モロッコの山奥で暮らすアマズィーグ人の姉妹を主人公に、雄大なアトラス山脈の四季折々の自然の中、自身の夢と伝統や慣習のあいだで揺れ動く心のうちを親密な映像で紡いでいくドキュメンタリー映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』が4月9日(金)より公開。webDICEでは本作の監督で、建築家ザハ・ハディドの姪にあたるタラ・ハディドのインタビューを掲載する。ハディド監督は村で生活をともにし、そこに住む人々と関係を構築しながら7年をかけてこの作品を完成させた。
「映画監督にできることは『仲介者』であること。フィクションを編み出すことではなく、虚構ではない人物をとらえ、彼ら自身が「物語る」状態に導くことだと思います。撮影し終わってフッテージを見た際、彼女たちの痛みがどれほど強いのか、私はやっと理解しました」(タラ・ハディド監督)
なぜこの作品を作ろうと思ったのか
20年ほど前初めてこの村を訪れた時、圧倒されました。マラケシュから10時間以上かかる場所で、たどり着くのが非常に大変なのですが、荘厳な風景や、そこに住む人々に魅了され、数年後にまた訪れました。モロッコという国自体は社会政治体制の急激な変化にさらされているにもかかわらずこのコミュニティは数百年前から変わらない状態で、その歴史は口承で語り伝えられてきました。その伝承の伝統を「映画」として記録しようと思いました。また、この作品はなくなりつつある生活様式の記録でもあります。コミュニティに深く入り込んで、彼らの生活のクロニクルを撮りたいと思いました。人里離れて、閉鎖された山間部に暮らす特定の家族、特定の女の子たちを撮ろうと思ったのです。
『ハウス・イン・ザ・フィールズ』タラ・ハディド監督
ドキュメンタリーとフィクションの境目
これは、ルポルタージュではありません。私はジャーナリストとしてではなく、フィルムメーカーとして彼らの生活を語りたいと思いました。その時ストーリーとリアルの境目は、非常に曖昧なものだと思っています。もっとも、その「ストーリー」は私のコントロール下にはなく、そこにあったコミュニティの、家族の、彼女たちのストーリーを描きました。7年という長い時間をかけて彼女たちの生活に入っていって、カメラも一緒に生活を共にし、たくさんの映像を撮りました。次第に彼女たちは素の姿を見せてくれるようになりました。映画監督のジャン・ルーシュが言うように、リアリティーとは常に共同作業です。カメラが存在すること、そして映画監督が存在することで、当然ながら被写体は刺激され、結果的には自分自身の“物語”を演じるようになります。その場合、映画監督にできることは「仲介者」であること。フィクションを編み出すことではなく、虚構ではない人物をとらえ、彼ら自身が「物語る」状態に導くことだと思います。
撮影し終わってフッテージを見た際、彼女たちの痛みがどれほど強いのか、私はやっと理解しました。自分の気持ちをはっきり表明しない人たちなので一緒に生活している時にはわからなかったのですが、カメラが彼女たちの内面を捉えていたんです。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
山間部に流れる血液のような「歌」と、儀式
ハディージャにマイクを渡して、この村を代表するようなものを録音してほしいと伝えたら、たくさんの歌を録ってきてくれました。彼らにとって歌は非常に大切なもので、コミュニティに流れる血液のような、細胞のような役目をしているのだと思います。劇中に吟遊詩人が登場しますが、彼らは結婚式やお葬式、収穫祭のような儀式に行って、村から村を移動して人々の歴史を伝えたり、風習を想いださせたりする。過去と現在、現在と未来を繋ぐ、それが歌なんです。
映画の最後、あの結婚式は、村の人々だけでなく、山間部のあらゆる村々の人が何百人も集まる非常に大きなものです。私はそこで初めて、村の人々以外の多くの人々を見て、彼らからも見られるという経験をしました。それが儀式を通した経験。そのため、あそこには非常に緊張感があります。結婚式自体も2、3日続く、強烈なものですので、私が彼らを見て、彼らも私を見て、結婚式が行われている間、プライバシーも何もない。非常に緊張感のある、強烈な儀式だったので、わたしにとって「映画にする」ということも強烈な体験だったのです。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
モロッコの女性の地位
このコミュニティにおいて女性の地位がどうあるかはわかっていました。ただ、元々そこにフォーカスした映画を作ろうと思ってこの村に入ったわけではありませんでした。実際に生活を共にして見えてきたことは、女性が犠牲になっているだけではなく、男性も犠牲になっていたということ。つまり、このコミュニティが、犠牲のうえで成り立っている。伝統があまりにも強く存在しているので、そこを破るわけにはいかない。個人のためではなく、共同体のため。個人の犠牲によって共同体が今まで生き延びてきたのです。
とはいえ、男の子のほうが少し特権的な立場にあるというか、女の子よりは少し楽だと思います。自分がやりたいことを主張できる立場にはあるからです。女の子が「大学に行きたい」と
いうのはタブーですが、男の子だとそれほどタブーではありません。
15年ぐらい前にモロッコ政府は、女性の地位を根本的に上げる、革命的といっていい家族法を作りました。離婚したら財産は半分に分ける、就業の自由などが書かれているわけですが、法案が通っても実際にそれを適用しないと意味がない。男性たちがそれに応じて動かないといけない。とくに田舎では、まだまだ時間がかかる。長いプロセスをかけなければいけないと思います。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
彼女たちのその後は?
ハディージャはとても活発で頭のいい子です。家族法が変わったことにより、今までになかった権利が女性に大きく与えられた、それを知って彼女は弁護士になりたいと思ったようです。ですが、夢を追いかけるために共同体を離れるということは、とても大変なことです。私はハディージャのご両親に「彼女を大学に行かせてあげてください」と懇願したことがあります。でも、それは行き過ぎたお願いだったようです。お母さんに「彼女がいなくなったら誰が畑仕事を手伝ってくれるの?動物の世話をするの?」と言われました。
村の人たちも「教育は必要ない」と考えているわけではありません。しかし子供たちが学校に行くと、仕事を手伝う人間がいなくなる。「村を出たい」という願望を持つ若者たちも多いと思いますが、実際には、彼らは村の一部であり、山の一部なのです。山間の暮らしに愛憎を抱きながら、その一部として生きている。ここは、外部の人間が立ち入ることのできない、白黒ではない難しい問題です。
わたしは教育が大切だと考えています。ただ、あの村をとても尊敬し敬意をもっていますので、彼らのルールを尊重したいとも思っている。コミュニティの価値観を変えるというのは、とても長いプロセスが必要で、政府とかNGOとか、いろんな人が関わって根本から変えていかなくてはいけない。
今、彼女は結婚して、夫と息子と幸せに暮らしています。でも、まだ全然遅くないと思うのです。彼女はまだ19歳です。マラケシュの郊外に住んでいるので時々会いますが、いつも言っています。「まだまだあなたは若いし、遅すぎるということはないのだから、また勉強したらいいんじゃない?」と。
タラ・ハディド Tala Hadid
脚本家、監督、プロデューサー。建築家のザハ・ハディドは叔母にあたる。
1996 年に『Sacred Poet on Pier Paolo Pasolini』で監督デビュー。何本かの短編を監督した後『Tes Cheveux Noirs Ihsan』(2005)で学生アカデミー賞を受賞し、ベルリン国際映画祭パノラマ部門最優秀短編映画作品賞に輝いた。
2014 年、『Itarr el Layl』 (英語タイトル:The Narrow Frame of Midnight)を完成。この作品は、トロント国際映画祭でプレミア上映された後、ニューヨークのリンカーン・センター、ローマ国際映画祭、ロンドン国際映画祭、 ウォーカー・アート・センターなど世界中の数多くの映画祭や映画イベントで上映された。
ニューヨークの売春宿を撮り続けた写真ドキュメントのプロジェクト“Heterotopia”や、2芸術写真の出版を手がけるスターン出版から、新進の写真家を紹介する “Stern Fotografie Portfolio” シリーズでハディドの写真を特集した本が出版されるなど写真家としても活躍している。
映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』
2021年4月9日(金)アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督・撮影:タラ・ハディド
出演:ハディージャ・エルグナド、ファーティマ・エルグナドほか
モロッコ、カタール/2017年/86分/1:1.85/アマズィーグ語
原題:TIGMI N IGREN
字幕翻訳:松岡葉子
配給・宣伝:アップリンク