骰子の眼

cinema

2017-03-30 18:25


オタク女子が妄想した魔性の美少年を世に放つ―岡田育が語る『作家、本当のJ.T.リロイ』

なぜ、作家ローラ・アルバートは10年もの間、J.T.リロイに物語を語らせたのか
オタク女子が妄想した魔性の美少年を世に放つ―岡田育が語る『作家、本当のJ.T.リロイ』
J.T.リロイとローラ・アルバート

2017年4月8日(土)より、新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開となる、映画『作家、本当のJ.T.リロイ』

90年代に女装の男娼となった過去を綴った自伝『サラ、神に背いた少年』で時代の寵児となったJ.T.リロイ。その後、マスメディアに現れていた少年は影武者で、小説を書いていたのはマネージャーとして隣にいた当時40歳の女性ローラ・アルバートだったというスキャンダルが発覚。映画は、その真実を彼女自身の言葉とセレブたちの通話音声によって解剖する内容になっている。

webDICEでは、『ハジの多い人生』の著者で文筆家の岡田育さんによる解説を掲載する。




私だって彼女とまったく同じことをしていたかもしれないじゃないか…!
文:岡田育(おかだ・いく)

J.T.リロイは1980年、ウェストバージニア州生まれ。娼婦である母親と放浪生活の末、12歳からは女装をして男娼として客を取るようになる。医師の勧めで16歳から執筆を始め、実体験にもとづいた自伝的小説『サラ、神に背いた少年』は処女長編にしてベストセラーとなった。ドラッグ中毒でHIV陽性者、金髪のウィッグとサングラスの奥に素顔を隠し、人前に出ることを嫌う伏し目がちな少年は、文学界に突如現れたミステリアスな「路上の天才」ともてはやされる。


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文学界の新星として紹介されたJ.T.リロイ

2016年に米国公開されたドキュメンタリー『作家、本当のJ.T.リロイ』では、この作家の生い立ちが本人の語りで綴られていく。といっても、単なる伝記映画ではない。なぜなら彼は架空の存在、その正体は、1965年生まれの女性ローラ・アルバート。人前に露出していたのはカネで雇われた代役の女性で、ローラの恋人の妹だった。2006年に暴露記事が出るまでの約10年間、すぐにもバレそうなこんな話を、出版社も読者も、著名な作家や映画監督も、ミュージシャンもセレブリティも、みんなすっかり信じていたという。

このエピソードを聞いて思い起こされるものは、人それぞれだろう。世間の「感動」が一瞬でしらけたという意味では、全聾の作曲家とゴーストライターの騒動を連想するかもしれない。あるいは、実年齢や整形前の容姿を隠して活躍するきらびやかな芸能人、一般社会に溶け込み平穏な逃亡生活を続けていた凶悪犯の物語を思い出すだろうか。ファムファタルの美を讃えるあの傑作小説、少年愛を描いたあの名作漫画が、「自伝」として発表されていたらどう評価されたか? なんて想像もできる。


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ローラ・アルバートとJ.T.リロイ

私の感想は、「我が身につまされる」だった。最初はもちろん、捏造を実話と騙ったペテン師なんて酷評を受けて当然だと思った。たとえ法には裁かれずとも、読者を裏切った罪は重い。しかしローラ・アルバートのフワフワ揺れる据わった目が、なんだか他人と思えない。

夢見がちで、恥ずかしがりやで、太った容姿にずっとコンプレックスを抱えてきた、残虐描写とゲイポルノに萌える成人済みオタク女子が、妄想の中で育て上げた魔性の美少年を、そっと世に放つ。もし、もしも、何者かになりたくて空想のお話をノートに書き散らしていたあの中二病まっさかりの思春期の私が、ローラと似たチャンスを手にしたら。そして周囲の全面協力と、驚異的な実行力が伴えば。私だって彼女とまったく同じことをしていたかもしれないじゃないか……! と、過去の黒歴史をあれこれ思い出し、その晩は布団の上を転げ回ってしまった。



ローラを駆り立ててきたものは、「どうせ誰もブスの私になんか興味がない」という、テコでも動かぬ、おそろしいまでの自己評価の低さ

十年経った今、Googleで検索すれば事の真相を知るのは簡単だ。小説だって、後から読めばいかにも嘘くさい。でも、たしかに面白い。レビューサイトには「文学的才能は十分あるのに、なぜ最初から本名で創作として発表しなかったんだろう?」と感想が綴られている。

本作は、ローラ自身の一人語りと、膨大な留守番伝言メッセージや通話記録を軸に、その疑問に踏み込んでいく。私たちは2時間余、瞳孔全開のまま、飄々と、堂々と、また嬉々として「J.T.リロイ」の誕生秘話を語る、ついでに己の心の闇をもさらけ出す、ちょっと頭のおかしな女の話に付き合わされる。


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映画『作家、本当のJ.T.リロイ』ですべてを語るローラ・アルバート

自宅のバスルームからテレホンセックスと児童電話相談と自殺防止ホットラインに代わる代わる電話していた彼女のなかに、浮かんではすぐ消えていく無数の「別の自分」のうち、一人だけ長く「生き残った」のがJ.T.リロイだった。誰に何度電話をかけても、彼は彼のままそこに居続けた。彼女はペンを執り、彼の身上話を克明に綴っていく。そしてついに思い至る。「ここに『実在』する男の子のために、あと足りないのは、生身の肉体だけだ」と。

女が男の名前で小説を描き、男が女のふりをして日記を書く、なんて1000年前から繰り返されてきた営みだし、SNSの匿名アカウントで別人格として暴言を吐いてはストレス発散する現代人だってたくさんいる。レンタルサービスで雇った赤の他人に彼氏のふりをしてもらうとか、加工しまくり美化2000%の自撮り画像をすっぴんと言い張るなんてことも、よくある話だろう。

あちこち盛りに盛りまくって、都合よく情報を伏せておいたって、これもまた「私」に変わりはないのだから、何も悪いことはしてないよねぇ?と自分に言い聞かせる。そんな経験が少しでもあったら、己を棚に上げてこのオバサンを笑うことができるだろうか?


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太っていたころのローラ・アルバート

ローラを駆り立ててきたものは、「どうせ誰もブスの私になんか興味がない」という、テコでも動かぬ、おそろしいまでの自己評価の低さである。これにはいたく共感する。冴えない私の頭の中を、もっとイケてる美少年が語ってくれたら、私自身には絶対に振り向いてくれないだろう誰かの下まで、この声がちゃんと届くのではないか。たとえば憧れのデニス・クーパーやウィノナ・ライダーにまで。ああローラ、わかるわ、私もあなたと同じ気持ちよ!と叫びたくもなる。

かと思えば、ちょっとダイエットに成功した途端にムクムクもたげてくる過剰な自己顕示欲には、声を上げて笑ってしまう。あっさり自信を取り戻した彼女の貪欲さはすさまじく、一躍セレブの仲間入りを果たした彼女には、いわゆる「オタサーの姫」的な資質も垣間見える。知人にいたら大迷惑である。うーん、やっぱり嘘はダメだよ、私はあんたとは違うね!と慌てて前言撤回する。

巧みな表現力で語られる数々の衝撃的トラウマとは裏腹に、彼女の少女時代は十分幸福そうに見える。映画を追ううち、目で見たものと耳で聞く話が、まるで別物と感じられる瞬間が何度も訪れて、ハッとする。どちらかを「嘘だ!」と断じることはできない。写真に残る笑顔のほうが造り物で、幼い彼女は必死で感情を押し殺していたかもしれないのだ。

「真実」は「事実」と異なり、彼女の中にだけ存在していて、外側にいる他の誰にも触れることはできない。後から聞けば、どうってことない話だ。とんでもないことを成し遂げたこの作家を、私たちは指をくわえて眺めることしかできない。でも、たしかに面白い。正直、小説より、面白い。


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少女時代のローラ・アルバート




岡田育(おかだ・いく)

文筆家。出版社勤務を経て執筆活動を始め、現在アメリカ在住。
著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)。




映画『作家、本当のJ.T.リロイ』
2017年4月8日(土)より、新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開

監督:ジェフ・フォイヤージーク(『悪魔とダニエル・ジョンストン』)
撮影監督:リチャード・ヘンケルズ
音楽:ウォルター・ワーゾワ
出演:ローラ・アルバート、ブルース・ベンダーソン、デニス・クーパー、ウィノナ・ライダー、アイラ・シルバーバーグ ほか
(2016年/アメリカ/111分/カラー、一部モノクロ/1.85:1/DCP/原題: Author: The JT Leroy Story)
配給・宣伝:アップリンク
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映画『作家、本当のJ.T.リロイ』

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