骰子の眼

cinema

2019-06-21 13:20


映画『氷上の王、ジョン・カリー』公開記念トーク:日本のスポーツ報道はどこに向かっているか

「新しい地平に連れて行ってくれることこそがメディアの醍醐味」北丸雄二さんと武田砂鉄さんが語る
映画『氷上の王、ジョン・カリー』公開記念トーク:日本のスポーツ報道はどこに向かっているか
映画『氷上の王、ジョン・カリー』上映後トークに登壇した武田砂鉄さん(左)と北丸雄二さん(右)

アイススケートをメジャースポーツへと押し上げ、芸術の領域にまで昇華させた伝説の英国人スケーター、ジョン・カリーの知られざる素顔に迫る現在公開中のドキュメンタリー映画『氷上の王、ジョン・カリー』のトーク付き上映が、6月10日にアップリンク吉祥寺で開催された。トークゲストにジャーナリスト・コラムニストの北丸雄二さんと、ライターの武田砂鉄さんが登壇し、LGBTQをとりまく状況とスポーツ報道の在り方について語った。以下にお二人によるトークの模様を掲載する。


せめぎあいの中でジョン・カリーは1970~80年代を生きた

北丸雄二(以下、北丸):僕はいつも、本作のような1970年代から始まるゲイ関連の映画を観ると、ユダヤ人について描かれた1930年代から始まる映画を連想します。これからヒトラーが台頭してきて、“クリスタル・ナハト”(1938年11月9日~10日にドイツ各地で発生した反ユダヤ主義暴動)が起き、ユダヤ人たちが悲劇に巻き込まれていくことを、観客の僕たちは知っているから心穏やかに観ることができない。それと同じように、1970年代から始まるゲイを扱った映画には必ず、1980年代の不幸なエイズの時代に向かって進んでいく禍々しさが基底音にありますね。映画の作り手側も、そこを伏線としてとらえなければならないですし。

今からちょうど50年前の1969年6月末に、現代ゲイ人権運動の嚆矢と言われている“ストーンウォールの反乱”(マンハッタンのゲイバー「Stonewall Inn」への警察による踏み込み捜査を発端に広がった抵抗運動)がニューヨークで起きました。そして1970年代に性の解放運動が一気に盛り上がり、1980年代のエイズの時代へと突入していく。そうした歴史の流れの中でこの映画を見ていくと、(ニューヨークの)ファイアーアイランドでなぜああいう乱痴気騒ぎをしていたのかが分かってくると思います。

武田砂鉄(以下、武田):大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』のフレディ・マーキュリーも、同時代を生きてエイズで亡くなりましたね。僕は音楽ライターの仕事もしているので、音楽関係の話を少しすると、ジューダス・プリーストというイギリスのメタルバンドのヴォーカリストであるロブ・ハルフォードが、1998年にカミングアウトした当時、ものすごい反発があった事実を、最近のインタビューで明かしていました。音楽の中でも、特にマッチョな印象の強いヘヴィメタルというジャンルだったこともあり、世間の抵抗が大きかったんですね。

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映画『氷上の王、ジョン・カリー』より (c) New Black Films Skating Limited 2018 / (c) 2018 Dogwoof 2018

北丸:1976年のインスブルック・オリンピックで金メダルを獲ったジョン・カリーに、記者会見の席でゲイであることに関する質問が集中したのは、もちろん下世話なスキャンダル探しもあったのは確かですが、一方で当時、ゲイのヒーローが求められていた部分もあったからです。若いゲイの子たちの励ましになるようなロールモデルが求められていた。実際、カリーのもとに「勇気をくれてありがとう」という手紙がたくさん舞い込んだ。ただ、これは映画では描かれていませんが、同時に大量の誹謗中傷も受けた。そういうせめぎあいの中で彼は1970年代を生きていたんですね。

カリーが亡くなったのは1994年ですが、2年後の1996年にルディ・ガリンドというゲイのアメリカ人フィギュアスケーターが、エキシビションで全身黒のビロードの衣装を着て、首に大きなレッドリボンをかけて滑りました。つまり彼は、ハリウッドやブロードウェイなどの芸能界だけでなく、フィギュアスケート界でもエイズの犠牲者がいることを伝えたかったんですね。ガリンドがこの演技を捧げた長いリストの中には、もちろんジョン・カリーの名も含まれていました。当時、日本でもこの映像は出ましたが、彼が何を意図していたのかを説明した日本語メディアは皆無でした。

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1996年、カナダ・エドモントンで開催された世界選手権ガラ・エキシビションに登場したルディ・ガリンド。彼自身もHIV陽性であることを2000年に公表した。(c) Rudy Galindo
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“レッドリボン”は、エイズへの理解と支援の象徴であり、UNAIDS(国連合同エイズ計画)のシンボルマークにも採用されている。

武田:雑誌『SPUR』(2019年6月号)で本作品について町田樹さんにインタビューした時に、町田さんが言葉を選びながら、カリーの抱えていた葛藤には様々な種類があったはずで、彼の悩みを性的アイデンティティーの問題のみに集約させてしまっていいのだろうか、と語っていたのが印象的でした。“LGBTQの当事者が抱える苦悩=性的アイデンティティー”という図式にしてしまうと、それ以外の葛藤がこぼれ落ちてしまいますよね。

北丸:そうなってしまうのは不幸ですね。たとえば、いまだに日本の映画宣伝の世界では、「これはLGBTQの映画ではない、普遍的な愛の物語なのだ」といったプロモーションをしています。本当は、LGBTQについての映画だということを否定しないで、人間はそれほど単純ではなくゲイの人がそのことだけで悩んでるわけじゃない、ということが前提にされるべきなのに、日本はそこまで辿り着いていない。

その理由の一つは、日本に余裕がないからだと思うんです。僕は1988年のソウルオリンピックを東京新聞の記者として取材しましたが、バブル期で余裕があったのか、あの時の報道陣が共通して持っていたのは、「ニッポン、チャチャチャ」はもうダサいから、個人個人の選手を見よう、外国の選手も見ようという意識でした。それがバブル崩壊後のオリンピックでは逆行して、再び「ニッポン、ニッポン」となってしまった。

武田:余裕がないと「愛国」が暴走するんですね。

北丸:そうなんです。LGBTQの映画についても、余裕があれば「これは1つのLGBTQの物語です」で済むのでしょう。余裕がないからギスギスして、LGBTQのコミュニティ内でもケンカしたりするし、今はSNSという怒りを噴出させられるメディアがあるから攻撃的になる。過渡期なんだと思いますが、早くここを消化していくしかない気がします。

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映画『氷上の王、ジョン・カリー』より (c) New Black Films Skating Limited 2018 / (c) 2018 Dogwoof 2018

わかりやすく使いやすいものを伝えるメディアの問題

武田:そんな余裕のないギスギスした日本で、来年オリンピックが開かれますね。オリンピック憲章には「競技者間の競争であり、国家間の競争ではない」と書いてあるのに、国別メダル獲得ランキングをテレビは毎日やるのでしょうし、“選手=日本”という捉え方が加速するのが目に見えていますね。選手個人の物語がどういうふうに増幅されて消費されていくのかを考えると、危うさしか感じません。

北丸:特にスポーツはファナティックな、熱狂を呼び起こすものですからね。ヒトラーがベルリンオリンピックを利用した例もあるとおり。

武田:最近、書店に行くと、有名スポーツ選手が持っているメンタリティは、誰にでも通じる汎用性のあるものだ、と思わせるような本が多いような気がします。彼らの言葉から、何があっても負けない素晴らしき人間像、みたいなものを引き出してやろうとする勢いが強くてちょっと怖い。

北丸:編集の問題ですか?

武田:編集の問題だと思います。

北丸:サッカーの本田(圭佑)選手や野球のダルビッシュ(有)選手のツイッターを読んでいると、彼らは逆にすごく普遍的で、国にもこだわらないし、純粋にスポーツを通して言えることを言っていて、かっこいい。ニュートラルな視点で見ていますよね。

武田:そうなんですよね。たとえば去年、シリアで3年以上拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが解放された後、まさかのまさかで自己責任論が出ましたけど、その流れを食い止めたのは、ダルビッシュ選手と本田選手のツイートでしたからね。彼らが見ている視界からはこう見えるのかと。

北丸:そこの違いを編集者は出さなければならないのに。

武田:伝える側のメディアが、選手たちから何を受け取るかといえば、わかりやすい、使いやすい物語なんですよね。だから単純な方向に走ってしまっている。

北丸:みんな読みたいものしか読まないし、聞きたい話しか聞かないとなると、今のこのムードの中では、「ニッポンすごい」みたいな自己肯定を他者から求めるだけで。新しい地平に連れて行ってくれることこそがメディアの醍醐味なのに。

イギリスは70~80年代のホモフォビアが強かった時代を越えて、こういう映画を作れるようになった。アメリカでは1982年にゲイゲームズ(出場選手数は現在、五輪を上回る大規模な世界的スポーツイベント)が組織されたり、数多くのスポーツ選手がカミングアウトして、世界中の若いLGBTQの人たちに発信している。日本はまだまだですが、これから同じことが起きる時のために備える意味でも、この映画を観ることで知るきっかけになるといいと思います。


北丸雄二(きたまる・ゆうじ)

ジャーナリスト・コラムニスト。北海道生まれ。毎日新聞記者、中日新聞(東京新聞)ニューヨーク支局長を経て1996年に新聞社を退社。フリーランスとして日米を軸とした社会・政治報道に関わる一方で、20年以上前から日本でただひとり継続的・体系的に世界のLGBT関連ニュースを提供してきた。


武田砂鉄(たけだ・さてつ)

ライター。1982年生まれ 東京都出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、2014年からフリー。『紋切型社会』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。他の著作に『芸能人寛容論』『コンプレックス文化論』『日本の気配』などがある。


映画『氷上の王、ジョン・カリー』
c New Black Films Skating Limited 2018 / (c) 2018 Dogwoof 2018

映画『氷上の王、ジョン・カリー』
新宿ピカデリー、東劇、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開中

アイススケートを「スポーツ」から「芸術」へと昇華させた、
伝説の五輪フィギュアスケート金メダリスト、その知られざる光と影。

監督:ジェイムス・エルスキン(『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』)
出演:ジョン・カリー、ディック・バトン、ロビン・カズンズ、ジョニー・ウィアー、イアン・ロレッロ
ナレーション:フレディ・フォックス(『パレードへようこそ』『キング・アーサー』)
2018年/イギリス/89分/英語/DCP/16:9
原題:The Ice King
字幕翻訳:牧野琴子
字幕監修・学術協力:町田樹
配給・宣伝:アップリンク

公式サイト

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