骰子の眼

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2009-07-03 23:00


『マンガ漂流者(ドリフター)』第10回:真実から眼を背けることで想像力を掻き立てるマンガ家・鳩山郁子 vol.2

87年「ガロ」でデビューする以前に、鳩山郁子が投稿していた耽美派雑誌「JUNE」とは?鳩山の初期作品から作風の変化を検証する。
『マンガ漂流者(ドリフター)』第10回:真実から眼を背けることで想像力を掻き立てるマンガ家・鳩山郁子 vol.2
(左より)鳩山郁子『スパングル』(青林堂)。帯文には鴨沢祐仁がコメントを寄せている。『月にひらく襟』(青林堂)

★vol.1はコチラから
http://www.webdice.jp/dice/detail/1688/


マンガ家になりデビューするには何パターンかある。最も一般的なのは、前回紹介した鈴木志保のように出版社が主催するマンガ賞に投稿する方法だろう。しかし、マンガを投稿する以外にもデビューする抜け道はある。それは雑誌のイラスト投稿欄であったり、マンガ以外の媒体への掲載であったり、個人が制作した同人誌がきっかけだったり様々だ。絵にまつわるすべての道はマンガへと繋がる可能性を秘めている。

そういったマンガ賞を有しないマンガ雑誌やマンガ雑誌「以外」からのデビュー組が注目されるようになるのは、ニューウェーブ作家の活躍が目立つようになった80年に入ってからだろう。この背景には「コミックマーケット」をはじめとする同人誌即売会ブーム、趣味趣向によって細分化されていった雑誌の過渡期、バブルで何だか景気がいいからなんでも創っちゃえ!というような雑誌創刊ブームなどさまざまな要因を上げることができるだろう。その検証は、当時を体験したことのある先人や他の研究本の成果を参照していただくとして我々は先を急ごう。

少女マンガというフレームが窮屈だと感じた少女たちに新たな場所が必要だった。ヤングレディースといった女性向けマンガ誌が創刊される前夜にその雑誌は生まれた。「性」と向き合うには生々しすぎる、かといって、少女マンガ誌で満足で居られるほど暢気ではない。そんな彼女たちに支持されたのが「少年や男性の同性愛」をテーマにした少女向けの雑誌「ALLAN」と「JUNE」だ。、後に「やおい」や「耽美」、「BL(ボーイズラブ)」といったジャンルに細分化されていく源流となったものだ。


【はみだしコラム】
ライバルだった「ALLAN」と「JUNE」

「ALLAN」はどんな内容?
一言で説明すれば「ドロドロぐちゃぐちゃ」。だけど、耽美。

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80年に「月刊OUT」の増刊号として、みのり書房より「少女のための耽美派マガジン」と銘打ち創刊。84年に休刊した際に「ALLAN MEGA MIX」として全24巻が1冊まとめられた。

写真右:『ALLAN MEGA-MIX』書影。発行日不明。どなたか知っていたら教えてください……。筆者の所有はみてのとおりのボロボロ具合。

とにかく情報量、内容が多く濃い。「全国美少年選手権」という鉄板企画のほか、アイドル、歌舞伎、新宿2丁目、デビット・ボウイ、人形愛、本田恭章と手堅い特集もあるのだが、ナチス、黒魔術、夢、麻薬、世界残酷事件簿、夢の商人・香具師といった「本当に少女のための雑誌なの?」と突っ込みたくなるような骨太な内容。90年代にカルト、悪趣味、スカムといわれブームになったものの萌芽がココに!


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「全日本美少年勝抜き選手権!」コーナーより。「最近あっちこっちで美少年コンテストが大流行のようですが、老舗の『ALLAN』は一味ちがいます」と、「JUNE」とは違うのだよ、「JUNE」とはという気概を感じます。

音楽の記事も多く「BSK(不気味サウンド研究会)」というコーナーでは、「ただ不快な音楽を楽しもう」という切り口で、現在ではノイズ、アヴァンギャルド、テクノ、アンビエント、現代音楽、音響系、即興音楽などとジャンル分けされるようなオルタネイティブ・ミュージックを紹介。「不気味サウンド」とは、その音を聴く事によって今までの生活空間が破壊され、人体に影響をおよぼすという恐怖のサウンド症候群で、“不気味、暗い、ダダ”が3大要素とのこと。休刊後この流れは「牧歌メロン」「月光」などに引き継がれる。編集長は南原四朗。と書いてなんか妙に納得できる、尖がった雑誌。

「JUNE」&「小説JUNE」はどんな内容?
一言で説明すれば「キラキラふわふわ」。故に、耽美。

78年に前身となった「COMIC JUN」の創刊後、「JUNE」としてリニューアル。一時、休刊を挟んで81年にマガジン・マガジンより復刊した。83年には「小説JUNE」も創刊するなど、96年に休刊するまでシーンを支え続けた。

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「JUNE」87年11月号より。口絵には毎号テキストと美麗なイラストが添えられていた。イラストは千明初美。

男同士の愛は、子どもが生まれないから不毛だという意見がありますが、愛の果実、愛の結晶は、子どもだけではありません。もっと別のかたちをとって現れるナニカを発見していくことにも大きな意味があるに違いないのです。人を愛するという自然でしかし難しい、永遠のテーマを今月も探ります。

(「JUNE」87年11月号、口絵に寄せられたテキスト)


『風と木の詩』で一世を風靡し、少年愛というジャンルを少女たちに広めた竹宮惠子が本誌ではマンガ投稿ページ「お絵描き教室」を、「小説JUNE」では、作家の中島梓(栗本薫)が小説投稿ページ「小説道場」を担当。ここからデビューした作家も多い。特集される内容は、アイドル、アニメ、マンガ、アートとさまざま。ジュネっ子のおめがねに適うような「美しさ」があれば、ジャンルなど関係ない。一貫した鋭い美学を感じさせる誌面が魅力で、イラストや写真を効果的に使い、ビジュアルに訴えかけてくるものがあった。「ALLAN」に比べるとややミーハーではあるが、対象とする読者が求める内容を考えればまさにストライク、どんぴしゃだといっていいだろう。

編集長は櫻木徹郎。体格の良い男性、いわゆるガチムチ系が好きなゲイのための雑誌「さぶ」の編集長でもあった。なお、「JUNE」については、既にすぐれた研究本もたくさん出ているので、気になる人はさらなる探求を。

以上の違いから「ALLAN」派と「JUNE」派に分かれ読者を二分していたとも聞くが、こうして再び両誌を比較してみると「耽美」「同性愛」をキーワードにしているが、まったく別物といった印象だ。しかし、かつては今ほどジャンルがはっきりと分かれていた時代ではなかったので、こういったゆるやかな文化のクロスフェードが可能であったのだろう。ただ「対象への眼差し」さえ同質であれば、メジャーだろうがマイナーだろうが一つの雑誌に収めることができたのだ。

比較する対象があったほうが個性を伸ばしあうことが出来る。かつて、「ガロ」があったときに「COM」があったように。こういった関係をBL(ボーイズラブ)でいうところの「受け攻め」の構図と捉え、抗争を好まないのが少女たちの楽しみ方なのかもしれない。と、一見、きれいにまとめている場合ではない。



さて、鳩山郁子に話を戻そう。87年に青林堂「ガロ」でデビューした彼女だが、それよりも前に「JUNE」の「お絵描きコーナー」に投稿(※未確認。情報をお持ちの方はご連絡ください)していたようだ。85年には「小説JUNE」に投稿作「ATELIER」が掲載されている。

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「小説JUNE」85年2月号、JUNEお絵描き教室優秀作品「ATELIER」より。すでに作風が確立されているのが分かる。

だが、同誌はマンガ誌ではないため、これをもってデビューと捉えるかどうかは微妙なところである。一般的にマンガ家のデビューは、マンガ誌でのデビューのことを指すことが多いからだ。しかし、「ガロ」でのデビューにさきがけ「JUNE」へ投稿していたという事実は鳩山の作品を深く読み解くためには、知っておく必要があった。


『月にひらく襟』に混在する少年と少女の視点

91年に青林堂から刊行された鳩山初のコミックス『月にひらく襟』には、87~91年に「ガロ」や「JUNE」で発表した作品が年代バラバラに収録されている。年代順に作品を見ていくと絵柄の試行錯誤があったことが分かる。「ガロ」デビュー作の『もようのある卵』は、同誌で75年より発表されていた鴨沢祐仁の『クシー君の発明』の影響を強く受けている。

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「ガロ」87年1月号、鳩山郁子『もようのある卵』より。下段のコマのサイズを小さくすることで、読者に読む順番を分からせるというテクニックにも注目してほしい。
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「ガロ」75年4月号、鴨沢祐仁『クシー君の発明』より。こちらは矢印のマークを描くことで読む順番を読者に分からせている。

コマ割りや美学がよく似ているが、注目すべきはその絵柄である。鴨沢の描く少年はブリキ人形のような容姿なのに対し、鳩山の少年は白磁人形(ビスクドール)を思わせ、ほんの少しだけ耽美な味付けがなされている。2コマ目の二人の距離感がそうだ。肩に手をまわす仕草が描かれていることで二人のムフフな関係を読者が想像することもできる。この路線は、94年にソニーマガジンより創刊された「きみとぼく」で、連載された「Lou-dou-daw」などの作品に引き継がれている。懐かしい近未来的な世界や異世界で戯れる少年たちを観察するような視線の中に決して同質には成れない少女の視線が紛れている。「少年」の存在を羨む、ちょっと意地悪な「少女」の眼差し。ここに彼ら――鴨沢祐仁をはじめ、イタガキノブオ、鈴木翁二といったすでに「ガロ」で活躍していた作家と彼女との明確な違いがある。

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でも、それは鳩山の1面でしかない。そう、彼女の作品は、見るものによって違った印象を与える。この時期の鳩山作品には、「少年愛」はあっても直接的な「同性愛」が描かれているわけではない。しかし、「ガロ」(少年)からの眼差しを向けるか、「JUNE」(少女)から光を当てるかによって受ける印象は違う。丁寧に隠匿されたエロティシズムを見つけ出すことも、見過ごすことも可能なのだ。

写真右:80年に青林堂より刊行された鴨沢祐仁『クシー君の発明 THE INVENTION』書影。

ピンと張られた一本のロープ。少女と少年が分け隔てられる境界線を澄ました顔で渡り切る、少女なのか少年なのか分からない「存在」。初期の鳩山作品にはそんな危うい像を重ねてしまう。



「スパングル」で解禁された少女成分

93年に青林堂から刊行された「スパングル」では、さらにその視線は複雑に分かれていく。88年から92年にかけて主に「ガロ」にて発表された作品の他、ふゅーじょんぷろだくとの「COMIC BOX」に掲載された作品を含んだ作品群には、「JUNE」的な少女の視線が極端に抑えられている。少年たちは表情を崩さず、人形のような澄した顔でその世界に閉じ込められ、誰かに観察され続けていた。

そこに唐突に挿入された違和があった。

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イラストの1枚「re Grend Cahie/Agota Kristof」。タイトルから察すると、アゴタ・クリストフ の小説『悪童日記』からインスパイアされて描かれたようだ。

この1枚を含む3枚のイラストは、物語の幕間に提示されていた。ここには明らかな「同性愛」に秘めたる想いを寄せる少女の眼差しがあった。それらのイラストたちの初出は明記されておらず詳しくは分からないが、かつて鳩山が「JUNE」や「小説JUNE」で発表していた作品と同じ熱を帯びていた。もしかすると、投稿作か未発表の作品であるかもしれないそんな予感がしたのだ。だが、それらの作品は単行本には収録されることのないまま、現在に至る。

何故、彼女は少女の眼差しを隠そうとするのだろうか? そして、彼女が描く「少年」とは一体、何者なのだろう。次回は『カストラチュラ』で、「少年」「少女」の視点から「神」の視点を獲得し、さらなる深みを獲得した鳩山作品の魅力に迫ります。

(文:吉田アミ)


【過去のコラム】
吉田アミの新連載コラム『マンガ漂流者(ドリフター) ~新感覚★コミック・ガイド~』がwebDICEでスタート!(2009.4.22)
『死と彼女とぼく』川口まどか(2009.5.2)
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女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【前編】(2009.5.15)
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「象徴」と「暗喩」を描くマンガ家・鈴木志保【前編】(2009.6.5)
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吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。近々、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める予定。
ブログ「日日ノ日キ」

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