骰子の眼

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2009-10-27 15:00


「ゼロ年代以前が終わることで、ゼロ年代とは何だったかが確認できるんじゃないか」─STUDIO VOICEトークショウレポート

「ゼロ年代ソウカツ!Greatest Dead」イベントに元編集長の松村正人氏、宇川直宏氏、岸野雄一氏、三田格氏、湯山玲子氏、ばるぼら氏が出演
「ゼロ年代以前が終わることで、ゼロ年代とは何だったかが確認できるんじゃないか」─STUDIO VOICEトークショウレポート

先日、惜しむ声が相次ぐなか休刊となった雑誌STUDIO VOICE。その元編集長の松村正人氏のほか、宇川直宏氏、岸野雄一氏、三田格氏、湯山玲子氏、ばるぼら氏といった歴代の執筆陣が出演したトークショウ「ゼロ年代ソウカツ!Greatest Dead」が開催された。スタート当初は松村氏とばるぼら氏の2人のみの登壇から、徐々に参加者が増え最終的には全員が登場するという「STUDIO VOICEの入稿状況みたい」(岸野)という状況のなか、休刊のニュースが与えた影響から、雑誌メディアの行方や可能性についてまで、2時間以上にわたって白熱した議論が交わされた。今回はそのなかかからほんの一部をご紹介。

2万部発行のクラス・マガジンが消えた?!

松村:いらしていただいたみなさんご存じの通り、STUDIO VOICEは8月6日発売号をもちまして休刊ということになりました。私はもう休刊云々という話に辟易しているところがあるんですが、ばるぼらさんはどうですか?

ばるぼら:ひとつの時代が終わったなぁという気がします。STUDIO VOICEをはじめみんな原稿を書く場所がなくなっている。具体的にはカルチャー誌ですね。それは残念です。いちおう5桁の数字を出している雑誌で、いろんな情報を取り上げるという場所がなくなってしまって、数百人しか知らないカルチャーを数万人に届けるハブ役の雑誌がなくなってしまったことで、数千人の読者に届く雑誌しかなくなってしまった。

(画像)2009年9月号をもって休刊となったSTUDIO VOICE

松村:最後の号でOOIOOの撮影をしたとき、YOSHIMIちゃんに「これだけ友だちが載っている雑誌もなかった」と言われたんですね。媒体を通して、知り合いがあんなことやってるのを知る。STUDIO VOICEはカルチャーの「場」ではあったと思うんです。いまは情報の量は10年前とは比較にならないくらい膨大になったけど、外に開かれているかといえば疑問がありますよ。私は高校のときから読んでいて、特集主義というか、ひとつの雑誌を継続して読んでいく中で得る知識とか、それ以前に歴史とかにすごく興奮しましたけどね。

ばるぼら:創刊したのが33年前で、途中で85年くらいで編集長が変わって、特集主義に変わって、基本的にそこから続いているわけですけれど、残ったのは、今の時代になって遂に特集主義の時代が終わってしまったということなんですかね?

松村:編集する方としては、特集主義でまだまだいくらでもできると思うんですけれど、それを経済的に成り立たせていくということが難しかったということだと思うんです。

ばるぼら:休刊の理由はなんなんですか?

松村:休刊の理由は、会社が公にしているような理由ですよ。

ばるぼら:けっこう急でしたよね。

松村:確かに急でした。でも会社が決めることってだいたい急だから。そういうものなんじゃないかなと思ったけど、感情的には波風立つこともありました。月刊誌というのはほんとうにつらいスパンで進んでいくから、最後の号を出した後はすごく虚脱感がありました。特集の最後を印刷所に入稿したとき、頭の中でロバート・ワイアットの「アット・ラスト・アイム・フリー」が流れましたもん。

ばるぼら:少し前にリニューアルしましたけれど、あのなかでいちばん売れたのはどの号なんですか?

松村:相対性理論の号です。

ばるぼら:2号前ですよね、その次の号(2009年8月号「本と旅する」特集)が出た瞬間に休刊が決まる、売り上げが上がってもだめですか?

松村:うーん、「売れる」をイメージが違ったんでしょう。不況という経済の構造のなかで、「まあがんばってるでしょう」とこっちが思っても、会社は「これくれくらい売れてなきゃいけない」という目標があるわけで、その差が開いてしまったという、ありがちな話ですよ。

岸野:朝礼のときに突然「来月号で終わり」って言われたって聞きましたが?

松村:そうですね、従業員全員が知ったのはそれくらいだと思う。編集部には前の日に通達があって、みんなでしょんぼり食事をしましたよ。編集部員全員が集まって飯食うのってそういうときしかないんだよね(笑)。

三田:普段から横の連絡が悪い会社で、ひとつのことを全員に言わないと伝わらないんだよね。それが休刊の理由なんじゃない?(笑)

松村:ホワイトボードはあるんだけど、編集者全員がノーリターンとしか書かない。それが現実のものになった(笑)。

三田:だいたい大手の出版社の雑誌は70,000部くらいで辞めるらしいんだよね。でも僕が最近聞いてる雑誌の休刊がおしなべて20,000クラスがどんどんなくなっていく感じ。

松村:カルチャー誌の部数はそれくらいでしょう。

三田:そうするとある一定の価値観の部分がなくなっているような気がするんだよね。

岸野:だいたい20,000くらいのあるカルチャーの層が失われるということ?

三田:カルチャーだけじゃなかったり、いろんな傾向だね。

岸野:20,000クラスのコミュニティが維持しにくいということなんじゃないの? もっと小規模なものが増えてきたので。

三田:休刊ということを聞いて、ネットで検索してみたんだけれど、休刊について書いている人が何人かいるわけだけれど、ほとんど読んでない人なんだよね。20,000クラスの人の声がぜんぜん上がってこない。でも仮にも20,000ってすごい数じゃない。それを考えると不思議な感じだよね。

岸野:えてしてそういうものなんじゃないの。そういう文化を享受するという人は黙っているということなんでしょう。それでひとこと言いたい人の声というのが大きくなっているということでしょう。

三田:昔買ってたのに最近買ってなかったから、休刊は自分のせいなんじゃないかとか。

岸野:それはいいことだと思う(笑)。最近の追悼ブームがいやでいやでしょうがなくて、追悼することで自分のスタンスを表明するというのがあるでしょ。コンサートなんて来やしないくせに、死んだとたんそうなる。

三田:でもそういうときじゃないとものを買ってくれないからね。やっぱり編集者もそうしたくてしているとは思えないけどね。

岸野:そう?死の商人みたいじゃないですか。

三田:現代思想でマイケル・ジャクソンが出て(2009年8月臨時増刊号)、マドンナは生きていて特集されるのに(※ユリイカ2006年3月号 特集=マドンナ ダンスフロアの反乱)、マイケル・ジャクソンって死ななければ特集されないんだろうな、みたいな。でも、生きているうちに特集しても、きっと売れないよ。

岸野:売らなきゃいけないし、もっと買おうよ。生きている人のものを。

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左から松村正人氏、湯山玲子氏、宇川直宏氏、岸野雄一氏、三田格氏

カルチャーで本当に売れる雑誌はあったのか?!

ばるぼら:最終号は追悼特集でしたね、どういう意図で?

松村:ゼロ年代を総括するには、あまりにも時間がないスパンのなかだったから、苦肉の策でゼロ年代に終わったものを並べることで20世紀とこの10年の違いを確認できるんじゃないかと思ったんです。

三田:僕も読者時代に衝撃だったのが、「華やかな死者たち」という88年に亡くなった方だけを特集するというのがあって、あれが記憶にあってやったんじゃないかと。

松村:それはありますね。横尾忠則さんがADを辞めたときの流行通信とか、終わり方として、あまり美辞麗句を並べてというのはしたくなかった。

(──ここで遅れてきた宇川氏と湯山氏が来場──)

宇川:この間のSTUDIO VOICEの最終号で、三田さんと佐々木(敦)さんと一緒に鼎談したページの下に僕がリストアップしたゼロ年代リストが帯で流れていたの読みましたか?あのリスト今日持ってきているんだけれど、あれにのりぴーと押尾学とピーチジョンが入ってなかった。収録が事件前だったので。あの事件が起こった後に鼎談していたら最終号はもっと売れてたかもしれない(笑)。あんなに下品なサイバーのりぴーのDJプレイが、YOUTUBE経由でワイドショーにヘビロテされたのが、3rdサマーオブラブだったとは信じたくないですけどね。

三田:ほんとに芸能好きだよね(笑)。

宇川:いや、3rdサマーオブラブは全裸の草彅くんだったかも。深夜の一人バーニングマンだもんな。ところで最近の紙メディアについては、『週刊現代』をひさびさに購入したんですよ。のりぴーの様々なレイヴでの痴態を知人達のインタビューなどから赤裸々にルポルタージュしていて、本当に圧巻でした。あそこまでレイヴワードをあからさまに取り上げたテキストはかつてなかったんじゃないかと。しかもキヨスクやコンビニで売っている雑誌ですよ。まず感動したのは、インターネットの情報や風説だけじゃなく、独自的な視点を持って情報をきちんと足で稼いでる。僕はその姿勢にTVでもネットでも新聞でもない、雑誌メディアのあり方を改めて認識し直されました。あの記事は戦後のカストリ誌の臭いもしたし、高度成長期のトップ屋的な気迫も感じつつ、当時の実話ドキュメントのような卑猥さも嗅ぎ取れて興奮してしまった。

湯山:クラブカルチャーって実はSTUDIO VOICEの裏には共通の教養としてあったわけでしょ。レイヴという事柄にしても、実話ドキュメントではなく、あくまでヒッピーやバロウズの流れを汲む文化的な枠組みで語っていたからね。話を戻せば、雑誌がつぶれるのが広告のせいにするというのはもうわかっているので、それは置いておきながら、カルチャーでほんとうに売れる雑誌はなかったのかと思うと、そうでもない、と最近思ったんでよね。BRUTUSがずいぶんカルチャー寄りになったときがあったでしょ。淋派とか、ギャル研究とか。あれ、そこそこ売れたらしい。世の中にあふれている古今の文化事象を、現代の教科書みたいに取り上げ、批評分析するのって、STUDIO VOICEがやってきたことで、「なんだ、まだ、この路線はあるじゃないか」と。

三田:広告が入ることで誌面の内容も規制されるしね。でも雑誌の部数を公開しないのは日本だけだから。

宇川:視聴率と出版部数は“動物占い”以上に信憑性に欠けるという説は、暗黙の了解としてありますからね。

湯山:でも現場の意見として、マイナー雑誌の広告っていうのは、編集方針よりもどんどん金になびいていくんです。

松村:ずっと走っているなかで、構造全体を変えていくのは難しいですね。月刊誌のスパンで大々的なリニューアルすることは。

ばるぼら:要するにまとめ感ということだと思うんですけれど、STUDIO VOICEの最終号が死んだ人特集で、どちらかというと20世紀を代表する人の特集なんですけれど、例えば21世紀最初の10年というのは、20世紀の終わりの年だったというような言い方だと思うんです。で、果たして21世紀に新しいカルチャーはなかったわけではないんだけれど、そのなかで盛り上がったお笑いとか萌えカルチャーとかを取り上げなかったのはSV的にダサイからだと思うんです。そんなことはないですか?

松村:そういうものは一般化するのが早くて。STUDIO VOICEはちょっとメジャー化するぎりぎりのところで取り上げたい気持ちがあったんですよ。お笑いがまだオルタナなときにやると一部しかわからないし。だけど、クるときにはバッと一瞬で広がって、後追いするにはたしかにダサいんですよ。

三田:テレビをメインにしているカルチャーはやらないよね。

松村:テレビはマスだから、気持ちに参入障壁があるんですよ。

足で稼がないカルチャー・カタログ雑誌の限界?!

宇川:俺ね、忘れもしない92年にペリー&キングズレイのリイシューがあったじゃないですか。あのときのレビューがSTUDIO VOICEに最初に寄稿した原稿。そのときってすでにハナタラシとモーグのカップリングを自分でリリースしていたから。それを嗅ぎ付けた松山晋也さんに呼び出されて書いた。

湯山:松山さんが編集長のときはエヴァンゲリオン特集がすごく売れたんだよね。

松村:私はまだ編集部に入る前でしたが、あれは増刷したと聞きました。

宇川:ずばり、休刊の原因はなんなんですか?

松村:部数が落ちたからですよ。

岸野:広告がとれなくなったからでしょ?

三田:でも、最後にやけくそでリニューアルして身売りしたらどう かという話も出てたんだけど、それが上に通らない理由は何?

松村:実はどこもそうだと思うんですけど、雑誌にはゼロ年代中ごろ以降のプチ・バブルで経営主導になった価値観と、それ以前の「雑誌カルチャー」の担い手としての理想論が混在している気がするんですよ。経済の話でドライに切り捨てるけど、どこかロマンチック。その間で引き裂かれたんでしょう、きっと。

宇川:それは違うんじゃないかな、実はいま休刊/廃刊ブームだからあえて便乗したんじゃないんですか?。自らあえて消えることによってブームにきちんと乗っかった雑誌、それってバリバリトレンディですよ(笑)。で、考えたんですが、惜しまれてなくなる雑誌の最終号は基本的に部数がのびるので、出稿の量も増えるじゃないですか。で、その金でまたすぐ復刊するんですよ、売れるんですよね、復刊リニューアル号は。で、またすぐ2号くらいで休刊するんですよ。これも売れますよね(笑)。そんな感じで、復刊と休刊を繰り返しながら目立つだけ目立って優柔不断に断続するのはどうでしょう(笑)。これも新しい雑誌のあり方なのではないか、と。だって98年に一度廃刊した『夜想』が、03年に復刊した例もありますからね。

湯山:いろんな分野の人が「STUDIO VOICEって休刊するんですよね」ってみんな言ってる。文化系の人間が必ず青春期に必ず買う一冊。普段、ワインとゴルフの話しかしない、オヤジくさいメーカーの営業部長みたいな人たちが休刊の話題をふってきて、その裾野の広さに驚いた。

宇川:そういう意味でいうとスタジオボイスは『BOMB!』みたいな存在かもしれません。

三田:雑誌がいいのはなんの制約もなく「いま、何か?」を真剣に考えられることだよね。学問と違って。

岸野:場所がなくなっていくよね。

松村:みんな集まってダベる場所がなくなったということはあるでしょうね。

湯山:なんとか復活する道を! と、みなさんが考えているその熱があるうちに行動を起こした方がいと思うんだけど、ネットなのかな?

三田:一応、ONLINEはあるけど。

宇川:でもあのONLINEはまったく違うものだよね。だったらむしろ月刊誌やめて週刊誌になろうよ、情報を足で稼ごうよ(笑)。

湯山:文化ジャンルも細分化されているから、全部を知ることはできない。横目で見て、他のジャンルを知りたい、と思ったときにあると良いんだよね。

宇川:でも現在は個人のマニアックなアーカイブがネット上で情報として無料で解放されているから、文化的な雑食性だけで商業誌はやって行けないでしょ。興味の対象が定まってさえいれば、検索次第ではインターネット自体がブ厚いSTUDIO VOICEになる。だからあえてそれをやらずにお金と時間を使って情報を足で稼がなきゃ。そういう意味でいうとばるぼら君や磯部涼君は足で稼いでいると思いますね。

岸野:現場に行っているもんね。

宇川:そうですね。僕も実は90年代に直に触れていない文化の事を、さも行ったかのように批評することに限界を感じたんです。だからサンフランシスコに移り住んだんですが、その連載がSTUDIOVOICEで95年から2年間続いた『Californian SHOCK HUNTER』です。だからそれを考えると今の雑誌は文屋魂が足りない(笑)。ブログ以降の現象としては、国民層批評家ですけど、それじゃダメ。

岸野:ブログって自分的にツボだったっていうことを書く場所でしょ。自分的にツボかどうかっていうことは、他人にとってはどうでもいい話なんで。結局そこが限界だよね。

湯山:私もそう思う。クラブにしてもインターネット当初から、現場のリポート満載だっだけれど、DJがどーで、オーディエンスもサイコー、見たいな感想は全く、ダンスフロアに行かない、もしくは行っている人間にも伝わってこない。ブンヤとしての最低文章リテラシーがないと、やっぱり、多ジャンルの紹介にはなっていかない。

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BRUTUSが音楽をいくらやっても売れない、SVは潜在的に音楽ファンが読んでいた

松村:ばるぼら君が言っていたと思うんだけど、特集主義で雑誌を作っていくことが難しくなって、残っているカルチャー雑誌もインタビュー誌かファンジンみたいなものになっているという意見があるんですけれど、どう思いますか?

湯山:もはや、キツいでしょう。だってアーティストの生の声、インタビューなんて自分のホームページがいちばん詳しくないですか。プロの凄腕インタビューイーが介在して、そこに思っても見なかった発言が引き出されるのだったらいいけれど、今は事務所のチェックととうか、検閲がものすごくて、そういう画面は本当に少ない。そういえば、AERAの「現代の肖像」は最近、おもしろいですよ。著者が時間をかけて、対象に迫っている、というネット報道ではあり得ない上質のテキストがある。ああいうのだったら読みたいなと思った。

宇川:インタビュー誌で生き残っていて、しかも活気があるのってなんですか?CUTとクイック・ジャパンはそうですよね。

湯山:Switchもそうですね。活気があるとはいえないけれど、インタビュー誌としては読者がついてきている。

三田:それは雑誌がそれぞれに特色を出してやるしかないから。対象に対して独自な視点を持つしかないのに、いかに親しいかというところだけになってしまっていて、体調がいいか悪いかだけをリアルに聞き出しているだけで。インタビューされる側も逃げ腰で、挑戦的なインタビュアーから逃げちゃう人も多いから同じ人に繰り返し話をすることになってしまう。番記者制度だよね。でも、STUDIO VOICEってもともとアンディ・ウォーホールのインタビュー・マガジンと提携していくという70年代のスタートがあって、それが江坂健、松山晋也編集長ぐらいから人軸ではなく物軸に変わってきて。今までにない特集のコンセプトを出して、みんなの知らないタイトルのもとにモノを集めていくという。それ以前は基本的にモノがぜんぜん紹介されていないから。

松村:音楽誌ではDOLLも終わってしまいました。私は好きだったんだけど……。

宇川:DOLLがなくなったのも、まず大手楽器屋が倒産したのと、パンク/ハードコアを専門に売るレコード屋がどんどんなくなって、広告も減って来た。あとオンラインショッピングの時代に、紙面にK1Cの広告を出す意味も無くなって。でも最終号もいつもと何ら変わらない“スウェーディツシュハードコア”の特集で一切休刊イメージが打ち出されていなくて、それがDOLLらしくてかっこいいなと思いました。

岸野:潔いよね。

宇川:ところで、ばるぼら君はSTUDIO VOICEに対する思い入れはあるんですか?

ばるぼら:90年代初頭は読んでましたけどね。いちばん最初に買ったのは、アンディ・ウォーホールの特集号かな。で、98年くらいからつまらなくなったので、読まなくなりました。たまに自分の興味のない特集をやるから、そういうものだと思っていたんですけれど、いつまで経っても自分の興味のある特集が出てこないから。音楽特集はまぁ濃いんですけれど。

湯山:音楽特集もねぇー。ずっとジャケが並んでいて、カタログみたいだったじゃない。さっき言ったように、門外漢文科系には、そこに何があるのか? どう位置づけられるのかというふくらみがなかった。ケルト特集あたりのSTUDIO VOICEは、そこのところの言説があたけれど。まったくそのジャンルに対して知らないに対しては、なんだこれっていうちょっとマスターベーションかなっていうのはありましたけれどね。

三田:でも、その方が売れるんですよ。なぜか。

岸野:レコードカタログは売れるんだよね。

三田:BRUTUSが音楽特集は売れないらしくて、そこの棲み分けはあるんだと思う。松山編集長時代からだんだん世の中の細分化に応えていかなきゃいけなくなってきたわけで、そうすると音楽とSTUDIO VOICEというのはすごくはまって、わかんないジャンルのわかんない特集みたいになっちゃったけど、なんでも売れたからね。だから潜在的に音楽ファンが読んでる雑誌だった。

松村:音楽特集はレコジャケでヴィジュアルを構成できるから制作費が安くあがるんですよ。

三田:そういう話かい!

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もし復刊するなら、こんな編集はどう?

湯山:いまのコンテンツサービスっていろんなところで儲けようとしているわけじゃないですか。だからそこでSTUDIO VOICEも裏STUDIO VOICEじゃないけれど、ひとつの取材でいくつも儲けるみたいな、そういう商売ってどうかな。泥臭い話だけれど、雑誌で儲けるってほんとうに難しいので。

宇川:インターネット台頭の95年以降は、いつも僕が書きすぎて、誌面に載らなかった文字数オーバーの長文テキストはネットに全文上げてくれたりしましたよね。

岸野:ひとりにインタビューして、いろいろな雑誌にきりわけて売ればいいんだよ。

湯山:それはよく音楽ライターさんがやってる。

宇川:それ以前に、ライターを生業にされている人、今後、どうするんですか?

三田:もう肩書きを変えるよ。書くところがないから、プロデューサーだよね。

宇川:だから僕は紙メディアの書き手さん達がインターネット上で、活動できるようになる基盤を作りたいと思うんですよ。それもテキストベースじゃなく、ライヴストリーミングの番組として。ネット上ではいろんな企業や、個人がライヴストリーミングをやってるんですけれど、対抗メディアはテレビなんですよ。だからローバジェットな民放のヴァラエティみたいコンテンツばかりが増殖している。そうじゃなくて、紙メディアの墓場としての動画配信が生で出来ないか今考えてるんですよ。

湯山:いろんな人が集まってギャザリングするようなことは、なかなか難しいのかなと思いますよね。だからインターネットって自由だと思われていて、みんながいろんなカルチャーのサイトを開くんだけれど、お金がないと続かない。そこに無料じゃなくてなんらかの、課金システムを作るというのが必要なのかも。

宇川:いや課金はきついでしょ。広告の新しい在り方を考えるしかない。

岸野:俺はお賽銭だと思うけどね。

湯山:最近、岸野さんがさきほど「雑誌の雑味の部分がなくなったからつまらない」という話がありましたけれど、そういうことも含めながら、の有料ネットコンテンツができないものかと。最近、怒濤のごとく世に出ている、ビジネス&自己啓発本も有料メルマガやセミナーと一体になって稼いでるわけで、文化教養もそのスキームに乗ってやってもいい。

三田:つーか、googleって何でも出てきちゃうわけでしょ、なんの選択基準もなく。アメリカではあれに編集やら監修やらが入って、必要なセグメントをしてくれる。編集の仕事はそっちにシフトしていくかも。

岸野:情報のセレクトショップみたいな感じだね。

宇川:そうですよね。だってBeatportで売れているトラックっていっても、とあるDJの人のチャートをそのまま買えるということにもなっていて、DJ自体がセレクトショップ化していることはある。

湯山:ファッションでもStyle.comはファッション誌よりも早く、パリコレでもぜんぶランウェイを見ることができるでしょ。

宇川:そうするとあとは文脈づけなんじゃないですか、なんの文脈もなくひとネタいくらというのではなくて、ネタのトータル・コーディネート。

湯山:「月刊宇川」だったらそれはできるんじゃない(笑)。

[2009年8月22日(土)青山ブックセンター本店・カルチャーサロン青山にて]

(取材・構成:駒井憲嗣)

松村正人 プロフィール

1972年、奄美生まれ。99年、「STUDIO VOICE」編集部に入る。2007年4月より「Tokion」編集長。2009年4月号より「STUDIO VOICE」編集長。「南部真里」の筆名で各種執筆活動も。音楽評論家、湯浅学氏率いるエクスペリメンタル・フォークロック・バンド、湯浅湾のベースを担当。

宇川直宏 プロフィール

グラフィックデザイナー、映像作家、ミュージック・ビデオディレクター、VJ、文筆家、司会業、TV番組プロデューサー、レーベルオーナー、パーティーオーガナイザー、ファッションブランドディレクター、サウンド・システム構築、クラブオーナー、京都造形大学教授、日本自然災害学会正会員、そして現代美術家と幅広く極めて多岐に渡る活動を行い、自らをメディアレイピストと称する。

岸野雄一 プロフィール

俳優・音楽家・著述家等、多岐に渡る活動を包括する名称としてスタディスト(勉強家)を名乗り活動中。現在、WATTS TOWERSやヒゲの未亡人などのユニットで活躍中。岸野プロデュースのレーベル"Out One Disc"も話題を呼んでいる。黒沢清の処女作「神田川淫乱戦争」にて俳優デビュー。東京芸大大学院や映画美学校では映画音楽学の教鞭を執る。

三田格 プロフィール

ライター。STUDIO VOICEでは「イルとデッドの地獄レビュー」「はっぱのフレディ・マーキュリー」「バカ田短期大学」などを連載。竹熊健太郎にインタビュアーを逆指名されたことがきっかけで18年も関わることになったので、休刊と聞いて竹熊氏に挨拶に行ったところ、「え、そうなの? 覚えてない・・・」といわれて吉祥寺の焼肉屋が静まり返る(ウソ)。最近の編監書に『アンビエント・ミュージック 1969-2009』『水木しげる 超1000ページ』『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』など。

湯山玲子 プロフィール

クリエイティブ・ディレクター/エッセイスト。各種、雑誌や単行本、広告などを手がける。クラブカルチャー、海外事情、寿司に至るまでのカルチュアル・スタディーズを続けている。著作に『女ひとり寿司』(洋泉社)『クラブカルチャー !』(毎日新聞出版局)女装する女(新潮新書)など。日本大学藝術学部文芸学科非常勤講師。〈美人寿司〉主宰。

ばるぼら プロフィール

ネットワーカー、古雑誌蒐集家、周辺文化研究家。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』『NYLON100% 80年代渋谷発ポップカルチャーの源流』など。近年は「WEBスナイパー」や『アイデア』誌で活動している。

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