2012-12-16

『はちみつ色のユン』クロスレビュー:「ユン」の静かな視線の向こうに、「ユンボギ」を見たような気がした。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

「はちみつ色のユン」を観て、若い頃に観た一つの映画を思い出した。大島渚監督の「ユンボギの日記」といって、40年ほど前の学生時代に一度観て、それきりの映画であるが、妙に心に残っている。

この映画は60年代の韓国に実在した少年ユンボギの日記(当時ベストセラーになった原作本がある)をベースに、スチル写真とナレーションを組み合わせて、軍事政権下の厳しい環境にあえぐ韓国国民の心情を描いたものであったように記憶しているが、当時としてはかなり斬新であったドキュメンタリータッチの表現手法に目を奪われると同時に、貧しい生活環境にめげず、けなげに生きる少年のせつなさ、哀切さに胸を打たれたものであった。

「はちみつ色のユン」も映画の制作手法において、8ミリフィルムを用いたドキュメンタリーにCGアニメーションを加えた『ハイブリッド映画』を謳い文句にしているところでは、40年前の日本の若手監督の代表格であった大島渚の制作態度に通じるものがある。

しかし、40年の時を越えて両作品に通じるものは、作家の制作手法だけではない。「はちみつ色のユン」の随所に織り込まれた8ミリフィルムやセピア色の写真がスクリーン上に醸し出す「質感」は、「ユンボギの日記」に描かれた少年の眼差しと一直線につながり、いわく言いがたい詩的感興を呼び起こさずにはいられないのである。

それをもって、韓国の若者が背負う<宿命>に対し、凛として抗する姿勢の美しさであるとか何だとか表現してみたところで、陳腐の極みに過ぎないであろう。さりとて、やはり、映画の終盤あたりで、主人公でもあるユン監督が母国の街中に佇む場面があるが、その表情は、一見、穏やかではあるものの、波打ち際に寄せるさざなみのごとき哀しみにひたすら耐えているようにもうかがわれ、心を揺さぶられた。「ユン」の静かな視線の向こうに、「ユンボギ」を見たような気がした瞬間だった。

奇しくも、試写会当日の昼下がりは、北朝鮮が不意打ちのようにミサイル発射を成功させ、世界中を騒然とさせた直後の時間帯であった。半島をめぐる政治情勢は、これからも多くの子どもたちの運命を翻弄するのであろうと、暗澹たる思いをいだきながら試写室を後にした。

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M.-Cedarfield

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