーズでカメラマンを降りるんですが、その方に話を聞こうと和歌山大学まで行きました。

土屋:細かいことだけど、連絡先とかはどうやって調べたの?

八木:全く分からなかったので、彼の勤務先である和歌山大学に電話しました。「サイモン先生とお話がしたいんですが」と言って。

土屋:それはすんなり行った?取材をさせてくださいと言ったんですか?

八木:そうですね、メールアドレスを教えてもらったか、電話を転送していただいたかして。その時は、記事の内容を確認しに話を聞きに行く感じくらいで。なんでそれで和歌山まで行ったのか、自分でも分からないんですけど。しかもそんなに英語ができるわけでもないのに。

土屋:カメラは回していなかったんだ。じゃあ本当に、映画を始める前の下調べ的な感じで。

八木:そうです。私は何もバックグラウンドがないので、単なる素人と思われていたと思います。約束の日時に現地について彼に連絡をしたら「他の予定を入れてしまっていて、これから岡山に行く」と。「えーっ、東京から話を聞きに来たのに!」と言ったら、「じゃあ車の中で話を聞くのでよければ、岡山のノートルダム大学まで一緒に行く?」と。それで彼の運転する車の隣に座って(笑)。和歌山から岡山まで、往復して帰って来たんです。まさか本当に来るとは思っていなかったみたいです。

土屋:まずそこからもう、変だよね(笑)。でもその時はまだ撮影していないわけでしょう。実際これを映画として、こういうものを撮ろう、という企画書みたいなものは作ったんですか。

八木:企画書を作ったのはその後です。サイモン氏に「せっかく来ているんだから、『ザ・コーヴ』の舞台になった太地町を観て来たら」と言われたので帰りに立ち寄ったんです。太地に行ってからです。

そこがロケ地だってことはその時初めて知ったし、南氷洋で捕鯨船にアタックしているシーシェパードが毎年和歌山に来てる、なんてことも全然知らなかった。

地元の人たちが、土地に入ってくるのは『ザ・コーヴ』絡みの映像を撮って、皆メディア嫌いになってしまったと。それ以外に来るのはほとんど捕鯨の専門家という、非常に独特な町なんですね。私はそのどちらでもなくて。それでイルカ漁の解禁が毎年9月の頭なんですが、その時は8月で……。

映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.
映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より、イルカ漁の様子を陸から監視するシーシェパードのメンバー Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.

土屋:サイモンさんとのドライブの後に?その時もまだカメラは持たず、ちょっと見てみようくらいの気持ちで行ったの?

八木:いえ、最初は7月で、次は1週間くらい居ようと思って、8月にもう一度行ったんです。その時は普通のホームビデオカメラは持って行ってましたね。まぁ常に普通のビデオカメラなんですが。で、帰ろうとしていたら地元の方に「もう少しでシーシェパードが来るのに帰るの?」と言われて。それなら9月1日のイルカ漁の解禁日も見ていくか、と残っていたんです。

そしたらその初日に動物愛護団体のドルフィンプロジェクトのメンバーに、カメラを顔にグイグイ押し付けられるように撮影されて。それで「『ザ・コーヴ』の後遺症が、この町にはこんな形でもまだ残っているんだ」というのを知りました。

貯金400万円を使い果たして
太地町で4カ月撮影しました

土屋:その時は『ザ・コーヴ』は……?

八木:8月の終わりには観ていました。イルカ漁解禁の9月1日には主演のリック・オバリ氏も太地に来ていましたし。あ、オバリ氏は今(2月3日現在)、成田の入管に拘束されていますけれど。(編集部注:オバリ氏は2月5日、アメリカに強制送還された

土屋:そちらも今、ニュースになっているみたいですね。では2014年の夏から9月にはカメラを持って、シーシェパードの様子を撮り始めたのが撮影の始まり、というところですか。

八木:そうですね、さっきの反捕鯨家にカメラを押し付けられたのを逆撮りしたことと、リック・オバリ氏を撮れたという辺りから、これはもう作品にして伝えなきゃならないと。リック・オバリというのは映画『ザ・コーヴ』の主演で、元はイルカの調教師。昔人気TV番組「わんぱくフリッパー」のトレーナーもしていた、アメリカでは有名な人です。彼はイルカを解放するのが目的の「ドルフィンプロジェクト」という自身の団体を持っていて、世界中で反対活動をしています。太地町にも毎年来ています。

土屋:いま「リック・オバリが撮れた」と言ってましたが、どうやって撮ったんですか?

八木:最初は本人に取材を申し込んだんですけど、映画にも出て来ますが通訳の女性が彼を連れて逃げてしまって。その後いじけて隣町でうどんを食べていたら、同じ店に偶然オバリが入って来たんですね。それで直接彼にアポイントを取って。

土屋:その時、当然「何に載るの?」とか「どこの取材?」とか聞かれるわけでしょう。それには何と答えていたんですか。

八木:「自分で映画を作っている」と答えていました。「インディペンデント・フィルム・メーカー」だと名乗っていましたね。それにオバリ氏は基本的にどんな取材も受ける、といつも言っているので。

映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.
シーシェパードのメンバーに挟まれ撮影の準備をする八木監督 Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.

土屋:なるほど。それで彼の取材もできたし、これは映画にするしかないと思い至ったと。

撮った後はどうしたんですか?映画にするにはただ映像だけあってもダメで、ストーリーというか構成を考えて組み立てて行かなければいけないでしょう。その後の作戦というか。

八木:シナリオとかは全く考えておらず、オバリが撮れたので次は『ザ・コーヴ』の監督のルイ・シホヨスだなと思って、オバリに彼を紹介してくれと頼んだんです。でも彼はまた別の映画を作っていて忙しいからと断られてしまって。それなら自分で連絡してみるか、と監督のホームページから直接メールを送りました。まさか本人がすぐに返事をくれるとは思わなかったですけど。結構挑発的なメールを送って(笑)。

土屋:なんでそんなことできるんだろうね(苦笑)。具体的にどんな内容で?

八木:断られないように、と思ったんですけどね。まず自分の自己紹介をして、『ザ・コーヴ』は嘘っぱちだと言う声を良く聞くけれど、真実を知りたいと。あなたにとって『ザ・コーヴ』と言う作品はもう過去のもので、もうどうでもいいと言うなら、それでも構わないけど……みたいな感じで。そしたら1分もしないうちに返事が返って来て、「OK」と。

土屋:太地に滞在中のことなんですね。2014年の夏から、大体どのくらい行っていたの。

八木:7月から11月の間、大体4カ月くらいですね。たまに東京に戻ったりはしていましたけど。

土屋:4カ月も!仕事はしていなかったの?その時。

八木:ちょうど前の会社を辞めて、知り合いの映画を作る手伝いとかをしていた時期で……フットワークは軽い状態だったんです。リックとシホヨスの取材は9月のイルカ漁のすぐ後だったので、かなり初期の頃ですね。

土屋:ずっと撮り続けていて、このまま本当にこれが作品になるんだろう、とか不安みたいなものは無かった?人に相談したりとか。

八木:そういうのは無かったですけど、カメラの扱いをずーっとオートで撮っていて、明るさとか細かい調整を何もできていなかったので、そういう技術的な不安の方が大きかったです。同時期に太地に来ていたフリーのカメラマンとか芸大出身の若者とかに「八木さん、本当にこれで映画作るの?」とか言われたりして。

映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.
映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より、太地町の漁港 Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.

土屋:じゃあその4カ月間、技術に不安を抱えながらも、そばにいる人の助けを借りたりして何とかやっていったと。でもドキュメンタリーって、いつ終わりになるかって分からないじゃないですか。「何が撮れたら終わり」になるかって、分からないことも多いですよね。どうして4カ月で終えることができたんですか。

八木:シーシェパードの人たちって観光ビザで日本に入国してくるんですね、これも今問題になっているんですが……それでそのリーダーが11月に日本を出るということで、ちょうど区切りとして私もその時期に東京に戻って来た、という感じです。

土屋:現地ではどこに滞在していたんですか?あと滞在費とか撮影でかかった経費は大体いくらくらい?聞いてもよければ。

八木:漁協組合の向かいにある、普通の民宿です。素泊まりで1泊2,500円とかそんな感じ。経費はそれまで貯金してた金額を全部使い果たしたんで、400万くらいですね。

土屋:なるほど。配給についてはまた後ほど聞きますが、撮影でそんなにかかったの?

八木:海外に取材に行ったり、本編には出て来ないですが、長崎などの地方の捕鯨基地も取材したりしているので。それに機材やメモリを買ったりとか。

土屋:交通・宿泊費で相当な金額になると。あとよくわかんないけど機材を色々買って(笑)。じゃあそれらは、全部自分の貯金で賄ったと。

八木:はい。

ネットで世界の映画祭リストを見たら
モントリオール世界映画祭の締切がちょうどギリギリで、
よし出そうと思ってエントリー

土屋:編集の話に移りますが、ドキュメンタリーは編集が一番大変なんですよね。全部1人でやったんですか?構成とかも。すごいね。

八木:運がよかったのは、映画の翻訳とナレーションをしてくれたラッセル・グドールさんという方、元々TVプロデューサーの仕事をしていた方なんですが、彼が構成の案やアドバイスをくれたりしました。私は最初、映像を束でAさんが10分、Bさんが10分という感じでまとめていたんです。もう眠くなっちゃうような編集で。太地町から始まるけど最後は何の映画だっけ?みたいに終わる状態だったんですけど、彼が要所要所で常に太地町に戻るような流れにした方がいい、と言ってくれて。

土屋:そのラッセルさんがかなり有用なアドバイスをくれたんだ。その方はどういう方で、どこで知り合ったんですか?

八木:元は映像プロデューサーですが、今は映像系の翻訳やナレーションがメインで、NHKのナレーションなどもやっている方です。Tokyo Docsっていうドキュメンタリーのプレゼンテーションをする国際イベントがあるんですけど、彼はそこで司会や通訳をしていて、「面白いトークをする人だな」と思って声をかけたんです。私の作品の翻訳と、ナレーションをしてくださいと。

土屋:でも構成まで含めて色々と意見をくれたわけだから、彼との出会いが無ければ映画の完成は難しかったよね。

八木:そうですね。彼はプロデューサーとしてのキャリアがあるので、ドキュメンタリー音楽専門のプロの方や安く請け負ってくれる編集スタジオを紹介してくれたりもして。彼がいなければこの映画は完成していないですね。

土屋:とにかく編集ではラッセルさんの力がかなり大きかった、ということですね。それで映画は途中段階というか、荒編集の状態で皆に一度見せて、意見を聞いてまた手直しするということがあると思うんですけど、そういうことはやったんですか。

八木:何人か知り合いに観てもらって、感想をもらったりはしました。vimeo(インターネットの動画配信ツール)なんかで見せて、分かりづらい点や構成についての意見をもらったりとか。それはかなりためになりましたね。

土屋:そこは素直に聞くんだね(笑)。で、それを経て2015年の7月に完成したと。それで当然初めてでしょう、長編映画を制作するのは。出来上がったら何処にどう持って行こうとか、何かプランはあったんですか。

八木:本当に無我夢中で、何もプランとかもなくって。とにかくやっとできた!と思ってから、ネットで世界の映画祭リストみたいなものを見たんですね。そしたらモントリオール世界映画祭の締切がちょうどギリギリで、よし出そうと思って。普通ならこの映画祭に出す、とかちゃんと計画的に攻めて行くんでしょうけど、とにかく目の前にモントリオールがあったので、そこに出して。そしたら少ししてから正式出品作に選ばれたと先方から連絡があって。

土屋:ネットで検索して、今エントリーできる映画祭ということで探したということ?その時応募したのはモントリオールだけ?

八木:そうです。その少し前に、山形国際ドキュメンタリー映画祭にも応募しました。

映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.
映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より、太地町で毎夏行われる「クジラと一緒に泳げるイベント」の様子 Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.

土屋:じゃあその二つに、特に何かツテがあるとかではなく、公式サイトから普通にエントリーしたと。

八木:はい。それで先に山形から落選のメールが届いて、ほとんど同じタイミングでモントリオールからも返事が来て。「また落とされたか」と思いながらメールを開いたら、「Congratulations!」と書いてあって、選ばれたことが分かったんです。

土屋:この映画祭に選ばれたことが分かった後から実際の開催までは、そこに出品するための準備のみをやっていたんですか。

八木:そうですね、ポスターやフライヤーを送ってこいとか、DVDをBlu-rayで送って来なさいとか、いろいろと素材を揃えて。その対応でいっぱいいっぱいでした。

土屋:何か特別に向こうでこんなプロモーションをしよう、とかは無かったんですか?専用の通訳を雇った、とかはちょっと聞きましたけど。

『ビハインド・ザ・コーヴ』八木景子監督
映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』モントリオール世界映画祭のメイン会場となるインペリアルシネマ入口レッドカーペットにて、八木景子監督

八木:プロモーションとかは全然なくって……。通訳は、Q&Aセッションも任意だったので、やるなら自分で通訳を用意してくれということでした。モントリオールはカナダでもケベック州というフランス語圏の場所なので、仏語と英語ができる方をお願いして。その方は長年モントリオール世界映画祭でお仕事されていて、前年は吉永小百合さんの通訳などもやられた方でした。

土屋:その方はどうやって探したんですか?

八木:日本のセールス・エージェントの方に海外展開の件で相談をしていて、その会社では作品の取扱いはしてもらえなかったんですけど、通訳を紹介いただいたり、他にも色々とアドバイスをもらいました。

映画『ビハインド・ザ・コーヴ』モントリオール世界映画祭
映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』モントリオール世界映画祭上映会場の客席

実はカンヌ国際映画祭のマーケットで売り込もうと行ってきました。
でも、ある人に騙されて……

八木:そのエージェントさんとのご縁は、私去年カンヌ国際映画祭にもマーケットを見に行っていたんですけど……。

土屋:ちょっと待って、映画の編集が終わるくらいの頃にカンヌにも行っていたの?それは何のために?

八木:映画が完成するのと同じくらいの時期に。その時は自分的には作品が完成した、と思っていたんで、カンヌのマーケットで売り込もうかと思って。

土屋:そういうところがすごいよね。普通考えないじゃない、初めて長編ドキュメンタリーを作って「よし、カンヌのマーケットだ!」っていう風には。それは誰かに言われた訳じゃなく、自分でそう思ったと。

八木:はい。ただその時、現地でのアテンドを上手くやるからと言われてお願いしていた方と、ちょっとトラブルになって……元某映画関連団体の方で、いまはフリーランスなんですけど。現地に行っても全然会えなくて、私も一人なので何も分からないし、困り果ててしまって。それでカンヌに日本が出しているジャパンブースというのがあって、頼るようにユニジャパンさんの所へ行ったんです。

土屋:つまり整理すると、作品ができたので売り込みするぞ!カンヌのマーケットだ!と夢が広がって、でも実際どうしたらいいのかと思っていた時に、たまたまツテがあったフリーで映画関係の仕事をしている方に相談したと。そしたら「私が慣れているから手伝ってあげる」という事になって、現地へ行ったら伝達が上手く行かなかったのか分からないけど、その方は何をしてくれる訳でもなくて、八木さん自身も右も左も分からず困り果てて、最終的にユニジャパンのブースに行った、と。

八木:はい。それでもう、子どものようにそのブースから離れないみたいな感じで(笑)。そこには日本のエージェントの人が何人かデスクを出しているんですけど、そのうちの一つが先ほど会社さんだったんですね。それで映画の観方やパスの申請の仕方など教わったりしたんです。それがご縁で、帰って来てからも海外展開のこととかを相談していました。それでその数ヶ月後に、モントリオールの結果が出て。エージェントさんは「自分たちのところでは出来ないけど、手伝ってあげる」と言ってくださって。

土屋:カンヌではそうやって色んな方にアドバイスをもらえた訳だけど、マーケットでの成果はちょっとでもあったんですか。

八木:特には……ないですね。

土屋:(苦笑)例えばどんなアドバイスをもらったの?

八木:うーん、「とにかく雰囲気を楽しめばいいんじゃない?」とか(会場笑)。あとその時が最初か分からないですけど「ジャパンナイト」みたいなイベントがあって、東宝・松竹・GAGAといった錚々たる顔ぶれの社長さん達が全員揃っていたので、「こんな映画があるんですけど」とアピールしたりはしましたね。皆さん口々に仰ったのは「捕鯨問題は映画の世界でも、海外展開を考えている会社はやりたがらないだろう」ということでした。もし検討するとしたら、海外で何かぶら下げて来てからだと。そういうお話を聞いた時点で、このトピックスは自分で道を切り開いていかなきゃ無理だろうなとは感じていました。

土屋:海外で何かぶら下げて、って言うのは?

八木:海外の映画祭に選ばれるとか、評価されたりとか。逆輸入みたいな事ですね。

土屋:なるほど。話はモントリオールに戻るけど、そちらでの反応はどうだったんですか?結構好評だったと聞いていますけど。

八木:私はもう反捕鯨家に囲まれると思っていましたけど、全然そんなことはなく……海外だとエンドクレジットが流れる辺りから拍手が始まって、あぁこんなところから拍手しだすんだ、とか思いましたね。あと笑いが起こるポイントが自分が思っていたのと全然違うシーンだったり。

土屋:Q&Aはどんな感じでしたか?

八木:映画の中に全部答えが入っているからか、質問というよりは感想と言う感じのコメントが多かったですね。

最初のマスコミ試写は
水産庁の記者クラブリストに告知

土屋:その後モントリオールから帰って来た後は、それ以外の映画祭にも出したいとか思っていたんですか?それとも劇場公開の展開に移っていったんですか。

八木:本当は両方やりたかったので、海外はエージェントに任せて自分では国内配給をと思っていたんですが、海外配給が見つからない状態なので、いまは国内の劇場上映に集中していると言う感じです。

土屋:そうすると去年の秋から、今度は国内の劇場配給に向けて動き出さないといけない訳ですが、まず最初に何をされましたか。

八木:まず8月7日にマスコミ対象試写会をしました。

土屋:劇場公開は決まっていないけど、メディア関係者を呼んだ試写会をしたんですか?

八木:私は逆に知識が無かったから良かったのかなって思っているんですけど、普通は劇場が決まってから試写会をするものだと。私は「モントリオールに選ばれました!」っていう告知のつもりでやったんですが。普通はそんなことしないみたいですけど。

土屋:でもメディアを呼ぶにしてもリストがないと呼べないでしょう、そういうのはどうしたんですか。

八木:捕鯨問題の映画なので、水産庁の人にどういうところに送ったらいいかと相談していて。水産庁の中に記者クラブがあるんですけど、そこの番記者向けに試写会のリリースを入れてもらったり。あと試写状をワークショップで知り合って手伝いをしてくれているスタッフにリストアップしてもらって、送ったりもしました。

土屋:反応はどうだったんですか?

八木:海外メディアへの配信は、自分ではその試写が効いたと思っています。AP通信さんとかAFPさんとかが来てくれて、その時の記事が一斉に配信されてワシントンポストやニューヨーク・タイムズとかのネットニュースにも載りましたので。

土屋:海外の記事は「こんな映画が日本で発表された」というところですよね。

八木:そうですね、日本人が捕鯨問題について言い返してるぞ、というような。AP通信社がリック・オバリとルイ・シホヨスにも取材したら「作品を観ていないのでコメントできない」と書かれていましたけど。

土屋:日本のメディアには載らずに海外メディアで報道されたということ?

八木:海外は本当に、試写が終わった数時間後には配信されていたりしましたけど、日本は朝日さんや読売さんとか来ていたけど全然載らないな、と思っていたら、8月下旬のモントリオールに行く直前くらいに、そのニュースに合わせて載り出しましたね。日本のメディアはあっためるんですかね。

土屋:まぁ何かに引っ掛けないといけないんでしょうね。それでも結構書いてくれたと。それから次は劇場を決めなきゃいけないじゃないですか。あと宣伝をどうしよう、とか。その辺はどうやって開拓していったんですか。

八木:浅井さんをはじめ、色んな人に前々から相談はしていたんですけど、ワークショップで知り合った仲間に手伝ってもらって規模や作品の傾向が合いそうな劇場をピックアップして行きました。

映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.
映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』より、北洋・南氷洋捕鯨で活躍した捕鯨船(第一京丸) Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.

土屋:配給するのに自分で会社を興したという話ですけど、最初から自分でやるつもりだったの?

八木:そうです。もともと撮影している段階で、やっぱり「どこの誰なんですか?」って言われることが多くて、そういう時「八木です」じゃなかなか相手にされないじゃないですか。あと資料なんかも法人でないと借りられない、みたいな所も結構あったので、そのためにも便宜上作ったという感じです。

土屋:じゃあ配給・宣伝に関してはどこかにお願いするって考えは最初から無かった?

八木:カンヌでも解りましたけど、皆さんやりたがらないトピックではありますよね。その辺は自覚していたので、人に頼ることは出来ないかなと。それもあって会社登記の際に「宣伝・配給」の項目もあらかじめ入れていました。

土屋:でも劇場側も、考え方はそれぞれ違うだろうけど、配給もついていなくて初監督作品で、多分……嫌だよね(笑)。コンタクトを取ったときの反応はどうでした?

八木:少なくとも初めての作品で個人の会社が配給だから、と言う理由で断られることは無かったです。その前にモントリオールの件で多少の露出があったのも良かったかも知れないですね。「ニュース見ましたよ」と。

土屋:K's cinemaでの公開が決まったのは、10月終わりか11月頭あたり?そうすると年末年始もあるし、公開まで2~3カ月しかないよね。その間はどういうことをしていたか教えてもらえますか?何が大変だったかとか。

八木:メディアにプレスリリースを送ったりするような普通の宣伝や公開準備以外にも、自民党本部での国会議員上映会とか、海外特派員協会でのプレスイベントとかが入るたびに専用の資料を用意したり、打合せに出向いたりとかもあったので、本当に目まぐるしかったですね。チラシやパンフレットを作ったりDVDを発送したり……と思った以上にお金もかかっていて。Facebook広告なども打ったりしていますし。

土屋:その限られた時間で宣伝作業をするのはかなり大変だったと思うんだけど、具体的にどうメディアにアプローチするとか、どういう風に進めて行くかとかは専門の人を雇ったわけではないんですか?

八木:やっぱりプロの宣伝マンがいないと厳しいと言う話は出ていたんですよね、例えば試写会のハガキやリリースを送るにもリストとかが必要な訳ですし。それで一度頼んではみたんですが、なかなか上手くかみ合わなくて。今はまた、ワークショップのメンバーで対応している状況です。

土屋:そんな中、1/30の公開を迎えて、かなり満席に近い状態まで行ったと聞きましたが。

八木:そうですね、色んなメディアで取り上げてくださったこともあって。

土屋:2月中も新宿での上映は続きますし、3月以降は大阪、北海道、沖縄などでも順次公開ということで。内容については皆さんの目で実際に観ていただくとして、最後に何かメッセージはありますか。

八木:こんなやり方ありなのか分からないですけど、一つ強いなって思うのは、企業がついたり自分が会社をやっていたりしたら作れなかった映画だということです。私が個人で作ったというのが強みなので、これから何か作りたいという人がいたら、「1人より強いものはない」と勇気を持っていいと思うんです。

情熱だけで作った映画ですが、色んな所から思わぬ反響をいただくこともあって今に至っています。海外から上映のリクエストを頂くことも未だに多いのですが、これは日本の問題なので、まずは国内で多くの人に観ていただきたいなと思っています。

(2016年2月3日、下北沢・アレイホールにて)



八木景子(やぎ・けいこ) プロフィール

1967年東京生まれ。ハリウッド・メジャー映画会社の日本支社勤務後、自身の会社「合同会社八木フィルム」を設立。強い好奇心と冒険心を持ち、アマゾン、ガラパゴス、キューバ、イスラエル、南アフリカ、ケニア、エジプト、インドなど数々のワイルドな秘境を旅し、外側から日本を見つめ直すことがよくあった。タブー視されていた捕鯨問題を取り扱った『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』は八木の初作品となるが、世界8大映画祭の一つであるモントリオール世界映画祭に正式出品された。




【関連記事】

独占インタビュー:『ザ・コーヴ』上映中止を主張する「主権回復を目指す会」の西村修平氏がすべてを語る(2010/7/9)
http://www.webdice.jp/dice/detail/2530/




映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』 Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.
映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』劇場用チラシ Behind "THE COVE"©2015YAGI Film Inc.

映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』
新宿K's cinemaほかにて上映中

撮影・監督・編集:八木景子
録音:中山勇毅
音楽コーディネーター:加藤斉昭
翻訳・ナレーション:ラッセル・グドール
主な出演者:ルイ・シホヨス、リック・オバリ、IWC現・元日本政府代表 ほか
協力:道の駅和田浦WA・O!
配給・宣伝:合同会社八木フィルム
2015年/日本/107分/HD/カラー/16:9/日本語・英語字幕(バイリンガル上映)

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▼映画『ビハインド・ザ・コーヴ ~捕鯨問題の謎に迫る~』予告編

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