骰子の眼

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2009-06-05 17:30


『マンガ漂流者(ドリフター)』第6回:「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【前編】

今年5月に新刊『薔薇のかたちのシ』を発売した鈴木志保に焦点をあて、今回も吉田アミの大航海がはじまる!まずは、90年代初頭の時代背景と共に鈴木志保のルーツを辿る。
『マンガ漂流者(ドリフター)』第6回:「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【前編】
(左より)鈴木志保『薔薇のかたちのシ』(2009年/ジャイブ)、『船を建てる』(1993年/集英社)

鈴木志保(すずき・しほ)

青森県生まれ。同志社大学卒業。1989年、集英社の「月刊ぶ~け」1月号にて、『10円ダイム』が掲載されデビュー。同誌を中心に増刊号などに短編をいくつか発表した後、92年よりアシカが主人公の長編『船を建てる』の連載を開始。映画や音楽からのカットアップしたイメージ、白と黒のコントラストの効いたスタイリッシュな絵柄、まるで歌のようなリリックで、トンガリ・キッズたちをたちまち虜に。99年『海洋系ちむちむDEPT』で、パルコ主催のアート・コンペティション「アーバナート展」大賞を受賞。 2001年NHKの『バケルノ小学校ヒュードロ組』のキャラクターテ゛サ゛インを務めるなど、マンガ以外にも活躍の場を広げている。09年5月に発売された『薔薇のかたちのシ』は、サウンドトラックも発売され話題に。

公式サイト



鈴木志保のルーツを探して

ぼくが 海に
泳ぐ アシカ だったらね、
中国まで 泳いでって
そいで きみは もう ぼくに 会えないね。

(ラングストン・ヒューズ『宣言』より)

鈴木志保ほど今回の「コミック・リンク」にふさわしいマンガ家はいないのかもしれない。なにしろ彼女のマンガは象徴と暗喩で出来ているのだ。

例えば、冒頭引用したラングストン・ヒューズの『宣言』から、私は鈴木志保の代表作である『船を建てる』を連想してしまう。実際に作者が影響を受けたかどうかは、知る由もないがそこに描かている事象は『船を建てる』との類似性を感じる。私のように読者は同じような類似性をそれ以外の事柄から感じているだろう。それは「映画」かもしれないし、「音楽」かもしれない、「詩」かもしれない、「ファッション」かもしれない、「美術」かもしれない、「写真」かもしれない、またはそれ「以外」、その「全て」かもしれない。この感覚はなんなのだろうか。

1992年に「月刊ぶーけ」(※増刊号にも掲載されることもあった)にて、連載がスタートした『船を建てる』は、クジラ解体工場で働くアシカのコーヒーと煙草を中心にした群像劇である。アシカ大王を信仰するかの地で、多くの登場人物(動?)たちのエピソードが、1話完結の型で紡がれた。クライマックスに向かうに従い、それぞれに散ったエピソードの一つ一つが大きな一つなぎの物語であると明らかにされる。まるでバラバラだったジグソーパズルのピースが「かちり」と音を立てて組み合わさり、1枚の絵を完成させるように。「奇跡」みたいな物語だった。

フロリダ
フロリダに住むべディとジャック、中国に住むおじいさんとおばあさんの愛が交錯する。Vol.27“フロリダ州では桃が熟れる頃/甘粛省では杏が熟れる頃”より
SEX

少し、昔話をしよう。1989年、私は12歳だった。ここではない、何処かに行きたくなるような年頃である。最も安価な現実逃避の手段は、本屋での立ち読みである。人生の中で最もマンガ雑誌を読んでいたし、買ってもいた時期だった。特に集英社の「マーガレット」系の少女マンガ誌は、投稿欄まで隅々と読んでいた。私もまた、人生の一発逆転を狙いマンガ家を目指し投稿していた時期でもあったからだ。その一方で小学館「ヤングサンデー」、講談社「ヤングマガジン」も購読していた。「ヤングサンデー」は上條敦士の『SEX』、「ヤングマガジン」は大友克洋の『AKIRA』目当てである。私はとにかく1988年に公開されたアニメ『AKIRA』に完全にノックアウトされていたため、『AKIRA』的な匂いのするマンガを捜し求めていた時期であった。

写真:上條敦士『SEX』。ちなみに連載時には2巻までしか発売されなかったが、2004年に復刻し完結した。

幼稚園から小学校低学年までは、集英社「りぼん」を読み、並行して中学年には「マーガレット」、高学年には「ヤングマガジン」「ヤングサンデー」といった青年誌もチェックするようになり、その後はヤングレディースと呼ばれた女性マンガ誌や「ガロ」にも手を出すように。当時といえば、TV番組「イカすバンド天国」によって生まれた空前のバンドブーム。JICC出版(現在の宝島社)「宝島」「バンドやろうぜ」「CUTiE」など、雑誌も片っ端から読みまくり、休日は本屋を何軒もハシゴして、自分にとって居心地の良い場所への渇望を募らせていた。


鈴木志保のマンガに出合ったのはその頃である。まず、その細い線、スタイリッシュな絵に目を引かれた。デビュー間もない頃に発表した『10円ダイム』では、ボーイミーツガールの要素もあり、恋愛モノとしても捉えることができる。絵柄には非凡さがあったが、まだ「ぶーけ」という雑誌の規格内の物語であったといえる。鈴木特有の作風が確立されたのは、1992年に『船を建てる』と同時期に発表された『テレヴィジョン』からである。

テレヴィジョン
『テレヴィジョン』 自選作品集『END& エンドアンド』収録されている『テレヴィジョン』。この頃はまだ、絵柄やストーリーに上條敦士からの影響が強いが、そこに「少女時代の終焉」と「恋愛の幻想」というスパイスを加味することで、新感覚の極上の少女マンガになった。


【はみだしコラム】
「物語性の排除」と「リアリズム」―大友克洋が後続する作家に与えた影響

宝島19910309

竹熊健太郎(※『たけくまメモ』)など多くのマンガ批評家などが既に指摘しているが、大友克洋作品の特徴として、「物語性の排除」を挙げることができるだろう。これは80年の終わりから90年代にかけての時代のムードと一致し、この時代に大友が若者たちに熱狂的に支持され大ヒットしたのだ。現在、大友克洋をオタクの文脈で考える人が多いが、これは間違いである。時代はもっと混沌として、猥雑であった。サブカルチャーという大きな枠にオタク的趣味趣向があり、現在「サブカル」というジャンルで認識されるような音楽を中心にした文化があった。まさにUNKNOW MIX! 当時の雑誌を読むと分かるが大友克洋は、若者雑誌に多く取り上げられている。1988年の『AKIRA』公開時には、講談社「ホットドッグ・プレス」が臨時増刊号を出したほど。

写真:「宝島」1991年3月9日号。『ワールド・アパートメント・ホラー』が公開されたばかりの大友克洋がインタビューに答えている。



ぼくらは、「平成」に生きていた

宝島1989

大人たちがバブルで浮かれるさまを見て、子どもちはその終焉を常に意識せざるを得なかった。80年代のバカ騒ぎ、何も考えずに能天気に生きていくだけの「物語」への求心力が薄れていったのは言うまでもない。
1989年1月8日、「平成」と元号が変わった時、「明るい世紀末」ムードだった時代は終わりを告げ、ノストラダムスの大予言も真実味を帯びる「終末感」が世の中を支配した。「宝島」3月号では、「『時代が変わる』記念号」とし、「THE WORLD'S END 警告特集 地球は死滅する!!」と「極楽チープ生活術☆東京篇」という特集が組まれている。この頃の「宝島」は、「どうせ世界が終わるなら今日を楽しく生きよう」という前向きな絶望感をに包まれていた。詳しくは、はみだしコラムにて言及するとして、筆を進めよう。

写真:「宝島」1989年3月1日号。表紙イラストは湯村輝彦の愛弟子ヒロ杉山。冒頭ページから根本敬のコラージュなど「ヘタウマ」ブームを盛り上げた立役者が多く活躍していた。



【はみだしコラム】
「宝島」3月号の特集からこの時代の気分を知る

この気分を共有するために、そのムードを象徴するような箇所を抜粋しよう。

NO FUTURE、NO CRY!!(未来は来ないけど、泣いちゃだめだ!!)

(中森明夫『東京トンガリキッズ Vol.44「一九八九年一月七日のパンクロック」』より)

さらに衝撃的なのは新元号「平成」がテトリスの影響で決定されたのではないか、と思わせるような怪情報がある事だ。
(桝山寛『麻薬的電脳快楽遊戯「寒い国から来たゲーム「テトリス」が日米を席巻してしまった!」』より)

「生きのびたい」なんて言えないよ……

(特集『地球は死滅する!!』より)

bepositiveboysandgirls

★あっさりと昭和は幕を閉じてしまったけれど、平成などという妙な元号という記号を押しつけられて使うよりも、僕たちは1989年という時間を生きていると感じたい。もちろん西暦も単なる記号だけれど、世界中がそれを使い、同時代性もそこから生まれてくる。あたりまえのことだが君が海外で友達を得たときは、「生まれたのはナインティーン・セブンティーワン」と言わなければ通じない。誰も「昭和フォーティーンシックス」ではわかってくれない。
僕たちは今アジア大陸の東の列島の小さな国で、黄色人種として生きている。かつてこの国が、アジア中を侵略し恥ずべき戦争を行ったという歴史や、いまは高度にテクノロジー化され経済的成功を収めつつも、世界のなかでは自閉症のように孤立し、隣国の韓国や東南アジアの人々からは「ずる賢い」と嫌われ、西欧では、その経済成長ゆえに、「グレムリン」の小鬼のようにミステリアスに恐怖されている現実も、世界のなかで同時に生きているという感覚がなければわからない。もちろん日本のいい面も認識はされているだろう。しかし、海外の一部の新聞が、「天皇ヒロヒトはヒトラーと同じ存在であった」と報じたとき、外から見られている目と日本の内側だけで創られてきた世界がまったく違っていることに気づくだろう。僕らはいろいろなことを知りたいと思う。ロックはそのことにずっと固執してきたカルチャーだ。世界と時代をちゃんと見つめていきたいもんです。
(編集後記『FROM EDITOR FOR YOU』より)

写真:編集後記『FROM EDITOR FOR YOU』のタイトルからも分かるとおり、編集者の顔が見え、彼らは読者をちゃんと意識していた。「Be Positive Boys&Girls!!」が、雑誌を作る上での指針になっていたのだろう。

★さて地球をテーマにした今月の特集いかがであったか。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが「ノーフューチャー(未来はねえ!)」と叫んだとき、その深い意味にショックを憶えたけれど、はたして真剣に考えれば考えるほど、いきどまりが見えてくる。まずはこの現状認識から始めるしかない。
(編集後記『FROM EDITOR FOR YOU』より)

★まるで口のうまいペテン師のような存在が消費文化というやつだ。果てしなく踊らされて、モノを買わされ、使わされる。まずはお金を使わないことを覚えよう、それから賢くなって、使い方もわかってくる。チープ&シック、これは全世界どこでも都市で暮らす若者の基本だ。シャネルやアルマーニを着ても頭からっぽのお姉さん、お兄さんにならぬように、本やレコードやコンサートや旅行にお金つかいなさいよ、ホント。
(編集後記『FROM EDITOR FOR YOU』より)

★3月上旬に、DEEP TOKYO BOOKのシリーズ第二弾「東京この街に住め」というのを出すぞ。これは本誌の読者200名に宝島スタッフなどが総動員で、いったい東京のどの街が、住むコストパフォーマンスが高いのかチェックしたもの。ビデオ店や24時間ストアから終電や自転車置場まで、住んでいる人間が報告しているというシロモノ。引っ越す前に読んで欲しいな。
(編集後記『FROM EDITOR FOR YOU』より)

★入試の人たちも多かったと思うけど、落ち込んじゃってる人。「朝のこない夜はない」。いいことが君を待っているから、早く大きくなりなさい。たかが学校のことでしょ。また来月。
(編集後記『FROM EDITOR FOR YOU』より)




大友チルドレン、上條淳士の衝撃

王道の少年マンガのようなビルドゥングスロマンが鬱陶しい、かっこ悪い、熱くなることを敬遠し、トレンディドラマの影響下にあった恋愛コメディが主流の少女マンガに辟易していた私たち。それらをダサいと感じてしまう「価値観」である。

ここにマッチしたのが、上條淳士の『To-y』である。

85から87年まで、小学館「週刊少年サンデー」にて連載された同作は、インディーズバンドのボーカリスト、藤井冬威がメジャーデビューし、伝説になるまでを描いたもの。はじめコメディタッチで描かれていたが、次第にシリアスな展開になると、セリフやモノローグがどんどん削られていき、絵だけでストーリーを見せてしまった。これは類まれなる画力を持った上條だからこそ、到達できた手法といえる。

マンガ史上においても「伝説」となったラスト、続くエピローグで主人公のトーイを慕う少女、ニヤが彼に当てた手紙の文面「ねぇとぉい、うたってる?」で物語は終わる。

そう、鈴木志保は、この「ねぇとぉい、うたってる?」を描いた作家なのだ。

上條淳士は集英社「週刊マーガレット」で連載されていた楠本まき『KissXXXX』にも影響を与えた。その上條は、江口寿史や大友克洋に影響を受けている。江口寿史は大友克洋の影響を受けている。手塚治虫を「神」としたマンガ神話体系があるなら、大友克洋を「神」とする系統もある。そして、大友は海外の作家メビウスに影響を受けたことでも知られるが、その前には白土三平や水木しげる、さいとうたかをといった劇画からの影響もあった。それは「パクリ」とは違う。他者から影響を受けつつも、その作家固有のオリジナリティを確立すること。過去を超越し「新しさ」へと挑み、それまでの価値に変化を与えた当時の状況を考慮した上で作品を判断し評価しなくてはならない。その上で、後世にも通用する作品かどうかの見極めが必要なのだ。

オクタビオ

というわけで、ここまでかなりの紙数を裂き、鈴木志保を取り巻く当時のムード、影響された作家について語ってきた。なぜ、このような前提を語らなければならなかったのかについて、触れておきたい。

まず、詩人で批評家のオクタビオ・パスが1990年に発表した、詩論『もうひとつの声―詩と世紀末』から引用しよう。

写真:オクタビオ・パス『もうひとつの声ー詩と世紀末』。かつて詩人は次の時代を予言するインスピレーションを持ち合わせていた。

誕生の時から近代を作り上げてきたふたつの理念がわれわれの目の前で崩れ去ろうとしている。時間をよりよき未来に向かって突き進んで行く線的な連続としてとらえる考え方と、変化を時間的連続の特権的形式と見なす考え方がそれである。この二つの理念がわれわれの頭の中で結びついて、歴史とは進歩に向かって進んで行くものだと考えるようになった。つまり、社会は休みなく、時には暴力的な形で変化するが、そうした変化のひとつひとつが前進であると見なすようになったのである。(中略)
今日、未来はもはやその磁力を失い、時間を支え、それを正統化していた時間も消失してしまった。

(オクタビオ・パス『もうひとつの声ー詩と世紀末』より)

89年、「平成」元年の幕開けから90年代とはなんだったのか、一つの解答を求めるなら前世代の築いた文化を否定し、新しい世界を築いていくことが難しくなった時代といえる。インターネット、You Tube、ニコニコ動画の例を挙げるのも野暮な話だが、それらによってすべてが、フラット化され、時間という概念での優越性が効力を発揮しなくなった。得ようと思えば、過去と近しい疑似体験を得ることが可能になったのだ。そして、この考えはゼロ年代を向かえ終わりを告げようとしている現在になっても変わらず、さらに押し広げられ、最適化が進んでいる。

ベイビーの卵

最適化された現在を生きる若い人には、90年代初頭の雰囲気が非常に伝わりづらく、想像するのが難しい。当時を知らない者にはまず、鈴木志保の作品を強く支配した「終末感」とは、1990年代特有のムードであったということを伝えねばならないだろう。故に、『ベイビーの卵』の解説『終末から歩み出す 解題にかえて』で音楽批評家の大里俊晴が問うた「なぜ、鈴木志保は“終末”を直感することができたのか」は、彼女が「天才だった」からではなく、鈴木志保という作家がその時代のムードを愛していた証だと答えることができるだろう。

写真:鈴木志保『ベイビーの卵』。これまで単行本未収録だった作品のほか、『薔薇のかたちのシ』『ヘブン…』の原型となった物語も収録されている。

そして、彼女の描いた「終わり」は、決してネガティブでなかったのは「絶望」のその次があるという「希望」を常に描いていたからだ。「終わり」さえも与えられず、真綿で首を絞められるごとく、永遠に続く見えない絶望の最中にあるような、ゼロ年代の幕開け前。午后のまどろみのような美しい“完璧”な物語の誕生した理由は、時代背景を考慮しなくては理解はおろか、誤読してしまうだけだ。

次回からはさらに彼女がデビューした「ぶ~け」とはどんな少女マンガ誌だったのかに迫り、女性マンガ誌との区別、核心となる作品論を語りたい。さらに、さまざまな影響を受けた彼女から影響を受けた作家へとリンクし、彼女の世界観を押し広げていくこととしよう。


(文:吉田アミ)

【過去のコラム】
吉田アミの新連載コラム『マンガ漂流者(ドリフター) ~新感覚★コミック・ガイド~』がwebDICEでスタート!(2009.4.22)
『死と彼女とぼく』川口まどか(2009.5.2)
川口まどかにリンクするコミックはコレだ!【リンク編】(2009.5.8)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【前編】(2009.5.15)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【中編】(2009.5.22)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【後編】(2009.5.29)


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。近々、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める予定。
ブログ「日日ノ日キ」

キーワード:

吉田アミ / 鈴木志保 / 大友克洋 / 宝島


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