骰子の眼

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東京都 渋谷区

2009-03-03 12:22


写真家・石田昌隆:撮り終わった後もその写真について考え続ける人が写真家なんじゃないかな

ニルヴァーナ、ジョー・ストラマー・ジェイムズ・ブラウン、オーガスタス・パブロ…数々のミュージシャンを写真に収めてきた石田昌隆氏のロング・インタビュー
写真家・石田昌隆:撮り終わった後もその写真について考え続ける人が写真家なんじゃないかな

ロック、レゲエ、ヒップホップ、ジプシーなど国も人種も音楽性も様々なミュージシャンを20年以上撮りつづけている写真家・石田昌隆。
かつて撮ったミュージシャンでこの世を去った者も多い、しかしなお記憶の中で彼らは生き続けている。この状況はミュージシャンの特質を最も顕著に感じることができるのではないか、それを確かめるため石田昌隆はこの世を去ったミュージシャンに焦点を絞り写真展を企画した。タイトルは「セルジュ・ゲンスブールとジョニー・サンダースとカート・コバーンとフェラ・クティとオーガスタス・パブロとイアン・デューリーとラモーンズとジョー・ストラマーとジェイムズ・ブラウンとアルトン・エリスへのトリビュート」。3月31日までGrand Galleryにて写真展が開催されている中、石田氏に写真と音楽の関わりについて話を訊いた。

石田 昌隆
ミュージシャン・ポートレート 全10点



── まずは今回の写真展についてお聞きします。ジャンルも国も様々なミュージシャンに実際に会って写真を撮るということは色々エピソードがありそうですね。ニルヴァーナの写真はとても印象的でした。

今回の写真展の作品でフェラ・クティ以外は、日本で撮ったんだよね。例えば、ニルヴァーナの写真は、唯一の来日公演の時に撮った写真なんだ。撮影したのは、92年2月19日。場所は、中野サンプラザの本番直前のバック・ステージ。カート・コバーンは、前々日に川崎で買ったというパジャマを着ていて、そのうえにカーディガンを羽織っていた。このままの姿でステージに上がったんだ。当時『ネヴァーマインド』(91年)はすでにブレイクしていたけど、日本ではまだまだオルタナティヴな存在だったんだよ。ちょうど時代は音楽バブルで海外の大物ミュージシャンがガンガン来日していた頃だったから、ニルヴァーナもよく来る話題のバンドのひとつに過ぎないって思われてたと思う。
ニルヴァーナは名古屋、大阪、川崎、東京でライブだったんだけど、最終日の中野サンプラザの日は、東京ドームではガンズ・アンド・ローゼスのライブだったんだ。しかも東京ドーム3日間、当時は圧倒的にガンズ人気のほうがすごかったんだよね。そっちに行ったロック・ファンのほうがずっと多くて、だから今になってニルヴァーナのライブに行っとけば良かったって言う人も多いんだよね。

NIRVANA
NIRVANA(1992年) 撮影:石田昌隆

リアルタイムで評価していた人たち、つまりライブに行った人たちですら、僕も含めてだけどニルヴァーナの本質を当時は分かってる人が少なかったと思う。僕の場合、撮る対象に対して意味が完璧に分かってからシャッターを押すということはあまりなくて、撮る段階では2割くらい、予感含めて半分くらいこの人は撮っておこうかなっていうレベルがほとんどなのね。ニルヴァーナの写真を撮った後に『インユーテロ』がでて、そのアルバム後に僕の中では彼らはミュージシャンとしてやはり凄かったという確信に変わった。

92年に来日して93年に『インユーテロ』を出して、94年4月5日にカート・コバーンは自殺してしまった。00年代になって、『ニルヴァーナ・ボックス』(04年)の中のドキュメンタリーDVDや、DVD版『アンプラグド・イン・ニューヨーク』(07年)を見てから、やっと判ったことも多いんだよね。
そもそも音楽自体が年月とともに違って聞こえてくるように、写真も年月を経るにしたがって、違って見えてくるんだよね。撮ってるミュージシャンも知り合いじゃないから一瞬の邂逅なんだけど、それで撮り終えた後に手元にフィルムなりネガなりが残るんだけど、写真はそこからがすごく長い旅が始まる。このニルヴァーナの写真のように重要な写真、10年以上生き残る写真が僕の中にあって、だから今回の写真展をしてみようと思ったわけ。

── という事は撮り終わってからその人について考えていくという事が石田さんの中では大事なんですね。

たぶん写真家と写真家じゃない人の分かれ目って、撮影技術は別に大して重要じゃなくて、撮り終わった後でその写真について考え続ける人が写真家なんじゃないかなって言っても過言じゃないと思う。

── 石田さんの写真は音楽と強く繋がってると思うのですが、その辺りの石田さんのルーツについてお聞かせいただきたいのですが。

ミュージシャンの写真の本質を語る、考えるときに、亡くなった人の写真は実はすごくいい。というのは、僕は70年代後半から写真について色々考えるようになったんだけど、当時アサヒカメラで中平卓馬が『決闘写真論』を連載していて、その中で中平卓馬は世の中の写真家の中でパリの風景写真を撮ったウジェーヌ・アッジェとアメリカ南部の農村を撮ったウォーカー・エバンスがいかに秀でてるかっていうのを書いてたんだ。

ウジェーヌ・アッジェは画家に売るための素材の参考資料を撮るという極めて職人気質の人、ウォーカー・エバンスは1929年の世界大恐慌の後の南部の貧しい村の農民を撮った写真家なんだ。だけどアッジェのパリの街の風景にしろ、エバンスのアメリカ南部の農村の写真にしろ、当初はとりあえずの目的があって写真を撮ってた、つまりアッジェが画家に売るために撮ってたとか、エバンスが恐慌の時の農民の生活をドキュメントしたりとか、だけど何十年も経過すると当初の目的よりもただ写真だけが残ってるという状況になってくる。つまり写真は撮ってから何十年も経過すると、事物としてそこにただ存在するだけという写真の強さというか凄さが浮き彫りになる。この二人の写真を中平卓馬は「饒舌の行きつく果ての沈黙」っていう表現をしたわけ。周辺の状況とか意味づけとかが忘れ去られて全部排除されて、それでも残ってる沈黙の深さが写真の本質なんじゃないかっていうのが中平卓馬の言わんとしているところなんだ。その感じは今回の写真展に繋がると思う。

── 数々のミュージシャンを撮ってきてますが、元々の写真を撮るきっかけは何なのでしょうか。今のスタイルのように音楽、ミュージシャンに興味をもって写真を撮りはじめたんですか?

僕らの中学高校の頃は写真を撮るといえば鉄道写真か天体写真しかなかった。その後に写真雑誌の『キャパ』が創刊されてから、望遠レンズでアイドルを撮るって文化が生まれたんだけど、僕は元々鉄道写真派だったんだ。でも、写真を撮るために人間をやってるという意識は10代の頃からはっきりあった。1975年に蒸気機関車がなくなっちゃって、その後に電車の写真も撮ったけど、やっぱり蒸気機関車のほうがおもしろくて外国で撮るしかないなと思い始めて、インドの蒸気機関車を調べ始めていくうちに藤原新也さんの写真に出会った。その凄さに気づき写真全般に興味を持ち始めたんだよね。それでインドに7か月くらい行って。でも、インドに行って藤原新也の真似事みたいなのをやるともうね、手遅れだということがすごくよくわかった。

── どういう点で手遅れだったんですか?

写真のうまさがかなわないとか、そういう以前に藤原新也は1969年に初めてインドに行って2回目が1971年、つまりヒッピーとかフラワームーブメントの後にインドに行くかシベリア鉄道に乗ってヨーロッパに行くか、そのタイムリーな中で藤原新也はインドに行く必然性を持って行ってる。だから単に写真が全然かなわないとかじゃなくて時間的に手遅れだと思った。
それで大学に入ってボブ・マーリィを知り、色々コンサート観にいったりするうちに、今撮るべき場所はどこかって考えたらジャマイカしかなかった。ジャマイカ行って音楽関係の写真をとってるうちに気づいたら音楽写真家になってたってんだよね。

── その時のタイミングは重要ですね。

写真はタイミングの問題がすごく多くて、僕がインドに行ってすごい手遅れだと思ったし、帰国してニューヨークに今から行っても手遅れだろうとその時は思った。ニューヨークについてはブルース・ダヴィッドソンの『East 100th Street』(70年)という写真集を70年代後半に初めて見て、ものすごい衝撃を受けた。60年代のニューヨーク、イースト・ハーレムのアパートに住む黒人とヒスパニックの人たちを大型カメラで撮ったモノクロ写真による作品集なんだけど、ハーレムに住む黒人とヒスパニックの家を一軒一軒ノックして訪ね、撮らせてくれって頼んでOKだったらカメラをセットして、ぼろいセットなんだけど写真がすごくかっこよくて。これを見たら60年代のニューヨークがすごすぎて80年のニューヨークは腑抜けで終わってるっ思っちゃってた。実は終わってないって後から気付くんだけど。

── 石田さんが惹かれる写真には何か特徴があるんですか?

僕が惹かれる写真はブルース・ダヴィッドソンにしてもそうだけど、基本的に有名人が写ってないんだよね。有名人が写ってると、みせびらかす感じでかっこわるかったし、有名人が持ってる業績とか人気に写真が引きずられるような気がしたんだ。だけど無名の人たちの写真を撮ると、その向こうに見える土地の景色とか匂いとか気配とか空気感が出るから、写真としては正しいと思ってた。だからジャマイカに行った時もミュージシャンの写真を撮るとは全く考えてなくて、むしろ町のかっこいい兄ちゃんを撮ろうと思ってたんだけど・・・

── それでジャマイカでは何を撮ったんですか?

ジャマイカ行ったらその頃はまだ日本人もほとんどいなくて、ニコンの一眼レンズを2台持ってるってだけですごいプロが来たって思われたんだよね。それでレゲエが好きだって言ったら、ミュージシャンの写真が成り行き上たくさん撮れちゃったんだよね。

── そのうちのひとりがオーガスタス・パブロだったんですか?

そう。その頃からオーガスタス・パブロがすごい好きだったから撮らせてくださいってお願いしたら、向こうは日本からジャーナリストが俺の取材に来たって思って、サンプルレコードだしてきて思いっきりプロモーショントークをはじめたの。その当時素人の僕に(笑)。だからただのファンですって言えなくなっちゃって(笑)。

AUGUSTUS_PABLO
AUGUSTUS PABLO(1986年) 撮影:石田昌隆

── ジャマイカに行って撮ったオーガスタス・パブロの写真はどこかに売り込みに行ったんですか?

東京もまだクラブ文化がない時代で、当時東京でレゲエが聴けたのは渋谷の百軒店にあった「ブラック・ホーク」っていう店だけだった。そこはいわゆる昔のロック喫茶的な作りのお店で、踊れる店というよりは、黙って聴きながらコーヒーを啜ってるって感じの店なんだけど、そこしかレゲエを聴ける店がなかったから当時のレゲエ評論家たちは全員そこにちょくちょく来ていたんだ。だから帰国してジャマイカの写真を見せびらかしに行くのはそこしか思いつかなかった(笑)。音楽雑誌に売り込みに行くのは全然その頃思いつかなかったな。写真見せたら店の人に「すごいね兄ちゃん、オーガスタス・パブロ撮ったんだ」って言われて、その店が作ってた『レゲエマガジン』になる前身の『サウンドシステム』って雑誌に掲載してもらえることになって、またちょうどその時に『ラティーナ』の編集者にもその店で会って、「おもしろいね。うちでもやってよ」ていう話になって…

── すごい勢いで繋がっていきますね。

当時の一般誌もちょこちょこレゲエ特集を組みはじめた頃で、そういう雑誌の人も写真とか文章書ける人を探しにブラックホークに来てたんだよね。書く人は何人かいたんだけど、写真持ってる人があまりいなくて、僕のところに依頼が来るようになって、『ポパイ』や『ホット・ドッグ・プレス』に写真がでるようになってきて、その後はミュージシャン以外の写真やラーメン屋の写真とかも仕事としてとれるようになっていった。

── 学生時代にジャマイカに行って、仕事も舞い込むようになったということは普通の学生のように就職活動はされてないんですか?

僕が通ってた大学は行っても行かなくても年間の授業料が96,000円だったから、中退しないで、7年間大学に通った。この一連の出来事は学生時代に起きちゃったから、第一希望は無職っていってたね。だからいわゆる企業に就職するというのは一度もしてないんだよね。

── ジャマイカへ行って以来、色々な場所で色々な音楽を現地で触れてきたんですか?

80年代のニューヨークも本当は終わってなかったし、実はめちゃくちゃおもしろかった。「パラダイスガラージ」ではラリー・レバンがDJやってて、それが後のハウスミュージックに繋がっていって、まさに一番いい時期。ニューヨークのSOHOのすみっこの倉庫のようなクラブでそういうことが実は起こってた。でも僕は完全に見過ごしてた。だからリアルタイムで体感するのは凄く難しい。

84年にロンドンに行ったときもジャマイカ系移民がロンドンで相当おもしろいことをしてるってのはわかってたんだけど、まさかブリストルでブリストルサウンドのもとになるようなワイルドバンチ(マッシブ・アタックの前身)なんかが路上でDJしてるなんてわかんなかった。だから色んなとこで色んなものを見逃してると思う。100回のうちの10回のチャンスをものにすればいいほうだよね。ライターは8割方理解しないと文章書けないけど、写真のいいとこは1~2割の理解で着手できるってとこなんだよね、だから僕はいろんなジャンルのミュージシャンを撮ってるけど、ライターとしてこれだけ広範囲にフォローするのは僕には不可能だよね。

『ミュージックマガジン』で長年連載をしているのが僕の中で大きいんだけど、もし僕がライター専門だったら今みたいにはなってない。レゲエの写真みせて次にきた仕事がエコー&ザ・バーニーメンを撮る仕事だった。その時はニューウェーブも全く知らないし、エコー&ザ・バーニーメンの「エ」の字も知らなかった、だから2割どころかゼロだよ。たまたま頼まれて行ったらおもしろくて、目を見開かされたことも沢山ある。それこそライターじゃ味わえない写真家ならではの楽しみだよね。


■石田昌隆(いしだ・まさたか)PROFILE

フォトグラファー。1958年千葉県生まれ。千葉大学工学部画像工学科卒。著書は『黒いグルーヴ』(青弓社)。共著は『Ruffn' Tuff』(リットー・ミュージック)ほか。現在『ミュージック・マガジン』誌に「音楽の発火点」を連載中。CDのジャケット撮影は、Relaxin' With Lovers、ジャネット・ケイ、ガーネット・シルク、ジェーン・バーキン、タラフ・ドゥ・ハイドゥークス、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、フェイ・ウォン、矢沢永吉、ソウルフラワーユニオン、ズボンズ、カーネーション、H-MANほか多数。映画『ジプシー・キャラバン』の劇場パンフレットにジプシーミュージシャンの写真と解説文を提供。
公式サイト


写真展タイトル

石田昌隆写真展 開催中

「セルジュ・ゲンスブールとジョニー・サンダースとカート・コバーンとフェラ・クティとオーガスタス・パブロとイアン・デューリーとラモーンズとジョー・ストラマーとジェイムズ・ブラウンとアルトン・エリスへのトリビュート」

会場:Grand Gallery[地図を表示]
(東京都渋谷区宇田川町36-4 豊田ビル4F)
期間:2009年3月31日(火)まで 13:00~20:00
休館日:毎週水・木曜日
ギャラリーへのアクセス


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