劇団文化座

ゲストブロガー  最終ログイン:2010-05-20

劇団文化座

コツコツ芝居創りを続けて、65年を迎えることができました!

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  • アカウント種別

    団体/法人


  • 生年月日

    1924-02-26


  • 国/都道府県

    日本/東京都


  • 職業/業種

    その他


  • URL


  •  劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月、井上正夫演劇道場のメンバーであった演出家の故佐佐木隆、女優の故鈴木光枝らによって結成され、同年4月第1回公演梅本重信作「武蔵野」で旗揚げした。1945年、日本の現代演劇を紹介する目的で旧満州(中国東北部)に渡り、そこで敗戦を迎えた。

     創立期には日本の現代演劇史に大きな足跡を残す劇作家三好十郎との深い結びつきによって三好作品を連続上演し、戦時下の厳しい条件のもとで演劇の良心の灯をともし続けた。以来、三好十郎作「その人を知らず」「炎の人――ゴッホ小伝」、山代巴原作「荷車の歌」、長塚節原作「土」、山崎朋子原作「サンダカン八番娼館」など、底辺に生きる人々に光を当てた作品の上演を続ける。1982(昭和57)年には水上勉作・木村光一演出「越後つついし親不知」で新生面を切り開き文化庁芸術祭大賞、ならびに佐々木愛が紀伊國屋演劇賞を受賞。1987(昭和62)年より佐々木愛が劇団代表となる。

     その後も歴史の闇に埋没しがちな人々に光を当てた「おりき」(三好十郎作)、「荷車の歌」、「サンダカン八番娼館」などを上演し、評価を得る。これらの作品は日本演劇界にとっても財産演目といえる作品となった。また、戦争を体験した数少ない劇団としての立場から「戦争と日本人」というテーマに立った「あの人は帰ってこなかった」(堀江安夫構成)、「若夏に還らず」(森口豁原作)といった作品も発表している。

     またその一方で絶えず新たな題材、舞台表現にも挑戦している。明治・大正・昭和を女医のパイオニアとして闊達に生きた女性の一代記「ほにほに、おなご医者」(志賀かう子原作)、ロックに青春を燃やした高校生たちに光をあてた「青春デンデケデケデケ」(芦原すなお原作)、盲目の女旅芸人の生き方を通して日本社会の特質を見つめた「瞽女さ、きてくんない」(斎藤真一「越後瞽女日記」より」)、二度の世界大戦によって引き裂かれながらも絆を保ちつづけた家族を描いた「遠い花 -汝が名はピーチ・ブロッサム」(八木柊一郎作)などは、それぞれ全国公演を果たし、各地にて高い評価を得ている。
     近年では、その創造の方向性も多岐に渡っている。浅田次郎のベストセラーを舞台化した「天国までの百マイル」(八木柊一郎脚本)、アラスカ先住民の口承に材を取った音楽劇「二人の老女の伝説」(福田善之作・演出)、劇団の有る田端に縁を持つ作家芥川龍之介の作品から作られた「田端文士村シリーズ・三つの宝」(原田一樹構成)、三好十郎のラジオドラマを初舞台化した「鈴が通る」、若手女性漫才師の青春を描いた「笑う招き猫」(山本幸久原作・原田一樹演出)草創期の劇団の体験をモデルにした『冬華-演劇と青春-』(堀江安夫作・小林裕演出)、孤高の画家靉光を中心とした青春群像『眼のある風景-夢しぐれ東長崎バイフー寮-』(窪島誠一郎原作・西川信廣演出)など、列記しただけでもその多様性を伺うことができる。

     現代表の佐々木愛は舞台女優として円熟の域に達し、劇団を背負って立っている。中堅若手の成長も著しく劇団の層も厚くなり、創立70周年を目指し、定評のあるアンサンブルは益々磨きがかかっている。

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