骰子の眼

東京都 渋谷区

2015-06-17 10:00


ライター平井有太が京大を退職し長野に移住した小出裕章先生に聞く「政治は大嫌い、でも圧倒的に大切」

7/5渋谷アップリンク『福島 未来を切り拓く』刊行記念・平井有太×DELI×三宅洋平登壇イベント開催
ライター平井有太が京大を退職し長野に移住した小出裕章先生に聞く「政治は大嫌い、でも圧倒的に大切」
(写真左:小出裕章先生 写真右:平井有太)

音楽とアートを軸にライターとして活動、311以降は福島の原発災害について積極的に現地に入り、発信してきた平井有太。彼が福島に2年半移住し食と農の復興に従事し、今年の3月に上梓した『福島 未来を切り拓く』の刊行記念イベントが7月5日(日)渋谷アップリンク・ファクトリーで行われる。この日は松戸市議会議員でNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのMCでもあるDELI、同じくミュージシャンで2013年の出馬も記憶に新しい三宅洋平を迎え、今著について語ることになっている。

イベント開催にあたり、webDICEでは今著で最初に取材した人物であり、平井有太があらためて話を聞いてみたかったという小出裕章先生に5月に行ったインタビューを掲載する。原発事故を巡る人々の分断、忘れ去られていく記憶、といったテーマからはじまり、今年3月に京都大学を退職、長野に移住した小出先生の「生き方」についてまで対話は及んだ。

小出裕章先生インタビュー
「権力のやり方は、『差別』と『分断」が基本』
文:平井有太

「なかったことにできるのか」。7月5日公示、12日に投票を控える福島市議選の重要性を考えるにつけ、この一言が頭をもたげます。

かつてなく考え、話し合い、決断し、実践してきた福島には、「真の民主主義が生まれつつある」と言えるかもしれません。しかし、どうしても経済や立場に引きずられる大人が多い中、その表現もしっくりこない気がします。

そこで台頭すべきは、子どもを想う母の意思がまず尊重される、言わば「母主義」ではないでしょうか。

2年半福島市に住みながら週末は東京に戻る生活を続け、なぜ、本来同じ原発災害の被害者である福島と首都圏の市民の間に、埋まらない溝があるのか考えてきました。

答えは、情報不足です。

被害をできるだけ矮小化させたい国と東電の意思と、クライアントを逃せない既存メディアには、本当の福島を伝えることと、そもそも福島を特に取り上げることは困難。結果、首都圏で福島に想いを寄せてくれている方ですら、事故1年目の情報に無自覚に依拠し、言動の根拠とされている状況をみます。そもそも、確かな判断のための材料が足りないのです。

であるならば、そのままの福島を県外に。県外からは、文化の力を借りながら、活力と刺激を県内に。それらは、福島市の誰よりも効果的に、私ができることです。

福島で暮らす方はもちろん、子育てをする方、農業を営む方、県外で福島を忌避する発言を繰り返す皆さんも、事故の被害者であることで同じです。福島に想いを馳せ、そこに何かがあると知っていることで、同じです。

確かなのは、国による放射能の将来的な影響を見越した予防原則はとられなかったこと。であるならば、今も現場で、現在進行形で踏ん張り、格闘を続ける人々と共に立ちませんか。最も皺寄せがいく弱者、子どもや若い女性を守りませんか。そして、この災害を二度と繰り返させないために、教訓としませんか。

被害者同士でぶつかることは、ただ事故当事者に利するだけ。力の矛先はすべて、事故の責任者に向けられるべきです。

私は福島市で食と農の復興に従事し、線量測定の最前線に身を置いてきました。この3月いっぱいで、「地産地消ふくしまネット」特任研究員の職を辞し、市民の手で測定を続ける「NPO法人ふくしま30年プロジェクト」に、理事として迎え入れていただきました。

ふくしま30年プロジェクト
「NPO法人ふくしま30年プロジェクト」のホームページより

福島市を管轄するJA新ふくしまは、未曾有の逆境の中で行動し、世界一の検査体制構築を実現しています。国が安全の根拠とした31ポイントに対して、JA新ふくしまが実施し、私が事務局を務めた「土壌スクリーニング・プロジェクト」では、2年半で約10万ポイントの土壌測定を完遂しました。そこで目撃してきたこと、なかったことにはできないのです。

今後も引き続き、福島について全国、世界に発信し続け、風化、忘却を阻止します。

躍動する文化を福島市に紹介し、活性化します。


■政治にむいている人が是非、やって欲しい(小出)


5月12日の昼、松本駅に降り立った私は、駅から徒歩10分ほどのスーパー銭湯に向かった。食事処の個室で、京大を定年退職したばかりの小出裕章さんと話す機会をいただいたからだ。

福島市で見えるよりも高く、険しい山脈に囲まれている印象の松本市。以前は東京とNYでしか暮らしたことがなかったが、今は山に囲まれて暮らすことでもたらされる心の平穏が、理屈抜きに理解できてきた気がしている。

遡れば2011年の4月、研究室に押し掛けて伺ったお話がwebDICEに掲載され、同年7月には週刊誌グラビアでの特集記事のため、取材で再度お邪魔した。福島との関わりの初期に、指針、勇気をいただいたのが小出先生の言葉だった。

今回も、予々からの疑問を先生にぶつけたかったことと、それとは別に一つ、ご意見賜りたいことがあった。

平井有太(以下、平井):なぜ、原発の特性としての「分断」が、ここまで効果的に、本来共闘する仲間なはずの被災者同士に、機能してしまうのでしょう。

なぜ、私たち市民は冷静に事故の実際の当事者に矛先を向けられないのか。また、皺寄せが誰にいっているか。それは今回の場合子どもや母、農家や漁業者ですが、私たちはそこを見極め、本当に困ってる存在に手を差し伸べずに、ただ忘却するだけなのでしょうか?

小出裕章(以下、小出):日本人は権力に弱いんです。「勤勉」という評価は確かにそうだと思いますが、私から見ると「従順」です。「権力に対して従順」なのです。だから必死で働いてしまうし、指示されれば何でもやってしまう。

平井:TVを鵜呑みにする比率も、欧米諸国と比べて飛躍的に高いとか。

小出:昔からそうなんです。戦時中から、大本営発表しか流されなかったし、みんなそれを信じて戦争に突き進んでしまった。

原子力は、戦争の構図とそっくりです。昔、権力が「戦争をやる」と決めた時と同じように、権力が「原子力をすすめる」と決めるとマスコミを含めて全部がそれに乗っかっていってしまっています。

これは平井さんも言ってくださってますし、私も本当に思うけれども、福島第一原子力発電所事故は「誰に責任があったのか」ということを、きっちりと明らかにすべきだと思うけれど、そんなこと誰も言わないし、マスコミは触れもしない(笑)。

平井:まず、せめて検察は普通に東電に入るべきと思いますが、「そうすべき」といううねりも、社会には起きない。

小出:権力のやり方は、「差別」と「分断」が基本になるわけで、今の福島だって、差別と分断で彼らは乗り越えようとしていると私は思います。要するに、被害者同士がいがみあってケンカさせられているわけです。

本当はそうじゃない。「加害者とケンカしないといけない」と思うんですけれども。

平井:どうしたらいいんでしょう?

小出:私は一介の原子力の人間ですから、私にしかできないことだけは、私が責任をとろうと思ってやってきました。でも、平井さんが今向き合ってるようなことは、私から見ると、力の及ばない場所になっています。

発言はしますけれども、具体的に何かできるわけではない。私は、はじめからお伝えしているとおり、「政治は大嫌いだから、一切関わらない」と言っています。でも、だからと言って「政治が大切じゃない」なんて思っているわけじゃない。政治は圧倒的に大切です。

ですから、「政治にむいている人が是非、やって欲しい」と思ってますし、「私はすいませんがむいていません」と言ってるだけです。


■原発事故に対するものすごい風化、忘却の力が圧倒的(平井)


実は、先生にご意見賜りたかったのは、自分自身の「政治に参加する」という判断についてだった。

先生の政治嫌いは十分に承知の上、自分だからこそできることとして、一番には「伝えることが目的」であること。つまり意図は、ありのままの福島について県外、国外への情報発信による「風化と忘却の抑止」と、「原発災害の再発阻止」。

そして、そもそもアート、音楽が出自の自分として仕掛けられる「福島を文化の発信源に」という考えも、お伝えした。

これまで豊田チカTha Blue HerbAnarchyといったミュージシャン、アーティスト集団のChim↑Pomに声掛けさせていただいてきて、東京で仕掛けるイベントとは異なる、確かな手応えを感じてきた。

平井:移り住まわれた先は、なぜ長野だったんですか?

小出:まず私は東京は大嫌いだし、あんな街にはもう住みたくない。

私は上野、浅草辺りで生まれ育ちました。生まれた頃、あたりは「江戸の下町」という感じで、すごくいい街でした。それが東京オリンピックで変貌し、「こんな街は願い下げだ」ということで、まず大学で仙台に行きました。

そして大学を出て、そのまま大阪の熊取というところに行った。ただ私、暑いのが大嫌いなんです。「よくあんな暑いところに」と思うけれども、そこしか雇ってくれなかったので、しょうがないのであそこにいたんです。

「仙台に帰る」という手もあったんですが、これは新幹線が通ると大抵そうなんですが、仙台は本当につまらない街になってしまった。そこで信州になったという、それくらいの理由です。

平井:先生の言葉を借りれば「従順」ですが、よく言われる、日本人は「依存体質」で、欧米は「自立型」という側面。つまり、今よりも自分で考え、自分で立って、自分で進むということにならない限り、何をしても言っても変わらない気がします。

とはいえ、そこは生きる姿勢の根幹部分であり、なかなか難しいこともわかる。そして、それがこの原発事故で「さすがに変わるか」と思ったら、この状況下でさえものすごい風化、忘却の力が圧倒的です。

さらに先生には、明確な原発推進、「被ばくは心配ない」という方からでもない、むしろ原発反対で、被ばくにも慎重な、本来味方であるはずの方からも、色々な批判が寄せられているかと思います。

小出:私は、「福島から逃げてください」と言っているわけです。ですので、今福島で復興のために努力されている人々からは散々怒られています。

逆に、福島に捨てられている人たちを支えなければいけないから、「日本人の大人はすべからく自分の責任を自覚して、汚染を引き受けなさい」という発言をして、それも皆さんから怒られています。

平井:今、福島市内で普通に暮らし、カウンターを持って歩くと、0.1(マイクロシーベルト毎時)はさすがに切らないかもしれませんが、0.15とか、いいところ0.2くらいです。もちろん端の方で探せば「0.5のところがある?」という感じで、以前なら2とか3も比較的見つけやすかったのが、空間線量はずいぶん落ち着いてきました。

小出:そうなるはずです。少なくともセシウム134はもう1/4以下になっていますし、環境ですから流れています。ですので、汚染の高いところから低いところに移動していますから、物理的半減期以上に汚染が減っているというのは当然のことです。

平井:すると、おのずと懸念は、子どもの患者が100人を超え増え続けている甲状腺癌とか、鼻血云々とか、初期被ばくの、取り返しのつかない部分になっていくかと思います。

先ほど、もう0.15くらいしかないと言った界隈が、事故直後には24とかあって、そういう話がその1年後に新聞に載ると。

当時皆さんは、浜通りからの避難民のために炊出しをしたり、水とガソリンを求めてお子さんの手を引き外出していたという事実がある。

小出:本当だったらちゃんと逃がさないといけなかったわけだけど、何もしないまま、そこに捨ててしまったわけです。


■東京電力がやった犯罪行為、どうして誰も処罰されないのか(小出)


平井:また、特に危険視される核種であるストロンチウムに関しては、私はそれこそ先生のご発言からやっと認識できた側面があります。原発から飛び散った量として、「そこまでは放出されなかった」ということでしょうか?

小出:空気中には出なかった。たぶんストロンチウムはセシウムの1/1000くらいしか出なかったし、プロトニウムはさらにその1/1000くらいしか出てませんから、いわゆる「大地を汚している」という意味では、何よりもセシウムに気をつけなければいけない。

ただ、これも皆さんから、「小出はストロンチウムは問題ないと言ってる」とよく怒られるけれども、私は別に「問題ない」なんて一言も言っていない。

平井:これは未だにどう理解していいのかわからないのですが、海の魚を測るのも、基本、皆さんセシウムで測っていると。

小出:海はセシウムじゃないですよ。海こそストロンチウムを調べないといけない。

平井:そう考えて、色々な場で、機会があれば手をあげて、「陸地はセシウムの測定でわかるんですが、海は色んな核種がずっと出ていて、セシウムだけの測定では、少しでも知識ある消費者は納得も安心もできない気がします」と、質問するようにはしています。

溶け落ちた燃料を未だ地球上の誰も確認できない状況があり、ここから先はあくまで想像の範疇を超えませんが、たぶん地中深くで地下水とジャブジャブと接触し、あらゆる核種がそこで溶け込んで、土から海にしみ出しているイメージでいるのですが。

小出:水に溶けやすい放射性物質と溶け難い放射性物質があるので、例えばプロトニウムなんかはほとんど水に溶けないし、これからもあんまり問題にならないと思います。

でもストロンチウム、セシウムは水に溶けやすい。そして、もともと核分裂した時にストロンチウム90とセシウム137ができる量はほぼ一緒です。それが、大気中に関する限りは、セシウムは揮発性だし、ストロンチウムは揮発性が低いので、セシウムが大量に出てきました。

ですが、「水溶性」という意味において、放射能の汚染水に関する限りはセシウムもストロンチウムも一緒です。

その上で、今福島第一原子力発電所の原子炉建屋などに溜まっている放射能汚染水の処理をしているわけですが、基本的にやっていることはセシウムをつかまえているんです。ストロンチウムに関しては、何もできていない。

つまり汚染水の中には、セシウムよりもストロンチウムの方が多いということです。それが今、手の打ちようもなく海へ流れて行ってるわけですから、「海の汚染」という限りは、ストロンチウムこそ問題にしないといけない。

東電は「なんとかなってるだろう」と信じながら、1日400トンの水を、どこにあるかわからない、熔け落ちた炉心に向けて、流し込んできた。その他に、地下水が原子炉建屋に流れ込んできて、それも400トンあった。そうなると、自分で入れているものは循環して使ってるわけですが、新たに流れ込んでくる地下水の分は、どうしようもなくて増えていってしまう。しょうがないから「タンクに貯めます」と言ってきたわけですが、タンクがどんどん増えて、すでに50万、60万トンとなってきている。

そしてそのタンクも応急のものでしかないわけで、案の定後になって漏れてくるということになってきた。揚句の果てには、敷地に限りがあるから、いずれだめになることもわかっている。

平井:いわき市にある市民測定所「たらちね」が、遂に、民間で初めてべータ線を測れる機器を揃えました。それはやはり海が近くて、ストロンチウムを測る必要性にかられてと理解しているのですが。

小出:そうです。

平井:私自身はずっと「尿検査をやるべきだ」と言ってきました。測っても、余程の内部被ばくでないと数値が出ないホールボディカウンター測定では、県内外の、低線量被ばくに慎重な方々の安心材料として足りない。尿検査の上で数値が出なければ、そこでやっと自信を持って「どうやら平気そうだよ」と言えるかなと。

小出:尿検査もやらなきゃいけないと思います。

そして、海はもっと長い時間が経つと、どんどん汚染が拡散していくわけです。完璧に拡散してしまった後のことを言うなら、私は「しょうがない」と諦めるしかないと思っています。

人類はこれまで、様々なかたちで海を放射能で汚してきました。一番酷かったのは、大気圏内核実験です。当時は一切の防壁もなく、原爆を爆発させて放射性物質を大気中に撒き散らしていました。それは今回大気中に撒き散らされたセシウム137の量に比べれば60倍もの量になります。

そういう意味ではすでに汚れていたわけだし、福島のものが太平洋全体に拡散してしまうなら、こういう言い方をするとまた皆さんから怒られるけれども、大して気にするほどのものではない。

平井:ただそういうことを、事故を起こした側が、煙草や車に乗るリスクと比べながら、当然のことのように言ってくることに違和感があります。

100歩譲って、世界的に研究者の間で見解が別れる危険性の程度はさておいても、今までそこになかったものが、自分で選んだわけでもなく、唐突に空から海から撒き散らされ、あらゆる問題を巻き起こし続けている。かつてない大迷惑なのに、誰もその責任をとらないし、状況を直視しない。

小出:どこかの町工場が「毒物を流した」となれば、即刻警察が踏み込んで逮捕するわけじゃないですか。ましてやそれで誰か一人でも死ねば、マスコミも含めて大騒ぎになる。そんな時に「タバコで死ぬやつ、交通事故で死ぬやつがいる」なんて議論は起きなくて、「犯罪行為を犯したから処罰する」ということになるわけです。

であるならば、この、東京電力がやった犯罪行為の巨大さはどうしてくれると。どうしてこれで誰も処罰されないのか、大変不思議です。

平井:他の定番の話は、人間には体重10キロあたり平均500~700ベクレルのカリウムがあって、そこにほんの少し放射性物質が入ったからって気にすることではないと。

小出:日本の国は、“天然の”被ばくがあることは十分承知の上で、「被ばくというものは危険だから、“人工的な”被ばくは1年間に1ミリシーベルトを超えないようにする」としていたわけです。

それはICRP、IAEAなり、国際的機関が出す情報に基づいて決めてきたことで、「被ばくに危険があるなんて当り前のこと」だし、そのために「人工的な被ばくを制限しよう」という法律までつくったわけですよね。その法律がもう、全然守れなくなってしまった。

そうしたら緊急事態宣言を出して、人々を「被ばくしてしまえ」と言って、放っておいているわけです。

平井:実際に「年間20ミリまでは帰還して」ということが始まりました。それも何の権限か、事故当事者が、補償金の打ち切り宣言と共に。

小出:20なんて、私のような放射線業務従事者に初めて許した基準です。それで給料をもらって生活してるから、「我慢しろ」と言って大人に対して決めたものを、何の利益も受けない人、しかも子どもにまで押し付けようとしている。

平井:私が2011年に福島に行き始める判断をした理由の一つに、4月に研究室で見せていただいた、歳を重ねるごとに放射能の影響が小さくなっていくグラフがありました。でも、実際は放射能の影響は年齢に関係なくありますね?

小出:被ばくの影響は必ずあります。年寄りにもありますが、とはいえ、子どもの方が大きいです。要するに、断ち切られて傷を受けた細胞が分裂して増殖してしまうわけです。それは細胞分裂が活発なほど傷を受けた細胞が増えるのは当り前のことなので、40歳も超えれば、血液とか骨髄とかは別として、基本的には成長する世代ではないわけです。

これは“比較の問題”ですが、必ず危険はあります。私だって被ばくをすれば危険を伴いますが、若い子はもっと危険を伴う。40歳を過ぎて安全と言った覚えはないし、危険は必ずあります。

でも、「大人はすべからく責任があったはずだ」と。比較の問題で言えば、責任のない子どもたちの方が被ばくに危険なのだから、私は「子どもたちだけは守らなければいけない」と言っている。

平井:筋道の話ですね。

小出:そのつもりなんですが、なかなかそうは伝わらない(笑)。


■「不特定の方々に1冊の本でお知らせする」というかたちの発信は興味はない(小出)


平井:ここまで、先生のご著書は何冊ほど出ましたか?

小出:50冊は出ていると思います。単著でたぶん30冊くらいと思いますが、それも私が書いてるんじゃないんです。

私が喋っているものであるとか、折りに触れて必要に迫られて書いた文章だとかを、それぞれの編集者の方が集めてきて本にしてくれるというだけで、私が本当に「その本のために書いた」というのは、まえがきとかあとがきとか、せいぜいその程度しか書いてない。だから私は「一冊読んでくださればいいですよ」と言ってるんですが、ただ本は編集者の方の個性が滲み出ているので、かなり違うと思います。

私はもともと、“本を書く”なんてことに何の興味もありませんでした。「出したい」と思って出した本は1冊もありません。

平井:それは今に至っても?

小出:私は他の誰でもない私として今この場にいるわけだし、私しかやらない仕事があればもちろんやります。私にしかできない発信はもちろんやりたいと思っていますけれども、それを不特定多数の方々に、本にして「読んでください」という発信の仕方はしたくない。

本当に切実に思ってる方々に向かって、「私はこう思います」と。「私の仕事でわかったことはこういうことです」という発信はもちろん、私の責任ですので、やろうと思ってきました。

チェルノブイリの事故が起きて、「現地がどう汚染された」、「日本にどういう放射能が飛んできた」というのも私の仕事でした。また、人形峠のウラン鉱山でどんな汚染が起き、「周辺の人たちがこんな風に被ばくをしてる」ということを調べるのも、どこかの発電所で起きた事故がどんな意味を持っているか、現地の人たちと一緒に調べながら報告書を書くのも、「私の仕事だ」と思っていたので、それはやります。

ただし、「不特定の方々に1冊の本でお知らせする」というかたちの発信は、私は全然興味はないし、「そんなことはやりません」と言ってきたんです。

平井:色々とお話を伺っていると、先生がやらんとされていることは、「ご自分に落とし前をつけること」でしょうか?

小出:そうです。良くわかってくださった(笑)。

平井:それを淡々と、粛々と続けてこられた。

小出:私は、一人一人の責任ということは、ものすごく大切なことと思うんです。

誰かに強制されて何かをしているのではない。私が「必要だ」と思うことを自分で選んでやっているわけで、そうであれば自分で選んでやった行為に関しては、必ず「自分が責任をとらなければいけない」と思っているわけです。

ですから、私が愚かにも「原子力に夢を抱いてしまった」という、その「愚かさ」に対しての責任は、私がとるしかない。

平井:若かりし頃、夢を抱いて原子力を選ばれた時点で、先生はすでに「自分で選びとる」生き方をされていた?

小出:そうです。

平井:その、ご自分で選びとる生き方は、どこで培われたのでしょう?

今日のここまでの話は、要約すると、なぜ私たちはここまで「人任せ」で、「思考停止」で、「従順」で、それが自分の首を絞めていることにすら気付かず、上辺の幸せを享受していれば喜ぶ人種なのか、という話だと思うんです。

それは、原発事故が特に明らかにした事実の一つであると思うんですが、とはいえ先生はお若い頃から、選択を誤ったかどうかは別にして、すでに「自分で選びとる」人生を歩まれていた。

小出:今、私と平井さんがここでこうやって話しているけれども、私と平井さんは生まれた時も違うし、生きている場所も違うし、私は原子力のこと以外知らないけれども、平井さんは音楽とアートの世界にずっといらっしゃった。

でも、表に出ればまた別の人がいて、とにかく全員違うわけです。日本人だけで1億何千万、世界全体では70億もの人が、一人一人、生まれも育ちも個性もみんな違う人間でいるわけです。価値観が違うなんて当り前のことです。

そういう人たちが一色の価値観に染まってしまって、みんなが同じ方向に向かうということが、私はすごく気持ち悪いんですね。

大切なのは一人一人が、他の誰でもない個性を持ったその人として、輝いて生きることだと思います。

平井:伺おうと思っていることは、先生のそういったお考え、生きるご姿勢にどう至ったのか。それは、私にとっても、これは世代なのか、育った環境か、当然と思える生き方が、世の中では「かなり普通じゃないんだ」と感じることがよくあります。その中で、世代もずっと上の先生が、どのように育たれたのかということなんですが。

小出:私は別に何でもないです。下町の零細企業の家の生まれですから、特別なんということもないのです。「金なんか残してやれないから、教育だけは受けさせるよ」と言われて、それで私立の開成とかいう中学に入れられました。そこで、親の希望としては、たぶん「教育つけて、出世しろよ」という想いだったんでしょうし、日本という国ではみんなそうじゃないですか。

「出世しろ」、「故郷に錦を飾れ」とか、「末は博士か大臣か」というように、社会的ステータスをつけることが人間としての価値かのようにみんな思ってきたし、今でもたぶんそう思ってるんだと思います。私自身もたぶんそういう価値観で育てられたんだと思いますが、でも、何でなんだかな。

「つまらんな」と思いました。

開成の時もそうでした。

平井:311以降、以前は誰も原発のことなど考えない、むしろあって当り前とされるような時代を経て、現在の先生に対する反響、想いを共有してくれる方々の数は、想像以上でしたか?

小出:それは、多いでしょうか?(笑)

私の発言に共感くださる方が、何がしかいるということはたぶんそうでしょうし、ありがたいと思いますが、でも私を嫌う人はむしろもっと多いんじゃないかと思います。

平井:賞賛と批判、どういった割合で集まってきますか?

小出:私はネットに関しては「一切お相手しない」と言っています。ですから、たぶんネット上に私への批判は山ほどあると思いますが、一切相手にしていません。

そして、直接私に批判をくださる場合には、「必ず相手をします」と言っています。ですので、直接私にメールとか、配達証明付きの郵便だとかで批判をくださる方はいるので、そういう方はお相手しています。でもまあ、直接言ってくる人というのは少ないです。そういう方は、「ありがたい」と思います。

平井:私は時に、誰にも求められていないのに福島にい続けているような気がして、「余計な邪魔にならぬよう」とだけは思っているんですが。

小出:平井さんがああいったかたちで「本を残す」ということも、事実をキチッと記録して、伝えていかなければいけない大切な仕事をされているわけです。

そして、これからまた平井さんが何かのかたちで発信してくださろうとしているわけであって、私は「ありがたい」と思います。そこで、お役に立てることであればもちろん「やりたい」と思いますけれども、最初にお断りしたように、何か足を引っ張りそうで申し訳ないなと思います。

平井:著名な方ではアインシュタインをはじめ、超ハイパーで優秀な理系の研究者の方々が、数値や公式を突き詰めていって、その最前線での「どこを選びとるか」という判断は、数式では割り出せない境地に依っているような気がします。

小出:特に自然科学は、今までわからない事実を「知りたい」という欲求からあるわけですよね。必死に調べていって、「これがわかった」と思うと、その先にまたもっとわからないものが広がっていく。それを「わかりたい」と追っていくとまたどんどん分からないものが広がっていくわけで、結局要するに、わからないんです。

ですから、「科学をやってると真理がわかる」というのは、ごくごく一部のことがわかるんであって、全体のことなんて、わからないことがむしろ多いんです。

平井:極められた方ほど「謙虚」になられる気がします。

小出:平井さんが仰った、アインシュタインだってそうですよね。でも、「すべては数字だ」という立場の方も、いっぱいいると思います。

平井:本来は「わからない」ことを確認する作業であり、その中で何を選びとるかは、それぞれ選択していく。

小出:だから、全員ではありませんが、優秀な科学者の多くは宗教を持っていますよね。私は「ぜったいに宗教は持たない」と宣言してますけれども。

平井:それはなぜですか?

小出:宗教も含め何ものにも私は依存したくないからです。

(2015年5月12日長野県松本駅にて 取材・文:平井有太)



小出裕章(こいで・ひろあき) プロフィール

東京都台東区上野出身。元京都大学原子炉実験所助教。京都大学大学院工学研究科都市環境工学専攻助教(2015年3月定年退職)。工学者(原子力工学)。評論家。所属学会は日本保健物理学会、エントロピー学会。研究分野は環境動態解析、原子力安全、放射性物質の環境動態。


平井有太(ひらい・ゆうた) プロフィール

1975年、東京、文京区生まれ。青山学院高等部、NYの美大School of Visual Arts卒。2001年帰国以降、フリーランスのライターとして約50の雑誌媒体を中心に寄稿。イベント企画制作、アーティスト、通訳業等も兼務。2012年10月、福島市に「土壌スクリーニング・プロジェクト」事務局として着任、2013年度第33回日本協同組合学会実践賞受賞。地産地消ふくしまネット特任研究員、福島大学FURE客員研究員。「福島 未来を切り拓く」(SEEDS出版、2015年)、共著「農の再生と食の安全 原発事故と福島の2年」(新日本出版、2013年)

公式Facebook:https://www.facebook.com/dojo.screening
公式Twitter:https://twitter.com/soilscreening
https://twitter.com/syokutakun




平井有太×DELI×三宅洋平
『福島 未来を切り拓く』刊行記念イベント
2015年7月5日(日)
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー

15:15開場/15:30開演
料金:1,500円(1ドリンク付)

ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2015/38287




『福島 未来を切り拓く』
著:平井有太
発売中

2,000円(税込)
320ページ
SEEDS出版

購入は書影をクリックしてください。
amazonにリンクされています。

キーワード:

平井有太 / 小出裕章 / DELI / 三宅洋平 / 原発 / 福島


レビュー(0)


コメント(0)