骰子の眼

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2009-08-21 08:36


「チカーノ文化の深みの部分を知ってほしい」-個性ある音楽にこだわり続けるレーベル、ミュージックキャンプ

チカーノ、ラテンなどの音楽を紹介している硬派の洋楽インディペンデントレーベル「ミュージックキャンプ」主宰の宮田信氏にインタビュー
「チカーノ文化の深みの部分を知ってほしい」-個性ある音楽にこだわり続けるレーベル、ミュージックキャンプ
宮田氏が注目しているクンビア・バンド『ボンバ・エステーレオ』が、今年11月に来日を予定している。最新アルバム『ブロウ・アップ』がミュージックキャンプから発売中

──演奏家やクリエイターの顔がみえる個性溢れる「音」。或いは背景となる街や文化の息吹を感じさせてくれる「音」。そして、聴き手としっかりと対峙できる「音」。我々は常にそうした「音」を探し、パッケージ化し、1人でも多くの共感者を増やしたい──(Music Camp Entertainment公式サイトより)。

創立以来、インディーズレーベルとしてチカーノやラテンを中心にユニークな音源を日本のリスナーへ提供してきたMusic Camp Entertainment(以下、ミュージックキャンプ)。ローライダー文化とチカーノ文化に精通し、キーパーソンとも交流が深い主宰者の宮田信氏は、両者のライフスタイル、ファッションなどの文化的側面のみならずそれぞれの文化を形成している社会的な文脈も、イベントの開催やメディアでの執筆を通じて、日本へ積極的に紹介してきた人物でもある。腕利き洋楽ディレクターとして勤務していたBMG Japanを離れ、自身のレーベルを立ち上げた経緯のほか、現在の音楽およびメディアへの痛烈な批判や、ライフワークであるチカーノ文化への熱い思いを語ってくれた。


外資系の進出がもたらした日本のレコード文化の崩壊

── 洋楽ディレクターとして勤務されていたBMG Japanを離れて、ミュージックキャンプを立ち上げようとしたきっかけと経緯をお聞かせください。

miyata

90年代後半から2000年代前半にかけて、まさに外資が一気に日本に入ってきたグローバリゼーションの時代があったわけですが、音楽業界にはいち早くその波が押し寄せたんです。それまでのレコード会社は、もともと売れるものだけでなく、売れないものもちゃんと売っていこうとしていました。ポップスもあれば、クラシックもジャズも売っていこうというのがレコード会社の良心としてあったわけですが、外資系がそういうものをまったく変えてしまう哲学を持ちこんだんです。

写真:ミュージックキャンプ主宰の宮田信氏

── 極端な商業主義ということですか。

利益を上げていくのが至上命題なのはもちろん理解できますが、音楽や音楽マーケットへの理解が乏しいMBAを習得したエリートをいきなり取締役に迎え入れるような経営体制が業界全体の常識になっていきました。株主を喜ばせること、利益を上げることしかない。僕は会社の中で誰もやりたがらないニューエイジやジャズ、ワールドミュージックを担当していたんですが、そういった作品が余りに極端な商業主義に追いやられていくのを感じたわけです。そんな会社にいてもつまらないと思ったんですよ。独立してこんなに苦労するとは思わなかったけど、人と違うことをやっていかなきゃダメじゃないかと。メジャーではできない、やりたいことがたくさんありました。


── 宮田さんが担当されていたニューエイジとかワールドミュージックの音楽というのは、BMGの中で隅に追いやられていく分野だったわけですか。

そうですね。でも、世間的には盛り上がっていて、僕が担当していたバングラミュージックっていうイギリスのインド人の音楽とかがJ-WAVEで二位になっちゃったりとか。

── ニューエイジのジョージ・ウィンストンも担当されていたんですよね。どれくらい売れたんですか。

ニューエイジの代表的なレーベルWindom Hillからリリースされたアルバムだけで、延べ40~50万枚くらい売れましたね。

── 今は音楽市場がJ-POPに占拠されてますよね。洋楽は聴かれなくなっているといわれていますが、それは実感されていますか。

日々実感してます。

── なぜそういう状況が起きていると思いますか。

複数の要因が複雑に絡み合った結果です。音楽だけではなくて映画やファッションの世界にしても海外のものに目がいかなくなっている感じがすごくします。特に若い子たちが日本のものだけで満足している。例えば、僕たちの世代であれば、ジャズ、ヒップホップ、ブラジル何でも、まずオリジナルのものをしっかり聴いていました。今の若い子たちは、日本の中だけで、日本人のアーティストのものを聴いて良しとしているように思われます。

── 内輪で楽しんでしまうような?

内輪という意識もないですよね。単にそれで気持ちがいいんだろうし、楽しいと。それを否定しているわけではないけれど、特に若い人は、音楽から深い感動や刺激を受けてない気がします。それは音楽との出会いから始まることなんですけど、i-Tunesとかi-Podみたいな一曲一曲で切り売りしていくような世界になっていくと音楽の価値が落とし込まれていきます。アーティストも同じようなものをつくっているし、TV局資本の音楽出版社に著作権管理されている楽曲が優先されるTVで流れているものなんてヒット曲の上書きのような音楽です。そんなことをしたら、音楽なんてこんなもんだろうみたいな、聴き手がそういうふうに思ってしまうのは仕方ないですね。大手のレコード会社が自分達の首をしめたという感じがします。

あと、特定なオンライン・ショップや貸しビデオ/CD屋の独占状態は危険です。彼らのような巨大なシステムがレコード屋さんにいた職人的な親父とか、気の効く店長さんとかの指南役を町から追いやってしまった。結果として、今までいろんな人たちに蓄積されてきた知識が若い人たちにまったく継承されていない。

── 本当に今は、CDのようなパッケージで販売するよりもインターネットや携帯サイトでの音楽配信のような曲をばら売りするようなビジネスモデルに完全にシフトしていますよね。そういう傾向がリスナーの耳をダメにしてるんでしょうか。またアーティストもそれに依存したよう曲作りをしているんでしょうか。

配信があるからCDが売れなくなったといわれていますが、それは単に配信というシステムが壊したというのではなくて、繰り返しますが、音楽の尊さみたいなもの、価値みたいなものを殺いでしまった。一曲一曲売るというよりはボタンひとつでパソコンで買えてしまう、それが音楽と対峙する空気を通して音楽を聴く、スピーカーの前に座って音楽を聴くという楽しみを若い人たちに教えなくなってしまった大人にものすごい問題があると思う。音楽というのはステレオ文化でもあったし、ジャケットがアートでもあったから、レコードはひとつの総合芸術だったんですよね。

── ライナーノーツも含め、ジャケットを通して作り手に対してのイメージを膨らませたりとかしていたわけですよね?

その想像力が欠如していることが最大の問題ですよね。異文化への想像力がないということは他人への理解がないということですから、i-Tunes、i-Podの配信は、その意味で、今後音楽市場に限らず、社会全体に影響を及ぼすと思います。

── では、アーティストとレーベルの関係も変わってきているんでしょうか。

アメリカでは崩壊しています。タワーレコードがなくなってしまいましたから、新譜を適正価格で売る通常の総合レコード店がほとんど残っていません。だからCDが出せなくなってしまった。有名なミュージシャンでもCDを自主制作して、自分のコンサート会場で売ったり、オンラインショップで売ったりしていますね。


社会的矛盾が生み出す音楽の魅力

── 60、70年代の頃というのはどういう楽器をどういう立場でやっているにせよ、音楽を真に楽しんでいるという純粋な気持ちがあったと思うんですよね。

ミスターB & ザ・スティンガーズ『50’s, 60's & 70's リヴ・オン』(BG-5073)

もっと音楽がリアルでしたよね。今は、何のためにこの人は音楽をやっているんだろう、何を言いたいんだろうといった音楽が溢れかえっています。聴き手もそういうことを全く考えなくなってしまった。昔、日本ではニューミュージックの世界でさえ、そういう価値観があったんですけどね。一見ノンポリに見えても、何かに根ざしている、そういうアーティストの息吹みたいのが感じられた。海外にはそういう音楽がまだまだいっぱいあるんです。チカーノミュージックもそうだし。僕がアメリカの移民者たちの音楽がなぜ好きかというと、社会とリアルにつながっているから。そういうものを知ってしまうと、音楽のスタイルやかっこよさとかとは別に、社会全体への興味と共に常に注目していたくなるような世界が広がっているわけですよ。

写真:ミスターB & ザ・スティンガーズ『50’s, 60's & 70's リヴ・オン』。アリゾナ州で活動する職人演奏家、アンディ・ゴンサレス率いるBARRIO LATINOが架空のバンド、ミスターB & ザ・スティンガーズに扮して贈る、ファンタジックでソウルフルな音楽トリップ

── それは社会的な矛盾を抱えているから、そういうものが出てくるということですか。

社会そのものに矛盾があるし、それを議論しよう、告発しよう、社会を変えていこうというとする活力がまだ残されているから、いろんな刺激があると思うんですよ。日本はそういうものがメジャーな世界にはほとんどない。マスコミもひどい。だから、ひとつの刺激的な情報ソースとしても海外の音楽を紹介したいんです。



米軍基地近くに育った子供時代とチカーノ文化との出会い

── 今、話に出たチカーノ文化ですが、宮田さんはローライダー文化、チカーノ文化の研究者として知られていますよね。こういう文化への興味の発端というのはどういうものだったんですか。

研究者というのは大袈裟です(笑)。話しは幼少にまで遡るのですが、生まれ育った調布に米軍の基地があって、学校にも米軍関係の子どもたちがいたし、フェンスの向こう側にアメリカが広がっていたんですよ。でも、そこには絶対入れないわけです。子どもの頃からアメリカをすごく意識していた。そして学生運動から赤軍派のような政治的な事件が続いていたし、中学生ぐらいになると地元では暴走族の問題が身近にあった。調布というのは70年代暴走族のメッカのだったんですよ。近所の同級生やお兄さん達がそういうのにずいぶん参加していたんです。それでアメリカの中におけるブルースとかと同時に、日本の中における社会に対する抵抗みたいなものを感覚として知らないうちに身についてしまったみたいで。社会に反発することのかっこよさ、やんちゃであることのかっこよさが、不良には成りきれないけど、あったわけです。チカーノとの初めての出会いは、高校2年生くらいのとき見た『コルベット・サマー』という映画です。アメ車のシャコタンやメキシコ系の人達が出てきて、英語とスペイン語をちゃんぽんにして、話してる…そのファンキーさに一発でやられました(笑)。

── スパングリッシュですか?

本当は「カロー」って言うんですけど。『ポパイ』などの雑誌に溢れていたアメリカの白人とも違う、カウンターカルチャー的なかっこよさにしびれちゃって。この人たちは一体何者だろうというのが頭にあって、調べていくうちにそれがチカーノだということが分かって。チカーノになりたくて、大学ではスペイン語学科を選びました。初めてアメリカのチカーノの本拠地に行ったのが大学3年のときで、毎日限られた情報の中でイメージしていた通りというか、アメリカとメキシコがミックスしたユニークな表現やライフスタイルがカウンターカルチャーとして、コミュニティのなかで成立している。彼らの聴いている音楽とは何かというのが音楽への興味と重なって、一番そこでぶつかったのがローライダーやサブカルチャーの世界だったんです。

── ローライダー文化=チカーノというわけではないんですね。

ローライダーは彼らの独創性が表現されたひとつのスタイルですが、それが全てというイメージが間違っています。また、日本ではギャング・カルチャーとしてのチカーノを強調するショップや雑誌もあるのですが、それも大きな間違いです。

── ローライダーというのはチカーノの中のほんのひとつなんですね。それはコミュニティの中に息づいているということですか。

息づいていますが、一時期に比べると非常に弱まっています。一番大きな要因は増大したメキシコ系アメリカ人のなかで、移民してきた背景や文化が多様化したというのが理由です。ローライダーというのは、第2次世界大戦の頃から、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人の自己表現として発展し、70年代には公民権運動にも影響を受けながら発展を遂げてきました。「自分達は何者だ?」という自分への問いかけがああいうスタイルを生んでるわけです。そういうところに僕はしびれちゃったんですね。単なる不良じゃなくて、人種差別に対抗するとか、社会の不正義、不公平に対して対抗するとか。

── その表現手段がローライダーだったんですか?

ローライダーだけでなく、音楽のなかに、外からは簡単に理解できない複雑な仕掛けが内包されていたのです。不良と政治と愛が絡み合った世界です(笑)。そこにはスペイン語もあり、英語もあり、でもアメリカ人にもメキシコ人にもなりきれない。ひとつのボーダーの上に両足でまたいでいる感じ。複数の要素をもっていることでそこで混乱を起こしているもの、今でもそういうものに惹かれるんですよね。


アーティストはインターネットではなく、現地の口コミで発掘

── リリースするアーティストはどのように探しているんですか?

元ウィンダム・ヒルのスタッフが創立したシックス・ディグリーズ・レコード、USラテンを中心に新しいラテン音楽を専門にするナシオナル・レコード、またトルコのダブルムーンなど契約しているレーベルのものを優先しながら出しています。あとは、自分で四~五ヶ月に一回はアメリカに行っているので、そこで現地で話題になっているもの、アーティストから紹介をうけたもの、また町の小さなCDショップに行ったり。インターネットで見つけるよりも、現地で見つけるようにしています。

── YouTubeで見つけたりしないんですか。

YouTubeでは絶対見つけないです。僕の場合は興味のあるCDを確認することにおいてmyspaceを使うことはありますが、そこでいいミュージシャンを見つけるということはほとんどしないです。現地にいって、評判が耳にはいってくるもの、口コミですね。

レイ・サンドバル『ナトゥラレーサ』(BG-2002)

── 今まで手がけたアーティストの中でとく印象に残っているアーティストは?

レイ・サンドバル。何もないところから始まっているから。

── 彼が無名だったということですか?

チカーノという音楽を今まであった文脈とは違うところに位置づけることができた。既存のイメージとは異なるスタイル、メンタリティの部分でチカーノ性みたいなものを音楽を通して紹介できた気がします。

写真:レイ・サンドバル『ナトゥラレーサ』。ナイロン弦ギターの響きが、ピアノ、チェロ、タブラなどと奇跡的に融和した感動のアコースティック・アンサンブル


売れるものではなく、音的に文化的に共感できる音楽を紹介したい

── 今後はどんなプロジェクトが控えているんでしょうか?

エドマール・カスタネーダ『エントレ・クエルダス』(BG-5071)

まだ出したばかりですが、コロンビア人のハープ奏者でエドマール・カスタネーダという人がいます。

写真:南米ハープでジャズ~ラテンを奏でるエドマール・カスタネーダの最新アルバム『エントレ・クエルダス』

── 名前を知ったきっかけは?

トルコのミュージシャンの関係者だったんです。彼のホームページからコンタクトをとろうとしたら全然うまくいかなかったので、直接ニューヨークまで会いに行きました。そこで自分達のやっていることを説明して、取引が成立して、今、アルバムの二枚目をリリースしたところです。彼はまさにやりたいアーティストのタイプの一人で、今までの既存のイメージやスタイル、常識を覆すような、新しいことをやろうとする人。オマール・ソーサも「こいつは天才だ」と言っていますね。


チオ・アリン『ニワニワ』(MCN-2003)

あと、ロマ、ジプシーの人たちがいるトルコの音楽を紹介したいです。あれだけの長い歴史をもっている人たちですから、複雑でいろんな音楽があります。それからチオ・アリン。キューバで二年間ピアノと歌をやっていた日本人アーティストで、キューバ音楽を吸収した上に現代音楽やアフロ・キューバンが内包された音楽をやっています。

写真:キューバ経由の日本人ピアニスト/シンガー、チオ・アリンのデビューアルバム『ニワニワ』

チカーノで言えば、今年8月にミスターB & ザ・スティンガーズのCDを出します。これはアリゾナのミュージシャン、アンディ・ゴンサレスが架空のバンド名を使って、チカーノバリオで50年代~70年代に流れていたソウルミュージックとメキシカンミュージックを再現しています。単なる再現ではなく、そこにはちゃんとハートがあって、何よりコミュニティのなかで生きている音という存在感が、僕らのような外部の人間にも感動として伝わってきます。テクニックのことなんかは超越した職人的な演奏家です。日本にもずいぶんチカーノ音楽が広まっているんですけど、ローライダーとかやっている若い子たちに、彼らの音楽を伝えることによって、チカーノ文化の深みの部分を知ってもらいたいと思っています。アメリカでもここまでチカーノ音楽をちゃんとまとめてやっているレーベルはないんですね。おかげさまでミュージックキャンプは、カリフォルニアのチカーノ系のミュージシャンに随分知られてます。

── 逆にチカーノ系のミュージシャンから会いたいという連絡がくることもあるんですか?

それはよくあります。以前、ライ・クーダーからも突然メールがきて。チカーノ音楽が好きだと聞いているが、スタジオに来いというので、スタジオに行きました。

── 用件はなんだったんですか?

単に挨拶ですね(笑)。

── ライ・クーダーと一緒にやるようなプランはありますか?

ライ・クーダーがプロデュースしたアルバムをミュージックキャンプから出したいという話があったんですけど、日本の権利を別の大手レコード会社が持っていたので、残念ながら実現しませんでした。この間はカルロス・サンタナの弟、ホルへ・サンタナの家に行って遊んできましたね。ミュージシャンだけでなく、チカーノと接して来た経験が我々の財産です。共感できるもの、音的にも文化的にも、そして人間的にも。大変な思い違いや勘違いなんてこともよくあるんですけどね…(笑)。

── 今、注目している音楽はありますか?

コロンビアの音楽ですね。今年の11月にはコロンビアのボゴタから、『ボンバ・エステーレオ』という新しいクンビア・バンドを呼びます。メンバーは、エレクトロニカに親しんできた新世代です。最新のサウンドを吸収したうえに、クンビアという一種泥臭い伝統の素養を巧みに融合しています。ラテン音楽ファンだけでなく、クラブ世代にも受け入れられていくと思います。

ボンバ・エステーレオ「フエゴ」PV↓


(取材:小倉富規子 / 構成:牧智美)


■宮田信PROFILE

1962年東京生まれ。大学卒業後。西武百貨店、WAVE、BMGジャパンに勤務。1999年にMUSIC CAMP, Inc.をスタート。チカーノ音楽の他、ワールド、ヒップホップ、ジャム系まで、人種、スタイル、ジャンルを超えてオルタナティヴなラインアップを揃える音楽レーベルを展開中。雑誌ローライダー・マガジン・ジャパンでは創刊時より17年続くコラムを担当し、チカーノ文化の紹介を続けている。
ミュージックキャンプ 公式サイト

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