2009-01-31

ロッテルダム国際映画祭 このエントリーを含むはてなブックマーク 

写真は授賞式の風景

ロッテルダム国際映画祭に来ています。ここのコンペティションは1作目か2作目の新人監督作品が争うもので今年は14本の作品がエントリーされていました。

日本からはぴあスカラシップ作品、内藤隆嗣監督の『不灯港』がエントリーされていました。映画はある港町のモテないというより女性がいなのでモテない男の物語で、監督曰く女がいないモテない男たちへの応援歌とした作ったという作品です。監督自身も演出かどうかはわかりませんが大きすぎるダッフルコーコートにサングラスという格好で、映画も監督も「鼠先輩映画版」という感じでした。

3本の作品にタイガーアワードが送られ賞金が1.5万ユーロもらえます。受賞したのは韓国のヤン・イクチュンの『糞バエ/brethless』。借金の取立て屋の話で、監督自ら演じています。道で出会ったチンピラの取立て屋に物怖じしない女子高生との物語で、二人とも暴力を振るう家族がいるということで家庭環境が似ているので、心を惹かれ合います。と書くとなんでもない話ですが、監督とその女子高生の演技と演出力は確かなもので、この映画祭で一番心を動かされた作品でした。

後の2本はイランのRamtin Lavafipour監督の『Be Calm and Count to Seve』とトルコのMahmut Fazil Coskum監督の『Wrong Roasary 』でした。この2本は観ていません。

このロッテルダム国際映画祭は新人監督、インディペンデント監督を支援するということで他の映画祭との差別化を図っています。
どの回も地元の観客で平日の午前から満席に近いのですが、オランダ人に聞くとオランダ人の映画祭に行く回数は1年間に平均1回でヨーロッパで最も少ないのだそうです。映画祭はイベントだからと人が来るとのだと言っていました。

同時期に催されるCINEMART という映画を作りたい監督、プロデューサーと配給会社やプロデューサー、テレビ局とのお見合いのイベントがあります。
こちらは会社や個人のお金を投資するというより、各国の助成金を持ち寄って映画を作りましょうという人たちの場です。

上映される映画はインディペンデントのアート系作品ばかりで、大半が国や公共団体の助成金が投入されています。従って、そういうシステムのないアメリカ映画は極端に少ない映画祭です。ジョナス・メカスのテレビの画面だけを撮った新作は上映されていましたが。

「次の配給システムは自分の手で築け?」というセミナーにも参加しましたが、アメリカの若いコンサルタントがネットの効用を説いていたのが、あまりにも遅れていると思いました。そういうコンサルタントをゲストに呼ぶ映画祭も10年ずれています。そのセミナーでメモをしたのは映画の観客は広くマーケッティングする時代からコミュニティに訴える時代だという、「マーケット(市場)からコミュニティへ」という標語くらいでした。

ドイツで製作される映画はほぼ全部助成金が入っていて、そのうちの90%が製作資金をリクープしていないそうです。
改めて、世界のアート系映画は公共機関の助成金でしか成り立っていないということを実感した映画祭です。政府の助成が入った産業は既に廃れているという法則に例外がないとしたら、このアート系映画産業にしがみつくのは助成金目当てでしか成り立たないということでしょうか。

オダギリジョー監督の『さくらな人たち』も観ました。60分ちょっとという中編で他の短編2作品と一緒に上映されていました。撮影に2週間ほど編集を自ら2年かけて行ったという大作というより、全く自由に撮った自主映画です。桜を見にタクシーで行く男たちの話でその会話に僕は笑いまくりました。オフ・ビートではなく、完璧なオフ・オフ・ビートな、いってる作品で、日本人でもその笑いのツボがわかりにくいので英語字幕では伝わりきっていないため途中で帰る人もいましたが、個人的には楽しめました。

ラストでフルチン男性が4人出てくる(遠くに見える一人は監督本人のようですが本人はQAで否定していたらしい)ので、映倫が必要な一般映画館よりも、映倫を通していない自主上映作品OKのアップリンクが上映に最も相応しいと思った作品でした。

キーワード:

ロッテルダム / 映画祭


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浅井 隆

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