2010-01-06

出会いの作法に貫かれた本 このエントリーを含むはてなブックマーク 

往年のジャズドラムの巨匠マックス・ローチが、80年代末にヒップホップを擁護した発言を引用しつつ、そこから原雅明は「サウンド」という言葉を拾い上げる。「音楽」からすれば素材の水準にあるサウンドは、ジャンルの枠組みを超えてマテリアルな次元に広がっている。
原雅明が語るすべては、音楽という枠組みにとらわれずに、サウンドの肌触りに向かう志向に貫かれている。『音楽から解き放たれるために』という書名は、ジャンルの枠組みを逃れるその物質的な次元に出会いの喜びを見出すための標語のようでもある。

市場の動きや作り手の姿勢に密着しながら音と向き合い、音と言葉をリリースしてきた原雅明が、物質的な次元の体感から、音楽の基盤となる潮流の変化を淡々としかし厚く叙述したのが、本書だ。既存のイメージにとらわれず、音が生み出される現場から、予想外の水脈を手繰り寄せるような作業が、職人的な手さばきで行われる。
たとえば、フリージャズに対してマイルス・デイヴィスとオーネット・コールマンのそれぞれが示した態度や思想の違いから、未踏の音楽の可能性を探り出すような粘り強い思考は、音楽に限らず、あらゆるジャンルの創作家によって、丹念に読まれるべきだろう。

機材の変化がもたらす影響やインターネットからのダウンロードが一般化することによる状況の変化が語られる一方で、作家との対話も多く交えながらつむがれる思考は、様々な異種交配的な出会いの現場を叙述していく。
時には金属の「塑性変形」(p.278)のように、ミュージシャンは出会いによってマテリアルな次元で変容し、その身体的な変成が、あらたな創造につながる。そうした現場に立ち会うように五感を研ぎ澄まし、「新たな枠組みで考えること、感じること」(p.9)に進んで身を晒して行った記録が本書であり、その境位にある固有の快楽に読者を誘おうとする。
その意味で、この本は一種の「出会いの方法序説」としても読めるだろう。

ただ、そうした著者の姿勢は、新しい感触が生み出される現場を用意するコネクションやコミュニティーの系譜を丹念に掘り起こしていることにも注意すべきだろう。古いもの、眠っているものもまた、出会いの継続によって再生されるのだ。
そうした出会いの場を用意した継続的な試みとして、たとえばシカゴ前衛派が子供向けの教室なども運営しているといったアソシエーションのあり方が紹介されたりもするし、LAという都市のコミュニティのあり方が考察されたりもする。さまざまな音楽レーベルの消長が語られるのも、その水準においてのことだ。
世代間の継承関係も視野に入れた、ある種の民族誌的な記述には、出会いの連鎖が加速されるようなトポスを維持するキーパーソンが綿密に描かれてもいる。

だから、PCやインターネットの普及による人々の関係性の変化について本書でなされている議論も、マテリアルな次元で連鎖する出会いの系譜学的な考察に裏打ちされていると読むべきだろう。過去の音源のデジタルなアーカイブを、任意な組み合わせを可能にする単なるデータベースとしてではなく、過去のマテリアルをリサイクルしながら、新しい関係性をつむぎなおすものとして、もてなし(歓待)や、コミュニティーのレベルにつなげようとする原雅明の姿勢は、同じ事態に照準して時代の変化を語る、昨今かまびすしい様々な議論に対して態度変更を迫るような、確かな視点を提供してくれるものだろう。

そうだとして、堅苦しく禁欲的な「前衛」的態度も、レイドバックした惰性の嗜みといったものも、同時にきっぱりと退けている原雅明の姿勢もまた、慎重に読み取るべきものだろう。
たとえば原雅明がヒップホップから肯定的に引き出すキーワードのひとつは「老獪」だ。
ヒップホップコミュニティが、他の社会に対してある種の対抗の基点となりえると同時に、閉鎖的にもなりかねない状況が前提にあるとして、さりげなく「老獪」という言葉を原雅明が繰り返し呼び出しているのは、様々な政治的な軋轢の記憶を蔵したコミュニティのバックグラウンドをクリエイティブに善用する作法を名指すためではないか。
そんな言葉のはしばしにも、単なる「思考ゲーム」ではないアクチュアルな批評的態度を賦活するために練り上げられた作法の裏打ちを感じる。
「サウンド」(sound)に限らず、あらゆるジャンルを超えて、マテリアルな次元に感覚を開きながら、出会いをたぐり寄せてリリースするために言葉(word)をどう使うことができるのか。この本から学び取れるものは多いだろう。

この本の表紙には、郊外に打ち捨てられたマットレスの写真が使われている。この写真自体どのように表紙に使われたのかも、本書を読むとその系譜が明かされていて、そのように出会いを定着する作法にも著者の美学がつらぬかれているわけだが、本書を通読したあとで、都市の外れにベッドルームがむき出しにされているイメージをあえて使った著者の思考を思うと、胸を打たれる。

マテリアルはリサイクルされるのを、打ち捨てられたまま裸で待っている。ここには、危機と可能性が両義的に示されている。読者も、いつまでも安穏と家のなかで寝ていられないかもしれないが、その危機は、新しい出会いに開かれた可能性になりえるのかもしれない。

最悪の意味においてもますますマテリアルな次元が露呈しつつある今、音楽に限らず、「新たな枠組みで考えること、感じること」にこそ喜びがあるだろう。それは、芸術のみに限られた話でさえない。もはや芸術という言葉で何を守れるわけでもない状況が到来しつつある。

原雅明という人の業績を知っている人なら、ためらわずに手に取るだろう本書だが、そうした観点から言ってむしろ、この名前になじみの無いすべての人が、読んでみるべき本だろう。

単に生き残るための方法ではなく、よく生き抜くための作法が、ここにある。

キーワード:


コメント(0)


yanoz

ゲストブロガー

yanoz


月別アーカイブ