2010-11-21

フッサール的見解 ノエマ/ノエシス的世界観 このエントリーを含むはてなブックマーク 

私は今パソコンの画面の目の前に存在しキーボードを打ち文章をエクリチュールしている
と私自身は考えている。だが、それは誠か?本当か?真実と言える根拠はどこにありますか?
物的根拠はどこにもないのである。では何をしているのだろうか?

フッサールの現象学的にはノエマ(私)という媒体(人間の身体としての機能)を通して
ノエシス(エクリチュールされた文章)が志向されているのであって、実世界にパーソナル
コンピューターが存在しているわけではないのである。それは他の生物のノエマと私の
ノエマはおそらく差異が生じておりノエマによってでしかノエシスが観察できないのだと
仮定するならば地球上の全ての生物は実世界を適切に見ることなどできるわけはない。

私の見る世界と親の見る世界は同じでしょうか?ライオンと虎の見る世界は同じなのか?
カモメの見る世界、ペンギンの見る世界は同じであるとは思えないだろう。
私たちは相互主観性(つまり同じものを見ているという錯覚)を前提とした生活を
送っているが、ノエシスは人によっても違うし、あらゆる生物に置き換えても違うと
推測されるのだ。

私たちの見る世界が真っ当なノエシスで、統合失聴者の見る世界は
真っ当ではないノエシスであるのか?もう一度よく考えてみてほしいのである。
結論を言えば全ての生物はノエマ(主観)によってノエシス(幻想)の世界を
見ているにすぎない。他の動物や病人はノエマの程度が少しズレているだけなのだ。

キーワード:

フッサール / 現象学 / ノエマ / ノエシス


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アレゴリー立気

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アレゴリー立気

“とくにないです。”


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