骰子の眼

cinema

東京都 目黒区

2008-07-04 16:37


写真家を戦場取材へ突き動かすものは何か

「9.11の同時多発テロの衝撃が戦争取材のチャンスをくれた」―写真家の片野田斉氏をゲストに招いて戦場取材について話を訊いた。
写真家を戦場取材へ突き動かすものは何か
(写真)フリーの写真家として活躍する片野田斉氏

イスラエル人としてパレスチナ紛争の取材を続ける報道写真家ジブ・コーレンの姿に迫ったドキュメンタリー映画『1000の言葉よりも-報道写真家ジブ・コーレン』の公開にあわせ、世界で活躍する日本のジャーナリストや写真家を招き、トークイベントが開催されている。彼等を戦場取材へ突き動かすものは何か。現場で彼等は何を考え、具体的にどう取材を行っているのか。


ジブ・コーレンも在籍するフォト・エージェンシー、ポラリス・イメージズの会員である報道写真家、片野田斉氏が取材活動の場を国内から海外へ移す事を決めたきっかけは2001年の9月11日に起きた米国同時多発テロ事件である。

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「報道カメラマンとしていつかは戦場を見てみたいと強く思っていました。日本の週刊誌が戦場取材にカメラマンを派遣するというのは現実的には難しかったのですが、世界貿易センタービルの崩壊の映像が編集者の首を縦に振らせました。
ちょうどフィルムからデジタルへ変わる時期で、買ったばかりのデジタルカメラを持ち、パキスタンのイスラマバードへ飛びました。現地では誰がアフガンへ一番乗りするかが報道陣にとっての大きな関心事でした。初めての土地で右も左も全くわからない状態で、世界中から集まって来たカメラマンの動きを見ながら取材を始めました。その時は、国境沿いのアフガン難民キャンプ取材に終りました。
初めてアフガン入りしたのは2002年の1月、カブールが陥落した後の事です。カブール北部のバグラム空港へ到着し、滑走路の端に置かれた荷物を取ろうと砂地に足を踏み入れた途端、“どこに地雷が埋まっているかわからない。アスファルト以外は危険だ!”と怒鳴られ、まさにここは戦場なのだと実感しました」

(写真)上映後に戦争取材について語る片野田斉氏

もともと写真家となったきっかけは「何かを伝えたい」というよりも「世界の色々な場所へ行ってみたい」という思いが強かったと言う片野田氏。大学卒業後、NHKの映像取材部で現場を経験するが、「一瞬を捉えた写真の方が心に突き刺さる」「責任が全て自分に降り掛かってくる写真の方が性に会う」という理由から写真家への転向を決意。第一線で活躍していたベテランの報道写真家、山本皓一氏に師事し写真家としてのキャリアを開花させる。

時代は「フォーカス」をはじめ写真誌全盛期、片野田氏は数多くの週刊誌、月刊誌に寄稿を続けた。9.11以降もその頃に築いた週刊誌等のネットワークが発表の場だ。2002年のアフガン取材を経て、2003年には陥落直前のバグダッドへ向かった。臨場感あふれる現場からの写真は日本国内の週刊誌に大きく掲載された。2002年には個展「オーハンダ、アフガンの子供達」、2005年には個展「目撃!IRAQ」を開催した。

片野田氏のようなフリーの写真家は基本的に準備から現地での動きまで全て一人で調整しなくてはならない。

「戦争前のイラクは混乱していて取材ビザを取る事が難しく、止むを得ず『人間の盾』ビザで入国しました。当時、アメリカによるライフラインへの攻撃を阻止するために世界中の市民運動家が現地入りし、自らが『盾』となって抗議活動をしていました。どんな形にしろ現場に身を置かなければ写真は撮れません。イラク情報省の監視をかいくぐってバグダッド陥落を待ちました」

雑誌を中心に紙媒体の発行部数が著しく落ち、報道を生業とする写真家にとっての発表の場が減る今日、片野田氏はそれでも報道写真の現場に身を置き続けたいと言う。

「とにかく現場に行きたいし、行ったら良い写真を撮りたい。戦争ほど人間と金とモノが動き、関わる人々全ての運命が変化する行為はないからです。使命感というよりも、記録し、伝え、何かが変わるきっかけの一つになれたら嬉しいと思います」

次回、7月6日(日)はフリー・ジャーナリストの土井敏邦氏を招いてトークショーを開催する。詳細はコチラから。


『1000の言葉よりも―報道写真家ジブ・コーレン』
東京都写真美術館ホール にて公開中


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