2011-01-04

『スプリング・フィーバー』レビュー (前篇)「細部とモチーフ」 このエントリーを含むはてなブックマーク 

『スプリング・フィーバー』レビュー (前篇)「細部から」

 最初に、この文章の急所を言っておきます。
 この作品は、──とくにラストが──絶望的にみえますが、愛と希望を語っているということです。(因みに監督のロウ・イエは、『SF』は「ハッピー・エンド」だと言っています。)
 次に、この批評の構成を。
 前篇(この文章)で細部を積み上げて──羅列して──、後篇で映画全体について、包括的に話したいと考えています。

 また、この批評は「育って」いくことを先にことわっておきます。この映画が公開しているうちにレビューを書くが重要だと思い、不完全な状態でここにアップしています。
 あと何度か、自分はこの映画を見ると思いますが、発見のあるごとに、加筆・修正します。勿論、その都度、修正を加えた事実を記しておきます。

 では、本論に入ります。
 ネタバレがありますので、未見の方はご注意を。「後篇」(この文章ではない)のさいごに、物凄く重要なネタバレを一箇所、置く予定です。

★モチーフ01:「地上の灯りと天の星、雲と暗闇」
映画のラスト、地上の灯火が映ります。そして天の星についてワン・ピン(登場人物)がナレーションします。星が、一つ、二つ、くさった死体のような灰色の雲の切れ間から覗いていて、その周りには、無限の哀愁を帯びた暗闇が広がっている、と。
 地上の灯りか、天の星か、或いはその周りの暗闇か、いずれが「希望」なのかはわかりませんが、少なくとも、まったく絶望的なラストでないことは確かです。

☆細部01:「ケータイ、ウォークマン、煙草」
小道具としてこの三点セットが重要。目の前の(空間の)現実に没頭していないことを示すから。プラス鏡(後述)。

★モチーフ02:「三人の恋愛のやり直し」
ドストエフスキーの長篇小説、『白痴』の主人公ムイシュキン公爵は、ナスターシャとアグラーヤという2人の女性のどちらか一方を選ぶ、ということを頑なに拒否する。
『スプリング・フィーバー』でも、三人の男女(ワン・ピン、その妻、ジャン)という関係が最初に破綻するが、メンバーを入れ替えて(ハイタオ、リー・ジン(堀北似)、ジャン)繰り返され、あのカラオケシーンへと至る。
対幻想は、1対1対応ではない。例えば家族という概念は対幻想に含まれる。

△脚本が優れていると思った方には、郁達夫の短篇小説「過去」を推します。誰かが、この映画は「スプリング」が「フィーバー」するのだ、という、見た人にしかわからないけれど、的確な事をツイートしていました。

☆細部02:「鏡のシーン」
鏡のシーンで、下半身は映らない。上半身だけ映る。又、「首」を切った破片は鏡ではないだろうか? 確認できていないが、そうだとすると色々つじつまが合う。

☆細部03:「最後のナレーション」
最後の朗読で、五円から三円を使い、(家賃やら)色々さっぴくと、残りは20~30銭となる、と語られる。
主要登場人物は5人。
そのうちワン・ピン、リー・ジン(堀北似)、ルオ・ハイタオ(探偵)の3人が退場する。リン・シュエ(王の妻)は退場しないが、さしあたり彼女をカウントしないとすると(理由は割愛、というかよくわからない)、残りはジャンひとりとなる。
そのジャンも、子犬の死が象徴するように、主体(人間)の単位としての「1」よりは低減している(この辺、書き散らしで恐縮です)。
20銭から30銭が残ったという文章の朗読は、「半人」(ハーフ・マン)ならぬ「四半人」(クォーター・マン)となったジャンを暗示しているのかも。

△主人公はジャン、か。ロウ・イエは彼が一番好きとのこと。ジャンがクラブで「泣く女」となるシーンが印象的。

☆細部04:登場人物の職業
ジャン:旅行代理店→洋服屋
ワン・ピン:古本屋の主人
奥さん(リン・シュエ):学校の教師
ルオ・ハイタオ(27歳男性):私立探偵
堀北似(リー・ジン):工場勤め(女工)

☆細部05:バラバラの身体;「首」「手」「胸」
それぞれの傷。
ジャンの胸の痣(火傷?)、
ワンの手首、
ジャンの首。
また、ジャンとハイタオのシャワーシーンでも、胸の痣が鏡に映り、首に手が絡みつく。

△ジャンの孤独さ、諦め、覚悟が心に残る。仔犬(猫)の死体をふり返るジャン(気になっている、気がかり)。ちなみにこのシーン、自分の考えでは現在『ヒストリエ』(高橋源一郎がいまいちばん楽しみにしてる漫画らしい)を連載している岩明均の代表作『寄生獣』へのオマージュ。

☆細部06:煙草、ケータイ、イヤホン。その2
前半の工場長と、その愛人と思しきリー・ジンの食事シーンで、工場長は煙草を吸い、ケータイに出る。リー・ジンはイヤホンで音楽を聴いている(!)。
ちなみに、街中で、イヤホンをして音楽を聴くというモチーフは、岡田利規の演劇「わたしたちは無傷な別人である」でも重要な部分を占めている。(自分の見たときはタイトルの語尾に「のか」がついていた。)
これらが、物語の進むにつれて、徐々に禁止されていく(煙草は生き残る。)
たとえばワン・ピンが妻と喧嘩するシーン、彼はイヤホンをしている。そして煙草を吸おうとして妻に一喝される。ケータイ(のメール、写メ)が破綻のきっかけとなる。

☆細部07:マフラー
(大きな)マフラーをしているのは、ジャンとワンの妻のふたり。彼らの初対面の時、双方ともに装着している。頭部と胴体が切断されていることの暗示だろうか?
そしてラスト、この二人の再会の可能性が残されている。

☆細部08:最後の「彼」とは「行きずり」ではない
(詳細は後ほど加筆)

☆細部09:上の世代がいない
中国映画だからというわけではないが、「老人」のいないことがこの映画を特徴付けている。老人は、東洋(に限らないが)、特に中国では(神秘性を持つ)仙人としての役割があると思うのだが。これが禁じ手となっている。
雑踏の人々を除き、台詞を持つ登場人物の最年長は、クラブでジャンと喧嘩する親父だろうか。あれは、ちょっとだけ、親子喧嘩を思わせる。
(みなしごの系譜としては、上記の『寄生獣』から阿部和重『シンセミア』、村上春樹『海辺のカフカ』が派生している。)

☆細部10:鏡、「1人」と「2人」
 ジャンが、曇った鏡を1人眺めているところへ、背後からハイタオがぬっと現れるシーンは重要。ちなみにこのシーンも、『寄生獣』の重要な場面を進化させている。

☆細部11:「落下」ではなく「手を切る」
王(ワン)の退場の仕方。

☆細部12:ワン・ピン(とその妻)の部屋、ジャンの部屋はきっちり画面に登場する。探偵の住処らしき部屋(安宿かもしれない)の全体像は映らない。(ルームメイトはでてこない?)また、女工の部屋は一切出てこない。これはそれぞれの経済状態を反映している。

細部13:Make up
女工のリー・ジンが美容室にいくシーンがある。あそこで彼女は、Make up one’s mind(決心)しているのだと思う。直後に、屋台の店主とのやり取りがある。

☆細部14:工場長が撲られたあと
工場長はもちろん、映画の流れ全体が荒んでいく
→ドストエフスキーの『悪霊』でも、ある少女の死をきっかけに、小説全体が加速して破滅に向かっていく。

☆細部15:当事者へ
ジャンがツアーの手配者から、「旅」の当事者へ移行する流れがある。
(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』では逆に、キャッチャーからウォッチャー(傍観者)への移行がある)

☆細部16:カラオケ前、起きる順
女→ジャン→ハイタオ
(ハイタオ、探偵はおくれるひと。冒頭のカットを参照。)

☆細部17:カラオケ後、いなくなる順
女→ハイタオ(手前へ)

△Now it’s over!
ジャンが「じゃ 行けよ」(うろ覚え)と、ハイタオに大声で言うのだが、あそこ、”Now, it’s over!” と(自分には)聞こえた。偶々中国語がそう聞こえたのかな?

長くなりました。
ので、一旦ここで切ります。
「中篇」を追加して、それを経由して「後篇」で完結する予定です。

コメント(0)


坪井野球

ゲストブロガー

坪井野球

“引用家。”


関連日記