2012-09-03

無言の世間、野宿者の沈黙 『渋谷ブランニューデイズ』 このエントリーを含むはてなブックマーク 

渋谷の宮下公園、109、そして区役所。いつも通り過ぎる路傍で生活している人々がいる。
私と彼らは何が同じで、何が違うのか。年々、我彼の差は見えなくなっている。生まれながらの野宿者なんて、ごくわずか。彼らは、ほんのちょっぴり不器用で不運なだけの、ありふれた人々なのだ。

彼らはとても謙虚だ。世間に目立たぬよう迷惑をかけぬよう、声をひそめて生きている。映画の主役の宮沢さんのように、声高に自己主張できる人は、ほとんどいない。世間への恨みつらみはあるにせよ、表立っては口にせず、「悪いのは自分のせい」と噛みしめているようにも見える。

上映後のトークショーで、遠藤監督や、本編にも登場する野宿者支援の楡原さんらが興味深いことを言っていた。
「大手メディアは、自分たちが期待する『画』『キャラクター』が欲しいだけ」だと。たまたま路上で生活していない我々も、その型通りの報道に「ああ、もともとダメでかわいそうな人たちなんだ」と安堵する。
結果、彼らの現状は変わらないどころか、強化されていく。「野宿者排除」という世間一般の無言のプレッシャーによって、彼らは日陰へ日陰へ追いやられる。

渋谷区役所の地下に、あのような「野宿者の聖域」があることは知らなかった。排除ムードが蔓延する中、渋谷区も少しは心意気があるんだな、と思った。
しかし「浄化」は進められた。カメラは区役所職員の顔を写し出すが、野宿者に比べ圧倒的に無個性。「近隣住民の声」などと排除理由をぼそぼそと口にするが、その近隣住民とはどこの誰なのか、本当にいるのか、姿が見えない。

姿の見えない、匿名の「世間」というプレッシャーで、野宿者たちは一人ひとり逃げ場をなくし、社会復帰を阻まれていく。脱原発デモですら「大きな音」にしか聞こえない行政に、野宿者の「声なき声」が伝わるはずもない。
でも、野宿者を支えるボランティア、弁護士、聖職者。世間に埋没しない「名前を持った」人々の存在が、重苦しい現状に「蟻の一穴」を開けていくことを夢想する。

キーワード:

渋谷 / 路上 / 野宿 / ホームレス


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青木ポンチ

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青木ポンチ

“株式会社スタジオポケット所属の編集・ライター。 【Twitter】 http://twitter.com/studiopocket”


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