骰子の眼

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長野県 その他

2013-08-03 00:20


ただの原っぱを野外上映会場に変えたやみくもな情熱が、次の世代に受け継がれる

八ヶ岳自然文化園内で行われる『星空の映画祭』を再開させた武川寛幸氏に聞く
ただの原っぱを野外上映会場に変えたやみくもな情熱が、次の世代に受け継がれる
「星空の映画祭」会場の様子。

"日本で一番星空に近い"野外映画祭「星空の映画祭2013」が8月4日(日)から25日(日)まで開催される。映画祭実行委員長の武川寛幸(むかわ・ひろゆき)が語る映画祭誕生から突然の休止そして復活までの真相。




野外で映画を観ることに、子どもながらに『それヤバイじゃん!』って

東京から特急あずさに乗り約2時間、そこからバスで1時間ほど走ると辿り着く長野県諏訪郡原村。人口7,000人あまり。セロリ栽培を主としたのどかな農村のまち。そんな八ケ岳の麓に位置する原村の山奥、「八ヶ岳自然文化園」内にある会場で夏の間だけ開催される野外映画祭がある。天から降り注ぐような美しい星空の下で上映されることから「星空の映画祭」と名付けられた。今年で28回目を数える歴史ある映画祭だが、2006年から4年の休止期間を経て2010年に復活を遂げている。この復活劇を仕掛けた映画祭実行委員長である武川寛幸は、「爆音映画祭」など数々の企画上映で映画ファンを常に驚喜させ注目を集める吉祥寺の映画館「バウスシアター」の編成担当として日々勤務しながら、長野、東京間を何度も往復し映画祭復活に奔走した。

1994年夏、隣村である岡谷市出身の武川は、初めて「星空の映画祭」を体験する。映画祭はすでに10回目を数え、原村はもとより、近隣の人々にとって、縁日や盆踊り同様に夏の風物詩のひとつとして親しまれていた。

野外でフィルム上映4,000人を動員、星空の映画祭 開催
映画祭実行委員の武川さん

「初めて行ったのは14歳のときで『ジュラシック・パーク』を観に行きましたね。怪獣とか恐竜が好きですでに映画館で3回も観ていたんですけど、野外で『ジュラシック・パーク』をやるらしいという情報を親父がどこかから聞いてきて、子どもながらに野外で観るということにピンとくるものがあって、『それヤバイじゃん!』って。その年は、確か家族全員で行きました。とにかくすごかったというのを憶えています。会場に行くまでもちょっとした探検というか冒険というか。山奥なので夏なのにめちゃくちゃ涼しくて真っ暗で、こんな場所あるんだとびっくりしました」

その後も武川は、時に家族と、時に仲間と、時にちょっと気になる女の子を誘っては、「星空の映画祭」に通った。だが、その後、大学進学を機に上京した武川は、次第に田舎から遠のき、「星空の映画祭」に足を向ける事もなくなった。そのうち存在そのものも記憶の彼方から消えようとしていた。

縁あって、学生時代に始めたバウスシアターでのアルバイトは卒業後も続け、正社員の道へと進む。日々の生活の中で一層仕事が占める割合が増え、武川は映画館業務に没頭していく。

「バウスに入りたての頃はそれこそメジャー作品が満席満席だったんですが、タルコフスキー、ゴダールなんかの特集上映はお客さんが3人くらいでした、そういった状況が、郊外のシネコンがでてきて徐々に逆転していったんです。だんだんメジャー作品の集客が減っていくのと反比例するように特集上映の集客が増えていきました」

「星空の映画祭」休止の情報が武川の耳に届いたのは、そんな、単館系映画館の転換期を迎えていた矢先のことだった。地方の映画館の経営状態を同業者として多少なりとも情報が入ってきていた中だったこともあり、武川は妙に腑に落ちた。「しょうがないよな」と。しかしその後、武川の意図せぬところから思わぬ誘いがやってくる。それが忘れかけていた「故郷」と「映画」というアイデンティティだった。

「バウスでアルバイトしていた秋山さんという原村出身の女性がいて、彼女は2009年に仕事を辞めて原村に戻ったんですが、東京の映画館で働いたノウハウをなんとか田舎で活かせないかって考えていたみたいで、同郷である僕のところに『休止になっている星空の映画祭を復活させたいんだけど』と、相談があったんです」

俺がやりたいと思っている場所を一度でいいから見てくれ

こうして、秋山の相談を武川が受けるカタチで「星空の映画祭」復活の幕は開ける。

まずは手探りで始めるのだが、ほどなく素朴な疑問が。「そもそも映画祭の主催者は何者なのか」。リサーチして浮かび上がった人物に二人は驚きを隠せなかった。県や市町村の組合でも団体でもなければ大資本の企業でもない、それが(映画祭会場の)八ヶ岳自然文化園から数十メートル離れたペンションを経営している柳平というたったひとりの男だったからである。そして、同年の冬に、武川はその男性が経営しているペンションをさっそく訪ねることとなる。

「ペンションに行ったんですが不在だったんですよね。でも、鍵が開いていたので、置き手紙をしていったんです。僕がいまどういう仕事をしているかとか、一回会ってお話がしたい、なぜ中止になったのか、復活する可能性があるんだったらお手伝いくらいはできるので協力させてほしい。といった内容の手紙とバウスで企画した特集上映のチラシを持ってきていたのでそれを一式置いて。そうしたら2日後くらいに、手紙を読んでうれしかったという連絡があって『一度ゆっくり会いましょう』という話になって、その何日後かに再びペンションを訪ねました。いろいろな話をする中でわかったことは 柳平さんという方はいろんな仕掛人なんですよ。魚の獲り方や川下りの仕方を子どもたちに教える塾を開いたり、氷上結婚式とか山頂結婚式を企画したり。ペンションのオーナーさんなんだけど、こんな事したらおもしろいんじゃないかということを商売じゃなくて趣味でやっているような、少し変わった方で」

そんな型にはまらない柳平の話は、次第に映画祭誕生秘話へと進んでいく。

「『風の谷のナウシカ』を見たときにものすごく感動して、これは野外で見られるべき映画であると感じたらしいんです。でもどうしたらいいかわからない。わからないからとにかく一番近くにある映画館、茅野新星劇場に電話をした。思い立った日の夜中23時くらいらしいんですけど」

ほとばしる情熱を抑えることが出来ない男の行動は、決断すればとにかく速い。

「『原村の柳平っていう者なんだけど、実は八ヶ岳の高原で野外上映を考えてるんだけど、できますか?』って。いやそんな事、突然こんな夜中に言われても、って話になるじゃないですか。それで『じゃあとにかく明日行くから話を聞いてほしい』ってアポだけとって、翌日、新星劇場の館長をされている柏原さんに会いに行ったそうなんです。とにかく情熱をぶつけて、柏原さんも体よく最初は断ったんだけど、どうしてもやりたいと柳平さんは一切引かなくて。それで1回現場を見てくれって話になったらしいんですよ。『俺がやりたいと思っている場所を一度でいいから見てくれ』って、半ば無理矢理連れられて。柏原さんもそのとき初めてその場所を訪れたんです。当時は八ヶ岳自然文化園はまだなかったので、何もないただの原っぱだったんですけど。だけどそこを見て柏原さんも気に入っちゃって、そこから二人で『なんとかするか!』って話になったそうです」

野外でフィルム上映4,000人を動員、星空の映画祭 開催
新星劇場の館長・柏原さん

とにかくギターをかき鳴らし、荒ぶる気持ちを掴んだマイクに吐き出したロックンロールな初期衝動が数々の名曲を生み出したように、柳平が起こしたエモーショナルなアクションは、瞬く間に周囲を巻き込み、ゼロからの映画祭づくりをカタチづけていった。

「柏原さんは元々移動映画館の請負もやっていたんです。だから映写機は屋外にも持ってこられる。だけどスクリーンもないし、電気も通ってない。そこからは、二人でとにかく近所にお願いして回って。協力してもらいながら工業用の防水シートをつぎはぎして手づくりのスクリーンをつくって、電気を引いて映写小屋も近所の人たちの力を借りながらつくりあげて、ただの原っぱを野外劇場へと変えていったんです」

大きな支援があるわけではない。準備金もない、お金もかけられない。男ひとりの情熱から発生したムーブメントは、行政や大企業の資本に頼らない超インディーズ方式で「星空の映画祭」を生み出した。そんな無謀とも思えるスタイルで、開催すること自体が奇跡に近い離れ業だというのに、それを20年以上続けてきたというのだから気が遠くなる。だから表向きは20数回を数え、定着しているかのようにみえた映画祭も舞台裏は壮絶だった。そんな中で聞いた映画祭の休止の真相。

自分の車を売って準備金にしようとした

「『俺ももう年だし、柏原さんも年だし、資金もなくなってきたんだ』と、柳平さんは中止を決断したそうです。最後の年は自分の車を売って準備金にしようとしたんだけど柏原さんに止められて。『もうそこまでしなくていいよ。もうそろそろ潮時なんじゃないの。よくいままで頑張ったよ』って」

映画祭誕生から休止までの一部始終を話し終え、柳平は映画祭復活へ向けての最後の切り札を武川たちに差し出す。結果、この一言が武川の心を動かし、アイドリングストップしていた映画祭のエンジンはついに再始動を始める。

「俺がもう一度やるってことはない。ただ君たちみたいな若い連中がやるっていうなら、俺が新星劇場の柏原さんを口説いてやる」

そして数日後、武川は茅野新星劇場に行く。もちろん館長であり映写技師でもあり、映画祭のキーマンとなる柏原を口説きに。しかしそこでみた光景は客のいない劇場と回っていない映写機だった。

「『客が来ないから回してない』って話で、それまで地方がどうのって情報としては知っていたんだけど、あまりの落差を目の当たりにして、映画祭の話はとても言えなかったですね。これはやっぱり無理かなと思った。とにかく田舎で何かをやろうと思っても、普通に映画館でやっても来ないんだから、山奥でやっても来ないだろうなと思いましたね。とは言え、柏原さんと話をする中で、70代のおじいちゃんなんですけど、支配人で映写もしつつ、ブッキングもするというのを一人でされているので、わりと僕と立場が似ていたというか。自分自身もバウスで映写もやればブッキングも何でもやってきたので、技術的な話だったり、機材の話だったりで盛り上がって。野外の上映で『スピーカーとかどうしてたんですか?』って話にもなって、聞いてみたら木にスピーカーをくくりつけて吊るしてたって。それでひとしきり盛り上がった後、柏原さんから『前みたいな規模ではできないにしても形を変えればなんとかできるかもね』って不思議と最後にはなったんですよね。やるってなったら柏原さんに映写をしてもらわないとできないので、そういうことをおっしゃったってことは、『やってもいい』ってことなんだと捉えて、そこから具体的な上映プランを練り始めました」

幼い頃に感じたダイナミズム、映画を観る楽しみにまた帰る

「とにかく目玉がないと誰も来てくれないと思っていて、当時大ヒットしていた『アバター』しかないと思っていました。かつて自分が『ジュラシック・パーク』で感じた冒険とロマンを感じさせる映画だったので、『あそこで見るアバターはヤバイ!』とかつての僕のように思う子どもがぜったいいるはずだと思いましたね」

ヘッドライナー的プログラム『アバター』が決まり、武川はがぜん乗ってくる。そして、映画業界で培った勘を頼りに、さらに武川は「星空の映画祭」に新たな風を吹き込んでいく。

「いままでの『星空の映画祭』は、ある程度知名度のある作品が多かったんですよね。でも僕は『アバター』もやるけど、単館系のフランス映画なんかもやりたいと思っていたんです。映画館の実情も知っていたので悩んでたんですけど、でも、『いろんな人の話を聞いて足並みを揃えようとするんじゃなくて、ゴツゴツしててもいいから面白いと思うものをやった方が絶対にいいよ』という柳平さんの言葉を聞いて吹っ切れて。そこから『夏時間の庭』の上映を思いついて。映画の中に出てくる南フランスの田舎の風景が原村の風景と似てたんですよね。だからいいムードが出せるんじゃないかと思って。周囲は大反対で不安だったけど、ちょっとやり方を変えてみたらまた違うものになるかもしれないという根拠のない自信は少しありました」

そうして、終止符を打ったかにみえた「星空の映画祭」は2010年8月、若者たちの手によって受け継がれ、さらに新しい色を加え、華麗なる復活を遂げた。復活後第1回の会期は2週間、動員は1,400人を記録し大盛況。

「幼い頃に感じたダイナミズムというか映画を観る楽しみというか。その後、映画業界で働いて、映画界の現状も知っていく中で、またそこに帰ってきたというか。ちょっとドキドキしてたんですよね。しょぼかったらどうしようって。でもそしたらやっぱりすごくて。圧倒的だった。これだけのものを20数年続けてたってことがどれだけすごいかってことも身に染みてわかりました」

野外でフィルム上映4,000人を動員、星空の映画祭 開催
中央にいる木槌を持った女性が発起人の秋山さん。秋山さんを囲む男性、左側が新星劇場の柏原さん。右側が柳平さん。

翌年、翌々年も全作品35mmで上映するオールドスクールスタイルは変えず、映写は現在も柏原が担当している。柳平は一切をまかせて、表舞台を降り、それでも影からどっしりとした存在感で見守りつつ映画祭を支えている。そして、企画やイベント面でのバージョンアップを繰り返し、2012年には復活後としては過去最高の4,000人を動員した。

「去年上映した『ラスト・ワルツ』も、フィルムコンサートみたいなものにしたらすごくいいんじゃないかという狙いがあって仲間に話をしたんですけど、『30年も前の映画で、ボブ・ディランならまだしもザ・バンドなんて誰も知らないよ』って反対されたりしたんですけど、でもそれもなぜか確信があって。原村で実際にお店を回って、チラシ配ったりしている中で、現地の人とコミュニケーションをとっていて感じたんです。『この店ジョニ・ミッチェルがかかってるな』とか、この喫茶店、古いレコードとか映画のポスターが飾ってあるなとか。いままで自分は田舎にはカルチャーなんてぜんぜんないと思っていたんですけど、それは自分が気付いていないだけで、面白い人も面白い店もいっぱいあったんです。映画祭で田舎と東京を往復する中でそういうことをなんとなく掴んできて。だから例えば、『ラスト・ワルツ』を上映したとして、大勢は来ないかもしれないけど、あそこの喫茶店のマスターとあそこのカレー屋のおねぇちゃんは絶対来るはずって自信があって(笑)。そしたらたくさんお客さんが来てくれて。うまくいえないですけど、家族で楽しむ以外のものの需要もあるんだなって、過去3回やってきて少しずつ掴んでいきましたね」

バウスシアター仕込みのクロスオーバーなラインナップ術で映画祭に新たな楽しみ方を提示してくれた武川が今年の一押しに選んだのは『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』。

「世界最古と言われている洞窟に描かれた壁画をめぐるドキュメンタリー映画なんですけど、それが、映画祭を復活して運営していくっていうストーリーとリンクしている感じがするんです。壁画自体が映画芸術の原点じゃないかっていう話もあったり、太古に思いを馳せるというか。映画の原点を探るような映画で、そういう映画を野外の自然に囲まれた中で夜中に見るっていうのもなんだか儀式的な感じで。きっと素晴らしい上映になると思います」

野外でフィルム上映4,000人を動員、星空の映画祭 開催
映画『世界最古の洞窟壁画忘れられた夢の記憶』より (C)MMX CREATIVE DIFFERENCES PRODUCTIONS, INC.

1本の映画に魅せられた男がはじめた映画祭は、かくして次の世代に受け継がれた。

もしかしたらこの繋がりが生まれていくことを夢見て、柳平は映画祭を続けてきたのかもしれない。ある日、「映画館に漫画喫茶のような仕切りを設けてほしい」という来館客からの要望を聞いたとき、武川はとても悲しい気持ちになったという。家でひとりしっぽりと見る映画ももちろんいい。むせび泣きながら酒を片手に見る映画もたまらないものがある。でも、わざわざ出かけて、ひとりでも誰かとでも、映画館へ出向く。周りの目を意識して、目の前に映し出される映画の前にただ佇む。その心に湧いては消えない興奮のことを、きっと誰もが知っている。その日そこでしか味わえない経験は、映画をいかようにも映していく。そして、映画の光に共鳴するように、空も風も森も木も姿を変えて、観客を煽る。「星空の映画祭」には、そのドキドキとワクワクが詰まっている。男たちはそのことを肌で感じて知っていた。だから、届け続けている。世代を越えて。

豊かな自然に囲まれた原村の空の下、映写機から放たれた映像光線はスクリーンを突き抜け、八ヶ岳上空の満点の星空の中にきらめく「映画星」という名の星を映し出しているようにも思える。そんな「映画星」を見つけた者たちが受け継いだ「星空の映画祭」。今年の夏も八ヶ岳の上空では満点の星空の中にひときわ輝く「映画星」を見つけることができるだろう。

(取材・文・構成 石井雅之/ヤマザキムツミ)



野外でフィルム上映4,000人を動員、星空の映画祭 開催

星空の映画祭2013
2013年8月4日(日)~8月25日(日)

◆上映作品

『おおかみこどもの雨と雪』
『レ・ミゼラブル』
『ライジング・ドラゴン』
『ミッドナイト・イン・パリ』
『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』
『ソウル・パワー』
『Playback』
『道─白磁の人─』

上映時間:連日19:15開場/20:00スタート ※雨天決行
入場料金:おとな1,000円 こども500円(中学生まで)
アクセス:会場:長野県・原村 八ヶ岳自然文化園野外ステージ(〒391-0115 長野県諏訪郡原村17217-1613、TEL:0266-74-2681)駐車場あり
公式サイト:http://www.hoshizoraeiga.com

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