骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2016-12-13 15:10


『アピチャッポン展』東京都写真美術館で開催、イメージフォーラムでは長編映画全作を再上映

空族、アピチャッポンと彼の故郷イサーンを語る「タイの人にとって“森に入る”は抵抗の意味」
『アピチャッポン展』東京都写真美術館で開催、イメージフォーラムでは長編映画全作を再上映
『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』より、「ゴースト・ティーン」2013年 インクジェット・プリント

タイ出身の映像作家 ・映画監督、アピチャッポン・ウィーラセタクンの個展『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』が2016年12月13日から2017年1月29日まで、東京都写真美術館で開催される。「目に見えない亡霊=Ghost」をキーワードに、社会的、政治的側面にも焦点をあてながら、写真やフィルム、ヴィデオ、インスタレーション、映画など、アピチャッポンの映像世界が写真美術館の映像コレクション作品と作家蔵作品から展示される。同美術館1Fホールでは1月5日(木)まで、作家本人が選んだ自身の短編作品上映も実施される。

また、12月17日よりシアター・イメージフォーラムで開催される『アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ 2016』では、アピチャッポン監督のこれまでの単独長編映画全作とともに、マイケル・シャオワナーサイとの共同監督作品『アイアン・プッシーの大冒険』や、アピチャッポンの故郷であるタイ東北部イサーン地方を舞台にしたタイ映画史の名作『トーンパーン』『東北タイの子』も関連作として上映する。

webDICEでは、今回の展示と特集上映開催を記念して、2010年以来アピチャッポン監督と交流を深め、2017年2月25日(土)より公開される最新作『バンコクナイツ』を監督の故郷であるイサーン地方で撮影した空族の富田克也氏と相澤虎之助氏の対談を掲載。アピチャッポン作品の配給を手がけるムヴィオラの代表・武井みゆき氏の司会で行われた今回の対談では、アピチャッポン監督の制作活動に大きな影響を与えてきたイサーンという場所について、アピチャッポン監督との交流、そして彼の作品の魅力についてなどが語られた。


対談:空族、アピチャッポンとイサーンを語る
富田克也×相澤虎之助
聞き手:武井みゆき(ムヴィオラ)


■『バンコクナイツ』とアピチャッポンの関係


武井:富田さんは、2010年11月に『ブンミおじさんの森』のプロモーションでアピチャッポンが来日した時に対談をしてもらったんですが、あの時が初対面ですか?

富田:はい。

武井:その来日の際、『ブンミおじさんの森』でパルムドールを獲ったということも追い風になり、タイのインディペンデント映画にとって2010年は良い年だったとアピチャッポンは話していました。それから5年を経て、彼は2015年に『光りの墓』を発表した。一方、空族は『サウダーヂ』が2011年で、来年『バンコクナイツ』を公開する。この5年にはそれぞれに意味があると思います。今日は、5年という時間、そして『バンコクナイツ』の撮影地でもあるアピチャッポンの故郷イサーンという場所を主軸にしてお話を伺いたいと思っています。まず、2010年の対談で、富田さんはバンコクで次の映画撮ろうと思っているとアピチャッポンに言ってましたが、それが『バンコクナイツ』だったわけですね?

空族
空族の富田克也氏(右)と相澤虎之助氏(左)

富田:そうですね。

武井:完成した映画は、バンコクよりもイサーンでの撮影が多く、イサーンが主要なロケ地だと聞いています。

富田:『バンコクナイツ』というタイトルは割と早めに決まりまして、バンコクで撮るということもタニヤ・ストリートという日本人専門の歓楽街で撮るということも早めに決まってたんです。僕ら、『バンコクナイツ』は構想10年と言ってるんですけど、『サウダーヂ』をやり始めるよりもずっと前、それくらい前から相澤と話し始めていたんですね。

相澤:僕はずっと90年代にバックパッカーで東南アジアを回ってまして、『国道20号線』が終わった頃に、一度富田と一緒に東南アジアを回ってみようと。遅ればせながらその時に初めてタニヤへ行ってビックリしたというか……。企画はそこからなんですけど。

富田:僕と出会う前の8mmの東南アジア裏経済三部作の話をした方がいいんじゃない?

相澤:そうですね。バックパッカーやってる時に、カンボジア、ベトナム、タイなんかに行くと、トゥクトゥクの運転手とかがすぐに寄ってきて、必ず3つの事を聞くんですよ。女を買わないか、麻薬をやらないか、そして極めつけは銃を撃たないか。それで、これって何なんだろう、僕たちみたいな人間や欧米からの人間に向けて、裏経済としてこういうものが回ってるんだって思って調べ始めたんです。最初は、麻薬と売春と武器。武器は戦争と定義づけて歴史を調べた。まず麻薬というものを考えて、ラオスとミャンマーとタイにまたがるゴールデントライアングルの歴史を調べた。それでアヘンの歴史にたどり着き、自分が旅行で行ってた場所がそういう場所だったっていうようなことを8mmで撮ろうと思ったのが東南アジア裏経済三部作の始まりでした。

映画『バンコクナイツ』より
映画『バンコクナイツ』より

富田:そこで僕がその第一作目にあたる『花物語バビロン』の上映会に行ったのが、相澤との初めての出会いでした。これがとんでもない映画で、日本のボンクラバックパッカーが山岳少数民族<モン族>の中に入りこんで、彼らのそれまで搾取されつづけた悲惨な歴史が描かれていくわけです。それで僕もそういう認識を少しずつ得ていって、『国道20号線』を一緒に作り、その後、一緒に東南アジアへ行ってみようっていう話になった。

タニヤ・ストリートという場所の存在自体は、若い時に年嵩の男たちからの話で聞いていました。当時は地方でも景気がよかったから年嵩の先輩たちは、稼いだ金でそういう旅行に出かけていたわけです。で、実際自分たちでも行ってみて、驚いた。これはいつか映画にしたいよねっていうところから始まったのが『バンコクナイツ』でした。それで、いざリサーチ開始ということでバンコクの夜をうろつき始めると、トゥクトゥクやタクシーの運転手、そして夜の女の子たちと話していると、彼らが皆、一様に「イサーン」という場所から出稼ぎに来ているということを知ることになったわけです。

映画『ブリスフリー・ユアーズ』
映画『ブリスフリー・ユアーズ』 シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

■抵抗の地・イサーンを描くということ


武井:ではアピチャッポンと対談した時は、『ブンミ~』の舞台がイサーンであると言うはっきりした認識を持って見ていたということですか?

富田:いや、ラオスとの国境近くのタイの田舎、程度の認識でした。あの対談では「イサーン」という固有名詞よりも映画で象徴的に描かれているあの森、かつて抵抗勢力が中央政府と対立して森に立て籠もって共産ゲリラとして戦ったという史実のみを優先して話していました。抵抗の地であり、かつて解放区となったために、タイではそれらが“イサーンの森”にメタファーされることとなった。そこを舞台にアピチャッポン監督が映画を撮ってきたんだと理解し、さらに興味が増して、深く調べていったら自分たちが撮りたいことと見事に繋がっていったという感じでした。

映画『ブンミおじさんの森』
映画『ブンミおじさんの森』 シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

相澤:タイの人には、森に入るという言葉にすでに“抵抗”というようなニュアンスがあるというか、歴史的なものが想起されるみたいな、そういう感じがありますね。タイにはプア・チーウィットっていう“生きるための歌”っていう音楽のジャンルがあるんですけど、それがイサーン賛歌を歌うんですよ。

富田:そのプア・チーウィットの創始者って言われているカラワン、英語だとキャラバンという意味ですが、バンに乗ってイサーン中を演奏旅行し続けてきたバンドがいて、そのリーダー的存在がスラチャイ・ジャンティマトンさんという方なんですけど、実は『バンコクナイツ』でとある詩人の役で登場してもらってます。チット・プーミサックというイサーン出身でタイの重要な詩人です。チェラロンコン大学という日本でいう東京大学みたいなところを卒業している人で、タイ史上はじめて、国王からの卒業証書授与を突っぱねたんです。最終的には当時の軍事政権側の白色テロによってイサーンで殺されちゃうんですけど。これ、60、70年代の話を順序すっ飛ばして話しちゃってますけど、とにかくベトナム戦争を背景とした抵抗運動の中で多くのミュージシャンたちや詩人たちがたくさん森に入ったんです。

映画『トロピカル・マラディ』
映画『トロピカル・マラディ』 シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

武井:詩人も森に入る。南米的になってきました。

富田:まさにそうなんです!僕たちもそれに気づいて。アピチャッポンも次は南米で撮るって言ってましたし、ちょっと震えました。アピチャッポンは完全にそのラインを歩こうとしてるんだなって。ちょうどその頃、タイのアピチャッポンに会いに行った後だったから。こちらの勝手な思いですけど。


■アピチャッポン宅でのマジカルな出来事


武井:会いに行ったのはいつなんですか?

富田:『バンコクナイツ』の撮影より一年前くらい。僕がタイに住み始めたくらいの……2014年ですね。

武井:軍事クーデターがあった後ですか?

富田:後です。彼が軍事政権に対する怒りをずーっと話をしてた記憶があります。

彼が住んでるチェンマイの家に会いに行ったんですけど、彼の周りにはインディペンデント映画作家たちが集まってくるようで、その日、一組の男同士のカップル、ジェイとニンが遊びに来てた。僕その時、アピチャッポンの飼ってたヴァンパイアっていう犬と畑で遊んでいて指をパクっと噛まれて血がダラーっと。家に戻ってから絆創膏でも貼ればいいやなんて思っていたら、それをニンが目ざとく見つけて、ちょっと待っててと草むらにザザっと入っていって何か探してるんですよ。そしてある草を手で揉みつぶしながら戻ってきて、これで傷を押さえとけ、1分で血が止まるって。そうしたら、ほんとにすぐ血が止まった。

それからアピチャッポン家に戻って皆で話していたら、僕に草の治療を施してくれたニンは両親共々家族でラオスのルアンパバーン近くの村からタイ中部に移住してきたらしい。よくよく話を聞くとニンのおばあさんは今もラオスの村でお医者さんだと。聴診器での診療じゃなくて、その村で医者の意味するところはあらゆる薬草の知識をすべて持っているということなんだと。ニンはおばあさんから薬草に関する知識を全て受け継いでいる。

それで、ニンの恋人のジェイが実は生まれつきの難病を持っていて、ずっとチェンマイの医者に通っていたけど治らないから一生付き合っていくしかないと思ってた。そうしたら、このラオスからやって来たニンが、ジェイが病院に行くのをやめさせ、食事療法から薬草の調合まで全部面倒を見続けたら、難病指定の病気が治ってしまったと。そしたら実はそのジェイのおじいさんがすごい人で、蜂とか蚊とか自然の中にいる虫とお話ができる人だったと。

映画『真昼の不思議な物体』
映画『真昼の不思議な物体』 シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

武井:アピチャッポンの周りにはそういう人が集まってくるんでしょうか?

富田:ジェイのおじいさんはいつもふらっといなくなって、タイ中を巡って各地のそういうシャーマン的な人たちと交流をもって情報交換をして帰ってくるってことをひたすらしていたらしいです。ジェイは自分が4歳の時に死んでしまったおじいさんが、必死にその術を4歳のジェイに伝えようとしていたのを憶えていて、しかし当時はおじいさんのいうことがさっぱり理解できなかったと。その後、ニンとの出会いもあり、彼はそのことをすごく悔やんでいると言ってました。

そんな出来事の積み重ねが、少しずつアピチャッポンの描く映画の世界観に対する僕たちの認識も深めてくれたし、さらに自分たちの作ろうとしていた映画『バンコクナイツ』への道筋も見えていったという感じでした。アジアの懐の深さを感じ始めていたんだと思います。あの時期に彼らに会えたというのが非常に大きかったですね。

武井:そこでの出会いや語られたことが『バンコクナイツ』のイサーンの部分につながる訳ですね。

富田:そうですね。僕たちはイサーンでもラオスとの国境の町を舞台に設定して、ノンカーイというほぼラオス圏の町で撮りました。

武井:ノンカーイは、アピチャッポン映画でおなじみのジェンが住んでるところですね。


■『ブンミおじさんの森』の背景にある闘争


武井:先ほどのシャーマン的な話も、タイ全土に共通するものはあると思いますが、アピチャッポンはよくイサーンをクメールのアニミズムやラオの文化がある場所で、それはタイ化された場所、タイネスとはちょっと違うんだという言い方をしているので、富田さんが聞いていた話は非常に東北的なところが強いという風に思いました。

相澤:結局クメールなんですよね、本当は。元をただすと歴史的に古いのはクメール文化で、その後ラオスの王朝ができたけど、ラオスももちろんクメール王朝の流れを汲んでるわけだから、その一帯はもともとクメール文化ですね。

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映画『ブンミおじさんの森』 シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

富田:それでさっき言ったチット・プーミサックっていう詩人はクメールの古文書までをも全部読解することができたそうなんですけど、戦闘的詩人と形容されるほどゴリゴリの人で、“生きるための芸術運動”を提唱して、それに影響を受けたカラワンなどのバンドが“生きるための歌”っていうジャンルを作るきっかけとなったわけです。

そのカラワンの仲間のミュージシャンたちも白色テロ(反革命側が行う暴力的な直接行動)に遭って殺されるんですが、ギターと楽器を担いでイサーンの森に逃げ込む。そしてイサーンの森の中で「人民の声放送」というラジオ放送を使って解放区から死んだ仲間たちを悼む歌を歌って流したりとか、そういうことをやっていった。

相澤:それでラオスまで逃げるんですけど、もちろんその間にもイサーンでは白色テロが各地で行われた。『ブンミ~』はそういう話ですよね。

武井:実際にイサーンに初めて行ったのはいつなんですか?

富田:意識してイサーンだ!という感じで行ったのは……3、4年前かな……最初にノンカーイに行って……地図で見るとメコン川があって、ラオスがあって…国境越えるとラオスの首都のビエンチャン。なんとなくここで撮影しようっていう勘が早めに働いたんだよね。その場所の風景にまずやられちゃったっていう感じなんですけど。

相澤:ザ・メコン川!みたいな。『メコンホテル』の場所ですね。

富田:思いっきり内陸部なはずなのに海沿いにいるような気持ちになった。楽園だなこりゃ、って思っちゃいましたね。そしたら地元の人たちが、アメリカの調査で、リタイアしたらどこに住みたいかというアンケートの世界第7位がノンカーイなんだぞと、皆が自慢気にいうんです。なるほどなぁ、と。

『バンコクナイツ』の主人公ラックの二番目の父親は退役アメリカ軍人という設定にしましたが、『バンコクナイツ』を撮り終わった頃、虎ちゃんが『光りの墓』を観に行った。そしたら、いやぁ間違いなかったねって言うから、なにが?って聞いたら、アピチャッポンの方も主人公の旦那が退役アメリカ軍人だったってことで、やっぱりそうだよねって(笑)。

映画『光りの墓』より © Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
映画『光りの墓』より シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

■『光りの墓』で彼は確信を得た


武井:『ブンミ~』と『光りの墓』の間は5年ですね。『光りの墓』の最後でジェンが目を開ける素晴らしい場面を観た時に、そこにアピチャッポンの5年が凝縮されているような気がしたんですが、『ブンミ~』から『光りの墓』の5年という時間も踏まえて、お二人は『光りの墓』で何を感じましたか?

富田:彼は確信を得たんだなと思ってます。それまでも彼の嗅覚は鋭く嗅ぎわけていて、その確信のヒダには触れていたし、そうやって一作一作積み重ねてきたわけですけど、『ブンミ~』と『光りの墓』を比較した時に、ヒダに触れるどころか、捕まえていると思いました。ジェンがそれを視ているのだと。僕たちの中にもそういう5年間はあった。例えば『サウダーヂ』から『バンコクナイツ』に至るまでタイや東南アジアに行き、アピチャッポンたちとも接して、彼らの話を聞いて非常に多くの事に気づかされた。たとえば、こうやって都市や都会で生きてしまうとコンクリートに遮閉される。でも、そもそも人間があまりに土などの自然物と離され過ぎるれば無理も出る。自然は味方につけておいて間違いない。そういうシンプルなことに気づくことだったんだと思います。

映画『光りの墓』
映画『光りの墓』 シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

『光りの墓』を観て、空にミジンコみたいなのが映る、ジェンは最後に大きく見開いて何かを見ている。すべてのものが循環しているという本質的なことに気づく。アピチャッポンはきっと、イサーンという自然の中に身を置いて、こことちゃんと繋がっておけば間違いないという確信と、その確信をもとにいろんなことに潜行していったんじゃないかと思うんですよ。

この前、たまたま僕がパリに行ってた時、ちょうどアピチャッポンが来ていて、その偶然を彼は「カルマ(業)だ!」って言ってましたけど(笑)。『光りの墓』の上映があって、Q&Aだけで2時間以上やってたんじゃないかな。英語よくわかんないけど、それでも頻繁に彼の口からブッディズムという言葉が聞こえてきたんです。僕も長らくタイにいるから、日本では感じることのできない仏教が改めて身に染みることがたくさんあった。

相澤:僕は『光りの墓』はタイ語の原題その通りだと思いました。『コーンケーンの愛』ですよね。別に恐怖することでもなんでもなくて、これは抵抗の映画だと思いました。だから、それはすなわち愛、という話で僕はストンと落ちましたね。


■アピチャッポンは「怒っている僧侶」


富田:アピチャッポンは会ってみると佇まいが僧侶みたいですよ(笑)。

相澤:愛っていう言葉が西洋的なのか東洋的なのかっていうのはまた問題なんだけど、そういうのも含めて問うてる映画だと思うんですよ。

富田:僧侶っていうとひたすら静かに座禅を組み、怒りもせず、というイメージがあるかもしれないけど、そりゃ怒る僧侶だっているからねって僕は言いたい。今のアピチャッポン見てたら僧侶みたいだなぁって思うもん、佇まいからして。でも怒ってるんですよね。

相澤:そう、むちゃくちゃ怒ってる。すごく優しいけど、すごく怒ってますよね。

武井:恐ろしいことと優しいことが両立している。

映画『世紀の光』
映画『世紀の光』 シアター・イメージフォーラム『アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ アンコール』にて上映

相澤:そうですね、でも自然というのはそういうもんだっていう見方もできる。そういう意味では循環してる。ひとつの理屈じゃない、理論とか善悪とかそういうところじゃないっていうこと、物で計ることじゃないよってことだと思うんですけど。そういう意味で非常にアジア的であると思います。

富田:僕たちがアジアを強く意識し始めた時にアピチャッポンに会いに行って、日本がアジアから遠ざかっていると気づく部分と、同時に日本もアジアの一部なんだという認識がさらに深まった。そっちに照準を合わせてみると、狂ってるなぁってことの方が多い。ある種そのシンプルなところにチョッケツした時に否定される部分がある。最後のシーンでジェンが目を見開いてますけど、目の前に映し出されている風景は、穴掘ってるぼこぼこの土の上で子供たちがサッカーをやっているという画だからね(笑)。『光りの墓』の研ぎ澄まされ方は凄い。これは誰が作ったんですか?(『光りの墓』のポスターを指して)

武井:それはアピチャッポンの方で作ったオリジナルビジュアルですね。

富田:恐竜いるし、木と一緒になっちゃってるし(笑)。

相澤:そういうことですよね。

武井:よくアピチャッポンが言うオーガニックって感じで有機的です。

相澤:そうですね、有機的なって言葉が一番いいのかもしれないですね。

アピチャッポン・ウィーラセタクン《花火(アーカイヴス)》2014年 シングルチャンネル・ヴィデオ・インスタレーション HDデジタル、カラー、ドルビーデジタル5.1、6分
『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』より、「花火(アーカイヴス)」2014年 シングルチャンネル・ヴィデオ・インスタレーション HDデジタル、カラー、ドルビーデジタル5.1、6分

富田:僕たちは日本だから、まず東南アジアという一番近い大陸に行ってみたいと思って行ったけど、次は南米だなって言ってたんですよ。そうしたら、アピチャッポンが先に次は南米だと宣言してるのをツイッターか何かで見たんです。それはつまり、人々が抵抗し守ろうとしている地、ということだなんだと思います。それを嗅ぎつけて行くんだと思う。

相澤:だいたい(アピチャッポンの制作会社の名前が)キック・ザ・マシーンだしね。

富田:そうなんだよ(笑)、完全に腑に落ちたよね。

相澤:いわゆる有機的であるってこと自体が、売り買いされるものに対する抵抗であるっていう広い意味もあると思います。

武井:それでは、ぜひ次は南米でアピチャッポンと、ですね。ありがとうございました。

(取材:2016年11月23日)



『アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ 2016』

『アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ 2016』
2016年12月17日(土)~2017年1月13日(金)
シアター・イメージフォーラム

上映作品:
『真昼の不思議な物体』
『ブリスフリー・ユアーズ』
『アイアン・プッシーの大冒険』
『トロピカル・マラディ』
『世紀の光』
『ブンミおじさんの森』
『光りの墓』

《関連上映》
『トーンパーン』(ユッタナー・ムクダーサニットほか監督)
『東北タイの子』(ウィチット・クナーウット監督)

『アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ 2016』公式サイト




アピチャッポン・ウィーラセタクン《悲しげな蒸気》2014年 ライトボックス、昇華型熱転写方式
『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』より、「悲しげな蒸気」2014年 ライトボックス、昇華型熱転写方式

総合開館20周年記念
『アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち』展
2016年12月13日(火)~2017年1月29日(日)
東京都写真美術館 地下1階展示室

開館時間:10:00~18:00(木・金は20:00まで)
ただし、2017年1月2日(月・振休)・3日(火)は11:00~18:00
入館は閉館30分前まで
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日が休館。ただし1月3日は開館)年末年始(2016年12月29日~2017年1月1日)

展覧会公式サイト



上映『アピチャッポン本人が選ぶ短編集』
2016年12月13日(火)~2017年1月5日(木)
東京都写真美術館 1階ホール

展覧会開催期間中、作家本人が選んだ自身の短編作品上映。本邦初上映作品を含む、本展の為だけの特別プログラム。

12月18日(日)の上映前にアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の挨拶あり
上映はすべて、タイ語・英語/英語・日本語字幕付
上映時間:19:00(開場 18:45) ただし、2017年1月2日(月・振休)、1月3日(火)は13:00から上映

短編作品上映公式サイト

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