骰子の眼

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2009-06-12 20:00


『マンガ漂流者(ドリフター)』第7回:「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【中編】

「90年代の少女・女性マンガ誌についてなら単行本1冊分くらい書けそう」という吉田アミ。今回は「月刊ぶ~け」の創刊から鈴木志保がデビューするまでの歴史を辿る!
 『マンガ漂流者(ドリフター)』第7回:「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【中編】
(左より内田善美『草迷宮』、「月刊ぶ~け」78年8月号に編集長・佐治輝久が創刊に寄せたコメント、ごとう和の「ペンの使い方 人物編」

★【前編】はコチラから
http://www.webdice.jp/dice/detail/1635/


鈴木志保を生んだ「月刊ぶ~け」ってどんな少女マンガ誌?

78年8月に創刊した集英社の「月刊ぶ~け」。創刊時の編集長・佐治輝久が創刊号に寄せたコメント(※発刊の御挨拶)によると「ぶ~けとはフランス語で花束。週マ・別マ・りぼんの人気作品の総集編と新作まんがを束ねたまんがの花束です」とあるとおり、「りぼん」、「マーガレット」、「別冊マーガレット」に掲載された作品の総集編が再掲されるのが大きな目玉だった。当時はまだ雑誌に掲載されただけでは作品が単行本化されることはなく、人気作だけが単行本になるという流れだったため、単行本化に何年もかかることもありファンは雑誌を取っておいたり、切り抜いたりして保存しなければならなかった。そのブランクを埋めるのが雑誌の付録として付いてきた「別冊ふろく」による総集編などだった。

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そういった状況を意識してか「ぶ~け」はA5サイズというハンディサイズを採用し、コレクションしやすかった。また、過去の人気連載作品を安価な値段で一気に読める「ぶ~け」は、コインランドリーや銭湯、病院などの待合室でよく置いてあった。総集編や1話完結ものや読み切り作品が多く掲載されていたため、待ち時間に読むには魅力的な雑誌だった。

優しい微笑を浮かべる編集長、佐治。その温厚な見た目とは裏腹に内に秘めた思いは熱かった。

創刊号には、岩館真理子『17年目』、くらもちふさこ『糸のきらめき』、陸奥A子『セプテンバーストーリー』『いつのまにか春の色』の4作品が再掲。それぞれ作家の作品リストも付いた。描きおろしは、西本弘子『薔薇の館と魔法使い』、ごとう和『虹色コーンはじければ』、倉持友子(くらもちふさこの妹)『デミアンの白いページ』の3作品だ。表紙イラストを手がけたのは、74年に「りぼん」でデビューした内田善美。その後も79年9月号まで同誌の表紙を飾り続け以降も、不定期ながら表紙を多く手がけていた。そのため初期の「ぶ~け」と言えば内田善美を思い浮かべる人が多いと思う。


掲載された作品は後に『草迷宮・草空間』『星の時計のLiddell』の2冊のA5板ハードカバー豪華本にまとめられたことからも彼女が特別だったことが窺い知れることができる。そんなことから、内田が活躍した時代を指し、「黄金期」と呼ぶ人もいるだろう。内田の遺伝子は松苗あけみや吉野朔実、おかざき真里、そして鈴木志保、ギャグマンガではあるが、柏屋コッコ、九月乃梨子に受け継がれているように思う。共通するのは「偏執狂なまでの細部の描き込みっぷり」「均一な筆致」「レタリングのような描き文字」などが挙げられるだろう。

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内田善美『草迷宮』より。1981年「ぶ~け」8月号に掲載。拾ってきた市松人形が実は生きていて!?
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内田のような新しい少女マンガ家たちの場所を作ろうとした編集長佐治のあふれる熱い思いが、初期の「ぶ~け」から強く伝わってくる。これは佐治が編集長を辞する89年5月号まで続くこととなる。佐治の編集長時代に同誌を支えたのは、松苗あけみ、倉持友子、水樹和佳、ごとう和、上座理保、竹坂かほり、そして、同誌の第1回(78年12月号)「まんが養成コース」で高く評価され、デビューを勝ち取った耕野裕子がいた。

1990年より『CLEAR』を連載し、90年代の「ぶ~け」を引率。後に榎本俊二と結婚し、エッセイマンガ『愛ある暮らし』を上梓。

「少女ブック」「りぼん」で編集経験を積み、一条ゆかりのデビューを後押ししたという佐治。生粋の少女マンガ好きでもあった彼は、80年代に入ると他誌で活躍していた作家たちにも読み切りを依頼するようになる。集英社「週刊マーガレット」でデビューし、フリーになったあと、白泉社「LaLa」や角川書店「ASUKA」で活躍していた大島弓子はもちろん、山岸凉子、竹宮恵子、萩尾望都ら少女マンガに革新を与えた24年組の作家たちを次々と召還し、新人とベテランをリンクさせたのだった。


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1986年10月号に掲載された山岸凉子『星の運行』より。単行本収録時に『鏡よ鏡…』に改題された。

少女マンガ虎の穴!? 「まんが家養成コース」のスパルタ教育の巻

彼のほとばしるパッション、少女マンガに対する思いが炸裂しまくっていたのは、作家のチョイスだけではない。創刊当初より新人発掘、育成には特に力を入れており「まんが家養成コース」というマンガ投稿コンテストを開催。「1賞金点数制」を謳い、絵(画力、構図、キャラクター)、ストーリー(エピソード、構成、テーマ)と細かく批評。その割り振られた点数1点につき1000円というユニークな賞金点数制をとるだけでなく、応募作品の中から毎月、注目作をピックアップし作品の縮小版を掲載したのだ。読者にも分かりやすいように作品を指しながら「何がどう良く、何がどうダメなのか」を誌上で徹底解説。
しかし、かなり厳しい内容で、ほとんどの作家が即デビューとはいかず養成コース送りに。そこで下積み経験を経なければ「ぶ~け」デビューは難しかった。原田妙子は2年間に6回も投稿して、やっと養成コース入りができたほどだ。

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79年12月号「まんがプラザ」のコーナー「まんが養成コース」より。ガンバガンバ!!

養成コース入りさせられると、編集部から直接指導を受けたり、内田善美、木原敏江、倉持知子、ごとう和、立原あゆみなど人気マンガ家の開く講習会や親睦会に参加できるなど厚遇を受けることができた。切磋琢磨しながら同期の生徒らと共にデビューを目指し奮闘するというさながら「少女マンガ虎の穴」といった様相で、その活動状況は逐一で誌面で紹介された。その頑張る姿を読んだ人たちは、スパルタに耐える新人たちに感情移入し、応援しようという気持ちになっただろうし、自分もマンガ家を目指そうと思い立ったことだろう。
また、養成コース入りができなくても、投稿すれば「まんがスケール」という枠線を引くのに便利な定規が当たるのも良かった。マンガ専用の原稿用紙がなく、無地のケント紙を使用しなければならなかった頃これは嬉しいプレゼントだったに違いない(※枠線のアタリがないため、コンパスの針やキリを使ってアタリをつけ、青鉛筆でアウトラインを引かなくてはならなかった。その手間が一切省けるようになるというスグレモノ)。

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その他にも「ぶ~け」では、実践的なマンガの描き方や、ノウハウを紹介したコーナーやマンガ家インタビューなどマンガ家を目指す人たちからマンガ好きなマニアにも楽しめる骨太な内容だった。

「授業中にまんが描いたり試験中が20日の〆切りだったりと、まんが少女は大忙し」。佐治編集長の頃は「学業よりマンガ!」という大島弓子の「さよなら女達」を髣髴とさせる煽りがまぶしい。ちなみにその後の編集長たちは「学業優先!」と言ってました。

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ごとう和の「ペンの使い方 人物編」より。あこがれの先生のテクを盗んじゃえ!

単行本レーベル「BOUQUET COMICS」、長編まんが部門新設、増刊発売

80年10月15日に待望の単行本レーベル「BOUQUET COMICS」が発足した。カバーのデザインは白地にうすい緑のチェック、サイズは手ごろな新書判で定価は360円。初の単行本は、倉持友子『青になれ!』と内田善美『ひぐらしの森』の2冊。以後、水樹和佳、寺口えみ、ごとう和先生などの作品が単行本化され、たちまち重版となった。

「ぶ~け」の大躍進はまだまだ続く。81年1月号より「養成コース」に年2回発表の長編まんが部門が新設。この長編部門では、審査員持ち点制(1人に付き15点=15万)という評価形態を取っており、評価によっては賞金総額105万円の独り占めも可能、最高得点作は即デビュー!と投稿者たちのやる気を煽っていたが、設立以来ついぞ独り占めする者が現れることはなかった。さらに「ぶ~け」は、全面シルバーの豪華なデザインが書店で目を引く「ぶ~けデラックス」を創刊。その後も定期的に増刊号を発行するようになる。本誌以外にも新人たちの活躍の場、受け皿を整えていった。

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毎年2月号で発表された長編部門の結果。当時の編集長が審査を終えた感想を述べていた。似顔絵カットは毎回代わり、いろんなマンガ家が描いていた。こちらは1983年月号、8月号のコラムより。似顔絵カットは竹坂かほり。
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82年1月号から、ゴールドを基調とした表紙に心機一転リニューアル(※3月号までという短いリニューアルであった)。これまで裏表紙は広告スペースであったが、全面と裏面が一つのデザインになりよりデザイン性が重視されるようになった。リニューアルは表紙だけに留まらず「まんが家養成コース」などマンガ制作の情報コーナーであった「まんがプラザ」が大幅増ページ。これまで16ページほどだったのが倍の32ページになり、批評ページや「今月ピックアップ」がより詳細になる。
さらに編集部に送られてきた同人誌の紹介、作家の近況をニュース形式で伝えるコーナー、白泉社「LaLa」や小学館「プチフラワー」といったライバル誌はもちろん、講談社「モーニング」など青年誌まで幅広くマンガをレビューする「立ち読みコーナー」など、マンガに関する情報ページも充実。また、10名限定無料でマンガ家と読者との「お茶会」を催すなど作家と読者感の交流を大切にしていたことが窺い知れる。今では信じられないような受け手と創り手の一つの理想型がそこにはあった。

ページが余ったときにだけ掲載された「立ち読みコーナー」。大島弓子『綿の国星 ペーパーサンド』を紹介した文章の最後が「大島先生、好き。」と単なる心情吐露になっていた。ここでチェックされると「ぶ~け」がヘッドハンティングに来るよー!


一般誌にまで浸透していた?「ガロ」の面白主義

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79年「ぶーけ」7月号で、佐治編集長は「おもしろければどんどんのせるよ」と読者に呼びかけ、「ぶ~けは、今までの少女まんがにとらわれずおもしろければどんどん採用したいということなんだ。冒険から新しいまんがが生まれると信じるからね。恋愛ものが少女まんがの本命ってことは絶対だけど、それ以外だってということです」と語っている。

作品の中に少しでも既成の作品にはないオリジナリティを見つけたら、とにかく褒める!佐治編集長はオモローな人だった。

ここで思い出してほしい。70年代に青林堂「ガロ」の編集者であった南伸坊が「面白ければ漫画という表現に囚われない」という「面白主義」を打ちたて、正統なマンガ文脈とは違うマンガを多数生んでいたことを。相当なマンガ読みであり、1936年生まれの佐治の青春時代を想像すると「ガロ」に影響を受けた可能性は高いだろう。他誌から作家を召還したり、実績のない新人をいきなり採用するなど、型破りな少女マンガ誌であった「ぶ~け」の背景に「ガロ」の影響があったのではないかという説が私の中で浮上中。もちろん「ぶ~け」に、少女マンガ度皆無の「ガロ」の作家が登場したケースはないし、憶測の域は出ないのだが……はたしてどうだろう。引き続き調査していきたい。



プライスレス、金より大事なものがある。それは「面白」と「新しさ」

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つまり、「ぶ~け」はベテラン、中堅作家の総集編を看板にすることで、ある程度売り上げの目処をつけることができたのだろう。その余剰分で新人発掘、育成に力を入れることができた。1982年12月号からは、ただ賞金を与えるだけでなく、まだまだ高嶺の花であったヨーロッパに取材旅行の名目で連れて行ってくれる特典が付いた。さまざまな魅力で投稿者を誘引し、少女マンガ新人の登竜門的イメージを確立。誌面からは80年代の少女マンガ、いや、マンガの新風は「ぶ~け」から!という意気込みを感じさせるパッションが伝わってきた。往々にしてこういう雑誌は成功する。己の信念を貫くべく、コンセプトが明確なものは読者にとって受容しやすいからだ。

岩館真理子『子供はなんでも知っている』書影。「ぶ~けワイド版」というかたちで発売された同書はぶ~けと同サイズ★

「ぶ~け」のように新人マンガ家が生まれる場所というのは、ベテランや中堅作家にとっても刺激になる。雑誌ならではの横のつながりが生まれ、活性化したのは言うまでもない。また、その横のつながりにあこがれた新人たちが門戸を叩くという循環が生まれ、常に新しい者を受け入れることで、雑誌の鮮度を保ち続けることができたのだった。新人を発掘し育てようとする雑誌は生きている雑誌だ。沈殿し活性化しないままの状態では濁り、やがて腐る。

最近ではこうした仕組みを「内輪」だと一笑に付し、軽んじる傾向があるが、他人に憧れ妬まれるような「内輪」を形成しなければ、輪に入ることに価値を見出すことはできない。常に新陳代謝を繰り返し、進化していきたい組織を作りたいと思うのであれば、「魅力的な内輪」を形成するしかないだろう。その「内輪」に合わない人が新たな「内輪」を形成していき、輪を広めていくことは至極まっとうなことである。だが、現在は手ごろな「内輪」に甘んじることで、簡単に自己承認が満たされ、何も成さずに終わってしまうケースも問題になっている。増殖した「内輪」の中で、何も成さずに死滅していくだけではあまりにも悲惨すぎる。もっと有機的に他の輪と融合していくように働きかけることも必要なのかも知れない。



【はみだしコラム】
もっと詳しく!しつこく!「ぶ~け」語り

は~。疲れた。ぶっちゃけここまで書くのに、3万文字くらい書いてしまった。そして、削ったり次回に先送りしている……。使ってない資料がてんこもり。かかった時間はプライスレス。すでに、ご存知かと思うがぜんぜん、鈴木志保の作品論にいたってないじゃないか!という話だが、もう少し待ってほしい。しかし、新書で1冊くらい書けそうだYO!『マンガで学ぶ 女の生き方レッスン★少女・女性マンガ雑誌論』とかどうでしょうかー。とふざけるのはやめにして、以下、データを羅列。

■表紙に登場!美麗カラーが魅力の作家

内田善美、松苗あけみ、岩館真理子、吉野朔実、一条ゆかり、耕野裕子、水樹和佳、稚野鳥子、逢坂みえこ、梨木有実、なかはら桃太、原田妙子など。岩館真理子などは表紙しか描いておらず、雑誌に掲載されていない場合も多かった。なんとなく騙された感が否めなかったが、表紙は見目麗しく!という確固たる編集方針を感じる。どの作家も独特の色彩センスが優れていた。

■総集編で登場!ベテラン、中堅作家

『ニジンスキー寓話』有吉京子、『砂の城』『有閑倶楽部』一条ゆかり、『ふくれっつらのプリンセス』『子供はなんでも知っている』岩館真理子、『イキにやろうぜイキによ』聖千秋、『海の天辺』『チープスリル』くらもちふさこ、『まみあな四重奏団 』『勝手にしやがれ』槇村さとる、『ホットロード』紡木たく、『名探偵保健室のオバさん』宮脇明子など。他に陸奥A子、弓月光、太刀掛秀子、亜月裕、佐藤真樹、大谷博子、茶木ひろみ、多田かおる、楠桂、いくえみ綾の顔ぶれも。

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1985年8月号に掲載された大島弓子『ダリアの帯』より。名作、名作ゥゥ!

■「ぶ~け」から生まれた名作!

大島弓子『ダリアの帯』、松苗あけみ『純情クレイジーフルーツ』『HUSH!』『ロマンスの王国』、吉野朔実『少年は荒野をめざす』『ジュリエットの卵』『いたいけな瞳』、水樹和佳『イティハーサ』、岩館真理子『子供はなんでも知っている』『クリスマス・ホーリー』、逢坂みえこ『永遠の野原』、耕野裕子『CLEAR』、清原なつの『花図鑑』、おかざき真里『バスルーム寓話』、鈴木志保『船を建てる』。

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1995年3月号に掲載されたおかざき真里『バスルーム寓話』より。94年漫画育成コース長編部門第一席受賞作でもある。審査員一同から拍手喝采、大絶賛だった。

■豪華なデビューした作家たち

吉野朔実、耕野裕子、竹坂かほり、逢坂みえこ、夢路行、桐島いつみ、九月乃梨子、藤谷みつる、もりひのと、入江紀子、稚野鳥子、雨月衣、秋吉くま子、柏屋コッコ、鈴木志保、なかはら桃太、原田妙子、つづき春、えにぐまなみ、遊知やよみ、水玉ペリ、細川貂々、東村アキコ、志村志保子、おかざき真里など。



「少女マンガ」の極北、鈴木志保の生まれるまで

鈴木志保の作品がはじめて同誌に載ったのは1989年「月刊ぶ~け」8月号、「第129回 ぶ~け まんが家養成コース」にて、第1席を獲得した『ろっか まい べいびい』。「今月のピックアップ作品」として縮小版が掲載された。5月に佐治編集長が去り、就任したばかりの木曽義昭が選評を行った。まだまだ佐治イズムが色濃く反映されている時期だ。

当時を振り返るために鈴木志保の評を読んでみよう。

合計29点 ストーリー
画力 構図 キャラクター エピソード 構成 テーマ
4 5 5 6 5 4

1席賞金10万円、点数賞金1万1千6百円



えーい、はっきりいってしまおう。今回の鈴木さんの作品が第1席となったのは、ズバリあの(読めばわかるぞ)1シーンのおかげである。読んでいて、とにかくビックリしてしまった。
こう書くと、ただ目立てばいいのかと思う人がいるかもしれない。もちろん、画力や話のまとまりは大切である。しかし、読み手をビックリさせるようなシーンを描く、その大胆さ、思い切りの良さこそ、投稿者のみなさんに期待している所でもあることもまた確かなのだ。

さらに、縮小版掲載に合わせて「愛情あふれるアメとムチ トライマン キョーフの項目別評価」というコーナーで徹底的解説。かなり辛らつに真摯に的確に評価がされている。ここまで丁寧に投稿作を批評し改善点を掲載するというのは、投稿者のためにもなるが、デビューを目指すマンガ家たちを育てるという上で大きな功績を果たしていたのだろうと想像できる。

と、ここで読者が「そんなことよりその鈴木志保の1シーンって何!?」とやきもきしていそーなので、掲載してしまおう(「ぶ~け」編集部のノリで)。

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22ページ目。女の子が男の子の胸ぐら掴んで唐突に1ページ使ったキスシーン。ちなみに『ろっか まい べいびい』は、単行本未収録作である。

(文:吉田アミ)

【過去のコラム】
吉田アミの新連載コラム『マンガ漂流者(ドリフター) ~新感覚★コミック・ガイド~』がwebDICEでスタート!(2009.4.22)
『死と彼女とぼく』川口まどか(2009.5.2)
川口まどかにリンクするコミックはコレだ!【リンク編】(2009.5.8)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【前編】(2009.5.15)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【中編】(2009.5.22)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【後編】(2009.5.29)
「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【前編】(2009.6.5)


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。近々、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める予定。
ブログ「日日ノ日キ」

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吉田アミ / 鈴木志保


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