骰子の眼

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東京都 渋谷区

2018-04-04 20:30


アメリカという国は戦争によって作られた―想田和弘『港町』『ザ・ビックハウス』を語る

配信によりもっと映画館でドキュメンタリーを観ることが活性化する方向に向かってほしい
アメリカという国は戦争によって作られた―想田和弘『港町』『ザ・ビックハウス』を語る
想田和弘監督

ドキュメンタリー映画監督・想田和弘の新作、『港町』が4月7日(土)から、『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』が6月から公開される。webDICEは、ナレーションも音楽も入れない「観察映画」と名付けられたシリーズの最新2作について想田監督にインタビューを行った。今回の取材で想田監督は、前作『牡蠣工場』に続いて岡山県牛窓を舞台にした『港町』、そして13名のミシガン大学の学生を含む計17名の共同監督により米最大のアメリカンフットボール・スタジアムの裏側に迫る『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』の制作経緯のほか、Netflixなどの配信についても持論を語っている。なお、オンライン映画館「UPLINK Cloud 」では、想田監督の過去作6作品を一挙オンライン上映中だ。


「17人の映画作家が撮って一本にまとまった『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』を観たときに、「これワイズマンじゃん」と思ったんです(笑)。ただワイズマンにしてはバラバラのカメラワークで、ビッグハウスに対していろんなところから視線を投げかけて、歪に見える。だけどひとつの作品として統一感はある。だから僕は『キュービズムの映画』と呼んでいます」(想田和弘監督)


『牡蠣工場』は近代、『港町』は前近代

──最初に、『港町』についてお聞きします。この作品はいつ撮影されたのですか?

『牡蠣工場』と同じ時期、2013年の11月に同じ牛窓で撮っています。最初は全てをひっくるめて一本の映画になるのかなと思っていたんですが、『牡蠣工場』の部分を編集しはじめたときに、これだけで2時間以上の映画になると分かったので、ワイちゃんとかクミさんの映像素材は別の一本の映画にしようと、早い段階で決めました。

『牡蠣工場』の編集に専念して、完成後はプロモーションしなくてはいけない。それで2、3年経ってしまった。それから『港町』の編集を始めました。

映画『港町』 ©Laboratory X, Inc.
映画『港町』 ©Laboratory X, Inc.

──そんなにテンションを維持できるものですか?

ぜんぜん平気です。むしろ自分のなかで撮ったものに対する視線が、ワインのように熟成されるところがあるので。今までも、『選挙2』は撮ってから1年半くらい編集する気が起きなかったので放っておいたんです。でも第2次安倍政権が発足した2012年の選挙の開票結果を見ながら編集の構想が湧いた。そういうことはよくあります。

──『牡蠣工場』と『港町』のゴールはそれぞれどのように考えていたのですか?

ゴールは決めずに編集しますが、ぜんぜん違う論理が働く映画になるような気がしていました。同じ牛窓だけれど風景がまったく違う。『牡蠣工場』の舞台となった場所は、牡蠣工場を集中して建てるため、ちょっと町外れの海を埋め立てて作られています。その方が管理がしやすく効率にいいから。つまり近代の論理でできている。働き手が交換可能と思われていて、だからこそ中国人でもオーケーという発想になる。いわばグローバリゼーションのフロントラインになるのは必然なんです。でも『港町』は、万葉の頃から変わらない、牛窓のど真ん中にある、前近代の論理の町が舞台です。編集してみてわかったのですが、『牡蠣工場』に古い町並みの風景ショットをはめようとしてもはまらない。それくらい違います。

──『港町』は経済原理の映画でもあると思いました。船の漁で魚を獲って、揚げられた魚が市場でセリで売られて、魚屋のおばちゃんはトラックでその魚を町に売りにいく。結局お金にならなかった魚は、ただでもらった人が猫に与える。そういう映画かと思ったら、途中で変調して、おばあちゃんの話になる。子どもを取られてしまったというすごい話ですが、国からお金が出るということで子どもを人質にとったということなんですか?

真相は分からないですし、僕はそれを確かめていないです。確かめ始めるとマイケル・ムーアになってしまうので(笑)、僕の場合はそこでストップする。でも国からお金が出るということは本当みたいです。

──巨額のお金が動く『ザ・ビッグハウス』に対して、『港町』の漁師さんが、一生懸命網をはって獲った魚を350円や400円で売っている。一回の漁でどれくらいのお金が漁師さんに入ってくるのか。船の燃料代や網の修理代を考えると漁師さんは大変ですよね。

ほとんど持続不可能ですよ。魚が減っているのに魚の値段が下がっている。難しいですよね。だからこそ廃業する漁師さんが多いし、後継者もいない。『港町』で描いた、獲った魚が市場に集められ、小売を通じて町の人に行き渡るという基本的な経済の循環は、おそらく千年以上は続いてきた人類学的ともいえるサイクルですが、それがここほんの数十年の社会の変化によって、立ち行かなくなろうとしているわけです。考えてみると恐るべきことです。

映画『港町』 ©Laboratory X, Inc.
映画『港町』 ©Laboratory X, Inc.

スポーツ・イベントと国家の戦略が共犯関係にあるアメリカを描く

──続いて『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』についてお聞きします。今までの想田監督の作風と違うので、ちょっと戸惑いました。

『港町』と『ザ・ビッグハウス』は180度違いますね。

──あらためて想田監督が掲げた『観察映画の十戒』を読んでいて、『ザ・ビッグハウス』は、エンドクレジットにはミシガン大学がコピーライトに入っているので、「制作費は基本的に自社で出す」「カメラは原則一人で回す」といった十戒に違反しているんじゃないかと。

していますね。確かに©がミシガン大学だというのは、今までになかったことなので僕も気持ちが悪いです(笑)。ただ今回、13人の学生たち含めて17人の映画作家が授業の一貫として撮っているし、州立のミシガン大学は州からの税金も入っているので、法律的にそうせざるをえなかった。

──「観察映画第8弾」とあって、想田さんが決めたルールをなぜ自分で破られたのですか?

成りゆきです。『ザ・ビッグハウス』の発端は、小川紳介の研究などで知られる学者のマーク・ノーネスなんですよ。彼はミシガン大学の教授なんですが、僕を招聘教授として一年間呼んでくれました。ビッグハウス(ミシガン・スタジアムの通称)のドキュメンタリーをいつか作るというのが彼の野望だったみたいで、「観察映画のスタイルでビッグハウスを学生たちと撮らないか」と言われたんです。

──では「観察映画」の番外編と捉えたらいいのでしょうか?

ちょっと迷ったんですけれど、十戒のなかのいちばんコアの部分は守っているので、許容範囲かなと思って、「観察映画第8弾」としました。台本を書かないとか、先にストーリーを決めないといった、予定調和で作らないということは全員に徹底していることと、ミシガン大学の企画として作っているけれど、いわゆる編集権を我々がきちんと持っていたので、独立性はありました。

──ラストのパーティーのシーンで、「みなさんの寄付が何%上がりました」と言っているのを見て、やっぱりアメリカは寄付の文化が大きいなと思っていたら、©ミシガン大学と出たので、これは大学のプロモーションン・ビデオなのか、とふと我にかえったんです。

大学のプロモーションとしては作っていないんですよ。人種や階級の問題、ナショナリズムや貧富の差など、大学のプロモーションだったら普通は描かない部分を入れています。

ベルリン批評家週間でワールプレミア上映したのですが、ドイツはナチスの反省があるので、教育現場では行進も国歌斉唱もNG。だからこの映画もそうとう奇妙に見えたらしく、アメリカがファシズムの国に見えたみたいです。

──11万人が集まった試合をオーガナイズする力は「THIS IS AMERICA」という感じがしました。コインの裏表で、裏というのは軍隊のことで、メンタリティが似ている。

普段からスポーツ・イベントと国家の戦略とか軍隊が共犯関係にある。スポーツって、要するに「敵をやっつける」というバーチャルな戦争ですよね。それに熱狂するというのは、基本的には為政者が民に与える「パン(=食糧)とサーカス(=娯楽)」のサーカスですし、ローマ時代の奴隷同士を殺しあわせるコロシアムをもっと洗練させてやっている。アメリカという国の宿痾(しゅくあ)といってもいい。アメリカは暴力から始まった国ですから。

映画『ザ・ビッグハウス』 ©2018 Regents of the University of Michigan
映画『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』©2018 Regents of the University of Michigan

──この映画でアメリカ国歌を字幕で読んで(“誇らしげに翻る太い嶋と輝く星々よ 要塞の上から聞きを見守ってきた 砲弾の閃光にも爆弾にもひるまない”)、こういう国なんだと。銃規制が難しい国だと思います。

銃規制に反対する人たちが何を拠り所にしているかというと、憲法の修正第2条(「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」)、革命権なんです。政府が間違った方向に行くときは、民衆が革命していい。そのためには銃を持つ権利が必要だということを主張している。なぜそういう条文があるかというと、アメリカそのものがそうやってできたからです。

アメリカという国は戦争によって作られたし、戦争によってデモクラシーが作られた。戦争とアメリカン・デモクラシーは、実はセットなんです。イラク戦争やアフガニスタンの戦争のときに「自由の闘い」「デモクラシーを守るための闘い」という言い方がされたでしょう。アメリカにとって、戦争とデモクラシーはそもそも親和性が高いんです。

今のアメリカの帝国主義的な外交政策も、アメリカがどうやって作られたかということと関係がある。だからその価値観はスポーツ・イベントのときにも象徴的に出てくる。アメリカ人には軍隊に対してアレルギーがないし、軍人がイベントに参加することにもまったく違和感がない。あのようなスポーツ・イベントのときに国歌を斉唱したり、全員でマスゲームをすることに抵抗がない。むしろある種の価値観を強化するための「儀礼」にすらなっている。

映画『ザ・ビッグハウス』 ©2018 Regents of the University of Michigan
映画『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』©2018 Regents of the University of Michigan

──アメリカはカルチャーにおいては自由な表現が多いけれど、あのマスのエキシビションに関しては全体主義を思わせて、北朝鮮と似ていますよね。

ドイツの観客からもそのような反応が返ってきましたし、コメントのない映画だから、僕ら作り手が無批判にそうした状況を撮っている「共犯」じゃないかという批判もありました。

──映画の端々に軍隊という暴力的な装置が内包されているアメリカ国家、そしてキリスト教が感じられます。日本は政教分離原則ですが、アメリカは大統領になったときも宣誓で「So help me god.」と必ず神が出てくる国ですよね。

そうですね、残念ながらキリスト教が戦争の論理を補完することは多い。

──観る人に予断を与えないといいつつも、あの規模の試合であのシーンを狙って撮影しているのは、決してトランプ賛成派ではない、17人の作家性を感じました。この場面を撮ろうということは議論したのですか?

制作のプロセスはこうです。まず全員で試合日のビッグハウスの見学をして、それぞれ自分がどこに興味を持ったかを次の授業のときに発表し合い、それを全てボードに書いて、誰がどの部分を撮るか、「チアリーダーを撮りたい」「放送席を撮りたい」「厨房を撮りたい」といった希望が重ならないように棲み分けをしました。そして次のゲームのときに、それぞれが撮りたいものを撮りたいように撮り、撮れた映像素材を授業で一緒に観て、批評し合う。

映画『ザ・ビッグハウス』 ©2018 Regents of the University of Michigan
映画『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』©2018 Regents of the University of Michigan

そうした過程で、だんだん視点が生まれてくる。例えば「厨房で皿洗いをする人はみんな有色人種だね」「教会の人たちがボランティアで掃除をした後、ビッグハウス内でミサをするんだ」とか、「神父の背後に映っている“M”の文字が十字架みたいだね」といった話をします。で、そうしたフィードバックや視点を活かして次を撮影する。そうしたことを4、5回繰り返しました。

映像は自分で撮ったものをそれぞれ自分で編集してもらって、ラフカットを授業で観ながらクリティークを繰り返していきました。そうするといろんなシーンができていきます。それらのシーンを、4ヵ月かけて僕と3人の編集助手の学生がまとめる作業をしました。なので、編集のクレジットは僕で、編集の最終的な責任は僕が担いました。

『ザ・ビッグハウス』は「キュービズムの映画」

──ミシガンというとキャスリン・ビグローの『デトロイト』の舞台となったところですね。この映画が撮られた2016年の大統領選では民主、共和どちらの支持が多い州だったのですか?

普段は民主党が強いのですが、今回はトランプが勝ちました。「ラストベルト」(錆びついた工場地帯=中西部地域と大西洋岸中部地域の一部に渡る、脱工業化が進んでいる地帯)のなかにミシガンもあって、もともとは工場地帯がたくさんあったのが全てだめになって、その怨念がトランプ勝利に利用されてしまった。

ただねじれているのは、アナーバーというミシガン大学がある町は、リベラル知識人の牙城なんです。なので、あのスタジオに集まっているのも民主党支持者が圧倒的に多い。僕が教えた映画を作る学科の学生たちも、トランプなんか大嫌い。

──デトロイトの人たちとはアナーバーは違うのですか?

まったく違います。デトロイトは8割が黒人、アナーバーは8割が白人。映画『デトロイト』で描かれた1967年の暴動によって、デトロイトから白人が郊外に外に出てしまった。郊外はリッチになり、デトロイトは空洞地帯のようになって、どんどん混乱していきました。

実はデトロイトでも一本映画を撮ったんです。まだ編集していないんですけれど、それは『ザ・ビッグハウス』とは光と影のような作品になると思います。50年間刑務所に入っていた人が50年ぶりに出所するという映画です。僕とかみさん(柏木氏)とふたりで撮りました。

──『ザ・ビッグハウス』以前の観察映画シリーズは、ある程度状況を撮っているけれど、主人公に該当する人が必ずいますよね。今回はちょっと違って、ワイズマンの撮る映画のようなスタイルだと思いました。ワイズマンを意識するようなことはあったのですか?

それは結果的にそうなったんだと思います。というのは、17人が撮っているので、ひとりの人をずっと追いかけている感じにならない。僕も一本にまとまったものを観たときに「これワイズマンじゃん」と思ったんです(笑)。ただワイズマンにしてはバラバラのカメラワークで、統一性がない。だから、僕は「キュービズムの映画」と呼んでいます。ビッグハウスに対していろんなところからいろんな視線を投げかけて、歪に見える。だけどひとつの作品として統一感はある。

映画『ザ・ビッグハウス』 ©2018 Regents of the University of Michigan
映画『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』©2018 Regents of the University of Michigan

──さらに発展させて考えると、ひとつのフォーマットだと思いました。例えばNetflixやAmazonが想田監督プロデュースで全13話を制作するときに、ショッピングモールを撮るとか、病院を撮るとか、アメリカのいくつかの象徴するシンボルのようなところをこの手法で撮ると、さらに大きなキュービズムができるような気がします。

可能性は無限大だと思います。今回の映画、最初は半信半疑でしたけどね。出発点が教育目的だし、シネマトグラファーを目指しているセミプロみたいな学生がいる一方、カメラを初めて触るような学生もいる。多くの学生は技術的にプロの水準に達していないので、だいじょうぶかなと思ったんです。みんなまだ若いし、撮っているうちにどれくらい批評的な視点が出てくるのかも分からなかった。でも思った以上に面白いものが撮れましたね。

──今までは標準レンズのような視点で世界のなかの個人にフォーカスを当て、『ザ・ビッグハウス』はワイドでずっと撮っているようなイメージでした。

僕らの感覚ではビッグハウスが主人公なんです。ビッグハウスをどうやってひとつの生きもののように撮るか。僕らの合言葉は「Everything But The Game(試合以外の全て)」だった。試合は全米に中継されて、多い時には1,600万人が観る。だからそれ以外のものが僕らの射程距離にあると思っていた。

撮っているうちに、「ビッグハウスってアメリカの縮図だね」という議論が出てきました。ビッグハウスという器のなかにアメリカのエッセンスをどれだけ捉えられるか、という問題意識はみんなのなかにあったと思います。僕にももちろんあった。25年アメリカに住んでいる僕にとっては、第2の故郷と言えるアメリカに再び出会う、という感覚でした。

映画『ザ・ビッグハウス』 ©2018 Regents of the University of Michigan
映画『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』©2018 Regents of the University of Michigan

──学生たちはミシガンにいてドキュメンタリー映画を観るチャンスはあるのですか?

アナーバーは大学が中心の町なので、文化的施設が充実しています。ミシガンシアターという1920年代に作られた豪華な映画館があって、そこでは相当数のインディペンデント映画やドキュメンタリーが上映される。ミシガン大学には35ミリもかけられる試写室や映画館が6、7スクリーンあります。かなりリッチな大学です。でも州の税金は予算の16パーセントしかない。だから卒業生からの寄付金が大学運営に欠かせないわけですが、寄付のマグネットになっているのが、ビッグハウスであり、アメリカンフットボールなんです。アメフトが強い年は寄付も集まりやすい。大口の寄付者は300億円とか寄付します。また、大学がビッグハウスを持っているので、試合の収益は大学に行きます。チケットも高い席は1万円くらいするので、1試合で数億が動く。

次に観察映画として撮りたいのは新聞社、宗教団体、葬儀会社

──想田監督の観察映画を撮りたい、と言われたらどうしますか?

もうそういう話はあって、実際にOKしました(笑)。Nonfixで45分のドキュメンタリーになった。Nonfixを撮った櫻木まゆみさんは、その後僕らをベルリン映画祭まで追いかけてきて、夫婦喧嘩まで撮られました。それは映画になる予定みたい。

──被写体となって、どのような感じでしたか?常に側に撮られているレンズがあるというのは?

撮られることは思った以上に疲れますね。

──カメラを意識をして、演技をしているということですか?

演技っていうか、言葉や行動に気を付けざるをえないですよね。これを言っちゃいけないとか。ふと漏らす言葉にも、100万人が聞いていると思いながら言わなきゃいけないと思うんです。

──その作品は、編集前に見せてもらって「ここはダメ」ということはしない?

もちろんしませんよ。見せてとも言わない。だから僕は失言したら問題になりうる立場でもあるので、すごく気を付けていたんです。でもかみさんはぜんぜん関係ない(笑)。僕に対しての不満が溜まっていたみたいで、ベルリンでこれからインタビュー取材を受けに行くというところでいきなり喧嘩をふっかけてきて、般若みたいな顔をして怒ってきたんです。ここでいつものように反論したらエスカレートして大変なことになると、カメラが回っているので控えめに反論したら、「あんたカメラが回ってるからってカマトトぶって!」と爆発して。

──撮っているほうはおいしいですよね(笑)。

どんなふうに撮れているかは知らないですけれど、思わぬところに死角がありました。(柏木)規与子はカメラがあるからもっと言ってやろうとなったんでしょう。だけど、僕も『選挙』で山さんの夫婦喧嘩を撮っているし、それを出すなとは言えないですよ(笑)。

──よく受けましたね。いままで観察映画を撮ってきて、ドキュメンタリーであれば被写体の人が嫌だというケースもある。それも全部分かっていて撮らせるって。

因果報応だと思っているので、自分がやっていることを人がやれないというのはおかしいなと思うので、それだけですよ。

──映画監督は生きている間に100本も撮れないわけですから、想田さんの観察映画というフォーマットで、もっとプロデュースしたいという気持ちはないのですか?

あまり考えていないですけれど、『ザ・ビッグハウス』を作ったときに、自分が体力が衰えてカメラを回せなくなっても、やりようがあるんだという発見がありました。でも、まだカメラを回せるし、ひとりでやれるにこしたことはないので。

映画『ザ・ビッグハウス』 ©2018 Regents of the University of Michigan
映画『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』©2018 Regents of the University of Michigan

──例えば日本の新聞社を『ザ・ビッグハウス』的に観察するとしたら、どの新聞社を取り上げますか?

撮らせてくれるなら、どの新聞社でもいいですよ。ぜったい面白いと思う。昔、テレビ局を撮ろうとしたときがありましたが、ちょっと怖がられたのか、実現しなかった。

──他に観察したいテーマはありますか?

宗教団体はいつかやりたいです。あと、ハードルが高いですが、葬儀社とかやらせてくれるならやりたいです。

──「©●●葬儀社」と入れれば大丈夫じゃないですか(笑)。ミシガン大学もこの『ザ・ビッグハウス』が宣伝になると思っているのですよね?

映画が評判になればそう思いますが、あまり考えていないんじゃないでしょうか。いい意味で無関心なので、作品の内容についてまったく介入はなかったです。

映画館での公開にこだわる

──現在、想田監督の過去作品を「UPLINK Cloud 」で配信していますが、最後に、ドキュメンタリストとして、どうドキュメンタリーを見せるかということについてお聞きします。最近映画の買付けに行くと、ドキュメンタリー作品ではライバルがNetflixやAmazonになる。アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門を受賞した『イカロス』はNetflixで観られる。VODで多くの良質なドキュメンタリーがたくさん観られる時代です。アメリカでは、ドキュメンタリーを映画館で観る市場はあるのですか?

すごく小さいです。テレビも衰退して、NetflixやAmazonにシフトしている。『選挙』の頃はドキュメンタリーのマーケットとしてはテレビ局が主でしたが、最近はテレビ局の名前を聞かないです。聞くのはNetflixやAmazonばかり。だから恐ろしいほどの変化です。

──その変化は監督としてはウエルカムなんですか?

わからないですね。僕は映画館が好きだから、映画館で自分の映画を観てほしい。二次的な使用でDVDやVODになるのはいいと思うのですが、なぜ自分がこんなに手間をかけて映画を作るかといったら、映画館の暗闇で見知らぬ人たちが集ってスクリーンを見つめるという、あの感覚が好きだから。あれにいちばんワクワクする。自分の作品も、そうしたシチュエーションでみんなで観てもらうことが喜びの大部分だから。NetflixやAmazonがプレーヤーになったときに、映画館を潰す方向に作用するなら嬉しくない。僕としては、もっと映画館でドキュメンタリーを観ることが活性化する方向に向かうならいいと思う。

──NetflixやAmazonから話は来ているのですか?

『港町』はワールドセールスのエージェントとしてトライコースト・ワールドワイドという会社をつけているのですが、彼らはおそらくすでにやりとりをしています。『ザ・ビックハウス』も可能性はあると思います。実はAmazonがミシガン大学のアメフトチーム・ウルヴァリンズについてのシリーズを企画していて、高額のライセンス料をミシガン大学に払っています。『ザ・ビックハウス』もそれに乗っかってAmazonに売れるんじゃないかという期待はあります。売れてもお金はミシガン大学に行くので、僕にはあまり関係ないですが。

──ニューヨークでは、日本をテーマにした過去の観察映画は劇場公開されたのですか?

『選挙』だけ限定的に一週間上映されたくらいです。アメリカの劇場公開のハードルはすごく高くて、特にドキュメンタリーの場合、地域性が影響していて、アメリカについてのドキュメンタリーであればまだ可能性があるけれど、日本についてのドキュメンタリーというだけで、相当ハードルが上がってしまう。でも『港町』はセールスエージェントが自前で劇場公開するブランチを持っていて「いいディールがなければうちでやる」と約束してくれました。つまり劇場公開が決まっています。ニューヨークにはインディペンデントの映画館がいくつもあるので、やりようはあると思います。

──そういう現状であれば、暗闇で映画館を観るということは、シネコンは流行っているにしても、レガシーな体験であるということは否定しないのですね。

まあ、そうかもしれないですね。

──Netflixは劇場公開を無視しますが、AmazonはAmazon Studioと銘打っているだけにわりと劇場公開のバズをネットの宣伝に利用しています。

でも申し訳程度の上映ですよね。ポン・ジュノ監督はNetflixで『オクジャ』を撮ったときに、すごい自由があったからよかったとおっしゃっていましたけれど。僕は『オクジャ』はアメリカの映画館で観ましたが、限定的な公開でした。ああいう映画が映画館を主戦場として観られないのはちょっと寂しいと思った。あんなにビジュアルに凝って映画館に観るために作られているのに、家庭のモニターやスマホがメインというのは、ちょっと文化として貧弱な気がします。

──NetflixやAmazonから企画の提案が来たらどうしますか?多くの人に観てもらえますし、彼らにとってはコンテンツのひとつなので、自由は与えられているかもしれません。

ケイスバイケースかと思います。どれだけ自由が与えられるかということと、金額と、どこまで妥協していいのか。それがネットでしか公開されないとしたら、撮るモチベーションがあまり沸かないんじゃないかな。僕は映画館での公開にこだわります。

──他のアメリカのドキュメンタリストたちとそうしたことを話したりはしますか?

あまりないですが、でも、昔から、ドキュメンタリーのフィルムメイカーの間で、シアトリカル(劇場公開)という言葉には、すごく名誉なこととして特別な響きがあります。『ザ・ビッグハウス』も日本で劇場公開すると伝えると、学生たちは「WOW!」となります。

(インタビュー:浅井隆)

【観察映画の十戒】
(1)被写体や題材に関するリサーチは行わない。
(2)被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。
(3)台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
(4)機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。
(5)必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
(6)撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。
(7)編集作業でも、予めテーマを設定しない。
(8)ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。
(9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
(10)制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。




想田和弘(そうだ・かずひろ) プロフィール

1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒。93年からニューヨーク在住。映画作家。台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』(07)、『精神』(08)、『Peace』(10)、『演劇1』(12)、『演劇2』(12)、『選挙2』(13)、『牡蠣工場』(15)があり、国際映画祭などでの受賞多数。著書に「精神病とモザイク」(中央法規出版)、「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」(講談社現代新書)、「演劇VS映画」(岩波書店)、「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(岩波ブックレット)、「熱狂なきファシズム」(河出書房新社)、「カメラを持て、町へ出よう」(集英社インターナショナル)、「観察する男」(ミシマ社)など。 4月7日公開『港町』に続き、初めてアメリカを舞台にして撮った『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』(観察映画第8弾)が2018年6月公開。その制作の舞台裏を記録した単行本「THE BIG HOUSE アメリカを撮る」(岩波書店)が5月30日刊行予定。




映画『港町』
4月7日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー、他全国順次公開

映画『港町』 ©Laboratory X, Inc.
映画『港町』 ©Laboratory X, Inc.

監督・製作・撮影・編集:想田和弘
製作:柏木規与子
制作会社:LaboratoryX,Inc
配給:東風+gnome
2018年/日本・アメリカ/122分/モノクロ
©Laboratory X, Inc.

公式サイト


映画『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』
6月よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー、ほか全国順次公開

映画『ザ・ビッグハウス』 ©2018 Regents of the University of Michigan
映画『港町』 ©Laboratory X, Inc.

監督・製作・編集:想田和弘
監督・製作:マーク・ノーネス、テリー・サリス
監督:ミシガン大学の映画作家たち
英題:THE BIG HOUSE
配給:東風 + gnome
2018年/アメリカ・日本/119分/カラー
©2018 Regents of the University of Michigan

公式サイト



「UPLINK Cloud」想田和弘監督特集

上映作品:『選挙』『精神』『Peace ピース』『演劇1』『選挙2』

【料金】
・単品:500円
・『選挙1』と『選挙2』、『演劇1』と『演劇2』はそれぞれパック設定あり:800円
・全作6本パック:2,000円

【視聴期間】
・単品:72時間
・『選挙1』と『選挙2』パック、『演劇1』と『演劇2』パック:30日間
・全作パック:30日間


▼映画『港町』予告編

キーワード:

想田和弘 / ドキュメンタリー


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