骰子の眼

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2009-06-19 21:00


『マンガ漂流者(ドリフター)』第8回:「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【後編】

前・中・後編にわたって鈴木志保を吉田アミが大検証。最終章の今回は、代表作『船を建てる』をめぐる考察。7/7に最新作『薔薇のかたちのシ』の発売記念イベント開催!
『マンガ漂流者(ドリフター)』第8回:「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【後編】
(左)鈴木志保『船を建てる 回転』より (右)『船を建てる Peach'n' Cherrry』より

★【前編】はコチラから
http://www.webdice.jp/dice/detail/1635/
★【中編】はコチラから
http://www.webdice.jp/dice/detail/1651/


デビュー、名作『船を建てる』の連載スタート

89年7月に「月刊ぶ~け」8月号の「まんが家養成コース」第129回に1席になった鈴木志保。翌月発売された9月号で『スキップ』で37点という高得点を獲得し、再び第1席の栄冠に輝く。養成コース史上初の連続第1席受賞者だった鈴木志保の出現は、「ぶ~け」誌上における一つの「事件」だった。

その後、鈴木は同年12月に発売された1月号に『10円ダイム』が掲載され正式にデビュー。この時点ですでに現在のようなペンタッチ、大胆で実験的なコマ割りなど彼女の作風は完成されていた。90年に「ぶ~け」の増刊号「ぶ~けDX」初秋号に『グローリーなoiにしてくれ』、91年「ぶーけDX」春の号に『チルダイ』、92年「月刊ぶ~け」5月号に『テレビジョン』を発表。そして、「ぶ~けDX」春の号に『船を建てる』の第一話が掲載された。

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『船を建てる SHIP BUILDING』より。

衝撃的だったのは、登場人物が「アシカ」だということだった。しかも、そのアシカたちの世界には、人間界と同じく、カンサスやニューメキシコ、中国がある。彼らは「アシカ大王」という神を信仰する以外は人間との差異はなく、ワインを空け、牡蠣を食べ、日々の生活を営んでいる。一体、これはどういうことなんだろう?と首を傾げても、たった16ページで終わってしまうので世界の全容はおろか物語の筋がつかめない。

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ぼくは、新しいこころみとして、一本の長い物語をはじめと終わりから描きはじめるという冒険をしてみたかったのです。(中略)したがって、そのひとつひとつの話は、てんでんばらばらでまったく関連がないようにみえますが、最後にひとつにつながってみたときに、はじめてすべての話が、じつは長い物語の一部にすぎなかったということがわかるしくみになっています。なぜなら、人間の歴史に、くぎりや断層などあるわけがないからです。

手塚治虫『「火の鳥」と私』/朝日ソノラマ「月刊マンガ少年別冊『火の鳥』2 未来編」序文より

思わせぶりなだけで何も語っていない物語ではなかった。


擬人化ではない、アシカの姿

『船を建てる』とは奇妙なタイトルである。そこには主語が存在しない。一体、この船を建てるのは「誰」のことを指すのだろうか。タイトルは物語の構造にも関連してくる。前記したように登場人物のアシカたちの生活は人間のそれと遜色はない。舞台は60年代のアメリカのシネマを連想させる建物、モチーフ、時代背景。しかし、この世界に人間は居ない。生活圏内に対象となる人がいないのだから、彼らは自分がアシカだということに疑問を抱かない。大島弓子の『綿の国星』のチビ猫のように人間に飼われ、人間になることを期待したりしない。久保キリコの『バケツでごはん』のように人間界で独自のコミュニティを形成しているわけでもなく、萩尾望都の『イグアナの娘』のようにトラウマや思い込みで動物の姿になってしまったわけでもない。また、手塚治虫の『ジャングル大帝』や『火の鳥』のようなキャラクターとしての動物の姿とも違う。ましてや、マンガ家の自画像のように人間を擬“動物”化した姿であるはずもない。

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ミシュランザウルス食べ欠けが海を渡り故郷のフランスを目指す。旅の途中で象のハンナや自由の女神とコンタクトする。夏の日の幻想なのか誰かの夢なのか判然としない。『船を建てる 世界の終わり』より。

鈴木志保が描く「アシカ」とは一体、何者なんだろう。

謎を解く鍵は、【前編】(http://www.webdice.jp/dice/detail/1651/)で紹介した1編「フロリダ州では桃が熟れる頃/甘粛省では杏が熟れる頃」にある。アシカの老夫婦とジャックとベティのカップルのエピソードが交互に語られる。昔、甘粛省では杏が熟れる頃に出合ったおじいさんとおばあさん。そして、フロリダ州では桃が熟れる頃に出合ったジャックとベティ。対になった2組のまったく異なる人生を歩むカップルから「想い」だけで抽出し、その二つの「想い」を並列にする。アシカのおじいさんとおばあさんのエピソードは状況を説明し、「物語」として語られる一方で、ジャックとベティはモノローグとしてしか登場しない。語らなかった「想い」をジャックとベティが代弁し、現在、愛を語らうジャックとベティの在りえるかもしれない未来をおじいさんとおばあさんのエピソードが語らう構造になっている。

あんたには / ああしがいなきゃ駄目なの / あたしがいなけりゃ / なんにもできやしないのよ / だから / いつの時代でも / どこにいても / あたしを捜しなさい / きっと 見つけなさい


「想い」が重なりあい、ハーモニーを奏でる。

死んでしまったおばあさんを背負って、「あめりか」を目指すおじいさん。

でも / 本当は / 杏の木は / 世界中にあるんだ / それは例えば / 広告塔の下だったり / コーヒーショップのテーブルだったり


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ジャックとベティとおじいさんとおばあさんの「想い」が交錯する。『船を建てる フロリダ州では桃が熟れる頃/甘粛省では杏が熟れる頃』より。

交互、相互……互みに。交錯することで、「想い」だけが強く印象に残る。誰かが誰かを、一瞬に永遠に、愛していたことを切り取る。ジャックとベティにも、おばあさんとおじいさんにも別れは必ずやってくる。世界のどこかで出合う二人。ジャックでありベティでありおじいさんでありおばあさんである存在とはあなたでありわたしなのだ。男と女が出合った、その「出来事」と「想い」そこですべてが共通する。共鳴し轟音になる。それは、「あめりか」の波の音のように。永続的に寄せては返す。

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レコード盤に描かれた「あめりかの海」。イメージが拡散していく。『船を建てる フロリダ州では桃が熟れる頃/甘粛省では杏が熟れる頃』より。

この物語をもし、人のかたちで描いたとしたら、たぶん16ページには収まらない。たった16ページなのだ。「出来事」と「想い」だけを語らうのに人ではなく、アシカという記号を用いた。何故、人であってはならなかったのか。物語に人が現れたとしても、『トムとジェリー』に出てくる登場人物のように目を、彼らの表情を描かなかったのか。何故、人は物語から排除されてしまったのか。そして、そのことによりどんな効果をもたらしたのか。

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「はい、コレがどう見えますか? それがあなたの心のかたちです。」鈴木志保が描く人ならざる者たちの正体が明らかにされる。『船を建てる』の謎の答えはその後の作品の中にある。『ちびっき』より。

かたち。そうなのだ、かたちなのである。心の。たぶん、このアシカの住む世界はこの地球上の何処にでも存在するのに何処にも存在しないのと同じ。そんな矛盾する世界を生むことが出来たのは、この物語が寓話だからだ。世界の一部を切り取ることで、世界全てを表現してしまう。


時代の「気分」でリンク!

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西島大介『アトモスフィア』

90年代の「気分」を描いたのが『船を建てる』なら、その先を描いたのが西島大介の『アトモスフィア』である。鈴木志保のファンを公言し、『薔薇のかたちのシ』のサウンドトラックに音源提供をしたり、帯などにもコメントを寄せている西島大介。鈴木とは遠からぬ縁がある彼の描いた同作では、世界はもっとどん詰まりになっている。希望や夢を抱く余地もなく、ただ永遠にループを続ける。『船を建てる』ではレコードの針飛びとして描かれた停滞は、『アトモスフィア』では、もっと深刻で馬鹿げたモチーフとして描かれている。90年代からゼロ年代とは、大きな革命もなく何ら更新されることない地続きであり、絶望のなさが深まっただけだろう。その「気分」。まだ楽しめる余地があるなら、わりと世界はまともなのかも知れない。


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もはや一度の絶望くらいではループする世界は解除できない。世界の停滞と倦怠感。『アトモスフィア』より。

リピート、永遠、パレード、レコード……まるで連想ゲームのように

『船を建てる』という物語には大きな特徴がある。第26話の「回転」にはその特徴が表現されている。

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冬休みの1日目でループしてしまう。ここから抜け出す鍵は?『船を建てる 回転』より。

煙草とコーヒーのお話である。アシカには普通アシカと天使アシカの2種類があり、天使アシカはどんな希望も叶えられるとこの世界では信じられている。煙草の相棒であるコーヒーは第1話で、卵に変化してしまう。この現象は天使アシカに変化する兆候で、190日目に孵化するときに12枚の羽根を持って生まれ変わるというのだ。そう教えてくれたロバート・B・パーカーは、30年前に愛する妻を亡くし、持っていた羽を自ら毟り取ってしまった天使アシカだったのだ。どうせ叶わぬ希望しか無いのならなら、叶えられる術など必要はない。その方がずっとマシだし、諦められるというものだ。

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コーヒーの小さな羽根。羽根は願いの象徴でもある。『船を建てる SHIP BUILDING』より。

190日目、生まれ変わったコーヒーには、小さな小さな羽根があった。そんな小さな羽根では、煙草の企てた計画は叶えられない。 「中古のドカッティ!11匹のメスアシカ!そして南に農場!」すべての希望がおじゃんになってしまったけれど、コーヒーが居るのならそれだけで良いと思える。第1話で二匹小さな願いは叶えられたのだ。

第26話で物語はループする。煙草にとって、このコーヒーの羽根というのは不安の象徴なのである。いつか自分を捨てられてしまうのではないか、という不安が煙草にはある。その象徴として、コーヒーの小さな羽根が成長することを恐れている。第26話でコーヒーの羽根が大きく成長してしまったと煙草が錯覚した瞬間、この世界の時間はループしてしまう。それはレコードの針飛びに喩えられ、おんなじ一日をグルグル回るのだ。冬休みの1日目、鱒のワインを割ってしまうところでずっと繰り返す。永遠に訪れない2日目。これはこれでなんともロマンティックな現実である。錯覚であると煙草が気がついた時に針は元に戻り、新たな2日目がはじまる。「回転」をモチーフに描いたこのエピソードは、『船を建てる』の根幹になっているテーマなのだ。

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「好きな人が自分を見捨てて何処かへ行ってしまうんじゃないか」という喪失への不安はそのまま世界の終わりにもリンクする。世界が終わるほど悲しい気持ち。『船を建てる 回転』より。

パレード、サーカス、コインランドリー、夏、子供時代、レコード、録音、フィルム、休日、ハイウェイ、バス、コーヒー、煙草……そして、船。この物語に点在するイメージは、回転するようにゆっくりとしか変わらない風景にある。終わらない日常の連続。でも、行く先は死……終末に向かって歩みを止められないのだ。その死の行進は歩み者たちは、漂流者であり、サーカスのパレードのように華やかでもある。終わりゆくことがこんなにも美しいのかと、読者は錯覚する。

それは全部、間違いである。

この物語は二つのレイアーが存在する。絶望と希望。死と生。最悪と最高。相反する二つの黒と白、モチーフはすでに、主人公のアシカたちの色にも関係し、言葉で説明されることなく、読者は分かってしまう。繰り返されるイメージ、その象徴と記号を行き来するうちに物語に引き込まれてしまうのだ。これはマンガという奇跡である。白と黒しか存在しない紙の中だからこそ、存在できる世界、ファンタジーなのだ。

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アシカのドリフターズが登場。もう永遠にあの5人とは会えないと分かっている。でも、夢で会うのは許されるよね?『船を建てる コルゲートで磨け』より。

記号と象徴でリンク!

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■井口真吾『Zちゃん』

85年より青林堂「ガロ」にて連載された『Zちゃん』には、もう少しのんきな終末観が漂っている。記号と象徴で埋め尽くされ、全ページがデザインされつくしている。「世紀末現象は、予想以上の勢いで起こり始めた。チェルノブイリ、エイズ、ソビエト崩壊、ベルリンの壁崩壊、バブル崩壊、大地震、異常気象、マイケル・ジャクソン、そしてコンピューター。今となっては本当にそれらが特別な現象であったかどうかは分からない。ただその時は全てノストラダムスの予言通りに思えたのだ。最終的には1999年に人類が滅亡するかもしれないという恐るべき予言だった。私はそれらの現象を自分なりに捉え、なんとなく作品の中に溶け込ませた。」と改訂版のあとがき「グラウンディング?」で語っているとおり、この作品もまたその「時代の気分」を代弁してくれている。井口はこの作品を描くことで、孤独から逃れ物語の終了とともに前向きになれたと心境を語っている。切実なる物語は、その作者をも救う。

92年に青林堂から発売された『Zちゃん』。現代美術のような凝った装丁が目を惹く。現在、改訂版が青林工藝社より発売されている。

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幻覚が日常を浸食。ヴィヴィッドな色がどうにもアシッド!

■佐藤雅彦『KIT』

映像作家として活躍する佐藤雅彦が、84年に「ガロ」に発表した『KIT』も『Zちゃん』に似た手触りを持つ作品といえる。この時期の「ガロ」は、泉谷しげるなどマンガ家以外がマンガを発表することも多く、既成概念に囚われない作品の登場によりマンガの表現を拡張させた時期であった。現在だとこの流れは横山裕一に受け継がれているような気がするので、ぜひとも探っていきたいところだが紙数が尽きるのは目に見えている。またの機会に譲りたい。さて、この『KIT』は子供向けお絵かきソフトウェア「キッドピクス」を模しており、「キッドピクス」で遊ぶようにコマがすすめられる。登場人物はアイコンで示され、クリックすると人物がスタンプされるように現れるところも「キッドピクス」そっくり。画面とアイコンで別々にストーリーが進んだりといろいろな仕掛けが楽しい。中村光の『聖★おにいさん』を予見するブッダとイエスのぬくぬくコメディと言えなくもない。

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佐藤雅彦『KIT』84年「ガロ」8月号より。この頃の「ガロ」は、加藤賢崇の『いぬちゃん』なんかも載っていた。

世界の終わりと「私」の物語

どんな物語にも終わりはあるように『船を建てる』第46話で、物語は裏返る。兆候や伏線はもちろんあったのだが、ほんとうに唐突すぎて当時の読者たちはその違いに気づくことができたのだろうか。登場人物たちが入れ替わっているのである。煙草は葉巻に、コーヒーはビールに、チェリーはピーチに。目標である場所は苺畑から胡椒畑に。ここで、「煙草とコーヒーの物語」とは、希望という小さな羽根を持たなかった「葉巻とビールの物語」の犠牲から生まれた物語であると明らかにされる。その目撃者であり、観察者として、楽観的な「チェリーの物語」と悲観的な「ピーチの物語」がある。さらにここまで物語を読んできた私たちは「イェイェイガールズの物語」「ロバート・B・パーカーの物語」「床屋とジャングルの兵士の物語」「スプリングヒルの物語」「ウサギのバニラとアシカのヒューイの物語」……無数の物語、エピソードを知ったことだろう。これはそのエピソードを知った「私たちの物語」でもあるのだ。『船を建てる』のは、「私」なのだと物語が現実に侵食するのである。

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羽根=希望のないビールと葉巻。『船を建てる Peach'n' Cherrry』より。

ただの日常が、変わらない、平凡さが、悲劇から生まれた希望であったというのなら、私たちはその世界を否定することはできない。ここではない何処かを目指す、目的は同じである。そんな、「私たちの物語」の中で小さな奇跡は起きる。絶望の物語「葉巻とビールの物語」に、「変化」が現れるのだ。それは、羽根にもならないただの希望である。けれど、私たちは知っている、この先に「煙草とコーヒーの物語」があるのだということを。こんな奇跡を、こんな救いを用意して、物語は大きなループ、○で、閉じられる。good、good。

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コーヒーの羽根はこの絶望から生まれた。『船を建てる NOW WHERE』より。

沈没する船で溺れ死ぬ前にビールは、葉巻と広告塔の下でもう一度出会いたいと願う。そして、もう一度出会うことが出来るなら「きれいなことやさしいことを見せてあげたい。船に乗っているみんなにも。」と、ビールは願う。その願いはもう叶えられていた。それが私たちが見てきた奇跡の「物語」だったのだ。


「ぶ~け」の終わりと鈴木志保の残したもの

94年、集英社は「コーラス」を創刊する。キャッチコピーは「少女まんがもオトナになる」であった。一条ゆかり、槇村さとる、くらもちふさこといった「ぶ~け」で総集編としてまとめられることの多かった人気作家たちが新連載を同誌ではじめる。この時期より「ぶ~け」では、総集編が掲載されなくなった。一つの屋台骨の崩壊である。96年1号よりヤングレディース、女性向け雑誌の主流であったA4に版形を変更し、リニューアルされるとページ数は416と約半分に。雑誌の機に新人の発掘、育成の「ぶ~け」という「特色」も終わりを遂げる。ここから「ぶ~け」を支えてきた作家と「別冊マーガレット」など他誌の作家との入れ替わりがはじまる。毎号、毎号、何らかの作品が短いスパンで打ち切られていくのを他所に、96年3月号で美しく終わった『船を建てる』は、雑誌の終焉の最後の薔薇のような存在であった。そして、2000年に「ぶ~け」は休刊した。「ぶ~け」の後継誌として「Cookie」が月刊化され、一部の連載を引き継いだが「ぶ~け」カラーは払拭された。もう、この世に「ぶ~け」は存在しない。

『船を建てる』は、まるで「ぶ~け」へのレクイエムのように美しく響いた。そして、物語は今も続くのだ。

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絶望と希望は表裏一体なのかもしれない。『船を建てる SIP BUILDING』より。

線でリンク!

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■ひさうちみちお『パースペクティブキッド』

「均一で精密な筆致」が特徴のマンガ家といえば、ひさうちみちおの存在を忘れてはならないだろう。76年、青林堂「ガロ」8月号にて『パースペクティブキッド』が掲載されデビューしたあと、エロ本からサブカルチャー誌など(狭いか)さまざまな雑誌で活躍。80年代といえばひさうちみちおというような気もしなくもない。代表作の一つである『パースペクティブキッド』は、84年にブロンズ社より発売した『アポクリファ』に収録され、3年に一冊にまとめられ、青林堂より発売された。同作は宙に人や自分を浮かすことのできる不思議な美少年キッドと彼に翻弄される人々を描いたもの。ちなみに『アポクリファ』の解説は橋本治が書いている。タイトルは「キッドのズボンにシワがよるのはカレが生きているからだろう」。ひさうちは作画に製図ペンを用いることで、生々しさから解放された人物を描き、そこからなお漏れ出すエロスを強調させた。また、パロディやギャグも得意で『アポクリファ』に収録されているオシッコを擬人化した『オシッコ愛のくらし』や心を持ったチョコレート人形を売るショコラさんの立身伝『チョコレートのしあわせ』といった名作も生んでいる。


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オシッコがどうやって生産されるのかを子ども分かりやすく説明してくれる。『オシッコ愛のくらし』より。

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■多田由美『お陽様なんか出なくてもかまわない』

上條淳士からの影響は前編でも指摘したが、さらにその始祖となり影響と衝撃を与えたマンガ家に多田由美がいる。86年「ASUKA」7月号にて『ウォーレンの娘』でデビュー。作品のほとんどはアメリカを舞台にしたもので、『船を建てる』の舞台設定ともリンクする。江口寿史はデビュー時より多田を高く評価しており『お陽様なんか出なくてもかまわない』には「まず、こういう図抜けた才能が、今までのうのうとフツーの主婦をしていた、ということに驚いてしまうわ。世の中ぁやはり広いやな。多田由美の出現に、そう思った同業者は多いはず。という訳で、天才が忘れた頃にやってきた訳です。」と、『内気なジョニー』には「タランティーノだウォン・カーウァイだのと言う前に、日本の多田由美を読みなさい!」と帯にコメントを寄せている。多田由美の遺伝子はいまだとオノ・ナツメあたりが引き継いでいる気がする。


stroberry+
BL好きにもおすすめしたい。『STROBERRY ICECREAM PARTY』より。

いろんなことが あったね そうね でも もう おしまい

というわけで3回にわたり、紹介してきた鈴木志保編もおしまいです。そんな鈴木志保先生ですが、なんと7月7日に最新作『薔薇のかたちのシ』出版&サウンドトラック発売記念イベントがあります。ちなみにサウンドトラックに1曲参加してます。こちらもあわせてお聴きいただければ!

当日、イベントには出演しませんが、当日配布する鈴木志保マニア垂涎ペーパー「作品リスト&レビュー ペーパー」を編集します。この連載で紹介し切れなかったアレヤコレヤが白日の元に!未発表作やネーム、原画の展示もあるとのこと。この機会に鈴木志保ワールドに足を踏み入れてみてください。会場でお会いしましょう。

次回は鈴木志保先生もファンだという鳩山郁子に迫ります。あなたが知らない名作はまだまだある。ご期待ください。

(文:吉田アミ)

【過去のコラム】
吉田アミの新連載コラム『マンガ漂流者(ドリフター) ~新感覚★コミック・ガイド~』がwebDICEでスタート!(2009.4.22)
『死と彼女とぼく』川口まどか(2009.5.2)
川口まどかにリンクするコミックはコレだ!【リンク編】(2009.5.8)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【前編】(2009.5.15)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【中編】(2009.5.22)
女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【後編】(2009.5.29)
「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【前編】(2009.6.5)
「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【中編】(2009.6.12)


『薔薇のかたちのシ』 COMIC&CD発売記念イベント
-Commune Disc レーベル10周年企画-
2009年7月7日(火)19:00

「トーク×音楽×サイン×原画&プレゼント」と盛りだくさんな内容で、マンガと音楽をMIXするイベントです。通常のサイン会やトークショー、ライブとはひと味もふた味も違うスペシャルな夜を、ぜひ体感してください!!
『薔薇のかたちのシ』の作者鈴木志保をゲストに迎えるトーク(&DJも!)、コンピ参加アーティストKUKNACKE、hosomi+aen、utah kawasakiによるライブのほか、マンガファンも音楽ファンも楽しんでもらえる内容です。詳細は、下記♪♪をどうぞ。

■トーク
出演:鈴木志保  司会:鈴木康文(Commune Disc)
■LIVE
KUKNACKE(PANTY)、hosomi+aen、utah kawsaki
■DJ
鈴木志保、島田一志(JIVE)、虹釜太郎(360°records)

会場:六本木スーパー・デラックス(東京都港区西麻布3-1-25 B1F)[地図を表示]
料金:前売2,000円(ドリンク別)/当日2,500円(ドリンク別)
※ご予約はコチラから
http://www.super-deluxe.com/2009/7/7
※イベントの詳細はコチラから
http://www.super-deluxe.com/2009/7/7/baranokatachinoshi/


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。近々、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める予定。
ブログ「日日ノ日キ」

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