骰子の眼

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東京都 渋谷区

2017-03-09 21:36


「東京ろう映画祭」関連企画、稀代のろう写真家・井上孝治の作品展が渋谷で開催

50年代の福岡、戦後の沖縄を捉えた作品をアツコバルー&アメリカ橋ギャラリーで展示
「東京ろう映画祭」関連企画、稀代のろう写真家・井上孝治の作品展が渋谷で開催
アツコバルーで開催中の『音のない記憶』井上孝治写真展より

昭和を生きる市井の人々の姿、古きよき日本の街並み、子どもたちの笑顔……。〈見ること〉を武器に、卓越した構図と独特の距離感から日常を切り取った作品の数々が国内外から広く評価されたろうの写真家・井上孝治の写真展が、日本初となる「ろう」をテーマにした映画祭「東京ろう映画祭」の関連企画として、3月、4月の2期に渡って開催。webDICEでは、主催の牧原依里さんによる解説を掲載する。

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「東京ろう映画祭」は渋谷・ユーロライブをメインの会場にして、「視覚の知性」をテーマに、ディレクターを務めるろう者のふたり、牧原依里さんと諸星春那さんの視点からセレクトされた、ろう者出演のドキュメンタリー映画やろう者監督による作品の上映、今まで日本語字幕がなかった邦画の字幕つき上映を行う。

今回「東京ろう映画祭」と同時開催される写真展、そのPART1となる『音のない記憶』は3月9日から12日までアツコバルーで開催。彼の故郷、1950年代の福岡を捉えた写真集「想い出の街」「こどものいた街」から代表的な作品を58点展示。そしてPART2の『あの頃~1959年沖縄の空の下で~』は4月5日から10日まで、アメリカ橋ギャラリーで行われ、戦後の沖縄を捉えた貴重な作品群が展示される。

『音のない記憶』井上孝治写真展
アツコバルーで開催中の『音のない記憶』井上孝治写真展 入口
『音のない記憶』井上孝治写真展
アツコバルー『音のない記憶』井上孝治写真展より

また、写真展の会期中には、井上孝治の写真の魅力に迫るトークショーも開催される。生涯アマチュアを貫きつつも、彼はなぜ国内外から多大な賞賛を得るに至ったのか。時代を超えて惹きつけられる、彼の作品が放つ<懐かしさ>はどこからくるのか。井上孝治の長男・井上一氏(広告写真家)、ならびに岩田屋の広告ポスターに井上孝治の写真を手がけた副田高行氏(アートディレクター)、大竹昭子氏(作家)がゲストとして来場予定だ。

『音のない記憶』井上孝治写真展
アツコバルー『音のない記憶』井上孝治写真展より



●井上孝治は何者なのか


1919年の福岡市で生まれた井上孝治は、3歳の時に事故で聴力を失い、福岡県立福岡聾学校に通い、卒業祝いに趣味人であった父より贈られたカメラで本格的に撮影を始める。年齢を重ねるごとに撮る力を着実に伸ばし、カメラに夢中になっていった彼は、戦後、福岡県春日市にて「井上カメラ店」を開業。妻に経営や写真現像作業などのすべてを任せきりにして、自身はカメラを片手に各地へ撮影に出歩く毎日を過ごしていく。そんな中、多数のコンテストにも挑戦し、数多くの賞を獲得してきたことから、『コンテスト荒らし』の異名を取り、当時のアマチュア写真界では有名な存在となっていった。

「家族の事や家業のカメラ屋さんは、母に任せっぱなし、カメラを持って撮影に出かけるか、ろう者の仲間ところへ出かけるか、側で見ると“もう少し家業のカメラ屋の仕事をやればいいのに……”と子供ながらに思っていました。それを、好き勝手にやらせていた母が偉かったと、今思います」と井上孝治の長男・一は当時の様子を懐かしみながら語っている。

『音のない記憶』井上孝治写真展
『音のない記憶』井上孝治写真展より

●国内外から注目され始めたのは
「思いがけない」ことがきっかけだった


1970年代以降、福岡市やその周辺は都市開発により大きな変革を遂げていた。1984年には春日原駅前の再開発やカラー写真の台頭に伴い、「井上カメラ店」は閉店。街へ出かけて撮影する機会が激減していた井上孝治は、晩年を妻とともに穏やかに過ごそうと考えていた。

そんな折、1989年に開催された博多の老舗・岩田屋デパートの広告キャンペーンをきっかけに、彼の作品は国内外から多くの注目を集めることになる。

岩田屋デパートの広告キャンペーンは、「想い出の街」をテーマに、昭和30年代の街や市井の人々の写真を募っていた。そのキャンペーンを手掛ける主催者が、当時広告写真家として活躍していた井上孝治の息子・井上一と仕事上の馴染みがあり、一の父が撮影した写真に興味を持ち相談をした。

一は父から家に写真が残っていることを聞き、まもなく数箱のダンボールを発見。その中には一でさえも見たことのない数多くの「ネガ」が保管されており、父が1950年~1960年にかけて撮影した未公開のモノクロ写真も数多く残っていた。

『音のない記憶』井上孝治写真展
『音のない記憶』井上孝治写真展より

一は、早速スタジオで「ネガ」の一部をベタ焼きにしたところ、そこには父がコンテストに向けて撮影した写真とは異なる、写真家・井上孝治の素直な感性が映し出されていた。一自身もそれらの写真を前にして、子供時代のぼんやりした記憶が一瞬のうちによみがえり、父が被写体に注ぐ温かな視線を見出し、言葉にならないほどの感情が込み上げた。そして気がついたら、手の中にある写真はぼやけて見えていたと、発見当時のことを多くの場で語っている。

井上孝治|1957年(昭和32年)11月 博多・天神 ©井上孝治写真館
井上孝治|1957年(昭和32年)11月 博多・天神 ©井上孝治写真館

そしてこの後、30年間埋もれ続けてきた写真が紡ぎだす《記憶》の数々が主催者の心をも強く打ち、最終的に彼の写真が広告キャンペーンに採用された。

これ以降、福岡の街やバスなどにポスターとして井上孝治の写真が多数使用され、たちまちのうちに彼の写真展が開催されるに至った。

なお、井上孝治が脚光を浴びる以前、長年保管されていた「ネガ」はあやうく彼の妻にゴミと一緒に捨てられそうになっていたとのことである。ある日、部屋が狭くなったという理由から、それまで保管されていた「ネガ」は丸ごとゴミ収集場へ一度置かれてしまった。その事を知った彼は血相を変えて、「これは絶対に捨てるな」と言わんばかりにゴミ収集場から「ネガ」を一気に取り戻した。もしも、そのまま数多くの「ネガ」がゴミ収集場に放置されたままだったら、彼の写真は今の時代に残ることなく、永遠に忘れられた存在として埋もれていたのである。思いがけない偶然の連なりから、彼の写真は世にでることになったのである。

『音のない記憶』井上孝治写真展
『音のない記憶』井上孝治写真展より

●戦後の沖縄をとらえた、今では貴重な写真の数々


井上孝治の写真は、岩田屋の広告キャンペーンでの好評の後、博多で写真展が開催されるなど、一躍世間の脚光を浴びることとなった。

そんな彼の作品群の中でも、とりわけ注目すべきは、彼が1959年の正月に米国占領下の沖縄へ赴き、4週間ほど撮影を続け、数多くの貴重な写真を残していたということである。彼が沖縄へ赴いたのは、特別な理由ではなく、ただ写真を撮りたいという純粋な動機によるものであった。この時の沖縄の写真も、これまでの福岡を写した写真と同じく、「ネガ」は長年埋もれ続けていたのである。

米国占領下の沖縄の写真と言えば、世の中にあるのは報道写真がほとんどであり、そのドキュメンタリズム強くカオスな色調からは、市井の人々の表情に潜む哀愁が漂っている。

しかし、この時井上孝治が撮影した写真の数々には、レンズに向かって笑顔で応える子どもたち、振り向いて笑う婦人たちといった、従来の報道写真のイメージとはかけ離れた、普遍的で生き生きとした人たちの姿が写っている。

彼が短期間のうちに撮影した写真の数々は、1991年に沖縄で開催された写真展に展示され、若い世代から老人まで、多くの人たちから受け入れられたのである。

『音のない記憶』井上孝治写真展
『音のない記憶』井上孝治写真展より

●フランスの女流監督が彼の生涯を追ったドキュメンタリー映画、
「東京ろう映画祭」にて上映


今回の「井上孝治写真展」は、「東京ろう映画祭」にて上映される作品の一つである映画『井上孝治、表象を越えた写真家』の上映に伴い、関連企画として開催される。

映画『井上孝治、 表象を越えた写真家』©FotoFilmEcrit1999
映画『井上孝治、 表象を越えた写真家』©FotoFilmEcrit1999

彼の写真は、福岡・沖縄だけではなく、フランスでも脚光を浴びた。1993年に、南仏にて開催されたアルル国際写真フェスティバルで彼は招待作家の一人として選出され、写真展が開催された。ただ、残念なことに、彼自身は病気でアルルへ赴くことはできず、1993年5月にこの世を去った。

しかし、このアルル国際写真フェスティバルで、ひとりのフランス人映像作家が彼の写真に深い感銘を受けた。

「私が会場に着いて、初めて彼の写真を見た時、まるで写真が語りかけてきたかのようでした。今まで、これほど直接写真が語りかけてくれる世界に出会ったことはありませんでした」

当時のことをこう述懐するのは、ブリジット・ルメーヌ監督。2歳の頃からろう者の祖父母に手話で育てられてきた彼女は、「ろう者は聴者と違った何かを持っている」と常々感じているという。彼女は井上孝治の素晴らしさを映像で伝えようと、短編映画『私を見てください、私があなたを見ます』、そして長編映画『井上孝治、表象を越えた写真家』を制作する。

井上孝治|1959年(昭和34年)1月 沖縄・糸満漁港 ©井上孝治写真館
井上孝治|1959年(昭和34年)1月 沖縄・糸満漁港 ©井上孝治写真館

●井上孝治の写真の魅力とは―


音を耳で捉えることができる聴者は、主に音を感じながらシャッターチャンスを捉えるそうだが、ろう者は、見ることに重点を置いている。人の動きと状況を見ながら、瞬間を待つことが多い。井上孝治も、ここぞというところで一瞬を捉える。そのような写真を数多く残している。

『音のない記憶』井上孝治写真展
『音のない記憶』井上孝治写真展より

さらに、沖縄や福岡で撮影したような、平凡な日常生活の中にある市井の人々・子供たちを捉えた写真の中には、きわめて斬新で美的視点を捉えたものが多い。例えば、井上孝治が沖縄・糸満で撮影した老漁師の写真がある。その写真は、老漁師自身の生命感がみなぎり、輝いている。そしてその背景には、堤防と堤防の間に切れている部分がある。堤防は暗い線と同じように色のトーンを暗くするイメージを創り出している。逆に、切れた部分は、ますます白くなり、太陽があるわけでもないのに、輝きを放っている。その間に老漁師を置くことで、さらなる輝きを放っている。その部分を井上孝治は人だけでなく、光の捉え方や風景の配置まで細かい部分に目を配り、ここぞというところで捉えてきている。

国内外から賞賛を浴びた稀代のろう写真家・井上孝治。彼の写真が、この3月と4月、東京を再び訪れる。

(文:牧原依里[東京ろう映画祭主宰])



井上孝治 ©井上孝治写真館
井上孝治 ©井上孝治写真館

井上孝治(いのうえ こうじ) プロフィール

1919年福岡市生まれ。福岡県立福岡聾学校中等部卒業。3歳の時事故で聴力を失う。戦前より写真を撮り始め各種コンテスト入選。89 年岩田屋デパートのキャンペーンに写真が採用され、同年福岡市で写真展を開催。90年パリ写真月間に出品。93年アルル国際写真フェスティバルに招待され、アルル名誉市民章を受賞。写真集に「想い出の街」「こどものいた街」「あの頃」と、評伝『音のない記憶』黒岩比佐子著がある。東京、京都、長崎、熊本、沖縄、フランス、スイス、アメリカ、イタリアなどで写真展が開かれた。




■東京ろう映画祭(TOKYO DEAF FESTIVAL 2017)
2017年4月7日(木)から4月9日(月)までの会場:渋谷ユーロライブ

http://tdf.tokyo
主催:東京ろう映画祭実行委員会(聾の鳥プロダクション)




■PART1|井上孝治写真展 『音のない記憶』
2017年3月9日(木)~ 3月12日(日)

会場:アツコバルー arts drinks talk
東京都渋谷区松濤1-29-1 クロスロードビル5F
3月9日(木)~3月11日(土):14:00~21:00
3月12日(日):11:00~18:00
料金:無料
http://l-amusee.com/atsukobarouh/schedule/2017/0309_4168.php

【関連イベント】

ギャラリートーク(手話通訳・UD トークあり)
各回料金:各1500円(1ドリンクサービス付)

「井上孝治の写真と出会って -写真集・想い出の街を振り返って-」
2017年3月10日(金)
受付予定:18:30 / 開演:19:00 / 終了予定:20:30
ゲスト:副田高行(アートディレクター)×井上一(広告写真家)
聞き手:大橋光(東京ろう映画祭スタッフ)

「この写真の魅力を探そう-井上孝治の写真をめぐって-」
2017年3月11日(土)
受付予定:18:30 / 開演:19:00 / 終了予定:20:30
ゲスト:大竹昭子(作家)
聞き手:諸星春那(東京ろう映画祭スタッフ)

■PART2|井上孝治写真展 『あの頃 ~1959年沖縄の空の下で~』
2017年4月5日(水)~4月10日(月)

会場:America-Bashi Gallery[アメリカ橋ギャラリー]
http://americabashigallery.com/
東京都渋谷区恵比寿南 1-22-3
4月5日(水)13:00~19:00
4月6日(木)4月9日(日)11:00~19:00
4月10日(月)11:00~17:00

ループ上映 井上孝治短編映画
『私を見てください、私もあなたを見ます』
監督:ブリジット・ルメーヌ Brigitte Lemaine
(1996年/フランス/フランス手話、日本語字幕/19分/モノクロ/©FotoFilmEcrit/DVD未発売)

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