骰子の眼

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2019-12-19 22:25


ハリウッドに抵抗し続けた異端児の半生、ドキュメンタリー映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』

“呪われた映画”『ラストムービー』製作の過程と奇跡の復活までを描く
ハリウッドに抵抗し続けた異端児の半生、ドキュメンタリー映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』
映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』 ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017

デニス・ホッパーの『イージー★ライダー』に続く監督2作目で、その難解で前衛的な内容に当惑した製作会社の再編集指示を拒否したため一時お蔵入りとなり“呪われた映画”と形容された1971年製作の映画『ラストムービー』が、12月20日(金)より公開となる。日本では88年の初公開以来、31年ぶりの再上映となる。これに合わせてデニス・ホッパーの半生を描くドキュメンタリー『デニス・ホッパー/狂気の旅路』も公開される。webDICEでは『デニス・ホッパー/狂気の旅路』のニック・エベリング監督のインタビューを掲載する。

『ラストムービー』は、ペルーの村でハリウッド映画のロケーション撮影が行われ、映画撮影に魅せられた村人たちが撮影隊が去ったあと自ら映画を撮り始めるなかで、虚構と現実の境界を超えた世界に突入していくという物語。そして、『デニス・ホッパー/狂気の旅路』はデニス・ホッパーの右腕だったサティヤ・デ・ラ・マニトウの語りを中心に、『イージー★ライダー』で時代の寵児となりながらも『ラストムービー』を巡る騒動で酒とドラッグに溺れていく姿、そしてヴィム・ヴェンダース監督『アメリカの友人』などヨーロッパの映画界からのラブコールや、デヴィッド・リンチ監督『ブルーベルベット』の怪演により80年代以降復活を果たす過程を描いている。

『ラストムービー』撮影後、編集に苦心する彼に、当時『エル・トポ』がニューヨークで上映され注目を集めていたアレハンドロ・ホドロフスキーが編集を買ってでるものの、最終的に使われなかった、など、当時のカウンターカルチャーを象徴する逸話が満載。ホッパーがアンディ・ウォーホールの作品を初期の段階で購入していたなど、監督、俳優だけでなくアートシーンにも深くコミットしていた一面も描いている。1978年生まれで、後追いでデニス・ホッパーを知ったエベリング監督ならではのホッパーへの距離感、そして映画の語り部であるサティヤ・デ・ラ・マニトウのホッパーへの並々ならぬ愛情が、波乱に満ちた半生を浮かび上がらせる。


「アーティストや文化に携わる者にとって、デニス・ホッパーは、自分の進むべき道に自信を与えてくれ、背中を押してくれる存在だと思う。デニスは、常に現状を良しとせず、境界を押し広げ、限界に挑戦し続けた。既存の枠に収まらず抵抗し続けた人です」(ニック・エベリング監督)


デニスとの出会いによって僕の人生は大きく変わった

──まずは監督とデニス・ホッパーとの出会いについて教えてください。

7歳のときに『ブルーベルベット』を初めて見ました。もちろん年齢的に適正な映画ではないけれど、当時はまだ規制がゆるい時代だったし、何より両親が素晴らしい映画コレクションを持っていたので、いろんな映画と出会う機会があったんです。『ブルーベルベット』を見て本当に衝撃を受け、最高の俳優だと思いました。当時、『イージー★ライダー』はポップカルチャーの中である種の伝説でありジョークでもあったから、もちろんこの映画のことは知っていたけれど、まだデニス・ホッパーとはうまく結びついていなかった。それが『ブルーベルベット』でデニスが演じていたフランクという役に非常に魅せられ、強い感銘を受けました。

<映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』ニック・エベリング監督
映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』ニック・エベリング監督

次の大きな出会いは14歳、両親に連れられてパサディナの競馬場へ行ったときのこと。両親が馬を見ている間に、シャンデリアルームという30年代の内装がそのまま残されたバーで時間を潰していると、なんとそこにデニス・ホッパーが立っていたんです。今を逃したら彼と話をする機会は絶対にないと思い、勇気を振り絞って声をかけました。冷たく追い払われるだろうなと覚悟していたけれど、デニスは温かく僕と話をしてくれました。こうして彼に改めて魅了されたんです。それからLAのビデオ店に行き、『ラストムービー』のVHSを急いで借りてきました。僕は当時俳優を目指していて、演劇の勉強をし、コカコーラのCMや短編映画に出たりしていた。でも『ラストムービー』を見て、俳優よりも監督になりたいと思うようになり、SUPER 8を手に、自分で映画を撮るようになりました。僕の人生は、デニスとの出会いによって大きく変わってしまった。それほど本当に強烈な出会いだったんです。

映画『ラストムービー』©1971 Hopper Art Trust, 2018 Arbelos
映画『ラストムービー』©1971 Hopper Art Trust, 2018 Arbelos

誰にも強制されず、自分たちの手法で撮ること

──この映画の主人公は、デニス・ホッパーの右腕だったサティヤ・デ・ラ・マニトウさんですね。彼を中心にこの映画をつくろうと思った理由を教えてください。

サティヤはとてもミステリアスな人ですが、70年代には、ジョン・カサヴェテスやヴィム・ヴェンダース、サム・ペキンパーの作品にも少し出演しています。『地獄の黙示録』にも出演する予定だったそうです。ただその後は表舞台から姿を消してしまう。サティヤ自身、最初は、自分がこの映画の中心に据えられるのを躊躇していました。でも僕たちに共通していたのは、デニス・ホッパーを語るうえでもっとも重要なのは『ラストムービー』という作品だ、という思いだった。『ラストムービー』は素晴らしい作品ですが、あまりにも多くの誤解がつきまとった映画でもある。様々な噂や逸話がまとわりつき、そうした周囲の言説が実際の映画よりも大きくなってしまった。そこで「あなたがここで語ってくれないと『ラストムービー』はこのまま闇の中に葬りさられてしまうだろう」と彼を説得しました。彼はデニスのとても近くにいた人であり、『ラストムービー』について語れる貴重な生き証人です。どうか影から歩みだし、この映画について語ってほしいとお願いしました。信頼関係を少しずつ築きあげ、サティヤもやがてカメラの前で話すことを了承してくれました。『デニス・ホッパー/狂気の旅路』という映画の肝は、誰にも強制されず、自分たちの手法で撮ること。ある意味で『イージー★ライダー』と『ラストムービー』の精神を受け継いだ形で撮りたかったんです。

映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017
映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』サティヤ・デ・ラ・マニトウ ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017

──映画のなかでは多くの方々にインタビューをしていますが、彼らへのアプローチはどのように行われていったのでしょうか。

サティヤと二人で、当時誰がデニスのそばにいたのかを振り返っていくうちに気づいたんです。なんだ、関係者の多くがまだ生きてるじゃないかと(笑)。そこでフィリップ・モーラ(『デニス・ホッパーのマッド・ドッグ・モーガン/賞金首』監督)と話したのはいつだったか、ヴィム・ヴェンダース(『アメリカの友人』『パレルモ・シューティング』監督)に最後に会ったのはいつだろうとサティヤが記憶を辿り、電話帳で彼らの連絡先を調べていきました。僕らはいい探偵にならなければいけなかった。すでに引退している人も多かったし、とても有名な人もいれば、知る人ぞ知るような人もいたから。それからこの映画の構成を考え、誰をどう配置するか、ストーリーボードを書くように、彼ら一人一人にアプローチをしていきました。

映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017
映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』 ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017

──アプローチをした人たちは、みなさんすぐに取材を受けてくれましたか?

リンダ・マンズ(『アウト・オブ・ブルー』出演)には、一年がかりでお願いして出てもらいました。彼女との信頼関係を築くことは非常に重要でした。マイケル・グラスコフ(『ラストムービー』エグゼグティヴ・プロデューサー)もかなり説得が必要でした。デニスの人生にはあまりにも多くの出来事があり、多くの人が関わっていたから、本来彼の映画を作ろうと思ったら40時間以上あっても足りないでしょうね。撮影した素材は 80時間くらいあり、それを1時間半程度にまとめるのは苦労しました。デニスの息子ヘンリーとももちろん話はしましたが、最終的に映画本編には入れられなかった。ひとつ残念に思っているのは、今年の8月にピーター・フォンダが亡くなってしまったこと。彼も本当に偉大な映画作家でしたから。『イージー★ライダー』についてはもう何度も話を聞かれていたでしょうが、『ラストムービー』のことや、デニスとの友情についてもっと話が聞けていたら、という思いはあります。それでも、とにかくたくさんの人たちの視点を取り入れることができ、結果的にとてもユニークな映画になったと思います。

映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017
映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』 ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017

『ラストムービー』はハリウッドのあり方を模索する映画

──デニス・ホッパーは、俳優であり映画監督であり写真家でもあり、様々な側面を持つ人ですが、現在のアメリカにおいて、彼はどのような受容のされ方をしていると思われますか。

アーティストや文化に携わる者にとって、デニス・ホッパーは、自分の進むべき道に自信を与えてくれ、背中を押してくれる存在だと思う。デニスは、常に現状を良しとせず、境界を押し広げ、限界に挑戦し続けた。既存の枠に収まらず抵抗し続けた人です。今では彼が文化にもたらした貢献についてはよく知られていて、多くのアーティストから尊敬されています。

──『ラストムービー』は驚くべき作品であると同時に、いまだにどう言葉で定義するべきか難しい作品でもあります。監督ご自身にとっては、この映画は果たしてどのような映画だと思われますか。

まさにハリウッド文化というものについての主張なんだと思う。あるいはアメリカへの主張とも言えますね。この映画では、ハリウッドが巻き起こす問題が因果応報的に降りかかる様が描かれます。ハリウッドのあり方を模索する、もうひとつの『イージー★ライダー』と言ってもいいかもしれない。映画は、アート(芸術)表現のなかで、比較的歴史が浅いと思われています。もしかするとハリウッド自身、映画をアートだとは思っていないかもしれない。そういうなかで、映画という表現は、次にどういった方向へ進み、どういった影響を他者にもたらすのか。『ラストムービー』はその問題を定義し、喚起した作品だと思っています。

2019年12月、skypeインタビューにて(聞き手・構成:月永理絵)



ニック・エベリング(Nick Ebeling)

1978年、レーガン時代にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる。両親によって幼い頃からたくさんの映画を見て育つ。90年代初頭は俳優を目指しいくつかのコマーシャルにも出演したが、14歳のときデニス・ホッパーと偶然出会い、それをきっかけにSuper 8カメラを買い自分の映画をつくろうと決意する。 映画製作、脚本、監督を手がけ、米国アート雑誌『Juxtapoz』や『Los Angeles Magazine』でも作品が紹介される。ロンドン・アンダーグラウンド映画祭では、短編映画がオフィシャル・セレクション作品に選ばれた。またサウンドトラック付きのアンダーグラウンド系カルトコミック『Gunwolf』の製作者でもあり、インディペンデント出版社であるダート・バイク・プレスの共同創設者でもある。近年では音楽アルバムを2枚制作し、そのうち1枚はイングリッド社からリリース。同レーベルには、デヴィッド・リンチ、クリッシー・ハインド、アマソンなどが所属している。カリフォルニア州パサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザイン卒業。本作で初めて長編映画を監督した。




映画『ラストムービー』
12月20日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー

映画『ラストムービー』©1971 Hopper Art Trust, 2018 Arbelos
映画『ラストムービー』©1971 Hopper Art Trust, 2018 Arbelos

監督:デニス・ホッパー
製作:ポール・ルイス
撮影:ラズロ・コヴァックス
脚本:スチュワート・スターン
出演:デニス・ホッパー、ステラ・ガルシア、ドン・ゴードン、ジュリー・アダムス、ピーター・フォンダ、サミュエル・フラー
1971年/アメリカ/カラー/108分 原題:THE LAST MOVIE
提供:キングレコード
配給:コピアポア・フィルム

映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』
12月20日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー

映画『デニス・ホッパー/狂気の旅路』ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017
『デニス・ホッパー/狂気の旅路』ALONG FOR THE RIDE LLC,©2017

監督:ニック・エベリング
製作:ニナ・ヤン・ボンジョヴィ、シェリー・アン・ティンモンズ
出演:デニス・ホッパー(アーカイブ映像)、サティヤ・デ・ラ・マニトウ、デヴィッド・ホッパー、ステラ・ガルシア、ジュリー・アダムス、フランク・ゲーリー、ヴィム・ヴェンダース、デヴィッド・リンチ、エド・ルシェ、ジュリアン・シュナーベル
2017年/アメリカ/カラー/101分
原題:ALONG FOR THE RIDE
提供:キングレコード
配給:コピアポア・フィルム

公式サイト


▼映画『ラストムービー』『デニス・ホッパー/狂気の旅路』予告編

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