骰子の眼

cinema

東京都 新宿区

2019-12-11 20:00


市場競争のために家族が代償を払う 非正規雇用の実態描くケン・ローチ『家族を想うとき』

『わたしは、ダニエル・ブレイク』のあと引退を撤回して作り上げたかった作品
市場競争のために家族が代償を払う 非正規雇用の実態描くケン・ローチ『家族を想うとき』
映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

『家族を想うとき』が12月13日(金)より公開。webDICEではケン・ローチ監督のインタビューを掲載する。

イギリスのケン・ローチ監督のパルムドールを受賞した『わたしは、ダニエル・ブレイク』に続く新作で、引退宣言を撤回して完成させた『家族を想うとき』が12月13日(金)より公開。webDICEではケン・ローチ監督のインタビューを掲載する。

舞台となるのはイギリス、ニューカッスル。フランチャイズの宅配ドライバーで働くリッキーと、パートタイムの介護福祉士として働くアビー。ともに厳しいノルマや時間外労働に苛まれ、ふたりの子どもとの団らんの時間が次第に奪われていく。そんななか、リッキーが暴力沙汰に巻き込まれ仕事を休まざるを得なくなったことをきっかけに、家族の絆が崩れていく。演技経験のない素人や新進俳優を積極的に起用しストイックな演出で知られるケン・ローチ監督だが、今作でも新自由主義が持ち込まれ家族との時間がないがしろにされているという現代の労働者をめぐる問題点を鋭く突いている。『わたしは、ダニエル・ブレイク』でも福祉職員の対応に声を荒げる主人公が印象的だったが、今作でも心のない運送会社の上司の言葉に穏やかなアビーが感情を爆発させるシーンが胸に迫る。権力に立ち向かう人々を描き続け、彼らに代わって声を上げるケン・ローチの真骨頂といえる作品だ。


「この映画で提示する問題は、このシステムは持続可能か、ということです。1日14時間、くたくたになるまで働いているバンのドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能と言えるのでしょうか?市場は私たちの生活の質には関心がありません。市場の関心は金を儲けることで、この二つは相性が悪いのです。ワーキング・プア、つまりリッキーやアビーのような人々とその家族が代償を払うのです」(ケン・ローチ監督)


新しい技術による搾取

──本作のアイディアはどこから得られたのですか?

『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)を撮り終えた後「ああ、たぶん、これが私の最後の映画になる」と考えていました。でも、リサーチのために出かけたフード・バンクのことが心に残っていました。そこにやって来ていた多くの人々が、パートタイムやゼロ時間契約(雇用者の呼びかけに応じて従業員が勤務する労働契約)で働いていました。これは新しいタイプの働き方です。いわゆるギグエコノミー(インターネット経由で、非正規雇用者が企業から単発または短期の仕事を請け負う労働環境)、自営業者あるいはエージェンシー・ワーカー(代理店に雇われている人)、パートタイムに雇用形態を切り替えられた労働者のことが、私の心の中と脚本のポール・ラヴァティとの日常会話の中に留まり続けていました。次第に、作る価値があるかもしれない、もう一つの映画になるかもしれないアイディアが生じてきたのです。『わたしは、ダニエル・ブレイク』と対をなすものではないかもしれませんが、関係がある映画です。

映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』ケン・ローチ監督 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

──この物語では、二つの問題が描かれていますね?

ポールの心の中で大きくなっていったのは、個々の労働者に対する搾取のレベルだけでなく、彼らの家庭生活への影響と個人的な関係にどのように反映されるかということでした。中産階級は仕事と生活のバランスについて語り、労働者階級は困窮し、立ち往生しています。

──これは新しい問題なのでしょうか? それとも従来からあったものですか?

最新のテクノロジーが使われているという点においては、新しい問題です。最新式の装置がドライバーの運転席にあって、ルートを指示したり顧客の荷物がどこにあるかということや、到着予測時間を知らせてくれたりします。荷物はある一定の時間の間に“ぴったり”と到着します。顧客は家にいながらにして、近所を走り回っている車を追跡できます。最新式の装置で、どこかにある中継基地にシグナルを発信するようになっています。その結果、装置の要求に応えるために、通りから通りへあちこちを走り回るバンの中にいる人を、打ちのめすことになります。技術は新しいものですが、その搾取は太古の昔からあるものです。

映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

出演者のほとんどが現役ドライバー

──この映画のリサーチは、どのようにされたのですか?

リサーチのほとんどは、ポールがやってくれました。その後、私たちは一緒に何人かの人に会いました。口が重いドライバーたちにもよく遭遇しましたね。彼らは、自分たちの仕事にリスクを負わせたくなかったのです。集配所は入り込むのが難しい場所でした。私たちの撮影場所からあまり遠くないところにあった集配所の親切な男性マネージャーが、集配所のセットを建てるのにとても的確なアドバイスをくれました。出演しているドライバーたちは、ほとんど全員が現役のドライバーか元ドライバーです。彼らは仕事の段取りとプロセス、それがどのように進むか、そして仕事を素早く成し遂げることのプレッシャーを理解していました。

──リサーチで最も印象に残ったことは何ですか?

びっくりさせられたことは、人々が慎ましい生活をするために働かなければならない時間の長さと、仕事の不安定さです。彼らは自営業者で、理論上は自分たちのビジネスなので、もし何か不具合が生じたら、すべてのリスクを背負わなければなりません。バンには不具合が生じ得ますし、配送がうまくいかなければ、彼らはダニエル・ブレイクと同じような制裁を受けることになります。そうなると、あっと言う間に大金を失うことになります。アビーのような介護福祉士は訪問介護に12時間を費やしても、6時間か7時間分最低限の賃金しか受け取れません。

映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

──本作の登場人物を教えてください。

アビーは幸せな結婚生活を送っている母親です。彼女と夫リッキーの間には愛情と同時に友情もあります。互いを信頼し、子供たちに対しては良い両親になろうと努力しています。アビーの問題は、子供たちの世話をどうするかということです。彼女は家にいられないほど一所懸命に働いていますので、ほとんどの時間、電話で子供たちに指示をしなければなりません。どんなに良い子でも子供は子供ですし、母親が夜遅くまで戻れないことが続くわけですから、そんなやり方はうまくいかなくなります。アビーはあまり便数のないバスで通勤しているためバス停のあたりで多くの時間を過ごすことになります。

映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

──彼女の雇い主は誰ですか? そのプレッシャーはどこから来るのでしょうか?

介護の仕事はエージェント会社か民間の医療会社を通して、地元の評議会から下請け契約されます。彼らは低価格で契約をとりつけますが、当局はその事実に目をつぶっています。民間の医療会社で働いている人々が、労働組合を組織することは、地元の当局で働いている労働者や適切な契約を結んでいる労働者より難しいことです。

──リッキーはどんな人物ですか?

リッキーは彼自身が語っているように、一所懸命に働く人です。彼は建設作業員で、おそらく配管あるいは建設会社に勤めていました。彼は極めて優秀な働き手で、マイホームを購入するために十分な貯蓄をしてきました。ですが、銀行と住宅金融組合の破綻が同時に起こり、リッキーやアビーのような人々が取り残され、住宅ローンを組めなくなってしまったのです。建設業が痛手を被り、リッキーは職を失い、その後は職を転々とするようになります。彼は何にでも取り組むことができます。この映画でリッキーは、たくさん稼げそうな宅配ドライバーとして働きたいと決意しています。一家はいまだに賃貸住宅に住んでいて、借金苦から抜け出すのに十分なほどは稼げていません。彼らは何年もの間、その日暮らしの生活をしてきました。ですから、新しい仕事で2、3年の間死にもの狂いで働くのは、家を買うためのお金を貯めて、再び普通の生活に戻れるチャンスなのです。それが彼の計画です。彼は魅力的な男性です。人づきあいがよく、マンチェスター出身で、マンチェスター・ユナイテッドのファンです。彼は自分にも家族にも、新しい仕事で成功することを誓っています。

映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』リッキー役のクリス・ヒッチェンズ photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

リッキーのような状況にいる人々は、自らが率先して働かなければならず、部下をこき使って服従させる親方は必要ありません。彼らは慎ましい収入を得るために、へとへとになるまで働かなければならないのです。それは雇い主にとっては、理想的な状況ですが。

──アビーとリッキーの家族が築き上げたものは何ですか?

二人の子供たちです。息子のセブは16歳で、彼を見守るべき両親が共に不在がちなせいで、道を踏み外していきます。彼には両親が気づいていない、芸術的でクリエイティブな才能があります。両親が認識していることは、セブが学校から逃げ出し、トラブルに巻き込まれているということだけです。父と息子の間には火花が飛び散っています。リッキーは、少し考え方が保守的だからです。彼はセブに為すべきことを伝え、そうしてもらうことを期待していますが、もちろんセブは言う通りにはしません。対立は当然のなりゆきです。

映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』アビー役のデビー・ハニーウッド(左) photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

そして、娘のライザ・ジェーンはとても聡明な子供です。大胆なユーモアのセンスがあり、家族の中の仲裁役となっていて、父親に似て赤毛です。彼女はみんなにハッピーになってほしいのです。全員がバラバラになってしまいそうになった時、彼女は家族を一つにまとめようとします。

荷物の集配所を正しく理解すること

──ニューカッスルでの撮影はいかがでしたか?

通常通り、私たちは順撮りしました。俳優たちには物語がどのように終わるかを知らせませんでした。それぞれのエピソードは、その場で初めて伝えます。事前に家族のリハーサルを行いましたが、そうすることで彼らの関係によい結果が生じました。その後、5週間半にわたって、迅速に撮影を行いました。

主なチャレンジの一つは、荷物の集配所を正しく理解することでした。正確なプロセスを知り、みんなにその仕事をきちんと理解してもらわなければなりませんでした。そうした上で、この作品をドキュメンタリーのように撮影しました。荷物が最初に入ってきて、受け取る人、仕分けする人、バンに積み込む人が誰かということを整理し、それぞれの段階で何が起きるのか、一連の流れ全体を練り上げました。ファーガス(美術監督)とデザイン・チームはそれを可能にするために素晴らしい仕事をしてくれました。

出演者への演出は、工業団地の中の仕事場が広くて音が反響するので大変でしたが、出演者たちは素晴らしかったです。張り切って仕事に取り掛かり、本当に楽しんでいました。その場面を観れば、彼らがなすべきことをわきまえており、素早く作業をし、人を脅して服従させる現場マネージャーの鷹のような目のもとで仕事をしているのがわかります。私たちが期待しているのはそういうことでした。すべてが本物で、ごまかしはありませんでした。

さらに、ニューカッスルの都会の風景を入れ込みたかったのです。でも、それは観光絵葉書のように見えても、ただ町をみせびらかすものであってもならないのです。映画を観れば、風景はなんとなくわかると思います。古い台地状の住宅造成地、高層ビル、クラシックな建築物のシティー・センターなどが見えます。

映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

──本作では、どのような問題が提起されていると思いますか?

このシステムは持続可能か、ということです。1日14時間、くたくたになるまで働いているバンのドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能と言えるのでしょうか? 自分で店に行って、店主に話しかけることよりもよいシステムなのでしょうか? 友人や家族にまで波及するようなプレッシャーのもとで人々が働き、人生を狭めるような世界を、私たちは望んでいるのでしょうか? これは市場経済の崩壊ではなく、むしろ反対で、経費を節減し、利益を最大化する苛酷な競争によってもたらされる市場の論理的な発展です。市場は私たちの生活の質には関心がありません。市場の関心は金を儲けることで、この二つは相性が悪いのです。ワーキング・プア、つまりリッキーやアビーのような人々とその家族が代償を払うのです。

しかし最終的には、観客の方々が本作の登場人物に信頼を寄せ、彼らのことを思いやり、彼らと共に笑い、彼らのトラブルを自分のことと思わなかったら、この映画には価値がありません。彼らの生きてきた証が本物だと認識されることが、観客の琴線に触れるのです。

(オフィシャル・インタビューより)



ケン・ローチ(Ken Loach)

1936年6月17日、イングランド中部・ウォリックシャー州生まれ。電気工の父と仕立屋の母を両親に持つ。高校卒業後に2年間の兵役に就いた後、オックスフォード大学に進学し法律を学ぶ。卒業後、劇団の演出補佐を経て、63年にBBCテレビの演出訓練生になり、66年の「キャシー・カム・ホーム」で初めてTVドラマを監督、67年に『夜空に星のあるように』で長編映画監督デビューを果たした。2作目『ケス』(69)でカルロヴィヴァリ国際映画祭グランプリを受賞。その後、ほとんどの作品が世界三大映画祭などで高い評価を受け続けている。特に、カンヌ国際映画祭では、「ブラック・ジャック」(79)、『リフ・ラフ』(91)、『大地と自由』(95)が国際批評家連盟賞を、「ブラック・アジェンダ/隠された真相」(90)、『レイニング・ストーンズ』(93)、『天使の分け前』(12)が審査員賞を受賞。労働者や社会的弱者に寄り添った人間ドラマを描いた作品で知られる。その政治的信念を色濃く反映させた、第二次世界大戦後イギリスの労働党政権誕生を、労働者や一市民の目線で描いたドキュメンタリー映画「1945年の精神」(13)などがある。前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)は世界中で賞賛を受け、2016年のカンヌ国際映画祭で『麦の穂をゆらす風』(06)に続く2度目のパルムドールを受賞。同賞の2度の受賞はミヒャエル・ハネケらと並んで最多受賞記録である。前作を最後に引退を宣言していたが、今もなおイギリスや世界中で拡大し続ける格差や貧困の現実を目の当たりにし、今どうしても伝えたい物語として、引退を撤回し本作を制作した。




映画『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

映画『家族を想うとき』
12月13日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、
新宿武蔵野館ほか全国順次公開

監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
出演:クリス・ヒッチェンズ、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター
2019年/イギリス・フランス・ベルギー/英語/100分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch 原題:Sorry We Missed You
日本語字幕:石田泰子
提供:バップ、ロングライド
配給:ロングライド
© Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019

公式サイト


▼映画『家族を想うとき』予告編

キーワード:

ケン・ローチ


レビュー(0)


コメント(0)